本名は資芳(すけよし)。京都三条の富裕な商家に伴資武の子として生まれる。近江八幡の本家の養子となるが、三十六歳で隠居、剃髪して蒿蹊を号し、京に出て文の道を専らにした。文化三年(1806)七月二十五日、没。七十四歳。花頂山上に葬られた。
和歌は初め北村季吟に学び、のち有賀長伯に入門。長伯没後は武者小路実岳(実陰の孫で澄月などの師)に師事した。小沢蘆庵・澄月・涌蓮(または慈延)と共に平安四天王と称される程の歌人であったが、後世はむしろ文章家として名高い。『国文世々の跡』『閑田文草』『閑田耕筆』『近世畸人伝』など多くの著書がある。自撰になる家集『閑田詠草』は養子資規(すけのり)が編集し蒿蹊の死後に刊行された(有朋堂文庫・校註国歌大系十七などに収録)。古今集を庶幾し、晩年は荷田春満に私淑したという。また小沢蘆庵と親しく、歌風の上で影響を受けたようである。
以下には『閑田詠草』より六首を抜萃した。
静見花
人もまだとひこぬほどの朝ぼらけ花のひかりぞいとど静けき
【通釈】まだ誰も訪れて来ない、ほのぼのと朝が明ける頃に見ると、花の光が一層しっとりと美しい。
【補記】「花のひかり」の「静け」さは、花を見守る人の心の静けさでもある。
幽居有余楽
世ばなれてのどかにすめる山水にこのごろ桃の花も浮かべり
【通釈】世間から遠ざかって長閑に住む、澄んだ山水の地――そこを流れる水には、この季節、桃の花びらも浮かんでいる。
【語釈】◇山水(やまみづ) 山と水をそなえた浄地。築山と池のある庭園を指すこともあるが、掲出歌は陶淵明の『桃花源記』を匂わせているので、自然の山水と見るべきであろう。◇桃 中国原産の落葉小高木。晩春、白あるいは薄紅の花をつける。果実は美味で、また邪気をはらう力があるとされたため、日本でも古くから盛んに栽培された。
【補記】題の意は「世間から離れての侘び住まいには、思いの外の楽しみがある」ということ。南北朝時代の『頓阿句題百首』に初見の題。
月(二首)
月の夜におのづからなる虫のねは糸竹よりもあはれとぞ聞く
【通釈】月の夜に自然とひとりでに鳴き始める虫の音は、人がことさら奏でる管弦楽の音よりもあわれ深く聞く。
【語釈】◇糸竹(いとたけ) 漢語「糸竹(しちく)」の訓読語。糸は弦楽器を、竹は管楽器をあらわし、糸竹で楽器の総称。
【補記】人工(art)と対比しての自然(nature)賛美は、近代人に特有の思考パターンであり、以前の和歌には見られなかった態度である。
あらざらむ我が世の後の秋までも思ひおかるるやどの月かげ
【通釈】私がこの世を去ったのちの秋までもが心残りに思われる、それほどに美しい、屋内に射し込む月の光よ。
【語釈】◇思ひおかるる 心残りに思われる。
【本歌】和泉式部「後拾遺集」
あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
雪
【通釈】遠くの山も近くの山も、庭園にあって見渡すかぎり、白以外のいかなる色もまじらない、雪の積もった明け方よ。
【補記】庭園ばかりか、借景とする遠近の山までも白一色に覆われた雪の朝。醇乎たる冬の壮観を歌い上げた。
述懐
もどかしと人は見るらしいはけなき心ながらに身はふりにける
【通釈】はがゆいと人は見るらしい。幼く頼りない心のままに我が身は年を取ってしまった。
【補記】「いはけなし」には「邪心がない」といった意も含む。人からどう見られようと、俗世に染まらなかった我が身を(幾分の自嘲は含みつつ)肯定する心持が感じられる。「年暮れなむとするころ、吾を心をさなきものなりとそしる人のありと聞きて」の詞書で「よしさらばわらは心になりはてて老いの数そふ年も惜しまじ」(大意:いっそ童心になりきって、年を取ることも惜しむまい)とも詠んだ蒿蹊である。
公開日:平成19年12月15日
最終更新日:平成19年12月15日