『詠歌大概』は、藤原定家の歌論書。頓阿の『井蛙抄』によれば尊快親王(後鳥羽院第四皇子。1204〜1246)に進献されたものというが、確かではなく、順徳院の詠作指導のために書かれた書とする説などもある。建保三〜四年(1215〜1216)頃、あるいは承久三年(1221)の承久の変以後の成立と推測されている。真名本と仮名本があるが、本来は真名本として成立したものとされる。
漢文体による簡明な歌論(仮名本では仮名文)と、勅撰八代集より抄出した103首の秀歌よりなる「秀歌体大略」(または「秀歌之躰大略」)の二部から成る。
「秀歌体大略」の歌は、すべて『定家八代抄(二四代集)』に見え、同書より抄出したものと考えられる。歌論部分に「風体可効堪能先達之秀歌」とあるように、学ぶべき「堪能の先達の秀歌」を選りすぐった抄である。
部立別に見ると、春16首、夏6首、秋31首、冬11首、賀1首、哀傷6首、離別3首、羇旅4首、恋25首。雑歌はない。
勅撰集別では、古今35首、後撰7首、拾遺9首、後拾遺2首、詞花1首、金葉4首、千載11首、新古今36首と、古今・新古今の歌の多さが目立つ。
作者では、俊成の7首が最多で、以下、後鳥羽院・西行6首、俊頼・良経5首、人麿・貫之・清輔4首と続く。近代の歌人を重視する傾向がつよい。この点、「近代秀歌(自筆本)」の例歌に近く、「秀歌大躰」とは対照的な選歌方針に拠っていると言えよう。
なお、百人一首との共通歌は28首である。
情以新爲先 求人未詠之心詠之。詞以舊可用 詞不可出三代集先達之所用。新古今古人歌同可用之。風體可效堪能先達之秀歌、不論古今遠近、見宣歌可效其體。
近代之人所詠出之心詞雖一句謹可除棄之 七八十年以來之人歌所詠出之詞努々不可取用。於古人歌者多以其同詞詠之、已爲流例。但取古歌詠新歌事、五句之中及三句者頗過分無珍氣。二句之上三四字免之。猶案之以同事詠古歌詞頗無念歟 以花詠花、以月詠月。以四季歌詠戀雜歌、以戀雜歌詠四季歌。如此之時無取古歌之難歟。
あし引の山ほととぎす みよし野の芳野の山 久かたの月のかつら 郭公なくやさ月 たまほこの道行人
如此事全雖何度不憚之。
としのうちに春はきにけり 月やあらぬ春やむかし さくらちる木のした風 ほのぼのとあかしの浦
如此之類雖二句更不可詠之。
常觀念古歌之景氣可染心。殊可見習者古今、伊勢物語、後撰、拾遺、三十六人集之内殊上手歌可懸心 人麿、貫之、忠岑、伊勢、小町等之類。雖非和歌之先達、時節之景氣、世間之盛衰、爲知物由、白氏文集第一第二帙常可握翫 深通和歌之心。
和歌無師匠。唯以舊歌為師。染心於古風、習詞於先達者、誰人不詠之哉。
随耄昧之覚悟書連之。古今相交、狼藉無極者歟。
(春)
1 春立つといふばかりにやみよしのの山も霞みて今朝はみゆらむ[壬生忠岑 古今]
2 君がため春の野にいでてわかなつむ吾衣手に雪はふりつつ[光孝天皇 古今]*
3 梅がえになきてうつろふ鶯のはね白妙に沫雪ぞふる[読人不知 新古]
4 梅花それとも見えず久堅の天ぎる雪のなべてふれれば[読人不知 古今]
5 人はいさ心もしらずふる郷は花ぞむかしの香ににほひける[紀貫之 古今]*
6 桜花さきにけらしも足引の山のかひよりみゆる白雲[紀貫之 古今]
7 山ざくらさきそめしより久かたの雲ゐにみゆる滝の白糸[源俊頼 金葉]
8 桜さく遠山鳥のしだりをのながながし日もあかぬ色かな[後鳥羽院 新古]
9 おしなべて花の盛に成にけり山のはごとにかかるしら雲[西行 千載]
10 百敷のおほ宮人はいとまあれや桜かざしてけふも暮しつ[山辺赤人 新古]
11 いざけふは春の山べにまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは[素性 古今]
12 さくらがり雨はふりきぬおなじくはぬるとも花のかげにかくれむ[読人不知 拾遺]
13 花の色はうつりにけりな徒に我身世にふるながめせしまに[小野小町 古今]*
14 又やみむかた野のみののさくらがり花の雪ちる春のあけぼの[藤原俊成 新古]
15 久堅の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ[紀友則 古今]*
16 あすよりはしがの花園稀にだに誰かはとはむ春のふる郷[藤原良経 新古]
(夏)
17 春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐ山[持統天皇 新古]*
