自筆本 近代秀歌」例歌

【概要】
「近代秀歌」は、鎌倉三代将軍源実朝の求めに応じ、承元三年(1209)、四十代後半だった藤原定家が書いて贈った歌論書。秘々抄・詠歌口伝・定家和歌式などとも称される。実朝に贈った原形を定家自身が改編した「自筆本」と呼ばれる本は、建保三年(1215)以降、承久の変(1221)後まもない頃までの間に成立したものと考えられている。歌論部分に大差はないが、原形本では秀歌例として近代の六歌人(源経信・俊頼・藤原顕輔・清輔・基俊・俊成)の作を挙げているのに対し、自筆本では「定家八代抄」から抄出したと思われる、勅撰八代集の秀歌を挙げている点に大きな違いがある。
ここには、歌論の部分は省略し(歌論については「歌論・歌学」のコーナーの「近代秀歌」を見られたい)、百人一首との比較対照資料として、自筆本に秀歌例として引かれた83首を載せる。底本に用いたのは、岩波古典文学大系65『歌論集 能楽論集』である。なお定家自筆本の現存本には欠落があり、例歌は68首しかないが、岩波大系本所載のテキストは、秘々抄によって15首を補い、全83首を復原している。
勅撰集別に見ると、古今24首、後撰10首、拾遺7首、後拾遺3首、詞花0首、金葉5首、千載11首、新古今23首。
歌人別では、俊成6首、西行5首、源俊頼・後鳥羽院・伊勢4首、柿本人麿・在原行平3首。
また、百人一首と共通する歌は28首である。
全体的に「詠歌大概」の秀歌例に近い内容のものであるが、「詠歌大概」では四首引かれている貫之の歌がここでは一首しかないなど、貫之に批判的な「近代秀歌」歌論に沿った選歌になっていると思われる。

【凡例】
底本には、岩波古典文学大系65『歌論集 能楽論集』所収のテキストを用いた。このテキストは、定家自筆本を底本とし、秘々抄本・群書類従所収遺送本によって校合したものとのことである。
仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。
漢字は新字体に改め、踊り字は仮名に置き換えるなどした。
歌の頭に通し番号を付した(国歌大観番号とは異なる)。
歌の末尾に作者名と勅撰集名を付した。
春・夏などの部立を立てた。
百人一首と共通する歌の末尾にはを付した。

【百人一首関連資料集】(作成中)
「詠歌大概」例歌 「秀歌大躰」
「八代集秀逸」 「百人秀歌」 「異本百人一首」


「近代秀歌」例歌


(春)
1 春立つといふ計にやみよしのの山もかすみてけさは見ゆらむ[壬生忠岑 古今
2 やまざくらさきそめしよりひさかたのくも井に見ゆるたきのしらいと[源俊頼 金葉
3 さくらさくとほ山どりのしだりをのながながし日もあかぬいろかな[後鳥羽院 新古
4 いざけふははるの山べにまじりなんくれなばなげのはなのかげかは[素性 古今
5 さくらがり雨はふりきぬおなじくはぬるとも花のかげにかくれむ[読人不知 拾遺
6 花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに[小野小町 古今
7 ひさかたのひかりのどけきはるの日にしづ心なく花のちるらん[紀友則 古今

(夏)
8 夏の夜はまだよひながらあけぬるをくものいづこに月のこるらん[清原深養父 古今

(秋)
9 やへむぐらしげれるやどのさびしきに人こそ見えね秋はきにけり[恵慶 拾遺
10 あはれいかに草葉のつゆのこぼるらん秋風たちぬみやぎののはら[西行 新古
11 月見ればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど[大江千里 古今
12 秋の露やたもとにいたくむすぶらんながき夜あかずやどる月哉[後鳥羽院 新古
13 秋の月たかねの雲のあなたにてはれゆくそらのくるるまちけり[藤原忠通 千載
14 なきわたるかりのなみだやおちつらん物思ふやどのはぎのうへのつゆ[読人不知 古今
15 秋の田のかりほのいほのとまをあらみわが衣手はつゆにぬれつつ[天智天皇 後撰
16 しらつゆに風のふきしく秋の野はつらぬきとめぬたまぞちりける[文屋朝康 後撰
17 秋風にさそはれわたるかりがねは物思ふ人のやどをよかなむ[読人不知 後撰
18 ゆふさればかど田のいなばおとづれてあしのまるやに秋風ぞふく[源経信 金葉
19 さをしかのつまどふ山のをかべなるわさだはからじしもはおくとも[柿本人麿 新古
20 おく山にもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ秋はかなしき[読人不知 古今
21 しらつゆも時雨もいたくもる山はした葉のこらず色づきにけり[紀貫之 古今

(冬)
22 ほのぼのとありあけの月の月かげにもみぢふきおろす山おろしのかぜ[源信明 新古
23 秋しのやと山のさとやしぐるらむいこまのたけにくものかかれる[西行 新古
24 きみこずはひとりやねなむささのはのみ山もそよにさやぐしもよを[藤原清輔 新古
25 あまのはらそらさへさえやわたるらん氷と見ゆる冬の夜の月[恵慶 拾遺
26 ふるさとはよしのの山のちかければひと日もみゆきふらぬ日はなし[読人不知 古今
27 あさぼらけありあけの月と見るまでによしののさとにふれるしらゆき[坂上是則 古今
28 いその神ふるののをざさしもをへてひと夜ばかりにのこるとし哉[藤原良経 新古

