津田さんとサイオテ氏による近代クラリネット作品集

色々入っているのだが、まずベンジャミンのクラリネットとピアノのためのヴァルス・カプリース「ラヴェルの墓」を聞いてみた。タイトルからして面白い。ラヴェルの「クープランの墓」を想像させるものだが、それにヴァルス・カプリースとは、先日、名古屋で津田さんの見事な「高雅で感傷的なワルツ」を聞いたばかりで、その時のことを思い出していた次第。
なんとも洒落た音楽だ。ラヴェルのスタイルを踏襲して、スパニッシュなエッセンスを少し使いながら、ワルツの艶やかさを表現したもの。クラリネットとピアノの扱いも実に手慣れたもので見事!近代的なモードを取り入れ、高次不協和音は注意深く扱う態度も、彼がいかに聞かせ上手であるかよくわかる。
小品が8曲続けて演奏されるのだが、性格の対比も入念に準備されていて飽きることはない。エヴァ・シュヴァアーのピアノ,ハインツ・ブラットマンのクラリネットで(Jecklin/JS 272-2)で持っていたことを思い出して聞いてみた。が、津田さんとアントニオ・サイオテの演奏には遠く及ばない。ブラットマンのクラリネットの音色が今ひとつな上に、ピアノの響きが硬く、フレージングが詰まったような感じになるのだ。これは津田さんのピアノによるものである。サイオテ氏は素晴らしい共演者に出会ったものだ。
途中、何度か大きな演奏ノイズ(おそらくは譜めくりの音)が入っていて、録音しなおせばとか、今だったらある程度のノイズは除去できるのにとか思ったが、惜しいところではある。
しかし、ピアノのしなやかなリズムが音楽を一層魅力的にしていることは間違いない。これは大推薦である。ベンジャミンが「ジャマイカン・ルンバ」だけの作曲家と思っていたら大きな間違いだと知ることが出来る。
続いて、吉松隆氏が1983年に書いた「鳥の形をした4つの小品」が入っていて、これに興味が行って聞いてみた。現代的な手法と古典的なモードによる部分、クラリネットの重音奏法などの特殊な扱いも部分的に聞かれるものの、この作品は抒情性と近代語法の美しい結婚であると評したい。後のサイバーバード・コンチェルトなどのジャズ、ポップスの語法も混ざり合っていて、いかにも吉松節だと思う。現代音楽がわかりにくいものだなどと思っておられるのであれば、ぜひ聞いて頂きたいものだ。
ああしかし、津田さんがこんなに素晴らしい吉松を弾くとは!これならば、吉松隆のプレアデス舞曲なども弾いてもらいたいものだ。どのくらいかけて録音したのだろう?時間をかけて傷を修正して出してきたものとは思えず(それならば、演奏ノイズはもっと除去していたはずだ)一筆書きのようなライブ特有の集中力がある。
これもまた、超がつくお薦めとなった。

続いてヴィドールの序奏とロンドを聞く。ヴィドールと言えばオルガン交響曲第5番の終楽章の華麗にして豪壮なトッカータがすぐに思い出される。彼の室内楽作品もいくつか知っているが、このクラリネットとピアノのための作品は聞いたことがなかった。
和声的に成熟した細やかな綾が編み込まれた作品で、後期ロマン派特有のねっとりとした抒情がこの作品にもある。しかし、マックス・レーガーなどのような重さに繋がらない点が、やはりラテン系の国の作曲家の作品だなぁと思わせられる。この曲では津田さんのロマン派の音楽との相性の良さがよく出ている。サイオテ氏のクラリネットは音色の魅力はあまりないが、このピアノの木質の多彩な歌によって音楽が自在に息づいている。ただ、このアルバムの中で唯一のロマン派の音楽ということで、ちょっと選曲のバランスがピンと来なかったことも事実で、ベンジャミンや吉松隆の作品の後でこれを聞いたからかも知れない。
しかし、サイオテ氏のクラリネットの音色は重さを持っていて、特にその高音は魅力的だ。中音域がやや荒れて聞こえる点が惜しいが、優雅な津田さんのピアノがそれを補ってあまりある出来となっている。終結部など中々に聞かせる。作品も単体でなかなかの名作と思う。あまり聞かれないのは、編成故だろうか?

つづいて聞いたのはポルトガルの作曲家のラバのクラリネットとピアノのための3つの小品 "Nem tudo ou nada"という作品。フェルナンド・C・ラバはVila Realに1950年に生まれた作曲家で、ルネサンス以前の音楽などの合唱の指揮なども行っているそうだが、作曲家として100以上の映画に音楽をつけたりしていて、ポルトガルでは大変有名な作曲家なのだそうだ。私ははじめて聞いたが、新古典主義的なフォームと11から13の和音といった不協和な響きと変拍子、それを強調して音楽の輪郭を明確にわかりやすくするあたり、なかなか上手い作曲家だと思った。
もう一人、未知の作曲家がポーランドのクラコフに1953年に生まれたランパルトで、オルガニストでもある彼が1977年に作曲した断章「H」が収録されている。ピアノの低音の和音に支えられた高音のアルペジオが静謐な時間を作り、時折古典的な教会旋法が鳴り響き、それと対立するかのようにクラリネットの重音や果てしない間隔での跳躍、あるいはピアニシモによるロングトーンが叫び、あるいは歌い、沈黙する。
1970年代。ネオ・ロマン主義は、こうした祈りと結びついて生まれてきたように思う。ベトナム戦争や中東での戦争、あるいはアフリカでの独裁とそれとの戦いなど、色々な社会のひずみが、音楽に工業化から自然へ、あるいは生産性や新しい技法の開発などといったものから、こうした精神的なものへと回帰する時代にあたるように思う。
この時代の音楽として、私はこのランパルトの音楽をはじめて聞いたのに何か懐かしく感じられたし、共感もした。
なるほど、だからヴィドールなのだ。この音楽の後にはヴィドールのやや古めかしいロマン派の音楽は嵌っている。

さて、アルバムの最初に入っている作品が残ってしまった。バルトークのルーマニア民俗舞曲である。セーケイのヴァイオリンとピアノへの編曲版をもとにクラリネットとピアノで演奏したもののようだ。スイスではバルトークの版権は切れているのでできるのだが、日本ではまだ版権が切れていないので、これをそのまま演奏するのは難しいだろう。この曲の編曲はバルトークは認めていたのだろうか?1980年代にウェルナーによる弦楽合奏への編曲があるし、オルガンで演奏したものも知っているので…。多くのバルトーク作品は編曲不可であるから、この曲だけどうして?
それはともかく、やはりヴァイオリンとピアノ、あるいは原作のピアノ・ソロ、もしくは作曲者自身の編曲によるオーケストラ版での演奏を聞きつけているので、ちょっとピアノとクラリネットというのは抵抗を感じたのは否めない。津田さんの見事なサポートがあったのだが、それでもそう感じるのはこうした名作が持っている宿命なのだろう。
しかし、全体として見事な録音であり、近代音楽ファンの方はぜひ一度お聞きになってみられては如何?手に入りにくくなるの間違いないので…。

PAN CLASSICS/10 186