ゲームのイベント探訪記・投扇興


投扇興


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 2001年4月の日日曜日、滋賀県大津市の三井寺円満院門跡で第51回投扇興全国大会が開催された。東海道本線の石山駅から京阪電車に乗り換え、三井寺という小さな駅で降りると、徒歩10分程で三井寺に着く。その大きな門の少し横に円満院門跡がある。行ってみると、渡り廊下に沿って庭園の見える広間に入ると、投扇興の場が5つ作ってある。 庭の桜は盛りを過ぎ、風に吹かれて桜の花びらが舞う、誠に風情のある会場だ。 道具はまず枕だが、我々が通常使っているものに比してかなり太めである。これではまず箱が倒れるということは無いだろう。 次に蝶だが、これは木製で結構大きくて重い。これも我々の扇だと倒れにくそうである。そして扇だが、これは短くて骨が多い。一見我々が通常使っているものより軽そうだが、実はかなり密度が高いようで飛びにくい。距離は1メートル5,60センチと我々の通常と同じくらいだが、この距離でその小さい扇を投げるとほとんど当たらない。さらに風が吹いていることもあってなおさら蝶を倒すのは難しそうである。 横で練習しているのを見ると、私が思っているようなことを言いながら、要を向こう側にして投げている。なるほど、真似をしてやってみるとこの方がまだ当たる。 ちょっと練習をしていると次第に人が増えてきたので脇で待機。

11時、開会。門跡と呼ばれる僧が挨拶をする。 「投扇興を知らない人のために解説しますと、投扇興は公家の遊びであって・・・」  やれやれだ。投扇興は公家の遊びなどではない。きちんと歴史を調べればわかることなのだが、だいたいどこも自分たちのしていることに威厳をつけるためにこういうデマを言う。困ったものである。 本当のことを言いたかったが、会をぶち壊すつもりはないし、予想はついていたので沈黙。 予想通り、「投楽散人という人が寝ていて目を覚ますと・・・」という例の話も出る。これも嘘である。

 大会はトーナメント形式で5投して席替えしてまた5投の計10投。役はいろいろ あるのだが、大会は簡略化して「蝶を落としたら1点、蝶を揺らして鈴を鳴らしたら0.5点」となっている。国内にはいろいろな点数法があるため・・・という理由ではまず無い。単に審判をできる人間がいないだけのことだろう。  参加者は52名。一応進行係のような人間が数名いて、トーナメント表に従って名前を読み上げて進んでいく。

 一回戦。ほとんど力の無さそうな老婦人と対戦。10投中5回当てて楽勝。
 二回戦。4回当てて逆転勝ち。しかし、この少人数にもかかわらず、この要を前にして投げる投げ方に対し、コソコソと「違っている」「正しくない」といった声が出だした。審判をやっている人間から正式に否定されていないが、あまり気持ちの良いものではない。仕方なく、要を手前にし、投げる直前要を向こうにして一時停止して投げてみたが、そうそう上手くいくわけは無い。
 三回戦は残念ながら一点差負け。それにしても名前を呼んでも出てこない人間がいたり、進行係が選手をしたりしているため進行の手際が非常に悪い。一試合は5分ほどで終わるのだから、2回戦までは午前中で終わりそうなものだったが、大幅にオーバー。にもかかわらず全部やりきる、といっていたのだが昼食に行ってしまったようで、いない人間がいるため昼食休憩。時間配分もできないくらいいい加減。昼食は別室に塩漬け桜を入れた粥と漬物が用意されている。無料なのだから、少ない等と文句を言わずにいただく。同じ投げ方をしていた人と話をすると、岡山の後楽園で投扇興をやっている団体とのこと。昨年の岡山の祭を契機に始まったということで、歴史的には非常に新しい。
 昼食後準々決勝。なぜか7人になっているのも不思議だが、ここで持ち方について、「それはダメ」と大きな声が出て要を向こうにするのが禁止。
「そんなことは決めていなかったではないか!」
と叫びたかったが、すでに負けているし、今までダメと言われていた持ち方をしていた人間も何も言わずに素直に従い続行。非常に割り切れない感じを覚えるが、大人らしく大人しく・・・。それにしても、この投げ方でやる限り、高得点は期待できない。試合はほとんど1点2点のゲームで、0−0あるいは低得点による延長も多かったようだ。(この延長も先に点を取った方が勝ちと言っておきながらどちらが先か決めていないようでかなりいい加減)結局、要を向こうにしていた人間は全滅し、3年前ぐらいから出ているが、大会でしかやっていないという男性が優勝。ほとんど運のようなものだから未経験者でも優勝できるという面では評価すべきか・・・!? 賞品は門跡自筆の額を3位まで。

 道具が特殊なので売っているか後で聞いてみたら、販売はしていたのだが今は在庫は無いとのこと。また二十数年前からやっているわけだが、それ以前についてはあまり定かではないようである。なぜ三井寺に、というと石山寺投扇興図というのが書かれた掛け軸があるそうだが、その由来等は不明であった。

 後日談

 数年後、この門跡は経営失敗とのことで破産。売りに出されてしまった。とはいえ経営者が変わっただけで外見は以前と同じである。現在でも投扇興の体験が有料でできるということである。分院が伊豆にあり、元門跡の息子が門跡で投扇興を行っていたが、現在は品川の寺院に移り、そこで投扇興をやっているとのことである。


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