伝統ゲーム


投扇興私論

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投扇興私論 2001.6

 今、投扇興を行っている団体の多くが「優雅」をうたっている。 投扇興は、雅なものであり、日本の伝統文化であるから、礼儀作法を重んじ、 丁寧に雅に真面目に行うことをうるさく言っている。 しかし、私が投扇興に対する研究を進めるに従い、変なところが見えてきた。 まず、投扇興の点数や役の付けかたが複数あることがわかったのだが、 昨今の投扇興の団体のやり方や点の方式とは同じ物がほとんど無いのである。 つまり各団体はまったく新しいやり方を作ってしまっていることになる。 歴史を守る、という考え方からは逸脱しているのではないだろうか。 今までのものが合理的でない、という理由があるかもしれないが、 では各団体のものが合理的かというと、あまりそうとも言えないように思える。 違和感を感じながらも、大きな団体の権威は尊重するべきでは、と考えていたが、 あるとき、それまでの考えを大きく変える一つの真理にたどり着いた。
 それは一言で言うと「扇はあおぐものだ」ということである。

 皆さんは小さい頃、何か玩具でないもので遊んでいて怒られたことはないだろうか。 無ければこんな状況を思い浮かべて頂きたい。 例えば親が職人の家で、その道具で遊んでいたり、家が商店でそろばんで遊んでいたりして、 子供が怒られている情景である。 こういうとき、怒られる言葉としては 「お父さんの大事なものをおもちゃにするんじゃない」「商売道具で遊ぶんじゃない。」 そして「罰当たり」という言葉ではないだろうか。 そう。投扇興は、まさしく罰当たりな遊びなのではないだろうか。 本来寝るための道具である木枕を立て、それに物を載せ、本来あおぐための道具である扇を投げるなど、 投扇興は本来の道具の使い方を逸脱している。 だいたい本来扇は雅だろうか。扇に雅の部分があることは認める。 王朝時代の貴族が持っていたり、舞に使ったり、確かに扇は雅な使われ方をしていた。 しかしそれは扇の一部であって、扇そのものは雅ではない。 ましてや江戸時代のものは単なる風おこしである。 投扇興=雅と考える者は少しその一部にとらわれすぎてはいないだろうか。

 投扇興が江戸時代、庶民の間で流行し、 金を賭けるようになりそれが高じてきたために禁止された記録は残っているが、 上流階級でも盛んに遊ばれたという記録は残っていない。 行ったという記録はあるが、頻度や人気のほどは不明である。 明治以降も花柳界や梨園で遊ばれたようであるが、和服を着る、 古典的な職業の人間が遊んでいたから日本の伝統芸能で優雅である、 というのは短絡的な発想である。
 優雅な雰囲気があるといっても、それは本来優雅でないものをパロディとして優雅に遊ぶのが粋なのであって、 多くの団体の主催者が言うように投扇興自体が優雅ではないのである。 扇の用途の一部である舞か、役の名前の源氏物語や百人一首から、誤解したイメージを抱いているだけではないだろうか。

 本来遊びであるお茶・お香は道になり、伝統文化になり、精神世界になり、商売になってしまっている。 また本来遊びである百人一首は反射神経ゲームになり、勝敗がすべてのスポーツになろうとしている。 投扇興の団体が投扇興をどちらにしたいのかはよくわからないが、どちらにしても誤った方向だと思う。

 投扇興の本来は道具を本来と違った使い方をして遊ぶ罰当たりなものである。 日本舞踊でも扇を投げるではないか、という指摘があるが、決してものにぶつけるために投げるわけではない。 遊びである投扇興にいたずらに権威を付けたり、優雅を誇張するべきではない。 むしろ遊び心として相撲を真似た土俵を作ってみたりした、江戸時代の粋人の心を受け継ぎ、 粋な遊びとして残すのが筋ではないだろうか。


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