Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI

2000年9月1日〜3日。人がいいガイド、マデを慰める。

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9月1日(金)ウブド滞在中。ワルンでサラックをもらう。

人がよすぎるマデ。

ガイドのマデと最初に会ったのはこのときだったと思う。テラスに出たら、知らない男が、日本語で挨拶してきた。少し話をしていると、K氏に呼ばれて来たそうだが、まだ起きてこないのだそうだ。もう約束の時間は過ぎているのだから呼べばいいのに。

ガイドもするドライバーで車も持っているというので、車を見せてもらう。三菱の緑のワゴン車。まだきれいなものだ。ちょうどいいので、まずキンタマーニまで送ってもらえるか聞く。途中グヌン・カウィとティルタ・エンプルに寄りたいのだが。「15万ルピア」と安い。もうひとつ、ブサキと東海岸へ行ってもらえるか、と聞くと「もちろん」という。値段を聞いたら少し考えて「30万ルピア」と言った。10時間拘束の1日ツアーで、距離を考えるとかなり安い。しかし、すでに言い値でOKできない性分になってしまっていた私が試みに「25万ルピア」と言うと、あっさり「いいですよー」と答えた。

私はまだこの時、マデのことをよく知らなかったのだ。

マデにルートとどこを観るかを伝える。私のいうポイントを、ことごとくマデは知っていた。ガイドとしても有能そうだし、K氏の友だちらしいので、お嬢様にも会ってもらって、お願いすることにし、名刺をもらう。

マデはさらに待つつもりらしい。しょうがないので、かわりにK氏を外から呼ぶ。やっと起きたらしい。

「お客さんですよ。マデが来てます!」
「おお、マデか」

あとでK氏に聞けば、バリ人とは思えないくらい時間には絶対遅れず、約束を守るまじめな男だそうだ。朝早い約束でも、少なくとも30分前、たいていは1時間以上前に来て待っているという。しかし、来ても様子を見るだけで声をかけないので、今日みたいに「どうして起こしてくれないんだー」ということになるらしい。友だちになると、お金を請求しなくなるらしく、無理にポケットに相場の代金を押し付けないといけない、とか。もしかしたら、すごくいいドライバーと知り合ったのかもしれない。

帰国便問題で作戦を展開。

WARTELに行き、シンガポール航空とやっとコンタクトが取れる。で、15日から19日まですべての成田行き(1日3便ある)が満席だということが判明。航空券のコピーと希望条件をあとでファックスすることに。

ついで<カプチーノ>でインターネットにつなぐ。しかし、前回はあんなにスムーズだったのに今度は苦戦、アクセスポイントをメダンやスラバヤやバンドンに変えて試す。結局は回線が「busy」ということらしい。45通の受信、4通の送信のために10回以上トライし、再起動までやり、つながったのが2回、うち1回は6分で切れた。ふうう。

宿に戻ったのは11時を過ぎていたが、ワヤンにわがままを言って朝食を作ってもらう。食べてシャワー浴びて昼寝・・・しているうちに大切なことを思い出す。今日は金曜日なので、今日中にシンガポール航空にファックスを送る必要があるのだ。しかも、この宿にはファックスはおろか電話もない。部屋に電話がないのではなく、フロント(といえるのかあそこが?)にも家にも電話がないのだ。作戦を考える必要があった。ティンクリックの先生が来たらどうしよう、と思いつつも出かける。

まずWARTELに行って、5日から8日までバトゥール湖畔に泊まる3泊分のホテルを予約する。これで5日以降のファックス受け取り番号を確保する。次に航空券のコピーをしに行く。賢い娘で、ちゃんと1枚に3通つづけてコピーしてくれた。そのあと、<カプチーノ>に行ってファックスの送受信サービスの料金を確認する。ウブドにいるあいだは、ここにファックスを送ってもらい、毎日黒板に名前があるかどうか見に来るわけである。ここで非常に珍しくもあったアイス・コーヒーを飲みながらファックスの文面を書いて、航空券のコピーと合わせて2ページをデンパサールへ送信してもらう。「予約状況が変わったらここにファックスしてくれ・・・」ということだ。

