ゲーム紹介


藤八拳・東八拳

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名称藤八拳・東八拳(とうはちけん)
概要  狐拳を続けて出していき、連続して3回勝って勝ちとなる遊び方。 3回勝ったときに勝ちを宣言しないと1本取ったことにならない。

 3すくみの拳は一般的に運の遊びであるが、3回続けて勝ちとすることにより競技性が高くなっている。 すなわち、手先だけのじゃんけんと違い、腕を使う狐拳を続けて打つために、 体の動きで相手の出方を読むことが出来るようになり、ゲーム性が高くなっている。 そのため、爆発的な人気を博し、大人の遊びとして、大正期頃まで一世を風靡した。

 発生にはいくつかの説がある。
1.吉原の桜川藤八という幇間が考え出したという説。
2.春野家草○(はるのや・くさまる)という人が狐拳より考案したという説。 春野家草○という名前は藤八拳の時の名前で、いわゆる四股名や芸名のようなものである。
3.天正18年に家康の関東八州平定を祝して江戸の市民が考案したという説。
4.農民が手を動かしながら将軍の噂話をしているところへ役人が現れ、とっさの機転で新しい遊戯と言ってごまかした、という説。

 名前の方も、
1.桜川藤八が考案したためその名前を取った。
2.藤八五文奇妙という薬売りの売り声から。
この薬売りは2人一組で「藤八」「五文」「奇妙」という売り声で江戸の町を売り歩いた。 これが3拍子であったため、3回勝ったら一勝とする藤八拳において、 1回勝ったら「藤八」、2回勝ったら「五文」、3回勝ったら「奇妙」と言うことにしたのだと思われる。 などの説がある。

 文政八年、「東海道四谷怪談」という芝居で登場すると人気に火がついた。 次第に芸事化し、師匠が弟子を取って教えるようになった。 一門を名乗り、拳専用の名前を持ち、番付を作るなど相撲のような形式となり格式化されていった。 長く「藤八拳」と記していたが、東京では「東八拳」という表記に改められた。
 大正六年に各派が団結して東京拳技睦会が結成された。

昭和初期には久保田孫一が「東八拳道」を著した。
 現在は東京にしか残っておらず、東都東八拳技睦会とそこから分かれたさくら会の2団体が存在する。 睦会は家元と弟子という制度が続いており、2003年度時点で家元は9人、総員で80名ほどの会員がいる。 毎月稽古会を開いている他、星取り会、番付披露などが行われている。
 江戸時代から現在まで、途切れずに遊び続けられている非常に希有な遊びである。

東八拳の種類

東八拳には3つの種類がある。

1.正拳(せいけん)

「ハッ、ハッ、ハッ」と掛け声を発し、その合間で拳を打ち、合間では拳の形を止めて打つ規則正しい拳。  拳と拳の合間で、余計な動作を入れてはいけない。

2.一本間拳(いっぽんまけん)

 正拳で拳と拳の間に別な動作を入れても良いもの。拳と拳の合間で、別な形で待ってもよい。

3.軟拳(なんけん)

 定期的な間でなく、動作が止まった時を以って拳を打ったと判断し、両者が同時に打った場合に勝敗を判定するという非常に難解な拳。 

*東都東八拳技睦会は3種類行う。さくら会は正拳のみ。

東八拳(正拳)の遊び方

1.双方正座して向き合い、両手を体の前で合わせる。(絞りと呼ぶ)
2.「ヨイヨイヨイ」の発声と共に、手を3回叩く(実際に叩くのは3回目のみ)。
3.双方、狐の形を作る。(合い拳と呼ぶ。「最初はグー」のようなもの)
4.「ハッ」の発声に次いで、3種類の形のうちいずれかを作る。
5.4を繰り返し、3回連続して勝ったら、両手を叩いて動作を終了する。

6.試合のときは行事が正しく3回連続して勝ったかを判定する。 7.正式な試合のときは3本勝負とし、2本先取した方が勝ちである。

東八拳 東八拳

東八拳 東八拳

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