18 みわたせば浪のしがらみかけてけり卯花さける玉川のさと[相模 後拾遺]
19 五月雨はたく藻のけぶり打ちしめり塩たれまさるすまの浦人[藤原俊成 千載]
20 道のべの清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ[西行 新古]
21 おのづから涼しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残りに[藤原清輔 新古]
22 いつとても惜くやはあらぬ年月を御禊にすつる夏のくれかな[藤原俊成 千載]
(秋)
23 秋立ちていくかもあらねどこのねぬる朝けの風はたもと涼しも[安貴王 拾遺]
岩波大系本、第二句「いくかもあらぬを」。
24 八重葎しげれる宿のさびしきに人こそみえね秋はきにけり[恵慶 拾遺]*
25 秋はきぬ年も半にすぎぬとやをぎふく風のおどろかすらむ[寂然 千載]
26 あはれ如何に草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原[西行 新古]
27 月みればちぢに物こそかなしけれ我身ひとつの秋にはあらねど[大江千里 古今]*
28 ふるさとの本あらの小萩さきしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ[藤原良経 新古]
29 あすも来む野路のたま川萩こえて色なる浪に月やどりけり[源俊頼 千載]
30 ながめつつ思ふもさびし久方の月のみやこの明がたのそら[藤原家隆 新古]
31 秋の露やたもとにいたくむすぶらむながき夜あかずやどる月かな[後鳥羽院 新古]
32 鳴きわたる雁のなみだやおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ[読人不知 古今]
33 萩が花ちるらむをのの露霜にぬれてをゆかむさよはふくとも[読人不知 古今]
34 秋の田のかりほのいほのとまをあらみ我がころもでは露にぬれつつ[天智天皇 後撰]*
35 白露に風のふきしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける[文屋朝康 後撰]*
36 立田姫かざしのたまの緒をよわみみだれにけりと見ゆるしら露[藤原清輔 千載]
37 白雲をつばさにかけてゆくかりの門田のおものともしたふなる[西行 新古]
38 秋風にさそはれわたる雁がねはものおもふ人のやどをよかなむ[読人不知 後撰]
39 千度うつきぬたの音に夢さめて物思ふそでの露ぞくだくる[式子内親王 新古]
40 はるかなるもろこしまでもゆくものは秋のねざめの心なりけり[大弐三位 千載]
41 夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞふく[源経信 金葉]*
42 さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山のあきの夕暮[寂蓮 新古]
43 それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしづのをだまき[式子内親王 新古]
44 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ[文屋康秀 古今]*
45 さを鹿の妻どふ山の岡べなるわさ田はからじ霜はおくとも[柿本人麿 新古]
46 奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声きく時ぞ秋はかなしき[読人不知 古今]*
47 秋風の吹上にたてるしら菊は花かあらぬか浪のよするか[菅原道真 古今]
48 心あてに折らばや折らむはつしものおきまどはせる白菊の花[凡河内躬恒 古今]*
49 白露もしぐれもいたくもる山はした葉残らず色づきにけり[紀貫之 古今]
50 立田河もみぢ葉ながる神なびのみむろの山にしぐれ降るらし[読人不知 古今]
51 秋はきぬもみぢは宿に降りしきぬ道ふみわけてとふ人はなし[読人不知 古今]
52 ちはやぶる神代もきかず立田川からくれなゐに水くくるとは[在原業平 古今]*
53 山河に風のかけたるしがらみはながれもあへぬ紅葉なりけり[春道列樹 古今]*
(冬)
