藤原盛房 ふじわらのもりふさ 生没年未詳

藤原北家魚名の裔。越後守定成の子。文章生・蔵人を経て、肥後守従五位下に至る。『三十六人歌仙伝』の撰者とされる(『柿本人麿勘文』『古今集序注』)。関白藤原師通(1062-1099)の家の歌会に参加している(金葉集)。金葉集の源俊頼の歌の詞書に「経信卿が具して筑紫にまかりたりけるに、肥後守盛房、太刀のある見せんと申して音もせざりければ」云々とあり、俊頼と交友のあったことが知られる。勅撰集入集は金葉集の一首のみ。

二条関白の家にて、人々に余花の心をよませ侍りけるによめる

夏山の青葉まじりの遅桜はつ花よりもめづらしきかな(金葉95)

【通釈】夏になって山は新緑に染まっているが、その青葉にまじって、遅咲きの山桜がまだ白い花をつけている。咲き初めの花よりも、かえって新鮮な感じで好ましいなあ。

【語釈】◇二条関白 藤原師通(1062-1099)。◇余花 春に遅れて咲く花。この場合、初夏に咲き残っている遅桜。

【補記】この歌は平家物語「大原(小原)御幸」で寂光院の庭の描写に引用されて名高い。

【主な派生歌】
遅桜にほふ梢の鶯は初声よりもめづらしきかな(源兼昌[永久百首])
夏こだち青葉まじりの花もあれば猶染めかへじ今日の袂は(藤原隆信)
いまはよも花もあらしの夏山に青葉まじりの峰の白雲(藤原家隆)
おそ桜ちりしみやまの時鳥青葉まじりの一声もがな(木下長嘯子)
桜戸や青葉まじりの花よりも猶めづらしきほととぎすかな(松永貞徳)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日