文月 ふみづき/ふづき Seventh month of the lunar calendar

秋の草花 フリー素材

文月は陰暦七月、初秋。2010年は新暦8月10日が文月朔にあたる。なお長い残暑が続くとは言え、ようやく暑さも峠を越えて、朝夕の風に、あるいは星の澄みまさる夜空に、秋の到来が実感される季節だ。
「ふみづき」とも「ふづき」とも言う。語源は不明であるが、七月の異称の一つに「文披月(ふみひろげづき)」があり、これの(つづ)まったものとする説がある(藤原清輔『奥義抄』)。

『蔵玉集』 文披月  藤原有家

七夕の逢ふ夜の空のかげみえて書きならべたる文ひろげ月

平安時代、貴族の家の七夕祭りにおいては、二星に詩歌を手向ける慣わしがあった。今も京都に歌道の伝統を守る冷泉(れいぜい)家のしきたりでは、兼題の和歌十首ほどを披講したあと、織姫・彦星になった男女が天の川に見立てた白い布を挟んで座り、即興で歌をやりとりしながら、朝まで歌会を楽しむのだという(冷泉布美子氏著『冷泉家の年中行事』)。有家の歌に「書きならべたる文ひろげ」というのも和歌のことにちがいない。
もっとも、「ふみ月」という語が既に使われていたはずの奈良時代にこうした行事はまだ無かった(少なくとも広まっていなかった)だろうから、「ふみ」の由来を詩歌に求めるのは無理がある。

では「(ふみ)ひろげ月」の「(ふみ)」は何を指すのだろうか。
中国最古の歳時記『荊楚歳時記』を調べると、七月には「経書」(四書五経などの聖典)と衣服の虫干しをする習いがあったと記されている。

荊楚の俗、七月、経書及び衣裳を(むしぼし)す。以為(おもへ)らく巻軸久しければ則ち白魚有り。

どうやらこうした習俗なり伝聞なりが日本にも伝わって、陰暦七月を「(ふみ)ひろげ月」と言うようになったものらしい。楚の国があった揚子江流域地方は日本と同じく梅雨があり、梅雨明け後は蒸し暑い夏が続く。空気が乾燥し、爽やかな風が吹き始める陰暦七月は、虫干しに好適な季節であった。

初めに歌を引用した『蔵玉集』は、草木や十二の月の異名を集め、その例歌を列挙した面白い歌集であるが、陰暦七月の異称としては「文披月」のほかに「七夕月」「女郎花(おみなえし)月」を挙げている。古人にとって文月は七夕の月であると共に、秋の草花を賞美する月でもあった。

『うけらが花』 野外  加藤千蔭

野辺みれば紐ときにけり文月の七の夕べの七くさの花

陰暦七月七日の頃は、まさに女郎花を始めとする秋の草花が綻び始める季節だ。思えば山上憶良が七くさの花を撰んだのも、七夕に因んでのことだったのだろうか。

萩の花をばな(くず)花なでしこの花 をみなへしまた藤袴(ふぢばかま)朝顔の花

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  『六華集』 平定文
たなばたのいかに心のさわぐらむ稀に逢ふべき文月立つより

  『蔵玉集』(女郎花月) 顕昭
七夕の契りの色にたぐへてや名を得しことも女郎花月

  『蔵玉集』(七夕月) 藤原家隆
かささぎのより羽の橋も心せよ七夕月の比待ちえたり

  『拾遺愚草』(潤月七夕) 藤原定家
天の川文月は名のみかさなれど雲の衣やよそにぬるらん

  『菊葉和歌集』(百首の中に、閏月七夕といふことを) 実富朝臣母
織女の年に一夜と契らずは後の文月もあはましものを

  『鳥之迹』(文月廿日夜雁を聞きて) 小出吉英
ためしにも書きつたふべき文月のはつかの夜半のはつ雁の声

  『黄葉集』(星夕曝書) 烏丸光弘
けふはまづ星に手向けて灯もややかかげてむ文月の空

  『逍遥集』(七夕) 松永貞徳
一年(ひととせ)はかきかよはしてかささぎの橋をや今宵ふみ月の空

  『芳雲集』(閏月七夕) 武者小路実陰
逢ひもみぬ星の夕べやなき名にも思ひくははる文月なるらん

  『晶子新集』 与謝野晶子
(しち)月やうすおしろいをしたる風歩み来りぬ木の下行けば


公開日:平成22年09月26日
最終更新日:平成23年01月31日

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