54 ほのぼのとあり明の月のつきかげにもみぢ吹きおろす山おろしの風[源信明 新古]
55 深みどりあらそひかねていかならむまなくしぐれのふるの神杉[後鳥羽院 新古]
56 秋しのやとやまのさとやしぐるらむいこまのたけに雲のかかれる[西行 新古]
57 冬枯のもりのくち葉の霜の上におちたる月の影のさむけさ[藤原清輔 新古]
岩波大系本、第五句「影のさやけさ」。
58 君こずはひとりやねなむささの葉のみやまもそよにさやぐ霜夜を[藤原清輔 新古]
59 かたしきの袖のこほりもむすぼほれとけてねぬ夜の夢ぞみじかき[藤原良経 新古]
60 矢田の野にあさぢ色づくあらち山みねのあわ雪寒くぞあるらし[柿本人麿 新古]
岩波大系本、第四句「みねのあは雪」。
61 ふるさとは吉野の山しちかければ一日もみゆき降らぬ日はなし[読人不知 古今]
62 今よりはつぎてふらなむ我宿のすすきおしなみ降れる白雪[読人不知 古今]
63 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野のさとに降れる白雪[坂上是則 古今]*
64 石上ふる野のをざさ霜をへて一夜ばかりに残る年かな[藤原良経 新古]
(賀)
65 君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまむかぎりは[源経信 後拾遺]
(哀傷)
66 末の露もとのしづくや世中のおくれさきだつためしなるらむ[遍昭 新古]
67 みな人は花のころもになりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ[遍昭 古今]
68 もろともに苔のしたにはくちずしてうづもれぬ名をみるぞかなしき[和泉式部 金葉]
69 限りあればけふぬぎ捨てつ藤衣はてなきものは涙なりけり[藤原道信 拾遺]
70 思ひ出づるをりたく柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れ形みに[後鳥羽院 新古]
71 なき人のかたみの雲やしぐるらむ夕の雨に色はみえねど[後鳥羽院 新古]
(離別)
72 たち別れいなばの山の嶺におふる松としきかば今帰りこむ[在原行平 古今]*
73 しら雲の八重にかさなる遠にてもおもはむ人に心へだつな[紀貫之 古今]
74 わくらばにとふ人あらばすまの浦に藻塩たれつつわぶと答へよ[在原行平 古今]
(羇旅)
75 この度はぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに[菅原道真 古今]*
76 難波人あし火たくやに宿かりてすずろに袖の塩たるるかな[藤原俊成 新古]
77 立帰り又もきてみむ松しまや小島のとま屋浪にあらすな[藤原俊成 新古]
78 あけば又こゆべき山の峯なれや空行く月のすゑのしら雲[藤原家隆 新古]
(恋)
79 難波えの藻にうづもるる玉かしはあらはれてだに人を恋はばや[源俊頼 新古]
岩波大系本、第三句「玉がしは」。第五句「人を恋ひばや」。
80 もらすなよ雲ゐるみねのはつ時雨木葉は下に色かはるとも[藤原良経 新古]
81 東路のさのの船橋かけてのみおもひわたるをしる人のなき[源等 後撰]
82 浅茅生のをののしの原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき[源等 後撰]*
83 如何にせむむろの八島に宿もがな恋の烟は空にまがへむ[藤原俊成 千載]
岩波大系本、第四句 「恋の煙を」。
84 夕暮は雲のはたてに物ぞおもふ天つ空なる人を恋ふとて[読人不知 古今]
85 なにはがたみじかき葦のふしのまもあはで此世を過してよとや[伊勢 新古]*
86 うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを[源俊頼 千載]*
87 瀬を早み岩にせかるるたき河のわれても末にあはむとぞ思ふ[崇徳院 詞花]*
88 思ひ河絶えずながるる水のあわのうたかた人にあはで消えめや[伊勢 後撰]
89 なき名のみたつの市とはさわげどもいさまた人をうるよしもなし[柿本人麿 拾遺]
90 かた糸をこなたかなたによりかけてあはずは何を玉の緒にせむ[読人不知 古今]
91 思ひ草葉ずゑにむすぶしら露のたまたまきては手にもたまらず[源俊頼 金葉]
92 思ひきやしぢのはし書きかきつめて百夜もおなじ丸ねせむとは[藤原俊成 千載]
