2003年 10月27日 津田ホールにおける
津田理子ピアノ・リサイタルを聞いて

 学校の帰り、大江戸線にて津田ホールに立ち寄り、スイス在住のピアニスト、津田理子さんのピアノ・リサイタルを聞く。ホールは八割の入りで、盛況であった。私はチケットを手に上手側の前の方の席に陣取る。
 最初のモーツァルトのイ短調のソナタから、個性的な津田さんの世界に引き込まれる。他の誰とも違う、ふくよかで、ピアノを充分に鳴らした、ドラマチックな演奏である。落ち着き払い、そしてスタインウェイのピアノを鳴らしきった彼女のピアニズムはプログラム最初から、私を異次元に連れ去ってしまった。第二楽章のふくよかな響きにうっとりとし、終楽章のなんとも不思議な切迫感は、スタンダードな解釈でありながらも、津田女史の独特の世界をも聞かせている。

 続くショパンの第三番のソナタはポリーニやリパッティなどの切れ味さわやかな演奏の対極にあるかのような演奏であった。第一楽章の冒頭。悲嘆を投げ捨てようとするかのようなロ短調のアルペジオのテーマを、強い音色ではなく、どこか柔らかで豊かな響きを持って歌う津田さんのピアノは、その後のドラマチックな展開を雄弁に語り進む。聞き進むうちにわかってきたこと。それはピアニスト津田理子の類い希なる美しく柔らかで豊かなピアノの響きと、伝統的でありながらも人からの受け売りでない、弾き手自身が考え抜いた末にこのフレージング、このアーティキュレーション、このディナーミクでなければならないという確信に満ちた解釈によって、この独特の世界が得られているということ。
 第三楽章の優しい感情が波のように何度も何度も高まっていくところなど、息をもつかせぬ圧倒的な流れであった。終楽章は多少緊張がとぎれてしまう瞬間があったが、やはり津田でなくては得られないものがある。これはピアニストとしての彼女の音楽への誠実さなのではないかとも思う。

 休憩をはさんで始まったのはジャン・フランセの「若い娘たちの五つの肖像」である。フランセがまだ20代であった頃にジャズの影響を受けながら書いたという作品で、この曲を津田理子さんが弾くとはちょっと意外だった。しかし、ヒナステラのピアノ全集で聞かせたポピュラー音楽的な表現に対する彼女の柔軟なリズム感は、ここでも極めて有効であった。
 フランセの極めて優れた自作自演のピアノの録音も残っており、この曲を弾くのは常に作曲者自身に比べられるというつらさを持っているのだが、津田理子の素直な解釈は作曲者自身の名演をも凌駕していた。これはぜひレコーディングするべきではないだろうか。作品は色んな人の手を経て、色んな解釈をそこに与えることで更に成長を続けるのだから。

 プログラムの最後はラヴェルの「夜のギャスパール」であった。ポリーニとアルゲリッチとミケランジェリに全くひけをとらない圧倒的な名演であった。デビューした頃によく取り上げていたと津田さん自身がプログラムに書かれてあったが、彼女の芸大の後輩にあたる青柳いづみこ女史の「水の音楽」という極めて興味深い一冊を津田さんが読まれて、久しぶりに取り上げる気になったというが、三十年近く、ステージで弾いていないとは私には全く思えない、隅々まで神経の行き届いた素晴らしい演奏であった。第一曲の「オンディーヌ」を極めて抒情的にそして悲劇的に弾いた後、不条理なまでの恐ろしい幻想ともいえる「断頭台」の鐘が不協和をいとわず鳴り続け、第三曲の「スカルボ」でのスケルツァンドな表現、ビアニズムの極限にまで至ったラヴェル渾身の音楽を、大きなスケールで描ききった津田理子女史の演奏は、この曲の実演でのベストワンであった。これ以上の演奏は考えられないと思ってしまいそうだった。
 来年には、ラヴェルとリストのレコーディングがあるそうだ。「夜のギャスパール」ではないかと密かに期待しているのだがどうだろう。

 津田理子は昨年のカーネギー・ホールでの成功で来年もニューヨーク・カーネギー・ホールでコンサートを行うようだ。三年になるチューリッヒでの津田理子の三日連続コンサートも、次第に反響が大きくなってきているようだ。
 彼女のような誠実で、着実に大家への道を歩んでいる人の演奏を聞くと、最近のJ-クラシックとか言って、薄っぺらなBGMのようなオリジナルとポップスのような語りで惹きつけようとしている傾向がいかに愚かなことか痛感する。売るためにはそうした努力も必要なのはよくわかるが、ルックスや雰囲気ではないのだ。彼らの本格的なレパートリーを聞いた時の切なさは、語るのも情けなくなる。
 地道な努力をスイスで行いながら、二年に一度のペースで日本に戻って、こうしてコンサートを開いている津田女史は、華やかな活動とかとは無縁の、地味すぎる存在かも知れないが、こうした本当の音楽家がいることに、我が国の音楽界の希望をつなぐものと私は思う。
 そんなことまで考えさせられた夜であった。素晴らしい夜であった。津田さん、感謝です。