みかかこ日記

2004年3月


3/15(月)

 サイレンを鳴らしながら走る、東京ガスの車ってなんなんだろう。そして、どこへ行くんだろう。


 昨日、夫が、『ほぼ日刊イトイ新聞』のメルマガの話をしてきた。
 「かぐちひなこさんのマネージャーのピーちゃんっていう人の、読みまつがいが多いんだって」
 へー。
 この時、わたしはひどい貧血で、朦朧としていた。
 「若者向けの「すしー(スシー)」って寿司屋があるっていうから、確かめたら「寿司一(すしいち)」だったとかね」
 へー。
 「いくら実加でも、それはないでしょう」
 なんですと?
 「まあ、わたしは看板以外にも、見てるところがあるからね」
 「どんな?」
 繰り返して言うが、朦朧としてたのだ。
 「入り口がちいさすぎて、人がはいれなかったらどうしよう、とかね」
 「ふーん…」
 「…………」
 「って、いま、何を言ったんだきみは!」

 −−−わたしは、何を言っているんだ!?


 京都のマーミと久しぶりに電話をした。
 「エコー(共通の友達)は、実加ちゃんと連絡とってるって言ってはったけど、そうなん?」
 「うん、年末くらいまでは、よくメールしてたよ。年明けてからは、わたしが他のゲームにうつつをぬかしちゃったから、申し訳ないことになってるけど」
 「そうそう、彼女はコンピューターゲームを買って、今、夢中やって言ってたわ」
 コンピューターゲーム!
 マーミ!! うちの母でもファミコンくらいは言える!多分!
 「…で、実加ちゃんは、どんなコンピューターゲームに夢中なん?」
 「うん、年末に出たゲームキューブ用の、2枚組大作RPGなんだけど、ナムコが出しているだけあって、ストーリーにもひねりの利いた…」
 な ん て、 言 え る わ け な い じ ゃ な い で す か !!
 「…冒険もの、って言うの?ファンタジーね。こう、マントはおった主人公がいたりなんかしてね。各地を旅するわけ。ちょっと違うかな。まあ、いいか。でも、まさか今になって、装飾品がジャラジャラついた絵を描くとは思ってなかったなあ」
 「ジャラジャラついてるん?」
 「あ、そう。ゲームのキャラクターは、衣装設定が細かいのよ。わたしのやってるのは特に」
 「ふーん、つまり、実加ちゃんは、今そのジャラジャラに夢中なんやね」
 ジャラジャラ!!
 もう、この瞬間から、彼女のなかで、わたしがやってるゲームはジャラジャラって名前になった!バテンカイトスなんて名前言っても、いまさら通じない!
 「はい、そうです」と答える以外、何ができただろう。わたしに。


3/24(水)

 昨日、我孫子さんと電話で話したんだけど。
 やっぱり、男の人と1対1で、自分の萌えの話はできない(汗)
 我孫子さんの萌え話は、非常に面白くて、こっちも興味津々で聞いてるんだけど、いざこっちに話を振られると、しどろもどろになってしまう。
 いや、話できると思ってたんだけどね。ゲームの話だし。いままでゲームの話は山ほどしてきたので。
 でも、システムの話とか、ストーリーの話とかしようと思っても、冷静に話を進められない。
 これは、自分の萌えが、いわゆる腐女子萌えだからですか?
 勧めたい。面白いゲームだし。実際、相方の千織さんはやってるし(いや、やっていただいてるんですね)。横から見てるだけじゃなくて、試してもらいたい!
 と、思っても、後ろめたいんです何か!

