秋色に染まる四国を訪ねて
 #古代壁画から世界26ヶ国・190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画を原寸大で1000余点#
 本館は大塚グループ創立75周年記念事業として設立された。大塚オーミ陶業(株)の特殊技術によって、オリジナル作品と同じ大きさに複製しています。陶板名画は約2000年以上にわたって、そのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録有保存の在り方に大いに貢献するものです。(同館パンフより抜粋)

  見事な石

2025年11月17日(月)~20日(木)

19日(水)

 松山城は、賤ヶ岳の七本槍の一人としても有名な加藤嘉明の創立。1600年関ケ原の戦いで成功を認められて20万石となった嘉明は、居城を正木城から(愛媛県松前町)道後平野の中央にある勝山に移し、この地を松山とした。
 城は、標高132mの勝山山頂に本丸、西山麓に二の丸や三の丸を置く連郭式平山城で、本丸の中枢である本壇には連立式天守がそびえる、広大な城構えである。

18日(火)

 秋も深まって出かけやすい時期になり、まだ夫婦で行ったことのない四国に行くことになりました。松山城・丸亀城・大塚国際美術館を中心に訪ねてきました。更には、今治市大島の亀老山展望公園、そして鳴門公園渦の道も見てきました。
 18日から20日まではレンタカーで350㎞近い移動となり、少々疲れました。それでも、幸い4日間とも良い天気に恵まれて、紅葉も十分に楽しめました。鳴門海峡の大きい渦潮は、残念ながら渦が大きくなる干潮満潮の時間に見ることができず残念でした。
 

⇑ 瀬戸大橋、丸亀城より、
 道路と鉄道の供用ルート、
   6橋よりなる
 〇S53年10月児島・坂出ルート着工
 〇S63年4月10日 開通式

 

高松市立玉藻公園 高松城跡
 
高松城は、またの名を玉藻城とも呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するといわれています。
 この城は1587年に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が現在地を高松と改め築城を始めた平城(水城)です。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城の一つといわれています。

 緑深い紫雲山を背景に池と築山を巧みに配し、400年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、優れた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでいます。
 栗林公園の起こりは、16世紀後半に当地の豪族佐藤氏によって始まるといわれ、1625年に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の原型が形作られました。その後、1642年に生駒氏に代わって、松平家が入封し以降引き継がれた。

特別名勝 栗林公園

伊佐爾波(いさにわ)神社
  
主祭神 神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、三柱姫大神
 当社は清和天皇(858-876)の御代に奈良大安寺の僧 行教が伊予の国司に請い、道後に八社八幡宮を建立した中の一社で、神功皇后・仲哀天皇御來湯の際の行宮跡に建てられたといわれています。延喜年間につくられた延喜式にも記載されている。
 

丸亀団扇⇒

大鳴門橋
  中央支間長876m、着工日(起工式)S51年7月2日、
  現地着手日S51年9月12日、供用日S60年6月8日、 

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四国側より大鳴門橋

大鳴門橋遊歩道 渦の道
全長450m、海上45m

 

伊予鉄道 道後温泉駅舎

道後温泉

湖、奥は掬月亭

飛来峰より奥に掬月亭、手前が偃月(えんげつ)橋

大塚国際美術館 <世界初の陶板名画美術館>

システィーナ・ホール

来島海峡大橋(第一、第二、第三大橋)
  ~~今治市 大島 亀老山展望公園より~~
 〇海の難所にかかる3つの吊り橋で総延長4.1km、
 〇3つの吊り橋を直線的につなぐ世界初の三連吊り橋が採用された。
 〇平成11年5月供用、

17日(月)

松山城

⇐ 太鼓櫓、⇑ 筒井門 見事な石垣

☆旅順
 17日 松山空港→松山駅→松山城→道後温泉駅→ホテル
 18日
 ホテル→亀老山展望公園→丸亀城高松港→ホテル
 19日 ホテル→高松城跡→栗林公園→大塚国際美術館→ホテル
 20日 ホテル→大鳴門公園→徳島阿波踊り空港

石垣の名城 丸亀城
 
1602年生駒親正、一正父子丸亀城築城完成、1615年一国一城令で廃城となる。1643年山崎家治、幕府から銀300貫えて丸亀城再建に着手。
1660年丸亀城天守が完成、1670年大手門が完成。

⇑ 高松港

20日(木)