というわけで1時半には宿に戻った。リンダに「絵の写真を撮ってくれ」と頼まれる。いま書いている本のためのマンダラのようなもので、リンダがデザインしてウブドの画家に描いてもらったそうだが、その第2ヴァージョンを描いてもらうにあたり、第1ヴァージョンのデジタル画像を友人にphotoshopで加工してもらって「こういうデザインにしたい」と見せたいのだそうだ。

もちろんカンタンだが、このカメラの画質でいいのか、印刷には適さないよ、と念を押す。そのへんはわかっているようだったので、もちろんOKし、さっそく撮影する。

部屋で休んでいたらリンダが果物をくれた。ギャラの代わりかもしれない。

白鷺が飛ぶ村。

5時、白鷺が群れをなして飛ぶというペトゥルへと自転車で出発。プリアタンの交差点を北上。左への分岐でお嬢様に道を聞いていただく。1回目のバリ旅行のあと、芦屋でネイティブにインドネシア語を習われたそうで、私はすっかり頼っているのだが、なぜか時々日本語のようなものが混じっていたりする。

入村料のようなお布施を払うと、その通りのあたりに群れがやって来るらしかったが、まだ時間が早いようだ。水田の向こうにわざわざViewHouseという飲み物も頼めるような施設があるのだが「きっとお金取られるから」と、まさにこれぞ本来のワルン、という店で瓶入り紅茶1500ルピア(約20円)を飲むお嬢様である。

ワルンは雑貨店というか屋台というか、飲み物・果物・石けん・ろうそく・蚊取り線香・スナック・ラーメンその他もろもろを売っているのだが、ここにはウブドにあるワルンのような都会的というか垢抜けたようなところが少しもなく、コーラやファンタの瓶は堂々と埃をかぶっていて、もちろん冷蔵庫はない。瓶入り紅茶も、おばさんが丁寧に埃を布で拭ってくれて栓を開けて出してくれる。なにやらすまながっていたのは「冷えていなくてごめんね」ということだった。

ここのベンチに腰掛けて水田を見ていると、すーっと風が通り抜けていった。少しだが白鷺も姿を現しはじめていた。

おばさんがサラックという果物をくれた。ごつい皮を剥くと大きいにんにくのような形の果肉が出てきた。思い切ってかじると甘酸っぱく、ほんの少しザラッという渋みがあった。歯触りはガリッという堅さなのに、舌には甘い。振り返ると、おばさんとおじさんと子どもたちがニコニコしていた。

白鷺が群をなして飛んで来た。水田のあぜ道で見ているとちょうど頭上を南から北へ飛んでいく。

道では犬と鶏と人間がざわめいていた。闘鶏が近いらしく、男たちが鶏を持ち寄って自慢しあっていた(のだと思う。聞かなかったけど)。

日が暮れかかるころ、南へと自転車を飛ばした。長く緩い下りは快感だ。途中、スーパー<デルタ・デワタ>に寄って買い物をしていく。あたりはもう暗くなっていた。プリアタンのカフェに向かっていたとき、お嬢様の自転車からパラパラと買い物が落下した。私は前輪をロックして後輪を右にスライドさせながら横向きに急停車した。うしろの車をブロックして買い物が轢かれるのを防ぐ。しばらく後続の車に止まってもらい、すばやく買い物を拾い集めて路肩に寄った。

なんとスーパーの袋は600ml程度のミネラルウォーターの重みに耐えられずに破れていた。さすがバリである。

9月2日(土)ウブド滞在中。マデ、元気を出して。

サロンとTシャツ。

眠れないので市場へ。Homestayの娘さんのひとりに会う。急に腕を引かれてびっくりした。サロンを買う。4万5000が3万5000までしか下がらず、Tシャツも合わせて6万ルピア(約780円)にしてもらう。初めてにしては上等か。ハノマンあたりの店よりは安いが。

