韓国2



1.再び船で越境(4月23、24日、下関〜釜山)

 旅行保険の契約が始まる4月20日に新潟の家を出て、高速バスで上越市直江津へ。 そこからフェリーで20時間、福岡へ。 知人宅で滞在後、4月23日にユーラシア大陸横断の旅の海外の第一歩、韓国へ向かうために下関に行って4年前の夏同様フェリーに乗った。

 今回は予約無しで乗船した。 日本を出るには大抵、飛行機など予約が必要になるがこの関釜フェリーは予約無しでも確実に国外に出られる乗り物だ。 下関のターミナルは4年前と変わらず、個人貿易のおばさんで溢れていた。
 この路線は日本側の関釜フェリーの船と韓国側の釜関フェリーの船で運行されている。 日本側の船は新しいものに変わっていたが、乗船したのは韓国側の船で古い船だった。

 同じ船室の乗客は旅行の日本の若者とおじさん、日本での留学を終えて里帰りする韓国の若者、用事があるらしい在日らしいおじさんだった。 他にも日本へ遊びに来た韓国の年金生活のおじさん5人組みもいた。 この旅行で気がついたのだが、日本人の年配の人達でグループ旅行はおばさんが多いが、韓国では元気なおじさんたちも動き回っている。

 夜まで在日らしいおじさんと話しをしていたが、8時すぎに波が出てきたので横になった。 他の人達も横になってしまったので9時には静かになった。
 翌朝7時すぎに沖合いの停泊地(中途半端な時間に釜山沖に着くので税関が開く朝まで沖合いで待機している)を出て8時過ぎに桟橋に接岸した。

2.4年ぶりの釜山(4月24日)

 まだシーズンでなかったので入国審査は早かった。 個人貿易のおばさんたちは後回しにされるということもある。 とりあえず、港近くのCiti Bankのカードが使える銀行を探したがなかなか見つからなかった。 港とはいえ、業務街に隣接しているので金融機関は多かった。 しかし、ATMが日本製のOEMなのか?日本の金融機関のATMに形が似ていた。 方式が日本と似ているのかもしれない。 その国に住んでいる人は問題ないが、外国人には不便だ。
 しばらく歩くと香港上海銀行の支店があった。 ここならATMがあるかもと思い、ビルに近づくと同じビルにCiti Bankの店舗もあった。 ATMを発見して、当座の現金を下ろた。 開店まで少々待ってから韓国内の支店のリストをもらってから例によって宿探し。
 持参した96年の「地球の歩き方」のコピーをたよりに「クムガン旅人宿」(看板に書いてある。S10,000W)を発見。 コピーによると日本語が話せるおじさんがいるとの事だったが、代替わりしたのか?娘さんらしい女性が部屋を案内した。

 宿が決まって部屋で少し休んでから昼過ぎに街を散策した。 街は4年前にくらべて小奇麗になったようだ。 バスはほとんどエアコンが付いていて、新しい車両が多い。 東南アジアのベトナムなどで韓国製の中古のバスを見かけたが、その分韓国内には新しい車両が増えたらしい。 店も改装して小奇麗で若者向けの所が増えた。 新しいビルも増えたのだろう。

 逆にゴミと足の短いノラ犬は減ったような気がする。
 ゴミに関しては前回もテレビで「私たちの川をきれいにしよう」らしいCMを流していたが、今回はタバコの吸い殻を投げ捨てて周囲の人の冷たい視線を浴びるおじさんのCMが流れていた。 小学生の遠足に付き添っていた保護者らしいおばさんがゴミを拾っていた。 ファーストフードやコンビニのごみ箱は分別しやすいように複数あった。 年々、エコロジーやマナー向上の意識が高まっているらしい。

 前回はアズキ色の口紅をした女の子が多かったが(死人メークとも言う)今回はかなり落ち着いていた。 全体的に女性のメークは日本人より濃いだろうが、ヤマンバみたいな極端なのがいないので地味な感じがする。 厚底靴もまだ少ないということもあるのだろう。

 3年前に経済危機でどうなるかと思われた韓国だが、現在も失業者が多いものの基幹産業の自動車、電機は業績がかなり改善されていた。 そのせいか、人々の表情は明るい。(もともとかもしれないが)

