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グリエルモ1世
Gugliermo T
シチリア王(1151-1166)
”悪王”と呼ばれた1世。何をやらかしたのやら。
そんな彼だったが、やはり勇猛なノルマン人の末裔である。戦争となると、王宮からドンと出てきて敵を蹴散らしてしまう。軍事的な才能に関しては、先祖の名に恥じない有能ぶりを発揮したのだった。
父ルッジェーロ2世が他界した直後、教皇・ビザンツ連合軍が王国内に浸入し、これに呼応して大規模な反乱が起きたことがある。軟弱なドラ息子が相手なら、たやすく倒せると踏んだのだろう。
ところが、部下の名将たちでさえ苦戦していたというのに、この軟弱なドラ息子が軍を指揮するようになると、戦況は一変。教皇・ビザンツ連合軍をあっという間に撃退してしまう。
そして、戦いが済むと、王宮の奥深くに姿を消してしまった。何とも得体の知れない王様であった。
グリエルモの悪い評判に関しては、宰相マイオーネに対する評価も影響している。
直接政治にタッチしない王の下、権勢を振るったのは宰相マイオーネだった。権力を握った宮廷役人というものは、古今東西、みな評判が悪いと相場が決まっている。どんなに善政を実行したとしても、役人風情で何様のつもりか、と言われるものだ。
マイオーネは、王国の他の有力者たちから妬まれ、ついに暗殺されてしまう。この暗殺事件は、反乱の呼び水にもなり、パレルモの王宮までが襲撃されるという深刻な事態となった。
そして、反乱の鎮圧と、過酷な刑罰をともなった粛正。
グリエルモには、こうした王宮内での血生臭い権力闘争のイメージがまとわりついているのである。
とは言っても、グリエルモは、父ルッジェーロから続く学問奨励路線を守った人でもある。
彼の時代には、学問に通じた宰相たちの手によって、プラトンやアリストテレスの著作がギリシャ語からラテン語に翻訳されている。
建築面では、離宮”Zisa”の建築に着手したくらいで、目立ったものはあまりない。けれど、無駄な公共事業をやらなかったという点では立派だったとも言える。
そして、グリエルモの印章は「アッラーに讃えあれ。アッラーの恩寵に感謝し奉らん。」というアラビア語だったと伝えられている。例によって、イスラムびいきだったのである。
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