旅行記 沖縄です。3回行きましたが、最近の2回について書きました。

2003年

沖縄へいった     
5月8日朝6時起床で、6時40分には家を出た。かみさんのパルサーは順調だ。100kmをついつい超してしまう。一部雨模様で80km制限だ。いつもの習慣で高速を朝走るとお腹が弱い。新城SAでゆっくりトイレ休憩だ。掃除していると大変だが、掃除時間を免れて落ち着いて洋式でできた。ラッキーだ。高速は事故も渋滞もなく順調で、8時過ぎには小牧ICを降りた。国道沿いで20分ほど走ると豊場南にでる。八千代無線を曲がり、駐車場につく。1日1000円と安いの最近はここを利用している。名古屋空港には9時前に着いてしまった。人も多いわけではない。手持ちぶさたで、しょうがなく搭乗券を購入することにした。JTBのクーポンで券があるので、係員に連れられて、機械で搭乗手続きをした。タッチパネルで、2名とか入れると、その飛行機の座席まで表示される。そこで空席の中から希望の席を選んだ。3席と3席なので空いている、通路側を選んだ。窓側は空いていたと思う。そこから後ろは少し空いていた。自分で選べることは嬉しい。その後時間つぶしで、ソファーで寝ていた。9時10分頃にゲートに向かった。金属検知器も通過した。ゲート前の椅子で寝ていた。最後のトイレをする。緊張で少ししかでない。9時50分に搭乗案内開始で自動のゲートを通過する。雨混じりのなかでバスでANA飛行機までいく。飛行機は比較的空いていた。新聞を取りシートベルトをしっかりしめた。雨で揺れることが予想されますと初めから放送があった。覚悟した。那覇は晴れに近い曇りで大丈夫だろう。離陸は機体の故障以外は事故はないはずだ。10時15分頃には離陸した。厚い雲と雨の中で、多少揺れながら上昇し水平飛行では青空だった。2時間近く飛び、12時過ぎに那覇空港に着いた。曇りで晴れ間ありで、着陸は良好だった。那覇は暑かった。安心してトイレへいく。脱水にしていたが、膀胱は大量の尿をため込んでいた。荷物はすぐに出てきた。2人で小さなスーツケース1個だ。到着口を出て、案内の紙を見てレンターカーの案内を探すと目の前だ。ただ昼飯を食べようか探したが1階には小さな店が一つだけだ。仕方なくトヨタレンタを探す。カウンターで出口の方へ行くように言われた。旗や案内板を持った女性はいた。今日の予約リストの紙を持ち、無線らしい物を持っていた。名前はあった。不思議なものだ。浜北のJTBで入力したデーターが、ここまできている。トヨタレンターは空いていた。8分ほど待って、マイクロバスで店まで案内された。空港からでて町並みは始まる最初の交差点にレンタカーの店が並んでいた。モノレールの軌道や車体が見えた。今年12月に開通するようだ。レンタカー店では免許証をコピーされ、「ガソリンは満タンにしなくていいプランです」といわれ嬉しかった。もう一組は満タン返しだった。多分こちらの料金は高く設定されているのだろう。5分ほどで車に案内された。
新車のヴィッツだった。初めてなのでボディー周りを確認したときは緊張した。こするとどうなのかな?また初めてのカーナビの説明を受けたが、やってみるしかないですね。これからホテルへ行くといったら、設定してくれた。やたらキーを押した、全国版だ。沖縄なら島だから沖縄だけでもいいだろうと思った。まあ特別作ることはもっと面倒かもしれない。ヴィッツの中は広い。そしてスパシオと同じ椅子式のシートだ。インパネが中央に設置される電子式のデジメーターだ。運転席から視認はよいが、助手席からは全く見えない。動き出した。国道58号線を進めばラグナホテルにつく。道は3車線だ、天気はよくなった。カーナビの言うとおり進むと20分くらいでホテルに着いた。13時半ころだ。ANAのラグナホテルは那覇に近く立派なホテルだ。駐車場は前に空いていたので適当に停めた。心身医学会の抄録を持った医者が暑いのにスーツ姿で歩いていた。ホテルの受付で、どうも少しもたついた。クーポンに9日しか書いてなかったので、不安が高まっていた。結局新館の部屋に案内された。宜野湾球場が見える、広々した部屋だった。沖縄リゾートホテルは部屋が広く、安い。疲れたが、心身医学学会場へ登録へ行くことにいた。すぐ横に見えるが歩くと遠かった。しかも蒸し暑い。国際コンベンショナルホールは大きい。登録して抄録も購入した。15000円と2000円だ。ホテルは安いが、学会費は安くない。会場をみたが、疲れているので、会場内のレストランで「ソーキそば」の昼飯をとった。ここも会員の皆さんでした。名古屋大学精神科を辞めたばかりのS先生もいた。帰ろうとすると空に黒い雲が見える。雨が降りそうだった。急いで帰った。途中でポツポツ降り出した。ホテルに着いて少し休んだ。かみさんは元気で、夕食を心配しだした。ホテルの食事で「島唄」でネーネーズみようかと思ったが、北谷の施設もチェックすることにした。空は曇りに晴れ間が見える。国道58号を北上した店舗がつづく、コンビニもある。全国組織のtutayaなどをみると不思議な感じにおそわれる。ナビを頼りにいくとサンセットビーチを通り過ぎた、どうもここらがアメリカンビレッジらしい戻ることにした。観覧車があり店舗が並び、映画館やジャスコがあった。駐車場も大きなものがあり、共有らしい。グルグル2,3回回った。正直疲れて眠いのだ。ハンビ通りで帰ることにした。16時にはホテルについた。17時に携帯が鳴り久田先生がホテルに来た。「じゃらん」を持っていて観光スポットが書いてあった。明日このスポットをチェックした女の子(29歳)と夕食食べましょうというのでOKした。明日も19時頃に迎えに来ますということだった。かみさんは土産の「うなぎパイ」を渡す。18時には北谷へ夕食を食べるため出発した。一回みているので簡単だ。ジャスコ前の駐車場へ入れた。フラフラ歩いているうちに日が暮れだした。りんけんバンドの「カーラハイ」もあった。ティンク・ティンクの唄があるが時間が合わない。どうも適当な店が見つからないし、自分の腹具合がハッキリしない。ふたりは険悪なムードになるので、地球食堂に入る。セットの食事で少ないかなと思ったが、沖縄は少しアメリカで一つ一つが大盛りだった。運転なので酒ではなくシークァーサー・ジュースを飲む。若者が多かった。外は暗くなり照明が輝いている。一人4000円ほどで済んだ。その後「カラーハイ」へ行くがもうステージが終わりかけだ。店の前でも音楽が聞こえる、記念写真をとる。ジャスコに寄って、1900円の海水パンツを買う。かみさんも水着を見ていたが断念した。ホテルに帰り風呂に入り、「あなた人生運びます」をみて寝た。