3.新羅の古都、慶州(4月26〜29日)

 古都、慶州(キョンジュ)は初めて韓国を訪れた時に5日ほどのんびりした町だ。 韓国随一の観光地でガイドブックにはソウルに次いで掲載されている。 韓国の人はこの町を「韓国の京都」と言っているが、古墳の多さから個人的には「韓国の奈良」のような気がする。

 釜山に着いた翌日に韓国の次の訪問国、中国のビザを取るために釜山の中国領事館を訪れた。 中国ビザは発行にかかる時間で手数料が異なっていて、韓国人以外は当日70,000W、翌日59,000W、3日後35,000Wとなっている。 申請前にパスポートと韓国ビザスタンプが押された部分をコピーして、申請の翌日に慶州(キョンジュ)に行ってビザ受け取りの日に日帰りで釜山に行く事にした。

 4年前は建て替え中だった東部バスターミナルはきれいになっていた。 券売所でチケットを購入してゲートにいたおじさんにバスを教えてもらって乗車するとすぐに出発した。 発車時刻を調べる必要が無い、相変わらず便利なバスの旅だ。 高速までの道、高速の通行量の多さも相変わらずだ。 1時間ほどで慶州(キョンジュ)のバスターミナルに着いた。 宿は前回同様、バスターミナルから徒歩で行けて日本語が話せてひょうきんな権さん経営の韓進荘旅館(S20,000W)にした。 事前にインフォメーションで宿のこと、インターネットができる場所の事を聞きに訪れたが、係員の女性は日本語可だった。 他にもこの町で日本語が話せる人に何人か出会った。

 4年ぶりだったが、宿の権さんは相変わらずだ。 「〜しなさい。」と命令調だが、親切だ。 以前は元気だった奥さんは体調を崩されたのか?寝込んでいる時が多かった。 権さんは奥さんの世話で忙しそうだった。

 前回は仏国寺など有名な寺院や古墳を訪れたが、今回は国立博物館を訪れた。 入場料400Wの他に日本語の解説が聞けるラジオのような装置を2,000Wで借りて見学した。 展示物は磁器などの焼き物、美しい金や玉の装飾品で日本でも見かけるものもあり、交流の深さを感じた。

 この町も新しい建物が増えてきれいになったみたいだ。 全国的な現象らしい。

4.韓国の動脈(4月29日、慶州(キョンジュ)→ソウル)

 韓国の動脈、京釜高速道路も所々で拡幅工事中、拡幅完成で変わっていた。 交通量の多さは相変わらずだった。 全4車線を全8車線に拡幅工事をしていた大邱(テグ)周辺で渋滞しなかったもののスピードが落ちた。 拡幅工事が終わった大田(テジョン)では工事をしていた4年前では渋滞していたが今回は順調に流れた。 この町を過ぎたところで新幹線にあたる高速鉄道の工事をしていた。
 全8車線にも係わらずソウルの南30Km付近から渋滞が始まった。 一番左の走行車線(右側通行なので一番真ん中寄り)はバス専用レーンになっているらしく、残り3車線で渋滞していた車をどんどん追い越して行ったがさすがに料金所の前で渋滞した。

 車の走行量に比例して高層アパートが増えてきた。 ビルが多くなり、ソウル市内に入って高速から降りる車がある程度出て渋滞が緩和されてからソウル市江南の高速バスターミナルに30分遅れで到着した。

5.頼りになる警察(4月29日、ソウル)

 バスターミナルで昼食を取ってから目的の宿のある中心部に地下鉄で向かった。 ところが、乗り換えをしようとしてから腹が痛くなった。 こんな時、荷物があると辛い。 地下鉄駅のトイレに入ると掃除のおばさんがいたので荷物を預かってもらえるか聞いてみると(荷物を指差して)「ダメ」と言われてしまった。
 仕方ないので駅を降りて近くのビルに入ってみようとしたが休日なので閉まっている所が多かった。 地図を見ると交番があるのでだめでも場所くらい教えてもらえるだろうと思って聞いてみると今度はOKだった。

