行基 ぎょうき 天智七〜天平二十一(668-749) 略伝

飛鳥時代に生まれ、主に奈良時代に活躍した高僧であるが、歌は万葉集をはじめ上代文献には記録されていない。初出は平安時代中期の拾遺集になる。以下、勅撰集入集は計七首。『今昔物語』『十訓抄』『古事談』などにも、逸話と共に行基作の歌を伝えている。

大僧正行基詠みたまひける (二首)

法華経を我が得しことは(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し(拾遺1346)

【通釈】法華経の教えを私が得たのは何故かというに、前世において薪を樵り、菜を摘み、水を汲んで、阿私仙に仕えて得たのである。

【補記】法華経「提婆達多品」を踏まえる。釈迦は阿私仙という仙人に仕えて法華経を習得したという。この「我」は釈迦の立場に立って言う。

【主な派生歌】
薪こり峰の木のみをもとめてぞえがたき法は聞きはじめける(藤原俊成[玉葉])
水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に(良寛)

 

(もも)くさに八十(やそ)くさそへて賜ひてし乳房のむくい今日ぞ我がする(拾遺1347)

【通釈】百石に八十石を添えてお乳を与えて下さった母上の乳房への恩に、今私は報いることだ。

【語釈】◇百くさに八十くさそへて 「ももさかにやそさかそへて」とする本もあり、そちらが正しいか。人は赤子の時母乳を百八十石飲むとの仏説に拠る。

【補記】行基が母の報恩会に詠んだとして伝わる歌。光明皇后の作とする伝もある。

南天竺より東大寺供養にあひに、菩提がなぎさに来つきたりける時よめる

霊山(りやうせむ)の釈迦のみまへに契りてし真如くちせずあひみつるかな(拾遺1348)

【通釈】霊山の説法の時、釈迦の御前で再会を誓った約束が破られることなく、また逢うことができたなあ。

【語釈】◇菩提 天竺(インド)から来日した菩提僊那(婆羅門僧正)。◇東大寺供養 天平勝宝四年(752)に催された東大寺開眼供養会。◇なぎさ 難波津の渚。

【主な派生歌】
霊山の釈迦のみ前に契りてしことな忘れそ世はへだつとも(良寛)

山鳥のなくを聞て

山鳥のほろほろと鳴く声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ(玉葉2627)

【通釈】山鳥がほろほろと鳴く声を聞くと、あれは父かと思うのだ。あれは母かと思うのだ。

【主な派生詩歌】
父母のしきりに恋し雉の声(芭蕉)


最終更新日:平成15年11月20日