ヴィッツ 北谷 ラグナホテル 沖縄記念公園 ジンベイザメ

花人逢 今帰仁城跡 平和記念館 浜辺の茶屋 南の喜屋岬

5月9日は所々雲が見えるが晴れだ。朝起きてホテルの洋食バイキングだ。スクランブル・エッグとベーコン、トマト・ジュースが大好きだ。パンはメープル・シロップのホットケーキだ。おいしい。食べ過ぎるのは困りものだ。やはり学会の先生が多い。金沢医大のK先生もいた。食後外を歩く、室外プールと4名ほど泳いでいる室内プールがあった。今日は水族館を中心に北部へ行く。まず高速にはいる、ナビは便利だ。沖縄の高速は空いているしのんびり走っている。ヴィッツは坂道になると全くスピードが出ない、アクセルを踏んでもスピードを落ちていく。のんびり景色を見ながらいく。地名の読み方が変わっている、終点許田までは30分くらいだ。そこから再び国道58号で名護市内を抜ける、ナビも順調で国道449号に入った。さすがにここではダンプが多く、工事中もあった。海岸沿いに走ると瀬底島が見える。そして沖縄記念公園(入場無料)には10時10分に着く。日差しがきつくなって暑い、日焼けどめクリームをしっかり塗った。2年前と違い水族館が新しく大きかった。入場券も自動販売で入場も自動改札口だ。順路に従って進む。サンゴの水槽があり、マンタとジンベイザメの最大級の水槽がある。のんびり見ていた、意味もなくデジカメで写真を撮った。ジンベイザメが2匹すれ違ったときは感動する。またマンタが2匹ぶつかりそうになり、急に立ち泳ぎになったときも驚いたが、デジカメではもちろん撮れない。その後は2年前もあった個別の水槽でさまざまな種類をみた。丁度歩くのにいい。売店で2年前も買ったネクタイを2本買った。かみさんも買っていた。出てエメラルドビーチをみるが誰も泳いでいない。伊江島が近くに見える。海はきれいなエメラルド・ブルーだ。古い水族館の建物が残っていた。海亀とマナティーの水槽を見る。マナティーはキャベツ?の食事中であった。たくさん食べるが草食らしい。イルカショーは2年前みたので省略した。駐車場までは登りを頑張った。12時を回っていたので、昼飯の「花人逢」を目指した。これは「るるぶ」にも載っていない。ナビに道もない。もちろん迷った。しかし小さな標識をみつけそれに従っていく。細い山道を登る。対向車も2台ほど逢う、すれ違いは譲り合いだ。山の頂上近くに突然10台近くの車が駐車している。驚いた。満席で5分ほど待っていた。昔の民家に手を入れた店である。ピザ屋には見えない、若者向けなのだろうか眺めは良く海から山を登る風が通っていた。ピザは中を注文した(大きさが分からないのは困る)。10分ほど過ぎるときた。大きなピザだ。頑張って二人で完食した。満腹だ。後から少し空きだした。14時に車にのり、次の今帰仁城跡を目指す。当然道に迷うが偶然115号線に入れた、動物的な直感だ。雲だ出だした。途中新しい道路も出来ていた。城跡は標識もあり、簡単に見つけられた。入場料を払い石の組まれた城壁の中を歩く。確かに写真でみる万里の長城に似ている。高台から海まで見通せる。一部は改修工事をしている、石に番号が付けられていた。城壁を全部歩けないが、結構不思議な気分に浸れた。鳥居はどうも日本に支配されたときに何でも神道で作られた物で、今回撤去する予定で異様だった。

