小弁 こべん 生没年未詳 別称:一宮の小弁・宮の小弁

父は越前守正五位下藤原懐尹(かねただ)、母は越前守源致書女という(後拾遺集勘物)。祐子内親王家紀伊の母。
後朱雀天皇の皇女祐子内親王家に仕える。長元五年(1032)の上東門院菊合、長久二年(1041)の源大納言(師房)家歌合、永承四年(1049)の六条斎院歌合、同五年の祐子内親王家歌合などに出詠。また、天喜三年(1055)の六条前斎院物語歌合に物語『岩垣沼』(散佚)を提出した。源経信などから歌を贈られている。家集があったが(夫木抄など)、伝わらない。後拾遺集初出。中世に再評価され、玉葉集には九首採られている。勅撰入集四十七首。『新時代不同歌合』に歌仙として撰入。

とほき山花をたづぬといふ心をよめる

山ざくら心のままにたづねきてかへさぞ道のほどはしらるる(後拾遺91)

【通釈】桜を求め、心のままに山を歩いて来て、帰り道になって初めて道の遠さが知られるのだ。

【主な派生歌】
梓弓春は山ぢもほどぞなき花の匂ひを尋ねいるとて(藤原定家)
あくがるる心のままに尋ねきて山ぢのはてを花にみるかな(能誉[続千載])

題しらず

なきぬとも人にかたらじ時鳥ただ忍び音はわれに聞かせよ(続古今194)

【通釈】声に出して鳴いても、人には教えないよ、ほととぎす。忍び音だけは、私に聞かせてよ。

【語釈】◇忍び音(ね) 声をひそめて鳴く声。ほととぎすは鳴き始めて間もない頃忍び音で鳴くものとされた。

【補記】夏歌。ほととぎすの「しのび音」を恋心の表白になぞらえている。なお久安百首では初二句「なにしかも人にかたらむ」とし、藤原実清の作。続古今集・新時代不同歌合などは小弁作とする。

擣衣をよめる

さ夜ふけて衣うつなり我ならでまだ寝ぬ人はあらじと思ふに(玉葉757)

【通釈】夜が更けて、どこかから衣を打つ音が聞こえて来る。私以外に、まだ寝ていない人はあるまいと思っていたのに。

【語釈】◇衣うつ 布に艷を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。晩秋の風物。

【参考歌】紀貫之「新勅撰集」
唐衣うつ声きけば月きよみまだねぬ人をそらにしるかな

題しらず

ことにいでて待つとは言はじおのづからいざよふ月にまかせてを見む(玉葉1401)

【通釈】口に出して待つとは言うまい。月も山の端でぐずぐずしている。あの月に成行きをまかせて、見守っていよう。

【補記】恋人に「待っている。早く来て」と告げたいのだが、あえてそれをせず、はやる心を遅い月の出にゆだねてしまおう、という気持。

【参考歌】作者不明「万葉集」「古今和歌六帖」「続後撰集」
山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける

題しらず

おもひしる人もこそあれあぢきなくつれなき恋に身をやかへてむ(後拾遺655)

【通釈】悟ってくれる人もいるだろうに、苦々しくも、あんな薄情な人への恋と命を引き換えにしてしまうのだろうか。

【語釈】◇あぢきなく 物事が自分の思うようにならず、どうしようもなくなって、苦々しく思ったり、愛想を尽かしたりする気持をあらわす語。「身をやかへてむ」に掛かる。

【主な派生歌】
この世にはつれなき恋に身をかへて長くやはれぬ闇にまよはん(後醍醐院少将内侍[新続古今])

題しらず

わが恋はますだの池の浮きぬなはくるしくてのみ年をふるかな(後拾遺803)

【通釈】私の思いは、ますます募り、益田の池に浮いている蓴(ぬなわ)のように揺れ漂う。その根茎を手繰り寄せるわけでもあるまいに、この恋には苦しい思いばかりして何年も経つことよ。

【語釈】◇ますだの池 大和国の歌枕。奈良県橿原市にあった灌漑用の人工池という。「(恋は)増す」の意を掛ける。◇浮きぬなは 水面に浮いている蓴菜(じゅんさい)。益田の池の名物とされた。心の揺れ動く様の暗喩に用いられ、また茎を「繰る」から「苦し」を導く。

【本歌】作者不明「古今和歌六帖」
恋をのみますだの池のねぬなはのくるにぞ物の乱れとはなる

【参考歌】作者不明「万葉集」巻七
我が心ゆたにたゆたに浮きぬなは辺にも沖にも寄りかつましじ

来むと言ひつつ来ざりける人のもとに、月の明(あか)かりければつかはしける

なほざりの空だのめせであはれにも待つにかならず出づる月かな(後拾遺862)

【通釈】あなたのように好い加減な空約束などせずに――ああ、愛しくも、待っていれば必ず出てくれる月だわねえ。

【補記】女房仲間の小式部に贈った歌。返しは「たのめずは待たでぬる夜ぞ重ねまし誰ゆゑか見る有明の月」。誰のおかげで有明の月を見られたのだ、と言い返した。

【主な派生歌】
なほざりの空頼めとて待ちし夜の苦しかりしぞ今は恋しき(殷富門院大輔[千載])
なほざりの人の契の夕暮にいでて入りぬる月もうらめし(藤原家隆)

五月五日、六条前斎院に物語合し侍りけるに、小弁遅く出だすとて、方の人々とめて、次の物語を出だし侍りければ、宇治の前太政大臣、「かの小弁が物語は見どころなどやあらむ」とて、こと物語をとどめて待ち侍りければ、岩垣沼といふ物語を出だすとて、よみ侍りける

ひきすつる岩垣沼のあやめ草おもひしらずも今日にあふかな(後拾遺875)

【通釈】引き捨てるところだった、岩垣沼の菖蒲(しょうぶ)。待っていて下さったとはつゆ知らず、思いがけずも今日の晴の場に逢うことができたのですね。

【語釈】◇岩垣沼(いはがきぬま) 石で囲まれた沼。小弁作の物語の題名。◇あやめ草 サトイモ科のショウブ。アヤメ科のアヤメ・ハナショウブとは全く別種。五月五日の節句に邪気を祓う草として軒端に葺いたり、根を薬にして飲んだりした。

【補記】天喜三年五月五日、六条前斎院(後朱雀天皇第四皇女禖子内親王)家で物語合が催されたが、小弁の作は提出が遅れていた。藤原頼通が「あの小弁の書いた物語なら、見どころがあるのでは」と言って進行を停め待っていた。ようやく小弁が『岩垣沼』という題名の物語を出し、その時に詠んだ歌。

【参考歌】作者不明「万葉集」
青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
(初句を「おく山の」とし、人麿作として拾遺集に載る)

【主な派生歌】
さてもいかに岩垣沼のあやめ草あやめもしらぬ袖の玉水(後鳥羽院[新続古今])
幾千代と岩垣沼のあやめ草ながきためしに今日やひかれむ(西園寺公経[新勅撰])


更新日:平成14年08月05日
最終更新日:平成19年12月28日