 わー。だめだ、もう布教にならない(爆)

 よく考えたら、夫とも「萌えの詳しい話」はしてなかったのだ今回。まあ、詳しく話せといわれても、どう分析していいのかってところはあるがな。
 ミステリの中にも、いま考えればキャラ萌えしてたのかも、という作品はいくつもありましたが、構成とか伏線とか、随分冷静に見られてたので、萌えはあったけど、腐れてはいなかったのでしょう。
 うん、今の状態は「萌え」でなくて既に「煮え」ているような気がします。心の中だけでなく、脳まで達して、さらに煮えてしまっているような。こんな言葉はないですが。


3/26(金)

今日は岩田次夫さんのお葬式です。


 3月22日に亡くなったそうです。コミケットに深い関わりを持ってこられ、その活動にも尽力されてきた方です。コミケットカタログのまんがに載っている「イワエモンさん」と説明すれば、おわかりになる方も多いでしょう。
 岩田さんとお会いしたのは、キャプテン翼のパロディをやっていた頃です。わたしはデビューしたての漫画家で、同人誌が楽しくて仕方ない頃でした。連載を抱えながら、仲間と一緒に月に1回の同人誌を出して、へとへとになりながら、たまにイベントに出ていました。
 去年の12月8日、新宿の病院に、岩田さんをお見舞いに行きました。リハビリを終えて病室に戻られるのを、わたしは廊下の端で待っていました。その反対側から、リハビリ器具で身体を支えながら、岩田さんが病室に向かって歩いてくるのがわかりました。廊下の中程まで来て、岩田さんがこちらに気づきました。
 「かわちさん」
 大柄な岩田さんは、コミケでもどこでも、目立ってすぐわかる方です。
 だから、どこでもご挨拶ができました。
 それにひきかえ、岩田さんにとってのわたしは、何十万人の中のひとりでした。
 コミケの人混みでしかお会いしたことがなかったのに、このときは立っているわたしを、すぐわかってくださいました。
 全サークルの発行物の奥付を記憶している、という噂がまことしやかに流れていたけれど、それもほんとうかも知れないと思いました。

 岩田さんの病室で、小一時間話しました。翼のジャンルの話です。アニメパロディサークルだけでなくオリジナルサークルまで波に飲みこんで、翼のサークルが一気にふくれあがったときのこと。コミケが翼一色になったことで、当時のスタッフから不安の声があがったこと。翼をパージしろという声まであがったこと。岩田さんが、それから守ってくださったこと。そんなことを初めて聞きました。翼はコミケからパージされることなく、今も1ジャンルとしてコミケに存在しています。
 「苦労したからかなあ。翼の同人誌は、一冊も捨てられないんだよ」
 そう言って、岩田さんは笑いました。近所のかわいい悪ガキの話をするような目をしていました。
 「河内さんは最近コミケに出てないね」
 そんなことまでおっしゃいました。
 「今ね、萌えがないんですよ」
 わたしが答えると、
 「萌えってさ、大事だよ。ぼくもね、今、ガンの治療中だけど、それ以外の時間は好きなことをしてるんだ。みんなが同人誌を持ってきてくれるし、それを読んだりしてね。会社もよくしてくれてるし、ストレスはなにもない。この病院に運ばれてきたときは、息も苦しくて、起きあがることなんてもう無理だと思ってたけど、今は医者が奇跡だって言うくらい、抗ガン剤が効いてるんだ。人間、好きなことをやるのが一番だよね」

 自分の本が手みやげになくて、心底申し訳ない気持ちになったのは、後にも先にもこの時だけです。
 帰り際、大きな両手で、握手してくださいました。
 いつも片手に沢山の本を抱えてらしたので、両手が空いていることが、少し不思議な気さえしました。 

 岩田さんとお話をしてほどなく、夢中になれる作品に出会いました。「今更パロディ」って思いはしたけど、頭から飛びこんでいったのは、その会話があったからかもしれません。
 それまで幾度となく受けとっていた、病床からの定期報告(あの同報メールです)が年末でとぎれて、心配でした。病状を知らせるサイトも更新が止まって、巡回に行くのもつらくなりました。

 岩田さんは「5月のC・シティには遊びに行くから、会場で会えるといいね」とおっしゃっていました。シティには出ないけど、新しいサイトをガンガン更新していると、いつか岩田さんが遊びに来てくれるかな?なんて思っていました。

 ごめんなさい。差しあげる本が間に合わなくて。

 そのうち、またコミケにサークル参加したいです。「ぼくにわからないジャンルなんかやって」って言われるような気がするけど。


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