2001年 

沖縄旅行記

2001/11/08        
朝当直明けで8時30分家につき最終準備をする。早いかなと思いながら9時半に出発する。小型スーツケースと肩下げバックをもつ。パルサーで車で名古屋空港へ向かう。出発時間が決まっているので緊張気味である。11時頃には小牧につく。野球のイチロー選手の家の近くを見ながら、昼飯をスパゲティ、そして駐車場へ。そこから空港へ送ってもらう。12時半には着く。旅行社のデスク前に人はいないので、到着ゲートの椅子で座る。13時半にいくとすぐにチケット手配してくれた。各自受付をして、出発ゲートへむかう。セキュリティ・チェックも簡単でした。14時にJALの沖縄発があり、14時15分から全日空飛行機に乗り込んだ。767でまずまず乗っていた。曇り空なので、雲を上昇するあいだ揺れた。定刻の16時40分頃には那覇につく、海のうえを傾きながら低空になると、海と陸との間に那覇空港があった。風で少しふらついたが着陸した。沖縄は暑かった。もちろん名古屋が寒いからだ。到着ロビーに琉球衣装の人がいて、沖縄だと思っていたら、この人が我々のツアーのお出迎えの人でした。しかもこの便には我々夫婦2名だけでした。なかば催促されて記念写真を撮った。タクシーで那覇のホテルへいく。甲状腺学会の会場ハバービューホテルへいく。ジーンズは小生一人であった。スーツ姿のペコペコ挨拶している間を抜けて受け付けする。8000円で参加証をもらう。認定医の記入の用紙はなかった。そこから待ち合わせたタクシーに再び乗り、「かりゆし琉球ホテル那覇」につく。少し昔風の琉装の受付嬢がいた。部屋は和室であった。不思議な感じだった。当直明けから車で名古屋、それから飛行機で那覇ということで一休み。
17時半にH先生に電話すると19時にホテルへいくという。それでは二人で少し国際通りまで歩いた。Tシャツを買い、かりゆしウェア(アロハ?)を買った。早速着てみる。折角だからこのまま着ることにした。ホテルに戻ると19時前なのにH先生がいた。タクシーで「うりずん」へいく、沖縄料理を堪能した。泡盛ものんだ。H先生は物足りないが22時には疲労したので終了とした。年取ったが昔と一緒である。沖縄の話や昔の話を楽しんだ。H先生はユタという地域の霊能者の素質があると自慢していた。ホテルには大浴場もあるが疲れていたので、部屋のバスでシャワーした。