 警察のマスコットを作って国民に親しみを持たせる態度といい、韓国では兵役の一部に警察の手伝いもあるらしいが、それでも不在勝ちの交番が多いどこかの国の警察とは大違いだ。

 目的の宿、Traveller's A(D12,000W)はあっさりベットが取れた。 なんとなくシンガポールのゲストハウスを思わせる感じだったが(朝食は付いてない)清潔だった。 日本人の利用が多いらしく、ゴールデン・ウイークで遊びに来た日本人が何人かいた。 ロビーに備え付けのノートには日本人の記述ばかりだった。 NHKの衛星放送が入るので韓国にいる気がしなかった時もあった。
 それでも日本語が話せるおしゃべりなお母さんと娘さん、息子さんでやっている家庭的ないい宿だった。

6.ソウルの休日(4月30日、ソウル)

 ソウル入りした翌日、タイ・バンコクで宿泊した韓国人経営のゲストハウスで知り合った韓国人女性チュ・ジンヒさん宅に図々しく電話してみた。 彼女とは去年の今ごろの5月と半年前の10月末の2回、偶然にもバンコクで会って旅談義をした。 私同様、あまり家にいない人かもしれないという事と旅を終えて仕事などで忙しいかもしれないということでダメモトだった。
 電話には彼女の母親らしいおばさんが出たが英語でゆっくり「ジンヒさんを呼んで下さい。」というとジンヒさんに代わってくれた。 二人が会った時の場所や状況を説明すると思い出してくれて「わざわざ電話してくれて有り難う。」とお礼を言った。 都合が付けば会って話しがしたい旨を告げるとその日の午後なら空いているそうなので宿まで来てもらった。

 再会した彼女は以前より太っていたのか?感じが少し変わっていた。 最初の予想通り、彼女は3週間ほど前に東南アジアから戻ってきた所だったらしい。 でも最近はいとこがアルコール依存症でそれがもとで病死したことと89歳のおばあさんが病気で入院中で危ないことで辛い事が多いらしい。

 天気がいいので外に出てみることにした。 宿から地下鉄ですぐの王宮跡の一つ、徳寿宮に行ってみた。 天気がいい休日なので家族連れで賑わっていた。
 一般的に韓国人は日本人より感情的なのだが彼女は穏やかで日本人に近い気がする。 それでも徳寿宮付属の博物館で美術品の展示を紹介している様子に「誇り高い韓国人」を感じた。

 その日は徳寿宮で夜の7時から8時までの1時間に韓国の伝統的な舞踏のショーが無料で行われるらしいので、夕方に腹ごなしをしてから見る事にした。
 ショーは独特の物悲しい音楽をバックにした静かな女性の踊り、男性による踊りながら太鼓をたたく激しいもの、チマチョゴリを着こなした女性が激しく太鼓をたたくものの大きく分けて3種類だった。 生で見るのは始めてだったが最後に女性がたたく太鼓が一番印象的だった。 日本の太鼓は男性向けだったために女性でも動きやすいように肌を露出させていて荒々しい感じがするが、韓国のものは顔と手以外肌を見せない伝統的な服装を着こなしたあくまでも昔から女性がやっていた太鼓だった。 下手な説明だが、機会があれば見て欲しい。
 観客のノリも印象的だった。 女性の太鼓に拍手喝采だった。 最後に男性の太鼓のグループが観客がいるところにやってきて演奏したときに一緒に踊っている人もいた。 リズムは違うがまるで沖縄である。 彼ら韓国人、朝鮮民族は踊る事が大好きらしい。
 日本ではブームは終わってしまったが、ゲームセンターにたくさん「ダンス・ダンス・レボリューション」が置いてあって、若者たちがノリノリでやっていた。
 以前、日本でストリップを見に行った事があるが踊り子の中に顔で在日韓国人らしい事が分かる女の子がいた。 彼女は踊る事が大好きらしくて、踊り子の中で一番ノリが良くいつもリズムを取っていた。 彼女は十中八九韓国人だろう。

 ジンヒさんとは舞踏ショーを見てから別れた。 翌日、電話をしてみると例のおばあさんが医者から見離されたのか?退院して家族で介護しているらしい。 当分忙しい様なのでお礼とお別れをした。 恐らく昨日も忙しかったかもしれないそれでも時間を割いてくれた。
 更に恐縮だが、会っている間の地下鉄、食事などは全て彼女の負担だった。 日本には少ないがそれ以外の東アジア(ベトナム含む)に多い「客人には負担をさせない」という習慣がある。 日本ではそんなことできないが彼女の顔を立てて御好意に甘えることにした。
 心からカムサハムニダ(感謝)!

