丈部人麻呂 はせつかべのひとまろ 生没年未詳

相模国の人。助丁(すけのよほろ/じょちょう)。姓は造(みやつこ)。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。

 

大君の(みこと)かしこみ磯に()海原(うのはら)渡る父母を置きて(万20-4328)

【通釈】天皇陛下のご命令を畏れ慎んで、岩にぶつかりそうになりながら、海原を渡って行く。あとに父母を残して。

【語釈】◇磯に触り 船が大岩に触れる危険を犯して進んで行く様か。「磯伝いに」の意にも取れる。「触(ふ)り」は「触れ」の訛り。

【補記】難波津において筑紫へ向かう航路を思いやっての作か。このあと同じ相模国出身の防人歌が二首続き、「八十国(やそくに)は難波に集ひ船かざり我がせむ日ろを見も人もがも」(丹比部国足)、「難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに」(丸子多麻呂)と、やはり難波津出航を控えての作である。

【主な派生歌】
うつそみの人の国をば君去りて何辺(いづべ)にゆかむちちははをおきて(斎藤茂吉)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年01月04日