コスモスの咲き乱れる廃線跡
古来、とりわけ明治以降、大谷地区で産出される大谷石(火山性の堆積岩、多孔質で軽量、加工性と耐火性に優れる)は、宇都宮近郊の一大産業でした。![]() ■M30大谷石の運搬を主目的として宇都宮軌道運輸により西原町−荒針間に人車軌道が敷設されました。 ■以後、路線延伸と周辺の人車軌道の吸収によりネットワークを拡大、M39には宇都宮石材軌道と改称。 ■T4に、このページのお題である鶴田−荒針間の蒸気機関車による専用軌道(軌間1067mm)を開業しました。(以後大谷線と記述します) ■S4荒針終点の手前から分岐して立岩へ延長。 ■S6東武鉄道の宇都宮進出と歩調をあわせ同鉄道に吸収合併されました。 ■これに伴い結節点を東武側へ移すため鶴田手前で分岐し西川田へ至る区間が建設されました。 ■人車軌道の各路線は、乗合バスの台頭により次々と路線を廃止し、S27には姿を消しました。また、同時期、元々の起点である鶴田への接続線を廃止しています。 ■S36立岩付近の採掘上で落盤事故発生。立岩方面へ運転ができなくなったとの記録があります。 ■S39輸送の主力がトラックに移行しその役割を終え、廃止されました。 ■以後、比較的長くその姿をとどめていましたが現在では急速な開発の進展により主要な遺構の多くが失われてしまいました。今後も、この傾向が続くものと思われます。 |
大谷線の区間と開業/廃止
区間 | 開業 | 廃止 | 延長(キロ) |
鶴田−荒針 | T4(1915)7.1 | S39(1964)6.15 | 6.86 |
分岐点−立岩 | S4(1929)8.21 | S39(1964)6.15 | 2.1 |
西川田−新鶴田 | S6(1931)12.27 | S39(1964)6.15 | 3.2 |
新鶴田−鶴田 | 鶴田−荒針の一部 | S27(1952)8.31 | 1.0 |
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A地点 西川田−宇都宮環状線間は、最近道路になったが、ごく一部区間が住宅地の中に取り残され短い鉄橋が現存している。赤く見えるのがガーダーの側面。左が大谷方。 (2002.2) |
上と同じ地点を軌道跡上からみる。枯れ草に埋もれて確認しづらい。草刈をしたいくらいだが・・。いつまで残っていてくれるか? | ![]() |
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B地点 S27の廃止区間、鶴田方に現存する橋台。さすがに大谷石積みだ。 この付近から、合流点(新鶴田駅)の先まで「国有地」と掲示された不自然な空き地が点在する。線路跡なのだろうか? |
B地点からC地点方向を望む。 平成の世になっても、ガスタンクの向こう側にオーバークロスのガーダーが残っていた。また、その前後2箇所で道路をまたぐガーダーも残っていた・・・が、不覚にも写真を撮っていない!「カード下」という名称のバス停もあった。今は、全て幻だ。 |
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D地点 ページトップの写真と同じ場所。なぜか道路化されていない。私が一番好きな区間。奥側が大谷方。 |
E地点 荒針手前で分岐した直後。立岩方を望む。 |
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F地点 緩やかなカーブがいかにも・・・だ。 荒針方をみる。 |
G地点 一直線に立岩を目指す。 |
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G地点 小さな川を渡る橋の下。大谷石積みの橋台が残る。 |
H地点 西川田から約11Km。立岩駅跡と思われる公園。 |
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■当初機関車1両で開業したとの記録がありますが、この機関車は英国ナスミスウイルソン1896年(M29)製の形式100と推定されます。本機は参宮鉄道が購入し、国有鉄道に在籍後、大谷線開業時に譲受したものと考えます。東武鉄道合併後はC4形No.57となりS14まで活躍しました。主要諸元は、運転整備重量27.15t、軸配置1B、動輪直径1245mm。 |
■T10オリジナル機として日本車両製の2号機を導入。東武鉄道合併後はA3形No.58となりS14まで活躍しました。本機は、現存しています。 |
■上記2両を譲渡した後は、東武鉄道の標準機すなわち英国製の2Bテンダ機が主に活躍したものと思われます。 |
■S20大谷地区の大谷石採掘跡に中島飛行機の地下秘密工場が建設され、大谷線はその通勤輸送にも利用されました。国鉄機の入線もあったようです。 |
■運転本数については定かではありませんが、最盛期の運搬量600t/日(60車)との記録があり、数往復/日程度の運転だったと思われます。 |
大谷線に関しては非常に充実したコンテンツがWEB上に公開されていますのでここに紹介させていただきます。 ■W−STATION 大谷線探訪 資料調査・実地踏査ともすばらしい内容です。とちレビが不覚を取った鶴田付近のオーバクロス群もしっかり記録されています。お手本としたいサイトです。 ■人車鉄道 人車時代を中心にきわめて資料性の高い内容となっています。 ■美美模型店HP内 山口 勇 鉄道絵画集 大谷線に入線したC57の美しい絵画が紹介されています。おそらく、ビジュアルな記録としては隋一のものではないでしょうか? ■大谷資料館公式ホームページ 大谷石輸送の歴史について紹介されています。 廃止後約40年。大谷線は、人々の記憶と書物とメモリの上だけのものになりつつあるようです。 |
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更新
作成 2002.10.20
写真撮影 2001.10.7/2002.2.11/2002.10.5
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