民主法律時報 No.340 2000年9月29日 p.2-3

 本件は、11年間、派遣労働者としてある大手広告代理店の業務に従事してきた労働者が、2000年3月をもって派遣契約の打ち切り・解雇を示唆された事件について、職安を活用したねばり強い闘いの末、期間の定めのない直接雇用社員としての地位を勝ち取った事例である。詳細は労働者本人自身の記述に委ねるが、形式にとらわれず、実質的な労働関係に即した解決を図り得た点は画期的であり、違法派遣や偽装請負の問題処理についておおいに参考になる事件である。
          (弁護団は、渡辺和恵・村田浩治・河村学・田中史子)

 
派遣労働者が期間の定めのない直接雇用を勝ち取る  
            

泣き寝入りせずにたたかってよかった

  
Kさん(女性)

 私は、A広告代理店の関西支社に16年前、業務委嘱(直接雇用)として入社しました。

 当時、勤続年数の長い人から先に準社員になれる制度がありましたが、突然廃止され、Bサービスというグループ内の派遣会社に身分を移され、11年前に派遣社員として身分変更を余儀なくされました。その際の会社説明会で、「会社の都合により皆さんは派遣社員となりましたが、Bサービスの免許では関西では派遣業務が出来ないので、A広告代理店にて定年まで勤めることができます」と約束されました。以降11年間、正社員と仕事の内容が同じなのに待遇面ではかなりの格差はありました。しかし、仕事についてはやりがいのある仕事でしたので、会社に対して不満は一切言いませんでした。

 それが昨年の11月、突然A広告代理店の東京本社での派遣社員が60人も雇い止めになり、「支社も例外ではない」と社長が言っているとの噂を聞き、何度となく上司や支社長に答えを求めましたが、明確な答えがなく月日が経つだけの不安な日々が続きました。

 今まで特に気にしたこともなかったので、労働者の権利という事柄も不勉強で知識もなく困っていたところ、「弁護士・リストラ110番」という労働相談会があることを知り、藁をも掴む気持ちで電話しました。弁護士に、私の勤務経歴・仕事実態や契約内容を話すと、弁護士は法律的な労働者の権利や判例などを懇切に示しながら「A広告代理店に直接雇用されてしかるべき契約経緯・仕事実態・内容である」と説明、励まされました。その上で、「A広告代理店で働き続ける意思があるならきちんと会社に直接雇用を求めるべきだ」。同時に、「労務問題は労働組合が頼りになる。職場の労働組合に相談し組合員になった方が交渉力がある。」とアドバイスしていただきました。

 私は、意を強くして早速、支社長や人事の方に「A広告代理店による直接雇用」を申しいれま伸した。しかし、会社より何度か引響き延ばされた後、ようやく今年3月になって、半年間の派遣社員契約(業務内容は今までの正社員並みの業務内容とは異なる事務作業)。その後に業務委託。」という話がありました。人事は待遇面を一切明らかにせず、何年勤められるのかとの質問にも答えがころころ変るので、文書で契約内容を欲しいとお願いしましたが「出せない」と断られました。期待はずれの内容、一方的な態度に唖然となりました。

 そこで、弁護士と相談して内容証明付の要請書を提出しました。併せてA広告代理店労組にも相談しましたが、正社員のみが加盟資格との規約のため組合員にはなれませんでした。その為、個人加盟労組の「広告ユニオン関西」に加盟し、団体交渉を申し入れました。

 更に、弁護士と労組と共に、ハローワークにA広告代理店とBサービスを訴えました。、内容は、「Bサービスの免許では関西では派遣業務は出来ない、何年も継続派遣契約は違法である」ということ。他方では「何年にもわたる反復雇用は、実質正社員と同様に取り扱われるべき」との意見がありますし、最近の国会でも「継続している業務は正社員を採用するよう」指導することが付帯決議されています。その後、何度かの団体交渉の申し入れを断ってきた人事が、やっと4月末に交渉に応じました。しかし内容は「あくまでも業務委託としてしか会社は雇用契約は結べない」との回答、物別れに終わりました。

 一方、ハローワークはBサービスとA広告代理店に、東京と大阪のハローワークが連携して指導に何度か入り、違法を明らかにしようとして下さいました。団体交渉を平行して数回行っていましたが、A広告代理店の回答は一向に変らずにいましたが、ハローワークが7月末にBサービスに対して「行政指導に入ります。業務停止になります」と通達したとたん、労組に「地域嘱託社員にします。給料は正社員の8割程度ですが、定年まで働いていただけます。」との回答が8月4日に出てきました。

 私の勝利です。昨年の11月からの9ヵ月間長いたたかいでしたが、4人の弁護士の方々、広告ユニオンの方々、ハローワーク、会社の応援してくださったた正社員の方々、そしてA代理店に正社員として勤めていながら「会社は間違っていると思う。気の済むまでたたかえ」と言ってくれた夫。この沢山の方々が、私のために力を貸してくださったおかげで勝つことが出来ました。何度か途中で諦めかけましたが、皆さんの励ましでここまでこられて、本当に泣き寝入りせずたたかってよかった。
 10月1日から嘱託社員になれました。本当に有難うございました。



A広告代理店事件(K事件)

