プログラム

ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685一1750)
  トッカータ ニ長調 BWV.912
Johann Sebastian Bach Toccata D-Dur BWV.912

セルゲイ・プロコフィエフ(1891ー1953)
  ソナタ第7番作品83
Sergei Prokofiev Sonate Nr.7 op.83
   1楽章 Allegro inquieto
2楽章 Andante caloroso
3楽章 Precipitato
ーーーーーーーー休憩一一ーーーーー
フレデリック・ショパン (1810←1849)
 12の練習曲作品25
Frederic Chopin 12Etudes op.25
   第1番 As-Dur 変イ長調 エオリアのハープ
第2番 f-moll へ短調
第3番 F-Dur へ長調
第4番 a-moll イ短調
第5番 e-moll ホ短調
第6番 gis-moll 嬰ト短調 三度
第7番 cis-moll 嬰ハ短調 lento
第8番 Des-Dur 変二長調 六度
第9番 Ges-Dur 変ト長調 蝶々
第10番 h-moll 口短調 オクターヴ
第11番 a-moll イ短調 木枯
第12番 c-moll ハ短調 アルペッジョ

御挨拶

 去る8月スペインのセビリアで開催された、陸上競技世界選手権をテレビで見ましたが・身体の無駄のない動きの何と優雅なこと、すっかりみとれました。最も優雅にバランスのとれた人が・やはりよい成果をあげていました。音を出すという動作は、先づ弾きたい音が耳に聴こえていて出発するのですが、指先の鍵盤との接触が密なほど思った音が出せるのです。そして身体全体のコントロール如何で指先への繊細度が決まるのです。こんな簡単なことに長年たずさわっていますが、未だに開発の余地があるということは、うれしいような悲しいような...。
 前回のコンサートよりあっという間に2年がたちました。また皆様に聴いていただく今晩のリサイタルは、没後150年記念の年でもあるショパンを中心にプログラムを考えました。しばらくの間皆様とご一緒出来ますことこの上なく幸せに存じます。

Program Note

 バッハのトッカータはブリュッセルでデル・ブエイヨ先生のクラスで、友人の演奏を聞いたのがはじめての出会いでした。この曲の持つ新鮮さに、驚きひきつけられた思い出が強く、いつか一度弾きたいと思っていた曲です。
 この曲は前奏のあとアレグロで進み、ゆっくりのアダージョの中間部の中にフーガが入り最後は速めのフーガで終わります。ファンタジーと副題がついている版もあるくらい、自由に大きく一曲がまとまっています。
 この春、バッハの生誕地ドイツのアイゼナッハでコンチェルトを演奏した際、バッハの家を再度訪ねました。マーティン・ルターの住んだ家などあり歴史の中に糸時もどったような気がする古い町です。バッハの家(焼けたので再建してあるが)にはその時代の楽器がいろいろ展示してあり、オルガン・クラヴィコード・チェンバロなど演奏ねしてくれて音を味わうことも出来ました。
 ピアノで弾くバッハの作品は、いつ弾いても、何回弾いてもとても新鮮で、構成のすばらしさ、そしてお互いの音の組み合わせがいつもすてきなメロディーになっていることに、限りない魅力を感じます。

 学生の頃、プロコフィエフはトッカータ、ソナタ3番、8番、つかの間の幻影などを勉強し、プロコフィエフの音楽の性格を感じるということはしてきました。このソナタ第7番はプロコフィエフのオーケストラ曲”ロメオとジュリエット”を度々聴いたり、又は小品を知ったのち、今回思いきって私のとっては新しい分野に挑戦してみるのもよいと思いこの曲を決めた次第です。
 1楽章はいろいろなモティーフ(動機)が組み合わさって曲が構成され、独特の響きを作り出していくのですが、元来の調は全くないので暗譜するにあたりとまどってしまいました。なにしろ一音ずつの重要さははかりしれないのです。
 2楽章は熱情的にと副題がついているように、美しいテーマが大きく発展していきます。
 3楽章は性急に急激にと指示されており、一貫して8分の7拍子で曲が押し通されていきます。ピアノという楽器が持つ可能性を大いに引き出しています。プロコフィエフの音楽にはいつも大きな歩みがあり、その中で曲が自由にふくらんでいきます。

 私がまだ小学生の頃、父がアメリカ出張の土産に、その頃出たばかりのクラウディオ・アラウのショパンのエチュード全曲のレコードを買ってきてくれました。しかしショパンのエチュードを本格的に弾き始めたのは中学2年になってすぐの頃でした。
 一番はじめに弾いた曲はOp.25-Nr.2。今にして思えば、最もショパンらしい重みの全くない、香りのような曲でした。たくさんとなり合っている音を何でもないように弾く必要に迫られて苦労したように思い、良いスタートだったに違いないと思っています。
 その後、ショパンのエチュードとは、いつも一緒に暮らしてきた感じで、度々コンクールの予選にもありましたし、いつでも弾ける曲としてはもってこいの作品だったように思います。それで1997年冬、次の年にCD録音しようという大それた話がもちあがった時、これは得意だから大丈夫と大喜びしました。ところがいざ準備を初めてみると私の希望を全部満たすには、おそろしく沢山の時間と労力が必要ということが実感され、予定していた夏休み前には間に合わずやっと8月後半に2日かけて録音しました。
 ショパンのエチュードは、今までいろいろなピアニストがいろいろに弾いてきて、それがどれもすばらしいのです。ショパンの響きの柔軟さ、音楽の即興性、自由さのおかげだと思います。
 私は私自身の感じたエチュードを演奏したつもりです。今年春、ショパンのコンチェルト2番をチューリッヒで演奏した際、今まで気がつかなかったショパンの語り(言葉)が、一段と身近に感じられるようになりました。特に2楽章などオーケストラとの対話は弾く度になんとも幸せな気分になるのです。ショパンの音楽の普遍性を感じる一時でもあります。
 CDというものは、或る人の或る時点の記録にしか過ぎないのですが、それも私自身のその一時として大切にしていきたいと思っています。CD録音をすることによってピアニスト自身がもう一歩前へ進むことが出来ることは、とてもうれしいことです。