寂念 じゃくねん 生没年未詳 俗名:藤原為業(ためなり)

従四位下丹後守為忠の次男。母は尊卑分脈によれば橘大夫女(待賢門院女房)。寂超(為経)寂然(頼業)の兄。いわゆる大原三寂(常磐三寂とも)の一人。権僧正範玄・二条院内侍三河らの父。
伊豆守・伊賀守・皇后宮大進などを経て、従五位上に至る。仁安元年(1166)頃までに出家し、寂念と号した。父が主催した二度の百首歌をはじめ、住吉社歌合、広田社歌合、右大臣兼実歌合、別雷社歌合などに出詠。自邸でも歌合を開催した。寿永元年(1182)頃まで存命。千載集初出、勅撰入集五首。

山路蛍

五月闇(さつきやみ)おのが光をしるべにて山のかけぢを行く蛍かな(治承三十六人歌合)

【通釈】夏の闇の中を、自分の光を道案内にして、蛍は山の崖道を飛んでゆく。

【語釈】◇五月闇 陰暦五月頃の夜の闇。木の葉が繁り合って、闇がいっそう濃く感じられる。また、梅雨の季節なので闇夜が多い。◇かけぢ 懸道。崖などに木材を渡して作った道。また、単に険しい山道。

【補記】『治承三十六人歌合』は平安末期の歌人三十六人の歌各十首を十八番に番えた歌仙歌合。治承三年(1179)頃までの成立と考えられる。

【主な派生歌】
夕やみはおのが光をしるべにて木の下がくれゆく蛍かな(日野俊光[新後撰])
闇路にもおのが光をしるべにて心のままにゆくほたるかな(藤原光章)
暗き夜もおのが光をしるべにて野沢の水に飛ぶほたるかな(禅信)

百首歌

雪の色におなじ白良(しらら)の浜千鳥こゑさへさゆる曙の空(夫木抄)

【通釈】雪の色そっくりの真っ白な白良の浜で、千鳥が鳴く――その声さえ冷え冷えと響く、曙の空よ。

【語釈】◇白良 紀伊の歌枕。今の和歌山県西牟婁郡白浜町。

【補記】詞書の「百首歌」は不詳。

父なくなりて後、ときはの山里に侍りける(ころ)三月(やよひ)(ばかり)に、源仲正がもとにつかはしける

春来てもとはれざりける山里を花咲きなばと何思ひけん(風雅1979)

【通釈】春が来ても、父上がこの山里に訪ねて来られることなど二度とありはしないのに――桜の花が咲いたらなどと、私は何を思っていたのでしょう。

【語釈】◇父 藤原為忠。自邸でたびたび歌会を開催するなど、小歌壇の主宰者であった。保延二年(1136)没。◇ときはの山里 京都市右京区常盤一帯。寂念の父為忠の別荘があった。

【他出】宝物集、三百六十首和歌(作者を生蓮すなわち源師光とする)、雲葉集、歌枕名寄、平家物語


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日