インスタントラーメンをカップに入れてお湯を注ぐ。鍋も火もないので。さすがに登山ではないのでコンロは持ってきていないし、台所を借りるようなものではないし。しかし、よく考えればカップラーメンを買えば苦労することはなかったような気もする。

で、6分待っても麺はほぐれただけで堅く、スープは唐辛子を全部入れたので真っ赤に辛いのであった。ひいい。

ティンクリックの先生は「サブちゃん」。

突然、ティンクリックの先生がやって来た。ニョマン・スラタ、通称サブちゃん。ニョマンは三番目の子につけられる名前だから、日本人の生徒にそう呼ばれているらしい。これからお寺の祭事の手伝いがあるそうだが、午後ならレッスンを始めてもいいということで、さっそく今日の2時からお願いする。1時間で3万5000ルピア。とりあえず、相場らしい。というか、先生に向かって値切るということはなかなかしにくいものである。これから長時間つきあってもらうわけだし。で、場所はやっぱりサッカー場脇の<ポンドック・ペカック・ライブラリー>だそうだ。

実はまだ朝の8時である。テラスでメールを書いて、いったんPowerBookを充電する。ワヤンに今晩のグヌン・サリの公演のチケットを頼む。リンダがテラスにやってきて話をかわす。音楽の趣味がけっこう似ていることに驚く。ウェザー・リポート、アルディ・メオラ、チャーリー・ヘイドンなどなど。

K氏と立ち話。アムステルダムのコーヒーショップやらApotikで買えるビタミン剤やら『Balinese Music』(英語)という本やらとなりの通りにあるサッカーショップでイングランドや各クラブのレプリカ・ユニフォームを3万5000ルピア(約460円)で買えるとか、いろいろ教えてもらう。もう今日帰国するそうで、手製の行灯をもらう。

マンディと洗濯のあと、ティンクリックの初練習へ。行く途中、<ガネシャ>で『Balinese Music』を探してもらって買う。ティンクリックの練習場所には、<ライブラリー>というだけあって、充実した図書室があって貸し出ししてくれるらしい。

いつも右手はシンコペーション。

ニョマン先生に基本を習う。ということは全くなく、いきなり1曲目である。右手はリズムをキープし、左手がメロディ。それはいいが、右手のリズムは全部シンコペーションである。左手は四つ打ち、右手が同じシンコペーションをキープ、テーマ間のブリッジとイントロとコーダは両手で同じリズムでメロディを叩く、というのが、この初歩の初歩であろう第1曲の中身であった。

しかし、この第1回目では2時間を費やしても1曲目の最後まで行かなかったのだ。というか、右手と左手がもつれて訳がわからない。高校の音楽の先生に「右手で4拍子、左手で3拍子」というのをやらされて以来のもつれ方である。なんで、こんなことを同じ人類がやれるのだろう?

しかし、案ずるより・・・と古人が言った通り、やればいつかはできるのだ。ある瞬間に突然悟りを会得するようにできてしまった。そのうち、左手でメロディも弾けるようになり、自信がつくと叩き方も力強くなって、そうかこういうものかおれってけっこうできるかも、などと鼻を高くしていたら、実はだんだんむずかしくなってまた右手と左手がもつれだすのであった。


これがティンクリック。
「竹琴」とも訳される。

となりでは少女たちが踊りを練習していた。いくらウブドの子でも、最初からあんな踊りができるわけではない、ということを知って少し安心した。ま、当たり前か。

グヌン・サリへ。

ワヤンが今晩のグヌン・サリのチケットを持ってきた・・・かと思ったら「You have money?」とニヤッと笑って聞く。ひとなつこい、ひょうきんなヤツである。テラスで待つもなかなかチケットもお釣りも来ない。結局1時間後にチケット、さらに10分後にお釣りが来た。

5分で準備して出かけ、10分自転車を漕いで開演30分前に着いた。

グヌン・サリは故マンダラ翁の創設で、1931年にパリで開かれた、その名も「植民地博覧会」で絶賛された古い伝統を持つ団体である。で、プリアタンの天才3姉妹の2番目、ユリアティが踊っているはずなのだが、顔では誰かわからない。いい踊り子は、舞台ではまったく違う顔を見せるそうだが、あとで聞いたところでは怪鳥ガルーダを踊ったのがユリアティだそうだ。たしかに、細かい動きの切れと一種のオーラは感じたのだが、あれはとても16歳とは思えない。やっぱり天才かもしれない。

どうしてマデが来ない?

