『鎌足ふるさとかるたものがたり』のご紹介


鎌足ふるさとかるたでご紹介しました、読み札の説明文を詳細に解説した、『鎌足ふるさとかるたものがたり』が、鎌足ふるさとかるた会の皆様の手により発行されております。ご希望の方はご連絡下さい。

発行者:木更津市立鎌足公民館・鎌足ふるさとかるた会
著者:茂田 愛子・田丸 恵・小林 弘子各氏
価格:1,200円



【一部内容のご紹介】

へその緒を鎌で切ったは鎌足公
茂田
 猪台の豪族、猪野長官の娘子与観は、高倉観音のお告げに従って、常陸国(今の茨城県)鹿島に赴いた。そして、夢の中で藤の木が胸に生えたのを見てみごもり、男の子を生みました。
 出産のとき、一匹の白狐が産所に来て、草刈鎌を授け「この鎌は、敵を斬るに鋭利、国を治め幸福を得るに良し。命ずる通りに所持せよ。」というや、その姿は消えてしまいました。
 そこで、生まれた子どもを鎌子と名付けました。

中略

 また、彼の産所に現れた白狐は、再び鎌足の地に姿をあらわし、稲荷大明神として祀られ、例の鎌を御神体としました。それで、この里の百姓は、鎌を野良に置き忘れても、他の人はこれを盗むようなことはしなかったそうです。


土砂加持の徳蔵寺
小林
 徳蔵寺は、矢那字寺の台にある寺で、称号を御霊山大悲院といい、真言宗豊山派に属し、聖観世音菩薩を本尊としています。寛文九年(一六六九)宥伝上人没の墓石が発見されていますが開基はそれよりかなり以前だったようです。
 宝暦十年(一七六〇)三月、矢那御霊台から現地へ移り、万延元年(一入六〇)十一月二十八日、仁王門を新築し、そして大正二年に鐘楼堂を建立しましたが、昭和三十六年に炎上しました。

中略

 徳蔵寺では、鎌足出身の高僧海如和上の勧めにより当時の住職海量和上の時に土砂加持講が始まりました。この講は、日本全国でも行われている場所は数少ないと言われています。徳蔵寺の年中行事として、五月五、六、七日の三日間行われ当初二十人の檀家が中心で始まり、三日三晩飲食して、遠方からたくさんの人が集まり、大変な賑わいでした。この賑わいも昭和十年代までで、その後は、海量和上の命日である十月九日に行われています。


立派な数珠は菩提闘の実
田丸
 謂れ深い古木の菩提樹は、上金谷、故石井敏明氏の宅地に、雄々しくそびえ立っています。樹周り、四メートル・高さ、二十メートル余りもある大木です。
 菩提樹は別名、リンデンベールで知られています。中国原産シナノキ科に属し落葉高木、葉はハート形で鋸歯が鋭く、歯の裏側は夏ごろにもなると葉の付け根に細長い葉の様な苞を出し、真中にやがて小さなクリーム色の花がたくさんつきます。香りもかすかに感じ、やがて実となります。

中略

 その後、時は大きく流れ大正十五年(一九二六年)四国の巡礼者が石井家に一宿を請う事になりました。立派に育った菩提樹に両手を合わせ祈祷した巡礼者は「この菩提樹は、弘法大師様がこの地にこられ種をお手植えされた誠に尊く有難い木です。これもなにかのご縁です。私が四国へ帰りましたら御大師様像をお送りいたします。」と約束しました。その後、大師様のおすがたが送られてきましたので、石井家では、近所の人たちと力をあわせ、大師堂を菩提樹のそばへ建て、お祀りしました。昭和の初期ごろ迄には、縁日が開かれ賑わいをみせていたという事です。



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