源師時 みなもとのもろとき 承暦一〜保延二(1077-1136)

村上源氏。左大臣俊房の二男。母は参議源基平女。大納言師頼の異母弟。権中納言師俊の異母兄。子に大蔵卿師行・権中納言師仲ほか。
寛治二年(1088)十一月、叙爵。同七年三月、左兵衛佐。嘉保元年(1094)正月、従五位上。承徳元年(1097)正月、蔵人に補せられる。諸官を経て、保安二年(1121)正月、蔵人頭。同三年(1122)十二月、参議に就任し、右中将に皇后宮権大夫(のち太皇太后宮権大夫)を兼ねる。大治五年(1130)十月、権中納言。保延二年(1136)四月六日、出家直後没した。最終官位は正三位。享年六十。
堀河院艶書合・堀河百首・雲居寺結縁後宴歌合・右近衛中将雅定歌合などに出詠。堀河院藤原忠通家両歌壇で活躍した。自邸でもしばしば歌合・歌会を催した。著書に『長秋記』(水日記)がある。金葉集初出。勅撰入集二十首。後鳥羽院撰「時代不同歌合」に歌仙として撰入されている。

堀川院御時、女房ひんがし山の花たづねにつかはしける日よみ侍りける

たちかへりまたやとはまし山風に花ちる里の人の心を(新勅撰82)

【通釈】花の盛りの頃、東山へ人を訪ねて行ったが、もう一度訪ねて行って問いたいものだ、山から吹き下ろす風に桜の花が散る里の、人の心を。

【語釈】◇ひんがし山 東山。京都賀茂川の東に連なる峰々。北は比叡山から南は伏見稲荷あたりまでを言う。

【参考歌】光源氏「源氏物語」
橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ

紅葉

秋をやく心ちこそすれ山里の紅葉ちりかふ木がらしの風(堀河百首)

【通釈】木枯しが吹き、山里の紅葉をこきまぜて散らす。まるで風が秋を焼いているようだ。

【主な派生歌】
秋をやく色にぞみゆるいぶき山もえてひさしき下のおもひに(藤原定家)
秋をやく木の葉の色やのこるらん嵐にたえぬやどの埋み火(飛鳥井雅経)
秋をやくひばらの山のもみぢ葉の我もこがるる色をみせばや(冷泉為尹)

鳥羽院御時、うへのをのこども、風に寄する恋といふ心をよみ侍りけるに

おひ風にやへの潮路をゆく舟のほのかにだにも逢ひ見てしがな(新古1072)

【通釈】追風を受けてはるかな海路を漕いで行く船の帆がほのかに見える――そんな帆のようにたった一目だけでもいいから、逢って見たいものだ。

【語釈】「ゆく舟の」までは「帆」から「ほのかに」を導く序。沖を行く舟の帆が一瞬目をよぎるイメージによって、有心の序となっている。

おなじ家に十首の恋の歌よみ侍りける時、来不留恋といへる心をよみ侍りける

たちかへる人をもなにか恨みまし恋しさをだにとどめざりせば(千載852)

【通釈】来てすぐ帰ってしまったからと言って、人を恨む理由はありません。恋しさをあとに残して帰ってしまったからこそ恨むのです。そうでなければ、何を恨むことなどありましょうか。

【補記】題は「来て留まらざる恋」。家を訪れたが長居せずに帰ってしまった男に対する女の恋情を詠む。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日