栗田土満 くりたひじまろ 元文二〜文化八(1737-1811) 号:岡廼舎(おかのや)

遠江国城飼郡平尾村(平成十九年現在、静岡県菊川市の一部にあたる)の広幡八幡宮(現在の名称は平尾八幡宮)の祠官の家に生まれ、家職を継ぐ。本姓は藤原氏。通称は民部、求馬(救馬とも)。
明和四年(1767)江戸に出て賀茂真淵に入門し、県居に通う。真淵の死後は伊勢に遊び、本居宣長の門に入る。寛政二年(1790)、平尾に学舎を建てて後進を育て、遠江における国学興隆に果たした役割は大きいと言われる。文化八年七月八日、没。七十五歳。
家集に『岡屋歌集(おかのやかしゅう)』がある(続日本歌学全書八・校註国歌大系十六に所収)。他の著書に『神代記葦牙(あしかび)』など。門人に石川依平らがいる。
以下には『岡屋歌集』より九首を抜萃した。
 
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桜の歌

豊秋津みづほの国にみづ枝さし咲き栄えゆく花はこの花

【通釈】豊かな稲の穂の国に瑞々しい若枝が伸び、咲き誇ってゆく花は、この桜の花。

【語釈】◇豊秋津 豊秋津洲(とよあきつしま)。「みづほの国」と共に日本国の美称。

【補記】梅を詠んだとされる本歌の「この花」を桜に転じた。

【本歌】王仁「古今集仮名序」
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花

杜若(かきつばた)

杜若さきたる影のさやけきに今より水はすずしかりけり

【通釈】かきつばたの咲いた影がくっきりと映っている――花の咲いた今から、水は涼しく感じられるのだ。

杜若 写真素材フォトライブラリー

【語釈】◇杜若(かきつばた) 初夏、アヤメに似た紫または白の花を咲かせる(写真参照)。

【補記】杜若の題で水面に映じた紫の花影を詠むのはありふれているが、それによって涼感をあらわしたのは珍しい。と言うより、杜若は晩春あるいは初夏の風物であり、その季節に涼しさを詠むこと自体和歌の常套をはずれている。

【参考歌】源師頼「堀河百首」
杜若あさざは沼のぬま水にかげをならべて咲きわたるかな

五月雨を

五月雨のをやめばつぎて立つ雲の底もとどろに滝の音聞こゆ

【通釈】五月雨がひととき降り止むと、すぐ後に続いて湧き起こる雲――その雲の底を轟かして滝の音が聞こえる。

【補記】同題の「打ちきらし雲まも見えぬ五月雨に乱れてたぎつ音まさりけり」も雨季の激流を詠んで精彩ある一首。

立秋

阿波々山ただに向へるさやの山木の葉さやげる秋たつらしも

【通釈】阿波々山、それに真直ぐ向かっている小夜の山は、木の葉がさやさやと音をたてている。秋になったらしいよ。

【語釈】◇阿波々山(あははやま) 静岡県掛川市東端の山、粟ヶ岳。作者の故郷からよく見えた山で、たびたび歌に詠まれている。◇さやの山 小夜の中山。掛川市の北東端の峠。東海道の難所として知られた。

【補記】葉のさやぐ音に新涼を感じ取った。同様の趣向の作として「川の辺のしぬのむら竹うちさやぎ涼しくもあるか秋の初風」も捨てがたい。

【参考歌】伊須気余理比売「古事記」
畝傍山昼は雲と居夕されば風吹かむとそ木の葉さやげる
  作者未詳「万葉集」
背の山にただにむかへる妹の山ことゆるせやも打ち橋わたす

久方の(あめ)の八重雲かきわけて秋津しまべに雁は来にけり

【通釈】天の幾重にも重なる雲を掻き分けて、秋津洲のほとりに雁はやって来たのだ。

【補記】「秋津(あきづ)しま」は日本の別称。雁がやって来る「秋」の意がおのずと掛かる。まことにストレートな雁歌で、かえって新鮮な感じを受ける。

【参考歌】紀淑望「新古今集(題、猿田彦)」
久方の天の八重雲ふりわけてくだりし君をわれぞむかへし

常に見し野山は雪にうづもれて知らぬ里にぞすむ心地する

【通釈】いつも見ていた野山は雪に埋もれて、見知らぬ里に住んでいるような気持がする。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
年深くふりつむ雪を見る時ぞこしのしらねにすむ心ちする

寄獣

枝高き木末(こぬれ)をつたふむささびのあやふき恋も我はするかも

【通釈】高く伸びた枝の梢を伝って飛ぶむささび――そのように危ない恋を私はすることである。

【補記】獣にこと寄せた恋歌。下記万葉歌から発想したか。一種の本歌取りと言える。

【参考歌】志貴皇子「万葉集」
むささびは木末求むとあしひきの山の猟師(さつを)に逢ひにけるかも

羇中恋

はろばろに海山こえて来ぬれども恋の(つぶね)はおくれざりけり

【通釈】遥々と海山を越えて来たけれども、恋という従者は遅れずに付いて来たことよ。

【語釈】◇恋の奴(つぶね) 「奴」は召使・下男のこと。常に我が身を離れない恋心を従者に喩えている。万葉集に見える「恋の奴(この「奴」は「やつこ」と詠むのが通説)」からの着想であろう。

【参考歌】穂積皇子
家にある櫃に鍵さし蔵(をさ)めてし恋の奴のつかみかかりて
  源俊頼「千載集」
したひくる恋のやつこの旅にても身のくせなれや夕とどろきは

大海に御秡すとて

思ほえぬ罪はありとも荒汐(あらしほ)の汐の八百合(やほあひ)にさすらへなまし

【通釈】思いがけない罪は我が身にあろうとも、このように海で御秡をすれば、荒々しい潮流が諸方から集まる潮合に漂い失せるだろう。

【語釈】◇御秡(みそぎ) 川や海で罪の穢れを洗い流すこと。◇八百合(やほあひ) 八重の潮路が集まり合う場所。

【参考歌】「源氏物語・明石」
海にます神のたすけにかからずは潮のやほあひにさすらへなまし


公開日:平成19年08月20日
最終更新日:平成19年08月20日