青函連絡船は1908年、青森と函館を結ぶ鉄道連絡船として生まれました。航空機のない時代にはそれこそ北海道へ渡るメインルートとして隆盛を極めました。そんな中にも苦難の歴史があります。ひとつは太平洋戦争末期の青函連絡船の空襲、もうひとつは洞爺丸沈没の事故です。多くの犠牲者を出した歴史は消えることはありません。そして事故を契機として青函トンネルの建設が初まりました。
しかしながらそんなトンネル建設の間に急速に青函連絡船の地位は転落していきます。移動時間が長時間に及ぶ鉄道ー連絡線ー鉄道の乗り継ぎよりも航空機を利用することが北海道に渡るメインの交通手段となっていくのです。どうしようもない時代の流れに青函連絡船は取り残されていきました。
そして1988年青函連絡船は青函トンネルの開業とともに終航を迎えます。それからこれだけの年月が経ってしまうと記憶にもおぼろげになりがちな青函連絡船をここでは改めて紹介していきます。
3-11-1.津軽海峡を渡る〜現役時代の風景〜 国鉄時代の桧山丸
青森港に停泊する貨物船・空知丸
87年北海道フェアin晴海
青森港の大雪丸
青森港に入港・摩周丸
最後の年末年始〜青森港出航風景
最後の年末年始〜函館湾に停泊する船たち
最後の年末年始〜タグボート大活躍
3-11-2.ドキュメント1988・3・13 終航前夜・3月12日青森発17:05羊蹄丸
朝を迎える
函館山の裏手へ
最終日の羊蹄丸その1
最終日の羊蹄丸その2
最終日の羊蹄丸その3
3-11-3.その後の青函連絡船 ジャパニーズ・ドリーム時代の十和田丸
21世紀号として活躍した檜山丸
メモリアルシップ八甲田丸
函館ドックに係留される空知丸
船の科学館の羊蹄丸その1
船の科学館の羊蹄丸その2
現役時代の塗装に復旧された羊蹄丸
にいはまに羊蹄丸がやってきた!一般公開最終日(船外編)
にいはまに羊蹄丸がやってきた!一般公開最終日(船内編)
3-11-4.青函連絡船資料様々 青函連絡船のポスター集
交通博物館の青函連絡船模型・資料
金乃比羅宮絵馬殿の青函連絡船奉納絵馬
北海道旅情報巻頭