川島皇子
かわしまのみこ
- 生没年 657(斉明3)〜691(持統5)
- 系譜など 中大兄皇子(天智天皇)の皇子(『懐風藻』によれば第二子)。母は忍海造小竜の女色夫古娘(しこぶこのいらつめ)。妻として泊瀬部皇女(天武天皇の皇女)が知られる(02/0194・0195)。『新撰姓氏録』によれば春原朝臣・淡海朝臣の祖。
- 略伝 679(天武8)年、吉野での六皇子の盟約に参加。681(天武10)年、忍壁皇子らと「帝紀及び上古の諸事」を記し定め、685(天武14)年、浄大参位を授けられる。686(朱鳥1)年、大津皇子の謀反を密告。690(持統4)年、伊勢行幸従駕。691(持統5)年薨去し、越智野(奈良県橿原市北越智町から高市郡高取町北部一帯の丘陵地)に葬られた。万葉集に1首の歌を残す(01/0034。小異歌の09/1716は題詞「山上作」とあり、「或云」として川島皇子御作とする)。
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