引田部赤猪子 ひけたべのあかいこ

引田部は大神(おおみわ)朝臣の支族。三輪川(初瀬川の下流)のほとりに住んでいた。雄略天皇との婚姻説話は下に記した【補記】を参照されたい。
雄略天皇に和した歌を古事記に二首伝える。以下にはその二首を掲げた。

 

御諸(みもろ)に ()くや玉垣 築き余し ()にかも依らむ 神の宮人

【通釈】三輪山の神社に、土で築きますよ、美しい垣を。すっかり築き終えて、土が余ってしまいます。そんなふうに無用に残ってしまった私は、誰に身を寄せればよいのでしょう。途方に暮れている、神社の巫女みたいな私は。

【語釈】◇御諸 神を祀る場。特に三輪山を言う。三輪山には大物主神を祀る大神(おおみわ)神社がある。◇神の宮人 神社に仕える人。ここでは垣を築く人のことか。いずれにしても、赤猪子が自身をそれに譬えている。

【補記】古事記下巻。歌の由来などについては次の歌の【補記】参照。

 

日下江(くさかえ)の 入江の(はちす) 花蓮 身の盛り人 (とも)しきろかも(古事記)

【通釈】日下江の入江には、蓮が生えていて、美しい花を咲かせるそうです。その蓮の花のように、盛りの年齢にある人が、うらやましくてなりませんわ。

【語釈】◇日下江 河内国にあった潟湖。

【補記】古事記下巻より。
ある時、雄略天皇は泊瀬の三輪川に遊び、川のほとりで洗濯をしている美しい少女に遇った。誰の子かと問うと、答えて言うことには、「引田部の赤猪子と申します」。天皇は少女に命じて、「おまえは夫を持つな。そのうち私が召そう」。そう言い残し、宮に帰って行った。赤猪子が天皇のお召しを待つうち、八十年が過ぎた。「私はもう痩せしぼんでしまって、もはやお召しの希望もなくなった。しかしお待ちしていた心を示さずには、気が済まない」。そう思った赤猪子は、たくさんの引出物を伴の者に持たせ、宮中に参上した。天皇は昔言った言葉を忘れていたので、赤猪子に向かい、「おまえはどこの老女だ。なにゆえやって来た」と問うた。赤猪子は答えて、「この年のこの月、陛下よりご命令をこうむり、お約束をお待ちして八十年経ってしまいました。もはや年老いてお召しの希望もなくなりましたが、せめて志だけでもと…」と奏上した。天皇はたいそう驚き、「すっかり忘れていた。なのにおまえは志を守って盛りの年を過ごしてしまった。なんということだ」と言って、気持はこの女を娶(めと)ろうと思ったが、さすがにひどく年老いた姿に憚って、代りに歌を与えることにした(雄略天皇の「御諸の…」と「引田の…」の歌参照)。赤猪子はこれを聞いて涙を流し、赤染めの袖を濡らした。そして二つの歌を詠んで返した。天皇は老女に多くのものを与えて帰した。

【主な派生歌】
みはかしをつるぎの池の花蓮さきのさかりは今日にしあるらし(本居宣長)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月17日