江戸飯田町の町医者の家に生まれ、家業を継ぐ。通称、元長(玄長とも)。若くして村田春海に入門し、和歌と古学を学んだ。千蔭・春海亡き後江戸派を代表する歌人となる。門弟には前田夏蔭・岡本保孝(況斎)・岸本由豆流などがいる。土佐の鹿持雅澄とは書簡によって親しく交流した。諸侯から招かれることも多く、松平定信の寵遇も得た。上野不忍池の西に住み、自邸を泊洦舎(ささなみのや)と称した。文政七年(1824)八月十七日、没。四十九歳。
編著に、近世歌人の長歌を集成した『近葉菅根集』、随筆『泊洦舎筆話』などがある。没後、養子の光房が家集『泊洦舎集』を編んだ(続歌学全書八・校註国歌大系十八に所収)。
以下には『泊洦舎集(ささなみのやしゅう)』より七首を抜萃した。
田蛙
小山田にすだく
【通釈】山の田に集まっている蛙の声の響きのうちに、小雨が降り出した。春の夕暮れ――。
【補記】「かはづ」は元来カジカガエルを指したらしいが、のち蛙一般を指す歌語となった。蛙の声と春雨の情趣が渾然一体となって感じられる。
【参考歌】紀貫之「古今集」
夕づく夜をぐらの山になく鹿のこゑの内にや秋は暮るらむ
良暹法師「後拾遺集」
身隠れてすだくかはづのもろごゑにさわぎぞわたる井手の川波
新樹風
みづえさす桂の
【通釈】瑞々しい若枝を差し伸ばす桂の大樹、その木陰が涼しい。夏はいつ来たのか、伊勢のいつきの宮の朝風よ。 【語釈】◇みづえさす 瑞枝差す。瑞々しい若枝が伸びているさま。万葉集に見える語。◇いつきの宮 伊勢斎宮を指すこともあるが、ここは伊勢神宮を言う。「夏はいつ来」を掛ける。 【補記】桂の新樹はことに美しい。聖地の初夏の朝をすがすがしく歌い上げている。 |
雨中郭公
むらさめのこの夕暮はかならずと思ひしことよ初ほととぎす
【通釈】驟雨の降るこの夕暮には、必ず鳴くと思ったことだよ、今年初めてのほととぎすよ。
【補記】「思ひし」とおりに「この夕ぐれ」に時鳥の初音が聞けた。その喜びが調べとして躍動している。作者の代表作として人口に膾炙した歌。
家々納涼
夕すずみ心へだてもなか垣に昼の暑さをかたりあひつつ
【通釈】庭での夕涼み、隣どうし心の隔てもない中垣を挟んで、昼の暑かったことを語り合い語り合いしている。
【補記】庭先で夕涼みをする庶民の情景。「なか垣」は「無か」「中垣」の掛詞。
秋色浮水
みそぎせしあと川柳一葉ちり二葉流れて秋風ぞ吹く
【通釈】夏越(なごし)の御秡(みそぎ)をしたあとのあと川の柳が一葉散り、二葉流れて――秋風が吹いているのだ。
【補記】「あと川柳」に「後」「あと川」を掛ける。「あと川」は万葉集に見え(【参考歌】参照)、遠江国の所在不明の川であるが、王朝和歌では近江国の安曇(あど)川と混同して詠んだ例も見られる。
【参考歌】柿本朝臣人麻呂之歌集出「万葉集」
霰降り 遠つ淡海の 吾跡川楊 刈れども またも生ふといふ 吾跡川楊
河辺秋夕
釣の糸に吹く夕風のすゑ見えて入日さびしき秋の河づら
【通釈】釣糸に吹きつける夕風の行く末が見えて、入日の色がさびしい秋の川面よ。
【補記】「夕風のすゑ」とは、川面に立つさざ波の行方でもあろう。感覚的な繊細さと流麗な調べを併せ持つ、江戸派の典型的な作風。
【参考詩歌】伏見院「伏見院御集」
秋風のふきすぎてゆくすゑみえて野沢の草に鴫たちぬなり
与謝蕪村「蕪村句集」
かなしさや釣の糸吹く秋の風
牧童
あげまきが背垂りの牛に尻かけて山のそば道笛吹きのぼる
【通釈】牧童が背垂りの痩せ牛の上に腰掛けて、山の岨道を笛を吹き吹き登ってゆく。
【語釈】◇あげまき 総角。もともと子供の髪型を言ったが、ここでは幼い少年の意。◇背垂りの牛 背の皮が垂れた痩せ牛。
【補記】師の春海に牧童の笛を取り上げた先蹤歌があるが、浜臣は牧童を主題として素朴な情景を詠んでいる。なお終止形で言い切る文において格助詞「が」を用いるのは和歌では異例。当時の口語調と言えよう。
【参考歌】村田春海「うけらが花」
あげまきがかへる山路の笛のねも月もすみわたる足柄の関
公開日:平成19年09月14日
最終更新日:平成19年09月14日