(賀)
29 きみが世はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ河のすまむかぎりは[源経信 後拾遺

(哀傷)
30 すゑの露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらん[遍昭 新古
31 みな人は花の衣になりぬなりこけのたもとよかわきだにせよ[遍昭 新古
32 もろともにこけのしたにはくちずしてうづもれぬなを見るぞかなしき[和泉式部 金葉
33 かぎりあればけふぬぎすてつふぢ衣はてなき物はなみだなりけり[藤原道信 拾遺
34 なき人のかたみのくもやしぐるらんゆふべのあめに色は見えねど[後鳥羽院 新古
35 この世にて又あふまじきかなしさにすすめし人ぞ心みだれし[西行 千載

(離別)
36 たちわかれいなばの山の峯におふる松としきかば今帰りこむ[在原行平 古今
37 わくらばにとふ人あらばすまのうらにもしほたれつつわぶとこたへよ[在原行平 古今

(羇旅)
38 なにはびとあし火たくやにやどかりてすずろにそでのしほたるる哉[藤原俊成 新古
39 たちかへり又もきて見む松しまやをじまのとまやなみにあらすな[藤原俊成 新古
40 あけば又こゆべき山の峯なれやそらゆく月のすゑのしらくも[藤原家隆 新古

(恋)
41 なにはえのもにうづもるるたまがしはあらはれてだに人をこひばや[源俊頼 千載
42 もらすなよくもゐるみねのはつしぐれ木の葉はしたにいろかはるとも[藤原良経 新古
43 あづまぢのさののふなはしかけてのみおもひわたるをしる人のなさ[源等 後撰
44 あさぢふのをののしのはらしのぶれどあまりてなどか人のこひしき[源等 後撰
45 いかにせむむろのやしまにやども哉こひのけぶりをそらにまがへむ[藤原俊成 千載
46 夕づく夜さすやをかべの松のはのいつともわかぬこひもする哉[読人不知 古今
47 なにはがたみじかきあしのふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや[伊勢 新古
48 うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを[源俊頼 千載
49 おもひ河たえずながるる水のあわのうたかた人にあはできえめや[伊勢 後撰
50 なき名のみたつのいちとはさわげどもいさまた人をうるよしもなし[柿本人麿 拾遺
51 ゆらのとをわたるふなびとかぢをたえゆくへもしらぬこひのみちかな[曾禰好忠 新古
52 から衣そでに人めはつつめどももりいづる物はなみだなりけり[藤原伊尹 新古
53 たかさごのをのへの松をふくかぜのおとにのみやはききわたるかな[藤原顕輔 千載
54 おとにきくたかしのはまのあだなみはかけじやそでのぬれもこそすれ[祐子内親王家紀伊 金葉
55 つつめどもかくれぬ物は夏むしの身よりあまれるおもひなりけり[読人不知 後撰
56 かたいとをこなたかなたによりかけてあはずはなにをたまのをにせん[読人不知 古今
57 おもひ草葉ずゑにむすぶ白露のたまたまきてはてにもたまらず[源俊頼 金葉
58 思ひきやしぢのはしがきかきつめてもも夜もおなじまろねせむとは[藤原俊成 千載
59 ありあけのつれなく見えし別れより暁計りうき物はなし[壬生忠岑 古今
60 さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらん宇治のはしひめ[読人不知 古今
61 名取川せぜのむもれ木あらはればいかにせむとかあひみそめけむ[読人不知 古今
62 今こむといひしばかりに長月の在明の月を待ちいでつるかな[素性 古今
63 あふことは遠山鳥のかりごろもきてはかひなきねをのみぞなく[元良親王 後撰
64 足引の山鳥の尾のしだり尾のながながしよをひとりかもねん[柿本人麿 拾遺
65 わびぬれば今はたおなじ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ[元良親王 拾遺
66 住吉のきしによる浪よるさへや夢のかよひ路人めよくらん[藤原敏行 古今
67 恋せじとみたらし河にせし御禊神はうけずもなりにけるかな[読人不知 古今
68 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは[清原元輔 後拾遺
69 みくまののうらよりをちにこぐ舟のわれをばよそにへだてつるかな[伊勢 新古
70 みわの山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば[伊勢 古今
71 袖のつゆもあらぬいろにぞきえかへるうつればかはるなげきせしまに[後鳥羽院 新古
72 おもひいでよたがかねごとのすゑならんきのふのくものあとの山かぜ[藤原家隆 新古
73 なげけとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだ哉[西行 千載
74 くまもなきをりしも人を思ひいでて心と月をやつしつるかな[西行 新古

(雑)
75 さがの山みゆきたえにしせり河のちよのふるみちあとはありけり[在原行平 後撰
76 おきつ風吹きにけらしなすみよしの松のしづえをあらふしらなみ[源経信 後拾遺
77 あまつ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ[僧正遍昭 古今
78 契りおきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり[藤原基俊 千載
79 ながらへば又この頃やしのばれんうしと見し世ぞ今は恋しき[藤原清輔 新古
80 すみわびば身をかくすべき山里にあまりくまなき夜半の月かな[藤原俊成 千載
81 たがみそぎゆふつけ鳥かから衣立田の山にをりはへてなく[読人不知 古今
82 これやこの行くもかへるも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関[蝉丸 後撰
83 世の中よ道こそなけれ思ひいる山のおくにも鹿ぞなくなる[藤原俊成 千載

百人一首目次 歌学・歌論目次


最終更新日:平成13年9月13日
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