2001/11/09
朝なんとか起きて、朝食バイキングですます。韓国系のひとが多かった。そしてパッケージして8時30分にロビーにいると、ここで初めてツアーのメンバーが揃った。11名だった。沖縄出身の茨城の夫婦、横浜の物静かな父子、熊本の銀婚の夫婦、年老いた母と娘2人の集団だった。バスは大型で、添乗員小山内さん、バスガイド石川さん、運転手あかさんで、晴れた沖縄をまわる。守礼の門、首里城である。20年前は工事していたが、今は大体完成していた。青い空に赤い建物が生えた。右が日本風、左が中国風の建物になっていた。内部は資料館になっていた。「もてなし」の国、平和外交で中国ー日本の2つの国からうまく独立していた琉球王国の象徴である。高くなっていて那覇の町を一望できた。
それから高速道路にのり、一路名護へ向かった。これも以前にはなかった。1時間もしないでついた。北部は木が多く、パインとサトウキビ畑である。ツアーおきまりの「森のガラス館」へいく、オレンジの美しいぐい呑みを高いが2000円で買う。ほかに文鎮かわりのガラスを800円で買う。これもオレンジ赤が美しい。
すぐ近くの「やんばる亜熱帯園」で植物をみて、昼食である。我々だけがビールをのんだ。石焼きの菜めしである。意外と満腹である。のれんを2800円で買ってしまう。紅型じゃないと思うが、典型的沖縄模様である。そういえば、昔沖縄ののれんをかけていた。20年前の土産だった。かみさんはネックレスを買う。昔は買わなかったのに最近買いたがるのである。まだ安いものしか買わないので許せるが、そのうち高いものを買い出すかもしれない。
次は海洋記念公園である。ここは昔海洋博があり、20年前も行ったことがある。定番のイルカショー、水族館、エメラルド浜をみた。海は緑と青の美しい色で、絶対本土にはないものだ。サンゴの石をひらう。かなり歩いた。青空なのでボーとしていると最高だ。そこから、バスで万座毛へいく。象の顔をした絶壁をみる。若いアベックがずーと抱き合っていた。なんだこりゃ。ガジュマルの木もたくさん生えていた。土産物屋が並んでいる。
残波岬ロイヤルホテルには17時につく。立派なリゾートホテルである。部屋も広いし、きれいだ。海の見える11階は素晴らしい。バスも少し狭いが良好である。夕食がついているので、あわてて18時に中華店にいくが、19時の帰るまで3組だった。コースを食べると腹周りがきつくなってきた。おいしい! 夕食後たくさんある土産物屋で目の保養をした。ホタル石、ガラスだが細工で青藍色に色々な模様が光る。3000円できれいなものがあった。ゴーヤマンを700円でかう。かみさんはちいさなシーサが描かれた壁飾りを800円でかう。20時30分から琉球舞踊ショーがあった。酔っぱらいがいて、21時前に引き上げる。シャワーを浴び、「恋い休み」をみて静かに寝る。


2001/11/10
今日も晴れ。朝食はホテルでバイキングである。ジュースとコーヒーがおいしい。窓からきれいな海がみえた。8時30分昨日と同じバスとスタッフと出発である。すぐに「むら咲きむら」につく。ここはNHKの大河ドラマ「琉球の風?」のセットをそのまま残し、体験村にした。シーサーの色付けをする。かみさんは赤、小生は緑である。お手本通りに塗る。下手でいいのだ。大分の旦那さんが色つかい多彩に塗り上げたので、小生も塗った。オーバーデコレションになるのが恐いが、まずまずの出来上がりである。色数も5種である。すっきりできた。かみさんは少し塗りすぎかもしれないがきれいにできた。そのあと海岸に行き、白いサンゴの砂、緑の海をみた。あわててバスに帰った。次に座喜味城址にいく、空が曇りかけてきた。子供たちが清掃遠足に来ていた。観光のためか「こんにちは」「おだいじに」と声を掛けてくれる。後でH先生はそのように教育していると言っていた。気持ちよい物である。石垣たけだが高台にあり、眺めはよい。電信用の円筒形の電線装置も見えた。ホテルもみえた。少し黒い雲から雨粒が落ちてきた。
次はコザ中央アベニューをみた。アメリカ風の店が並んでいた。変わったアジアショップもあった。何でも100円のアウトレット店もあった。嘉手納基地がみえるサンパウロの丘へいった。単なるただの土盛りである。警察車両とカメラマンがカメラを車から突きだしたまま座っている姿が珍しかった。基地は変わらないが、戦闘機ではなく一般の飛行機が次々と着陸してきた。米軍関係者は普通の飛行機で嘉手納基地に着陸する。プラザハウスで完全にアメリカ風のショッピングコーナーの中華料理店で昼食である。いつものビールを飲む。おいしい。土産物屋でかみさんはサンゴのネックレスを子供たちに3個買った。
それから中部を横断して太平洋岸にでた。海中道路と橋をわたり浜比嘉島にまでいった。沖縄本島の近くにも多くの島が点在している。道路や橋ができて便利になったが、住民数は減り過疎がすすんだ。もちろんできなかったらもっとひどかったかもしれない。バス再び国道58にもどり、北谷村から浦添市から那覇市まで町並みが続いた。浦添総合病院はみえなかった。ホテルには16時30分に着いた。小休止して国際通りへいくことになった。
国際通りは土曜日でにぎわっていた。三越から市場通りへいき、公設市場もみた。サンゴのブローチが3000円が800円なので買ってしまった。もう土産や日用品がたくさん安くあった。びっくりである。金沢の近江町市場よりすごかった。そのままにしてあるのが素晴らしい。H先生に電話して、通りに面している照屋時計店の横の「会津」を探すことにした。しかしみつからない。交番に聞いたが、照屋時計店はない。山城時計店だということになった。探すと香港飯店の横に見つかった。しかし会津がない。店屋さんや案内板の所には看板がない。K先生から電話があり、香港飯店まで来たというので、合流して探すがない。酒屋にきくと、少し離れた川沿いのホテル「まきし」の地下にあった。しかし客は誰もいない。とりあえずそこでビールをのんだ。H先生から電話があったが、先生も移転していることを知らなかった。遅れて19時過ぎに揃った「うっちん茶」でのむと泡盛も悪酔いしないということで、飲みだした。K先生は血糖が200になりびっくりして食事と運動を毎日1時間ほど続けている。禁煙もしている。体重は20kg近く減り、75kgまでなった。確かに全体が小さくなった感じである。髪も少なく白髪であった。20時30分過ぎにK先生の奥さんも参加すると、奥さんは堂々たるもので、しゃべりも断定的な言葉が多い。K先生はすっかり大人しく無口になった。奥さんから小生がよくこのメンバーと続けられるね、と不思議がられた。7年上の先輩だが同等にタメ口で喋っている。なるほどと納得した。23時まで喋ると疲れ、次に行く元気なく、ホテルに戻った。シャワーを浴びて寝た。疲れたが楽しかった。昔と一緒だ。


