嘉喜門院 かきもんいん 生没年未詳

出自不詳。南朝の関白二条師基の息女、あるいは南朝の内大臣阿野実為の息女かと言うが確かでない。坊門経忠や一条経通を父とする説もある。長慶天皇後亀山天皇の生母と推定される。
後村上天皇の女御となる。正平二十三年(1368)に天皇が崩ずると、女院号を宣下され、間もなく出家した。天授三年(1377)、新葉集編纂のため宗良親王に召されて歌集を献上する。これが『嘉喜門院御集』として伝わる。勅撰入集はない。新葉集に十七首。御集より琵琶の名手でもあったことが知られる。

  6首  1首  1首  3首 計11首

白雪のなほかきくらしふるさとの吉野のおくも春は来にけり(御集)

【通釈】白雪がなお空をかき曇らせて降るけれども、古里の吉野の奥にも春はやって来たことだ。

【補記】「降る」と「古里」を言い掛けている。古歌の句を借りてなだらかに詠み下し、立春歌にふさわしい丈がある。作者は後村上天皇の女御として吉野宮に住んだ。優艷な歌を並べる『嘉喜門院御集』は女院の暮らしぶりが随所に窺われ、南朝人が遺した稀少な生の記録でもある。

【参考歌】藤原定家「千載集」
いづくにて風をも世をもうらみまし吉野のおくも花はちるなり
  宮内卿「新古今集」
かきくらし猶ふるさとの雪の中にあとこそ見えね春は来にけり

沢若草

雪きゆる沢べの水のあさ風になびくほどなき春のわか草(御集)

【通釈】雪が融けた沢辺の水をわたる朝風に、まだ靡く程も育っていない春の若草よ。

【補記】『嘉喜門院御集』の末尾に添えられた「詠三十首和歌」。従来作者は他人かとされていたが、安井久善氏「『嘉喜門院集』附載『詠三十首和歌』について」(日大「語文」第42輯、昭51・11)によれば、嘉喜門院自身の作である可能性が大であると言う(新編国歌大観解題)。

暁梅

心をば色にも香にも染めはてつ軒ばの梅にありあけの月(御集)

【通釈】軒端の梅に有明の月が射して――それを眺めているうち、心はその色と香にすっかり染まってしまった。

【補記】これも「詠三十首和歌」。

【参考歌】紀友則「古今集」
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる

帰雁を

いきうしと思はぬ旅の空なれや人やりならぬ春の雁がね(新葉58)

【通釈】辛いとは思わない道中なのだろうか。人に遣わされたわけでないのに、遠い北国へ帰ってゆく春の雁よ。

【補記】詞書は「おなじ心を」だが、新葉集の一つ前の歌の詞書から改めた。

花の歌の中に

あらしふく花ちるころは世のうきめみえぬ山ぢもかひなかりけり(新葉141)

【通釈】嵐が吹いて花の散る頃は、世間の辛い目から逃れたこの山の住まいも、その甲斐がないことだ。

【補記】「山ぢ」は山路でなく、山中を漠然と指して言う。「御集」では初句を「嵐ふき」とする。

暮春花といふ事をよませ給ける

吹く風のめに見ぬかたにさそはれて花とともにや春の行くらん(新葉161)

【通釈】目には見えない風の吹く方向へ誘われて、散る花と共に春は去ってゆくのだろうか。

【参考歌】二条為藤「亀山殿七百首」
山たかみ空にのみして吹く風のめに見ぬかたに行く時雨かな

夕虫

わけゆけばはや声たてて夕づく日さすや岡べの松虫ぞなく(御集)

【通釈】草を分けて行くと、早くも声立てて松虫が鳴くことよ。夕日の射す岡のほとりで。

【補記】挿入句「夕づく日さすや岡べの」が弾んだ心を伝えるかのよう。秋の夕暮や夜に憂愁を添える風物として詠まれることの多かった松虫を、珍しく明るい趣向に仕立てている。「詠三十首和歌」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
夕づく夜さすや岡べの松の葉のいつともわかぬ恋もするかな
【参考歌】俊恵法師「林葉集」「新拾遺集」
山びこもこたへぞあへぬ夕づく日さすや岡べの蝉のもろ声

聞声恋

かひなしや人の()はひもたえけれど声きくまでの中河の宿(御集)

【通釈】甲斐もないことだ。人がいる気配もなくなったけれど、声を聞くだけで、逢うことはかなわない、中川の宿よ。

【補記】源氏物語「帚木」、光源氏が「中川のわたりなる家」で物越しに空蝉の声を聞く場面を連想させる。「中河」は京都賀茂川の支流。鎌倉時代には今出川と呼ばれた。「中を隔てる川」の含意がある。これも「詠三十首和歌」。

さびしさはまだなれざりし昔にて松のあらしにすむ心かな(御集)

【通釈】寂しく感じたのは、まだ山里に馴れていなかった昔のことで、今や松を吹く嵐の音に心が澄むように感じられることよ。

【補記】山深い里に長く住んだ感慨がしみじみと伝わる。「松籟に心耳を澄ますといふは、隠者や僧侶の常套語であり、彼等がさやうの事を言つても、平凡にしか聞えない。これは吉野朝の女院が、御不自由なる山住のはてに、諦め給うての寂静観である」(川田順『吉野朝の悲歌』)。

山家橋

山ふかみひとりながめてさびしきは日もくれわたる(そは)のかけはし(御集)

【通釈】山深く、独り眺めて寂しいのは、日もすっかり暮れてしまった頃の崖の梯(かけはし)であるよ。

【補記】「岨のかけはし」は、山の急斜面に懸け渡した梯子。「わたる」は「かけはし」の縁語。「詠三十首和歌」。

寄雲述懐

身をかくす人もこそあれ雲ふかき山のおくまで尋ねてぞ見ん(御集)

【通釈】山深く隠棲している立派な人物もきっといる。朝廷の危急の時にあって、賢者を求めねばならない。幾重もの雲の彼方、山の奥まで尋ねて行こうよ。

【補記】御集の「詠三十首和歌」巻末。深山に隠れ住む賢者の話は漢籍によく見える。


最終更新日:平成15年06月08日