スイスに関する本の紹介 その一

 スイスについての入門の本としては、絶版になってしまい、今は図書館でしか読むことが出来なくなってしまった犬養道子女史の「私のスイス」(中公文庫)と新田次郎氏の「アルプスの村、アルプスの谷」(新潮文庫)が最高のガイド・ブックであります。
 この二冊の本は、いつも私と一緒に海を越え、スイスに行っています。
 何故?それは雨の日や夕食後のベランダでの夕涼みなどの時にゆっくりと反芻しながら読むのに大変適当であるからです。ザックの中に二冊の文庫本が入ったくらい大したことありません。
 犬養道子女史の本は、サースの谷、アローラの村、エッシネンの湖水からベルニナの山々、ゴムスの谷にツェルマット、そういった素晴らしい場所の紹介の合間に、スイスの歴史、政治、文化などについて、極めて完結に、そしてわかりやすく述べられていて、私にスイスを理解する基盤を作ってくれたと思っています。
 こういった所は、スイスに住んだこともある国際人としての女史の素晴らしい感性と構成力を感じさせます。
 この中のシルスについてやエッシネン、シンプロンなどのページを読んで、スイスに行きたくならない人なんてちょっと考えられないほど、優れた文章であります。

 もう一冊、新田次郎氏の「アルプスの村、アルプスの谷」は佐貫亦男氏とスイス・フランス・イタリアのアルプスを二ヶ月かけて巡った時の紀行文でありますが、スイスが何故みんなに美しいのかという疑問を、信州の山育ちの自らの体験を投影しながら解いていく、というかそれぞれの風物を単に描写したに留まらない一冊です。
 いつかブリアンソンからイタリア・アルプスを巡り、ルガーノからスイスに戻るという新田次郎氏のコースを辿って見たいと思っています。

 次は浦松佐美太郎氏の「たった一人の山」(文芸春秋社)であります。この古典的エッセイは、ヴェッターホルン山行の記録でありますが、絶版なので古本屋か図書館で探すしか方法がありませんが、ぜひ読んでおきたい本であります。
 今から五年ほど前、広島の古本屋で見つけて買った本は今や貴重な一冊となっています。(その時は350円でしたけどね)
 この本を読み、槇有恒(まきゆうこう)氏の「山行」を読めば、何故あれほどまでにグリンデルワルドが我々日本人に対して友好的なのか、理解できると思います。
 辻村伊助氏の「スイス日記」も決してはずせない名著であります。ジュネーヴからシャモニーに入り、レマン湖畔のモントルーへ。そしてローザンヌからベルナー・オーバーラントに至り、ユングフラウ登山をシュトウリ(恐らくエミールの父)等ガイドと登っています。
 コモ湖の記述やエンガディンについての記述もあり、セガンティーニ博物館についても書かれています。
 シュレックホルンなどの登山の記録と共に、遭難の記録も載っていて、こう言うと実に不謹慎ではありますが、大変面白い読み物となっています。
 大正時代の本ではありますが、(辻村伊助氏は関東大震災で亡くなっています)その頃からスイスはそう変わっていないのではないかと思わせられるほど、新鮮で面白い本ですよ。

 彼らと共に山行をしたスイスのアルペン・ガイドたちの本もあります。岡澤祐吉氏の「スイス山案内人の手帳より」という本とオレル・フュスリ社編岡澤祐吉訳の「スイスの山々〜SAC山案内人の体験談」(両方ともベースボール・マガジン社刊)がいいでしょうね。
 山岳ガイドというものの精神を実に瑞々しいタッチで伝えた本であると思います。この本の中にも浦松佐美太郎氏や槇有恒氏らの名前が出てきますし、松方三郎氏や秩父宮殿下の名も出てきます。この方々の誠実な友情の上に今日のグリンデルワルドとの友好の絆があることは、議論の余地がありませんね。

 スイスという国について書かれたものの中からは筑摩書房から出ている「700歳のスイス―アルプスの国の過去と今と未来」という宮下啓三氏の本がいいのではないでしょうか。
 アルプスの峠がどういう意味をもっていたのか、いかにして永世中立となったのか、そもそも中立とはどういうことなのか等々、実に興味深い本と言えましょう。

 スイスを旅する前にちょっと読んで見られてはいかがでしょう。あるいは一緒に海を渡って見られては?
 ちょっとした思い入れが一回の旅行を単なる見物の連続とは違った、文化との出会いとなって体験することが出来る、そんな旅になるかも知れません。