93 有明のつれなくみえし別れよりあか月ばかりうきものはなし[壬生忠岑 古今]*
94 名取河せぜの埋木あらはれば如何にせむとかあひみそめけむ[読人不知 古今]
95 今こむといひしばかりになが月の有明の月を待ち出でつるかな[素性 古今]*
96 逢ふことはとほ山ずりのかり衣きてはかひなき音をのみぞなく[元良親王 後撰]
97 足引の山鳥のをのしだり尾のながながし夜を独りかもねむ[柿本人麿 拾遺]*
98 侘びぬれば今はたおなじなにはなる身をつくしてもあはむとぞ思ふ[元良親王 拾遺]*
99 わが恋は庭のむら萩うらがれて人をも身をも秋の夕ぐれ[慈円 新古]
100 袖の露もあらぬ色こそ消え帰るうつればかはる歎きせしまに[後鳥羽院 新古]
岩波大系本、第二句「色にぞ」。
101 思ひ出づるときはの山のいはつつじいはねばこそあれ恋しきものを[読人不知 古今]
102 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは[清原元輔 古今]*
103 なげけとて月やはものを思はするかこちがほなるわが涙かな[西行 千載]*
【訳】心は新しいことを優先し〔他人がまだ詠んでいないような趣を求めて詠むべきである〕、詞は昔ながらの詞を用いるのが宜しい〔詞は三代集の用語、昔のすぐれた歌人たちの用いた詞を外れてはならない。但し新古今集に採られた古人の歌は三代集と同じく用いてかまわない〕。歌の風姿は、昔の上手の歌人たちの秀歌をまなぶべきである〔遠い時代か近い時代かに関係なく、良い歌を見て、その風体にまなぶべきである〕。
近代の人の詠み出づる所の心・詞は、一句と
あし引の山ほととぎす みよし野の芳野の山 久かたの月のかつら 郭公なくやさ月 たまほこの道行人
かくの如きの事は、全て何度と
としのうちに春はきにけり 月やあらぬ春やむかし さくらちる木のした風 ほのぼのとあかしの浦
かくの如きの
【訳】近い時代の人が創出した新しい趣向や表現は、一句と言えども自分の歌には使わないよう用心すべきである〔ここ七、八十年来の人の歌で、初めて詠まれた表現は、ゆめゆめ採用すべきではない〕。古い時代の人の歌については、同じ語句を用いて詠じることが多く、すでに慣例になっている。ただし、古歌の句を用いて新しい歌を詠ずる場合、五句のうち三句に及ぶと余りに多すぎて、清新さがない。二句を越えて三、四字までは許容できる。さらにこの問題を考えると、同じ事柄において古歌の語句を用いるのは遺憾である。〔花を詠んだ古歌の語句を用いてまた花の歌を詠じたり、月を詠んだ古歌の語句を用いてまた月の歌を詠じたりすることである〕。四季を詠んだ古歌の語句でもって恋・雑の歌を詠じたり、恋・雑の古歌の語句でもって四季の歌を詠ずる。そのような場合は申し分のない本歌取りである。
あし引の山ほととぎす みよし野の芳野の山 久かたの月のかつら
郭公なくやさ月 たまほこの道行人
上のような(枕詞や序詞を含む)句は、何度用いても全くかまわない。
としのうちに春はきにけり 月やあらぬ春やむかし
さくらちる木のした風 ほのぼのとあかしの浦
上のような(創意のある)たぐいの語句は、二句だけと言っても、詠み入れるべきではない。
常に古歌の景気を観念して心に染むべし。殊に見習ふべきは古今、伊勢物語、後撰、拾遺、三十六人集の内殊に上手の歌、心に懸くべし。人麿、貫之、忠岑、伊勢、小町等の類。和歌の先達にあらずと雖も、時節の景気、世間の盛衰、物の由を知らんが為に、白氏文集の第一・第二帙を常に
【訳】常に古歌のありさまを思い浮かべて、心に浸み透らせるべきである。殊に学習すべきは古今集、伊勢物語、後撰集、拾遺集、そして三十六人集のうち特に上手な歌人の歌。これらを常に念頭に置くべきである。〔人麻呂、貫之、忠岑、伊勢、小町など〕。和歌の先達ではないけれども、季節毎の風情、人の世の盛衰、物事の本質を知るために、『白氏文集』の第一・二帙(現在の流布本では巻一〜巻二十)を常に味読するべきである。〔和歌の心と深く通い合うものである〕。
和歌に師匠なし。唯
【訳】和歌を学ぶ上で師匠は存在しない。ただ、昔の歌を師匠とするのみである。心を古風に馴染ませ、詞を昔の上手の歌人に学べば、歌を詠めない人などあろうか。
【訳】耄碌した私の記憶のままにこれを書き連ねた。古い時代の歌と今の時代の歌が混ざり、ひどく乱雑なものであろうか。
(以下略)