2001/11/11
朝少し頭痛と疲労を感じて、朝食を取る。日航ホテルも外観に比べると今ひとつである。残波岬ロイアルがよすぎたためだ。8時40分に集合メンバーは9名になった。今日は南部である。町並みが切れると、岩が剥き出しの枯れた感じの風景になった。玉泉洞王国村へいく。鍾乳洞があった。始めに広い洞窟があったが、後は同じ様な鍾乳洞が続いた。竜が洞よりは広いが、残念だが今ひとつ単調であった。出てくると昔の民家を移転して、沖縄の工芸を展示してある。地ビールを飲み、ここで久田先生に勧められた「うっちん粒」を買う。春うこん粒である。小さなポケットタイプで800円と高めであった。
次はバスで数分の沖縄戦の摩文仁丘と平和の礎へいった。ここは広かった。各県各国の犠牲者の名前を刻んだ碑が並んでいた。空は曇り。碑の灰色と馴染んでしまった。クリントン大統領も献花した平和の礎をみた。すぐ海がみえた。帰りに宗教団体が奉納会を開いて、沖縄のエイサ踊りをやっていたので少し見た。平和記念館も興味があったが、時間がなかった。バスはまた数分走り「ひめゆりの塔」につく。土産物屋は多いが、塔は小さい。自然の洞窟である。そこに小さな塔があった。最初は個人が作ったらしい。それに賛同して、記念館などができた。洞窟は深そうだった。アフガンでもビンラデンはこんな洞窟にいるのかと思った。記念館は綺麗で、整理された展示であった。ひめゆり隊の一人一人のプロフィルを紹介することで十分戦争の悲劇が伝わる。かみさんも泣いた。ただ医師はどうだったのか?同業として興味があった。医師そのものがいなかったのか?記載は一人だけだったようだ。
沖縄見物も終わり那覇空港に向けて走り出した。ガイドの石川さんは3日間熱く沖縄を語ってくれた。日焼けした顔とたくましさは素晴らしい。9名しかいないのに変わらず仕事してくれた。お別れして空港でソウキそばを食べた、豚の角煮がはいっている。検問が丁寧なのでゲートへいくのに列が長かった。早めに着いたので十分だった。熊本行きが定刻過ぎているのに、乗客が金属探知器を通過していない客がいて、横はいりされてしまった。14時20分出発した。16時50分に名古屋についた。込み合っていた。寒かった。駐車場に電話して、迎えに来て貰い同乗していく。暗くなりかけてパルサーで高速目指した。迷うことなく、高速に乗り、18時20分浜名湖SAにつく。豚汁定食を食べて19時15分家に着いた。疲れた。
沖縄は近い。14時には沖縄なのに、19時には家にいた。