浄弁 じょうべん 生没年未詳

出自未詳。慶運の父。比叡山天台系の僧。権律師を経て法印に至る。
正和四年(1315)、二条為世主催の花十首寄書に参加するなど、二条派歌人として活動。慶運・頓阿兼好と共に為世門の和歌四天王と称された。元亨四年(1324)には古今集・後撰集を為世より伝授される。正中三年(1326)、子の慶運ほかに古今集を相伝する。建武二年(1335)の内裏千首歌、康永三年(1344)の高野山金剛三昧院奉納和歌、尊円法親王家百首、北畠親房主催の詩歌合などに出詠。自邸でも月次歌会を催した。晩年は九州に下向し、鎮西探題北条英時・豊後守護大友貞宗らに三代集を相伝した。百首歌の残欠と思われる家集『浄弁集』、注釈書『古今和歌集註』が伝存する。続千載集初出。勅撰入集二十一首。

春月

いにしへを思ひ出でては霞む夜の月に涙の程をしるかな(浄弁集)

【通釈】昔を思い出すたびに、ぼうっと霞んで見える月――それによって、どれほど涙を流したかが分かるのだ。

【先蹤歌】藤原公任「詞花集」
いにしへをこふる涙にくらされておぼろにみゆる秋の夜の月

江寒蘆

みなと江の氷にたてる葦の葉に夕霜さやぎ浦風ぞ吹く(風雅1598)

【通釈】河口の入江の氷りついた水面に立っている葦の葉に、夕霜がさやさやと音を立て、浦風が吹いていることよ。

【補記】葦の枯葉が触れ合う侘しい音に、葉に付いた霜も一緒になって触れ合う幽かな音を聴き取った。第二句「氷にたてる」も記憶に残る秀句表現。この歌は風雅集に「よみ人しらず」として載るが、浄弁作と伝わる。浄弁は本作により「湊江の浄弁」の異名を得た。

【先蹤歌】藤原為家「五社百首」
風さゆる神がき山のささのはに夕しもさやぎかくるしらゆふ
  二条為道「続後拾遺集」
乱れ葦のかれ葉もさやぐ三島江や氷の上は浦風ぞ吹く


最終更新日:平成15年03月29日