堀河院中宮上総 ほりかわのいんのちゅうぐうのかずさ 生没年未詳

堀河院中宮篤子内親王に仕えた女房。幼少の頃、父に従って東国に下ったらしく、三河八橋の歌を詠んでいる(新続古今集)。堀河・鳥羽天皇代に歌人としての活躍が見られる。永長元年(1096)の中宮権大夫能実歌合、康和二年(1100)の備中守仲実女子根合、同四年の堀河院艶書合、長治元年(1104)の俊忠家歌合、永久四年(1116)の雲居寺結縁後宴歌合、同五年の内大臣忠通歌合、天治元年(1124)頃の権僧正永縁奈良房歌合に出詠。家集『中宮上総集』は残欠本が存する。金葉集に「前中宮上総」の名で初出。勅撰入集十五首。

堀河院、女房の艶書を召しけるに、よみ侍りける

つらしともいさやいかがは石清水(いはしみづ)あふせまだきに絶ゆる心は(新勅撰736)

【通釈】あなたの態度はつれないか、さあどうでしょう。そんなこと、どうして言えるでしょうか。岩間から湧き出た清水が、瀬にもならずに絶えてしまうように、あなたとまだ逢う機会もなくて、もう私の心は恋しさに消え入ってしまったのだ。

【語釈】◇つらし 相手の態度・仕打ちが耐え難い、という気持をあらわす語。◇いさや さあね。さあ、どうでしょう。◇いかがは どうして…か。反語をなす。◇石清水 「いは」に「言は(め)」を掛ける。
【縁語】清水・瀬・絶ゆ。

【補記】康和四年(1102)の堀河院艶書歌合に出詠した歌。藤原俊実の返し、「世々ふとも絶えじとぞ思ふ神垣や岩根をくぐる水の心は」。

堀川院かくれ給ひてのち、花の盛りに、人につかはしける

ありし世の恋しきままに古郷の花にむかひて()をのみぞ泣く(続古今1409)

【通釈】故院の生きておられた世が恋しくてなりません。その思いのままに、昔なじみの里の花に向かって、ただ泣いてばかりいます。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日