日本列島・全国郷土玩具の旅

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----大分県篇・第2回----

---- OITA(2)----


今回は現在、制作されている「大分の諸玩具」玩具と、あわせて今は作られていない玩具を掲載しました。


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大分の諸玩具
 大分県内で廃絶した大分のさまざまの郷土玩具の復元に努めているのが、別府市の「豊泉堂」・宮脇弘至さんです。(前回に浜の市の一文人形で紹介)
 豊泉堂は日豊本線の別府駅から西へ5キロ余り、坊主地獄からまだ西にあり、足の便が悪い所ですが、ここで作られた玩具は、「大分県物産観光館(別府市新港町6-46: TEL: 0977-23-0201)」や温泉旅館街の土産物店で売られています。
◇復元のもととなった作品は、
 「赤へこ天神」「小松女院だるま」は、玖珠(くす)町の小川秀太が制作していたものです。
 「福獅子」「みくじ鳩」は磯辺鴎村の作品です。(赤へこ天神、下段、掲載)
◇小川秀太は玖球町の北山田駅前で理髪店を営むかたわら、昭和30年頃から、大正時代に当地にあった坂本新一の手びねりの土人形の復活にのりだしましたが、束の間で廃絶となり、郷土玩具の愛好家には、幻の郷土玩具といわれています。
◇「赤へこ天神」:これには、追手に追われた菅原道真公が、玖珠の宝泉寺で農家の老婆に救いを求め、赤い湯文字にかくれて難を逃れたという、いわれがあります。
 なお、現在作られている人形は、型で抜いていますが、小川秀太の作品は打込みで手捻りで作られていました。
◇「福獅子」:磯辺鴎村の作品(中段掲載)は、木製で現在のものよりひとまわり大きく、丁寧に作られた作でした。現在は、土製で復元されています。
◇「みくじ鳩」:現在の玩具は、鳩を土鈴にしたもので、長さ7センチ、高さ6センチほどです。
 この「みくじ鳩」は、宇佐神社の授与品として、昭和7年頃、別府の溝口興四郎が張り子で作ったのが最初でした。鳩の胸に「県指定宇佐神社みくじ鳩」と印刷された紙が貼ってあり、それを剥がすと穴が開いて、中に「おみくじ」の紙が入っていました。(下段、掲載)
 戦後、磯辺鴎村がこの鳩を土製で作り、同じように胸に「おみくじ」を入れて、宇佐神社から授与しました。しかし、昭和40年頃から体調を悪くし制作数も少なくなり、ついに廃絶しました。
これらの後を継いで作られたのが豊泉堂のみくじ鳩です。
◇豊泉堂ではこれらの他にも、南蛮鈴、地獄鈴など種々の土鈴も制作しています。
製作者:宮脇弘至「豊泉堂」:別府市小倉一組1..TEL: 0977-21-1040

磯辺鴎村制作の諸玩具(廃絶)■
 昭和30年頃から45年頃までに、磯辺鴎村が制作していた大分の諸玩具で、当時はかなりの人気商品でした。
宇佐神社の授与品
 昔は宇佐神社で各種の授与品が出されていました。掲載の神馬は土製。みくじ鳩は張り子製で、高さ14センチの大型のものでした。
赤兵子(へこ)天神と中津のみこし(廃絶)■
 赤兵子天神は、小川秀太が手捻りで制作していた作品。みこしは、祇園祭りのみこしを模した玩具でした。どちらも廃絶品です。

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(1999.11.7掲載)