Homestayに帰ると、今晩帰国するK氏がテラスで車を待っていた。しばらくグヌン・サリの話などをする。あそこのガムランは百年以上も叩き続けてきたので、青銅から不純物が抜けて澄んだ音になっているという。確かに、他のガムランと違って透明感のある音だった。

空港へ送るのは、もちろんガイドのマデなのだが、約束の9時半になっても来ない。絶対に遅れたことのないマデなのに。私がWARTELまで行ってマデの携帯にかけるが、ようやくつながってコールしても誰も出ない。戻ってみればK氏は庭を歩き回っていた。携帯に出ないとなると、事故かもしれない。家族を叩き起こしてお兄ちゃん(と私たちが呼んでいる、家族の長女の婿)の車で空港まで送ってもらうことになった。午前1時発だからチェックインは午後11時、空港までウブドから1時間ほど。あせるK氏を「マデには事情を聞いておく、わかったら手紙を書きますから、飛行機のチェックインは1時間くらい遅れても大丈夫」と送り出す。

やれやれ、とほっとしたらマデが現れた。

ええ、どうしたの、Kさんはたったいま空港に行っちゃったよ。

約束は10時30分。9時30分じゃない。Kさん、たしかに10時30分って言った。9時に来て、まだいなかったから、向こうに車止めて待ってた。いま、車の明かりが見えたから慌てて来てみた。携帯は、番号変わってない。でも、友だちに・・・

マデは混乱しているのか、日本語がかなり怪しくなっていた。携帯は今日は使わないと思ったのか、頼まれて断れなかったのか、友だちに携帯を貸してしまっていたらしい。そして、このHomestay前の道は細いので、長時間止めるときはマデは車をジャラン・ラヤ・ウブドに止めておいて、ときどき様子を見に来るのだった。だから、実はマデはすでに来て待っていたのだ。

9時に来たときにKさんに声をかけていれば。私がグヌン・サリの帰りにいつもの道を通っていればマデに会えたはずなのに。たまたま今日はジャラン・ハノマンから帰ってきていた。マデも、9時のあと、30分のあいだに1回でも寄っていればKさんと会えたはずなのだ。

元気を出せ、マデ。

傍目にも気落ちしているマデをなぐさめる。

マデ、元気出して。

元気よー。

マデ、英語はしゃべれる? 

少し。

日本語は? 

少し。 

インドネシア語は? 

少し。

ははは、マデ、それじゃダメじゃん。

これで笑ってマデの気持ちも少しほぐれたようだった。

Kさんには手紙書いて説明するから。きっとKさんが時間を間違えたんだよ。Kさん、心配してたんだよ、マデが遅れるはずがない、絶対に事故だって。ね、だから今回はしょうがないって。Kさんとはずっと友だちなんだから、これからも大丈夫。Kさんもちゃんと飛行機間に合うように出かけたから大丈夫。だから、マデ、元気出して。

9月3日(日)ウブド。ティンクリックを習うも疲労困憊。

<カプチーノ>へPowerBookをかついで出かける。シンガポール航空からファックスが来ていたが、要するにキャンセル待ちに登録したよ、ということだった。返事を書いて送る。希望の条件が複雑なのは、なんとしても17日のオリンピックのサッカーの試合をリアルタイムでテレビで見たいからと、デンパサール→シンガポール間が1日4フライト、シンガポール→成田間が1日3フライトあるからなのであった。

レッスンは佳境。

10時からティンクリックのレッスン2回目。ついに1曲目を最後まで通す。だんだん、よくなっているようだ。うまく行っているときには、先生はユニゾンではなくて、違うリズムパターンで伴奏してくれる。そうすると、なかなかかっこいいのだが、初心者なのでついつられてしんどかったりする。ほら、合唱で他のパートに引きずられることがありませんか?