7.おしゃれで宵っ張りなソウルっ子(5月1日、ソウル)

 宿で同じ部屋の神鳥君と夜のソウルに繰り出す事にした。 と言っても飲みに行くのではなく、衣料品の問屋と商店がある地区にインターネットをしに行くだけだ。

 旧市街と言うべきソウルの中心部にはたくさんの昔乍らの問屋、小さな町工場が今でもある。 地上げのせいで空洞化してしまった日本の町にはない生活臭がある。 今回訪れたのは衣料品関係の店が多い東大門市場だった。 夜の11時過ぎなのに問屋や商店がたくさん開いていた。 お客さんも混雑するほどではないが結構買い物していた。 宵っ張りと言えば台湾だが、夜中に開いている衣料品の店は聞いたことがなかった。 宿のおばさんの話しによると3交代で24時間営業らしい。 なんだかフル稼動の工場みたいだ。

8.似たもの同士

 韓国人と日本人は食習慣や性格に違いがあるものの、歴史的背景もあるだろうが近所なので共通の習慣もある。 今回、気が付いたことを挙げてみよう。

しりとり
 テレビのバラエティ番組を見て、出演者たちがしりとりを始めた。 もちろん、ハングル文字でつなげるので韓国語を知らないと出来ないが・・・。

じゃんけん
 これもテレビのバラエティから。 やり方は少し違うが昔はやった「あっち向いてホイ」までやっていた。 じゃんけんは「うどん」「おでん」同様、歴史的なものだろうが「あっち向いてホイ」は日本のテレビの影響だろう。
 ちなみに「じゃん・けん・ホィ」は韓国では「カイ・ガイ・ポッ」

9.みんなで楽しく!

 4、5月は韓国でも行楽シーズンで、遠足、修学旅行、新婚旅行、その他団体さんが多い。 観光地に行くと少なくともアベックや女の子の二人組みなので一人旅は私だけというのが多い。

 一番元気なのはやはり小学生だろう。 この国の小学校では子供達が騒ぐことは大目に見るらしく、賑やかだ。(もっとも、声の大きい年配の人は多い) でも整列するときには怒られる子がいる。 釜山郊外の断崖の海岸沿いに遊歩道がある太宗台では「お年寄りを大事にしよう」と言われたのか?年配の人達を見ると肩を揉んであげたり挨拶したりしていた。

 苦難の時代を生き抜いた年配の人達も子供達に負けずに元気だ。
 日本同様、最近は年配の人の登山が流行っているらしく登山の格好をした人達を見かけた。 中には日本の北アルプスあたりに遠征するツワモノもいるだろう。 山小屋で日本の年配の人たちと山や健康談義に花を咲かしているのが目に浮かぶ。

10.伸びる情報通信分野

 前回は意識しなかったが、情報通信でも4年前とくらべて変化している様だ。
 インターネットでは電話会社にISDNやADSLといった通信サービスの宣伝が出ていた。 町中に中高生を対象にしたPCを置いてインターネットでゲームをする場所、「PCバン」がたくさん出来ていた。 1時間1,000Wなのでバンコクのインターネットカフェよりも安い(バンコクでは1分=1B、60分=60B=1.5US$=1,600W) 香港同様、韓国も電話の市内通話は自宅からならタダなので経費を安く出来るのだろう。 ちなみにバンコクは市内通話には接続量を取っている。 市内通話でも時間に応じて課金される従量制をとっているのは日本だけかもしれない。
 「PCバン」はゲームセンターの延長だが、家庭でPCが使えない日本の中高生より恵まれているだろう。 日本のPCショップでは高校生が無料でインターネットが使えるPCをいじっている。 日本では電機メーカーのご都合か?「PCは購入するもの」という考えが定着しているが需要はあるのだ。 こんな事で将来差がつくかもしれない。

