ゲームのイベント探訪記


「大塚の盆綱」


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 綱引きは民俗的行事として行われるものと、スポーツとして行われるものがある。民俗的行事として行われるものは、年々減少しているとは言え、現在でも百箇所をくだらないだろう。様々な分類ができるが、時期で分類をすると、大きく正月、小正月、端午、盆、十五夜、十三夜に分けられる。実際には旧暦に行うところ、新暦で行うところ、その近辺の土日に行うところが有って実に様々である。そのうち、盆に綱引きを行うところは、茨城と南九州に集中している。九州では旧暦に行うところが多いが、茨城では新暦の8月13日に行うところが多い。また内容も、茨城は引きずる綱引きが多く、九州は引き合う綱引きが多い。

 茨城県筑西市(旧下館市)大塚地区の盆綱は、茨城には珍しい引き合う綱引きである。大塚地区は下館駅から約2kmほど離れた田園地帯の中、戸数40ほどの集落である。

 利用者数減少のため路線バスが廃止されており、行くには歩くかタクシーによるほかない。綱引きが6〜7時頃行われるのはインターネットの情報で知っていたが、綱作りを何時から行うか分からず、また、下館駅に着いたのが夕方近かったこともあり、タクシーで行くことにした。タクシーの運転手は大塚の綱引きのことを知らず、大塚集落のどこで行われるかもわからなかったので、ひとまず集落の中央付近の、最も家が集まっている場所に行ってもらうことにした。

 タクシーでほぼ10分。集落中央に行くと、なんと人家の前に藁束がいくつか並べられているのが見えた。これが綱に使われる藁に違いない。タクシーを降り、その家を除くと男性が一人庭にいるのが見えた。聞けばあと一時間ほどで綱作りを始めるとのこと。安心して付近の散策して時間を潰した。

 午後6時、綱作りが始まった。ビデオに収録させてもらう旨断る。「顔は写さんでくよなぁ。」と恥ずかしげに言われた。マスコミなど来たことは無いそうだ。よく見れば道端に2〜3mの柱が5本寝かせてあったのだが、4、5人の年配の男性が集まり、まず柱を作る作業が始まった。2本の柱を交差させ、交差部分を綱で縛る。これを2つ作り道の両側に立て掛けた。次に残の一本をその上に乗せ綱で縛る。高さ2mほどの鉄棒のようなものができあがった。これは綱を作るための横柱である。積んであった藁をない、綱にして行く。少し長くなると、横棒に掛け、さらに延ばして行く。一度に3人があたり、それぞれ藁をもらって自分の綱を延ばして行き、3mぐらいの長さになると、3人同時に、自分の右の綱を取って左に送る、という作業を繰り返して綱を撚って行く。「せっせと!!せっせと!!」という掛け声が面白い。これを繰り返すことにより、綱は次第に長くなって行く。よほどの作業なのだろう、汗びっしょりになり、代わって欲しそうだ。若い者がやれば良いと思うのだが、技術がいるのでできないそうだ。

日は沈み、いつの間にかあたりは夕暮れである。縄は20mほどで完成となった。 「去年はもっと長かったんだけどねぇ。」と一人が嘆く。農法が代わり、わざわざ綱引き用に藁を残さなければならないので大変なのだそうだ。バラバラと集落の人が集まってくる。

 午後7時過ぎ、いよいよ綱引きだ。車1台の幅しかないメインストリートに綱を延ばし、てんでに綱をつかむ。特に誰がどちら側というのは無いそうだ。「昔は隣の集落と対抗戦のような形で引いたんだけどねぇ。今はここだけ。」だそうだ。どこまで引いたら勝ちということもなく。適当なところで勝負は終わる。これを3回ほど行い、「まあ、これでいいか。」で終了。綱は道端にまとめられ、集落の人々は、自宅や集会所へと向かって行った。

 あたりは元の静けさと暗闇に戻った。集落の家々は盆らしく車が泊まり、大人数の話し声がしていた。

(2009. 8.13)

 

 

 


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