ティンクリックではハーモニーは音程よりも多様なリズムの混成で表現されるようである。先生の演奏では右手と左手がそれぞれまったく独自にフリーに動く。私はまだコンビネーションで覚えているので、違うパターンではいちからやり直しになる。どっちにしろ、体で覚えるということがなじむ楽器だ。

2曲目に入る。先生はどんどん先に行こうとするのだが、私は明日から1週間の中断が入るので、今までのステップをもっと繰り返しやりたい、とお願いする。そんなにたくさん、いっぺんに覚えられるか自信がないのだ。

12日の夕方4時に3回目のレッスンの予定を入れてしまう。だから、12日の午後にはなにがなんでもウブドに帰って来ないといけない。どうなることやら。

「失礼です」は言っちゃダメ。

昼飯はパダン料理の屋台で。宿に戻ってテラスでぼーっとしていたら、そのまま寝てしまった。レッスンで疲労困憊。肉体的というより、過度の集中で精神的に疲れた。お嬢様のバンガローからティンクリックを借り受けているので、目が覚めては練習し、疲れたら寝転がる。家族のみんなが笑いながら親指を立てて「バグース!」と言って通り過ぎる。ほんまかいな。

夕方、<カプチーノ>で今朝送信を頼んだファックスを引き上げ、ATMに寄って<カフェ・テガル>へ。マディに、しばらく来れないことを伝えておくつもりだったが、彼女はいなかった。

代わりといってはなんだが、ウェイトレスふたりに日本語をコーチする。beefはギュウニク、squidはイカ、と教える。インドネシア語では魚を「イカン」というので、イカという発音がおかしいらしく、ケタケタ笑う。水を「ミッズ」と発音するので、「アックァは『ミズ』、『ミッツ』は3の意味」と区別を教える。けっこう断片的に日本語は知っているので、こうして時々客に聞いて学んでいるらしい。延々と30分は教えていたが、その間店内の仕事はもうひとりのウェイトレスが全部やっていたのであった。

「Excuse meは『失礼します』か、『すみません』か、どう違うのか」とむずかしい質問をされる。いちおう答えたが、それよりなにより間違っても客に「失礼します」の代わりに「失礼です」とは言わないように。それはとってもティダ・バグースだからね。

ろうそくの明かりのもと、会話は盛り上がる。

帰って、テラスにろうそくと蚊取り線香を出して和む。お嬢様にデンパサールで買ったバリ・カレンダーを見せる。すでに時期はずれで買うのはむずかしい。コマンに尋ねていたら、コマンは自分で使っているものを持ってきた。果たして貸してくれるのか、くれるのか? どうやらもらってしまったようで、お嬢様大喜びであった。

おじさん来訪。どこのおじさんかと思ったら隣の家のワヤンおじさん、だそうだ。ここのHomestayのお客と話をするのが楽しくて、時々来るらしい。そのなかでも、肌の白い日本人の女の子が大好きなもよう。なんと大学で政治学を専攻したそうで、「未来の大統領だね、ワヒドのあとはワヤンだ!」と冗談をかましたら大受けしていた。

リンダがいたので、メールはやっぱり送れなかったと話す。リンダによれば、キンタマーニ周辺は盗みがひどく、自動車やモートル・バイクを迂闊に駐車すると分解されて持っていかれるとか。リンダは湖をツーリストのルートとはまったく逆に走って、漁師に舟を出してもらって渡ったそうだ。この渡し船も物騒で、あまり値切ると湖の中央で「もっと金出せ」と凄まれるらしい。

さらに中国へリンダが16年前に行った話があまりに面白くて3人で大笑いして、楽しい夜になった。その話は・・・ここでは書ききれない。

今日1日、写真を1枚も撮らなかった。こういう日もある。


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