弁護士 河村  学   

 1 本事件は、大手広告代理店に派遣社員として就労を継続してきたK氏が、実質的な解雇の宣告を跳ね返し、当該広告代理店の直接雇用を勝ち取った事例である。

 2 紛争の経緯

 Kさんの就労の経緯は、本人の言葉によれば次のようなものであった(民主法律時報340号参照)。
 「私は、広告代理店であるA社の関西支社に16年前、業務委嘱(直接雇用)として入社しました。当時、勤続年数の長い人から先に準社員になれる制度がありましたが、突然廃止され、B社というグループ内の派遣会社に身分を移され、11年前に派遣社員として身分変更を余儀なくされました。その際の会社説明会で、「会社の都合により皆さんは派遣社員となりましたが、B社の免許では関西では派遣業務ができないので、A社にて定年まで勤めることができます」と約束されました。以降11年間、正社員と仕事の内容が同じなのに待遇面ではかなりの格差はありました。しかし、仕事についてはやりがいのある仕事でしたので、会社に対して不満は一切言いませんでした」
 このように、K氏は、A社の都合で、準社員登用慣行の廃止や派遣会社への転籍などが一方的に行われ、また、A社正社員と比べて半分以下の賃金であることをはじめ、差別された労働条件の下におかれながらも、仕事がしたいという思いで文句も言わず働いてきた。しかるに、A社は非情にも、K氏を他の短期の派遣社員と同列に扱い、2000年3月末に派遣契約を終了する旨の話をしてきたのである。
 しかも、その派遣会社であるB社は、A社の子会社で、かつ、関西に事業所はなく、就業状況の確認等の連絡は専らFAXのみで行うだけで、有給休暇の取得等もA社の職制に届けるなど、労働条件の決定に関する事柄はすべてK氏とA社との間でなされてきたのであり、B社の関与は全く名ばかりのものであった。

 3 闘いの内容

 K氏から相談を受けた派遣研究会では、すぐさま弁護団を結成し、また、K氏と広告ユニオンとをつないで、今後の方針を協議し、雇用継続を最重要課題として取り組むこととした。
 その後、弁護団から直接雇用を求める内容証明を送り、それと同時に派遣法違反で公共職業安定所への申告を行った。また、広告ユニオンへの加入通知と団交申入をA社に行った。このようなK氏の対応にA社はかなり驚いたようで、3月末の期限直前にようやく「2000年4月から6か月間は従前と同様の派遣社員として就労させ、その後は業務委託とする」との回答があった。
 対策会議では、この提案をのまなければ3月末の雇い止めもあり得るということで対応に苦慮したが、6か月の雇用約束というだけでは根本解決にならないことと、雇い止め(解雇)されてもいいから徹底的に闘いたいというK氏の熱意があったことから、あくまで直接雇用を求めていくことを確認した。
 その後、少なくとも6か月は暫定的に現在の状態で推移させるべきことをA社側に申し入れた後、東京の渋谷職安からも3月末に雇い止めをすることがないよう指導させ、4月以降は事実上就労を継続した。これに対しA社は9月30日で派遣契約を終了するとの記載を盛り込んだ雇用契約書への押印を迫ったり、従来認められてきた人事異動の際の説明会に参加させなかったりとの対応に出てきたが、弁護団はすぐさまこのような雇用契約書への押印は拒否する旨内容証明を送ると同時に、A社側の要請を無視して従前どおりの就労を継続した。そして、このような状態であったが4月分の賃金も従来通り支払われ、9月までの就労は事実上確かなものになった。
 その後、直用化交渉は難航し、7月に入ってもA社は「9月からは業務委託」という態度を変えようとしなかった。この間、弁護団では何度か大阪府労働局へ指導を出させるための交渉を行っていたが、暫定的な雇用状態の終期が近づくに及んで、地位確認訴訟の提起を準備するとの方針を立てた。
 ところが、7月末になって、急速A社から、直接雇用を認める旨の連絡が入った。その背景には、渋谷職安からB社への調査が入り、K氏の件を解決しなければ業務停止もあり得るとの厳しい指導があったようである。
 8月に入ってからは、具体的契約条件を詰め、結局、60歳定年まで働く嘱託社員として直接雇用を認める。賃金については、正社員の8割程度で、従来からすれば200万円程度のアップを認める。従来の就労期間については嘱託社員として経過換算する等の条件で合意することとなった。

 4 若干の感想

 本事件は、派遣労働者が長期に派遣先で働いてきた場合の解決方法として、現段階では最も望ましい形で決着ができた事例であると思われる。このような決着ができた要因は様々あるが、大きな要因として、解雇の危機に直面したK氏が、従前より仕事にやりがいを感じ生き生きと就労してきたこと、判断が難しい局面でも「解雇されてもいいから自分の考えが間違ってないということを認めさせて欲しい」と闘う姿勢を明確にし、かえって周囲を励ますという態度であったことは特に指摘しておきたいと思う。K氏は現在も従前の職場でバリバリと楽しく働いておられるようである。

 5 最後に(K氏自身の感想から)

 「私の勝利です。1999年の11月からの9か月間長いたたかいでしたが、4人の弁護士の方々、広告ユニオンの方々、ハローワーク、応援をしてくださったA社の正社員の方々、そしてA社の正社員として勤めていながら「会社は間違っていると思う。気の済むまでたたかえ』と言ってくれた夫。このたくさんの方々が、私のために力を貸してくださったおかげで勝つことができました。何度か途中で諦めかけましたが、みなさんの励ましでここまでこられて、本当に泣き寝入りせずたたかってよかった。2000年10月1日から、嘱託社員になれました。本当にありがとうございました。」

民主法律244号(2001年2月) p.183-185


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Last update: Oct. 6 2000