やまとうたQ&A集


Q1-7.きっかり百首の歌を集めた秀歌撰は、百人一首の以前にもあったのですか? それとも百人一首が最初なのですか?

A.「百首歌」という形式は、平安時代中期、曾禰好忠が始めたものと言われています。もっともこれは、一人で百首を詠んだものです。「歴代の歌人の作から、明確に百首と区切って選出した秀歌撰」ということになれば、小倉百人一首が初めてであると言ってよろしいと思います。
百首前後を集めた秀歌撰でしたら、小倉百首の前にもあります。例えば平安中期の藤原公任撰「深窓秘抄」は、百一首の秀歌を載せています。この数字は結果的にたまたまそうなった、ということでしょう。よく探せば、もしかしたら、偶然百首ぴったりの秀歌撰があるのかも知れないのですが、「百首」という枠を作って歴代歌人の作を選出した秀歌撰は、小倉百人一首が最初と考えられているのです。
なお、藤原定家には『百人秀歌』と呼ばれる秀歌撰があり、百人一首よりも前に編まれたのではないかと言われているのですが、これも実は百首でなく百一首の歌を選んでいます。定家は自身を百人のうちに選ぶことを控え、自分だけは「おまけ」扱いにしたので、百一首となったものでしょう。
「百人の歌人を選ぶ」というアイデアに関しては、小倉百人一首の直前に、後鳥羽院が『時代不同歌合』という歌合形式の秀歌撰で試みています。各人三首なので、合計三百首になるのですが。おそらく定家は後鳥羽院の企てにヒントを得て、百人各一首という形式を思いついたのではないかと推測されます。当時としてはまことに斬新な発想の秀歌撰でした。
詳しくは、風間書房の和歌文学論集9『百人一首と秀歌撰』などをどうぞ。



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最終更新日:平成15年11月17日
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