 テレビではインターネットのプロバイダーが盛んに宣伝していた。 日本でインターネット関係で宣伝を出しているのはNTTとDDIくらいだろう。 ひょっとして、日本のテレビにCMを出すのはとんでもなくお金がかかるのかもしれない。 あるいはPC雑誌がテレビに宣伝を出さないようにさせているのかもしれない。
 また、テレビのアナウンサーやレポーターが出演している時の名前の下にe_mailアドレスが表示していて、「お問い合わせはこちらに!」と言った感じで報道に責任を持たせている。

 あと、携帯電話も以前よりはるかに増えた。 高校生はまだしもおばさんも結構持参している。 日本では年配の人が極端に新しい機械を嫌うのでここまで普及してない。
 日本同様、国産の機種がメインで東南アジアで見かけたサイズのものは無かった。 こちらでは折りたたみの電話機にひもを付けて首に下げるものが多い。

 国鉄ソウル駅から釜山方面へ2つ目に龍山(ヨンサン)駅がある。 そこはソウルの秋葉原とも言うべき電子部品やパソコン、家電を扱っている一大商店街だ。 いくつかパソコンビルがあってその中の一つに入ってみると台北やシンガポール同様、組み立てパソコンの店が多かった。 値段はインテルのCPUが入って70万Wと日本よりお値打ちだった。 ソフトはやはり日本製ゲームが多かった。 

11.中国へ(5月3日、ソウル、仁川(インチョン))

 ソウルに着いてから、2日経ってから中国行きフェリーを扱っている代理店を探した。 ソウルの中心にある韓国観光公社に行って係員に聞いてみると簡単なパンフレットを渡してくれた。 それをもとに代理店に行ってフェリーの出港予定表のコピーをもらった。

 ソウルの隣りの港町、仁川(インチョン)から中国大陸の6つの港に定期船がでているらしい。 有名な所では大連、天津、上海、青島だ。 どれも一番下のクラスで120US$くらいだった。 北京に近い天津も考えたが、以前香港の宿のオーナーに勧められた大連に渡る事にした。

 ソウルから仁川の間には国鉄の地下鉄1号線に乗り入れている電車線がある。 仁川は人口100万人以上の規模の町でソウルとの行き来が多いらしくなかなか席が空かなかった。 沿線風景は東京の近郊線に似ているが、韓国独特の高層アパートの景色だった。各駅停車しかなかったが快速のサービスがあってもいいのでは?と思った。

 1時間程してフェリー・ターミナルの最寄り駅、東仁川に着いた。 やはり大都市の近郊駅といった感じで駅ビルにはデパートが入っていた。 船旅の常で船内用にカップラーメン、パンにお菓子を買ってフェリー・ターミナルへバスで向かった。

 釜山の国際フェリー・ターミナルのようなビルを想像したのだが、プレハブのターミナルの周囲にプレハブの船会社の事務所が建っているだけだった。 将来、釜山のターミナルみたいな建物が建つのだろう。
 国際航路の常で、貿易業者らしい人達が荷物を梱包したり運んだりしていた。 チェックインの手続きも、乗船の手続きも混雑した。 我慢して乗船すると座敷の大部屋に案内された。 近くまで来て自分のスペースの位置が分からなかったので近くにいた女の子の船員に中国語で聞いた。 周囲は韓国人ばかりだったらしく。 遠巻きに「あいつは中国人らしい。」と噂していた。
 しばらくしてこちらから「日本人ですよ。」と韓国語で説明すると周囲の緊張が解けた。 隣のスペースのおばさんは「なあーんだ、日本人か。 良かった!」といった感じで微笑んでいた。
 場所が見つかったら挨拶くらいすればよかったのに怠ったから周囲を不安しさせてしまったということらしい。 韓国人が中国人を恐れていると言う事もわかったが。

 船内ではみんな暇なので言葉が通じなくても結構、構ってもらえた。 貿易の他に中国吉林省延吉周辺にいる朝鮮族の知り合いに会いに行く人もいた。 

 仁川を出た翌日昼にやや遅れて船は着いた。 甲板に出てみると近代的なビルが立ち並ぶ景色だった。

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