インドネシア・バリ



(ヌサトゥンガラ編から)

1.言葉によるストレス(バリ島ウブド、10月5〜12日)

 フェリーは港に接岸していた別の船の出港が遅れたので1時間沖に停泊してから昼過ぎに接岸した。
 目的地、ウブドへ向かうバスでスラウェシのタナトラジャから実に2ヶ月ぶりに日本人の女性とお話できた。 彼女はバリ/ロンボクにツーリストビザ有効期間の2ヶ月間滞在して日本でバイト(出稼ぎ?)してお金が貯まったらまたバリへ行くことを繰り返しているらしい。
 噂通り日本人が多いらしい。 海沿いに行かずに内陸のウブドに向かった理由はクタ・レギャンのビーチが悪い噂ばかりだったのとバリの伝統芸術で有名だったのと日本人旅行者が多いので日本語で会話ができることだった。

 タイ、ラオス、ミャンマーは日本人が多かったのでさほど感じなかったがマレーシア、インドネシアと大陸から離れるに連れて日本人が減って日本語で会話できる機会が減ってきた。 特にインドネシアでは習慣の違いも加わってスラウェシのマナドでノブ君に会うまでストレスが溜まって些細な事でインドネシア人をどなったりした。

 結局、私は「日本人」ということなのだろうか?

2.今までと違うインドネシア(バリ島ウブド、10月5〜12日)

 バスの移動中見た景色はロンボクより更に人口密度が上がったらしく人や家や車が増えた事、教会は無く、モスクが少しあるだけでヒンドゥー教の祠ばかりになった事、伝統的な服装でドレスアップした人が多い事だ。 同じバスに乗っていた日本人女性によるとしょっちゅうあちこちで冠婚葬祭の催し物があるとのことだった。

 1持間ほどでバスはウブドの町に到着した。 辺りはバンコク・カオサン通りを上品で静かにした感じでたくさんの土産物屋に旅行代理店、宿が軒を並べていた。 客引きもいたが、今までと違って馴れ馴れしく人の体に触るような事はしなかった。 また、スラウェシのルウク同様通りにはごみ箱があったし常に掃除しているのか?ヒンドゥー教のお供え物以外ゴミはあまり落ちてなかった。

 宗教上の関係か?タイみたいに女性が通りにお供えしていて、その姿は上品に感じる。 日本のお祭りみたいに催し物ののぼりがあちこちに見られる。

 かなり観光で潤っているらしく、通りに駐車している車はピカピカでこの国では珍しくヨーロッパ車が目に付く。 通りを歩く、頭に荷物を載せた女性の伝統衣装は今まで見た事が無い豪華そうなものだった。

 観光地で潤っていると言う事があるかもしれないが、今までと全く違う所に来たらしい。 インドネシアが長い人の中には「つまらない」と言う意見があったがわかるような気がする。 でもここもインドネシアということだろうしそれはそれでいいと思った。

3.芸術の村(バリ島ウブド、10月8日)

 バンコクのカオサンを上品にしたのはメインのJl(Jalan、通り)Monkey Forestなど一部の通りで、Jl Monkey Forestから東に向かって外れると普通のバリ人の民家が増えてくる。 その中のJl HanomanやJl Sugriwaには現地に滞在しながら絵画や踊りなど芸術を学ぶ人の利用が多い宿が点在している。 さながら「芸術村」と言ったところだ。

 実は最初にJl Monkey Forestから入ったところにある路地の宿に宿泊していたのだが、一見清潔そうだったにもかかわらずベットに南京虫がいたこと、利用者が多いためか?今まで宿泊していたインドネシアの田舎の宿のような明るい雰囲気が宿の人になかったこと、宿泊者はただ「泊まっているだけ」という感じの人ばかりだったこと、宿近くに安いインドネシア料理の店がなかったことから改めて宿探しをした。
 宿探しをする前に、以前バンコクの宿で知り合った人に再会し、その人が「芸術村」に滞在して絵画を習っていることを聞いていてしかも高くない普通のインドネシア料理の食堂があることまで教えてもらったので「芸術村」近辺に移動することにした。

 意外にも10月10日の体育の日近辺の連休で日本人の利用が多いのか?結構部屋は空いてなかったが1泊シャワー、朝食付きで15,000Rpの部屋を見つけて翌日に移動した。(Dwi Ari Home Stay)
 宿替えして正解だった。 辺りの雰囲気は普通のバリの住宅地で宿の人は会うと笑顔で挨拶してくれた。 お別れするときは日本の田舎の人みたいに丁寧に挨拶してくれた。
 また、宿泊している人は気楽に話し掛けてくれた。 隣りの部屋には若いアメリカ人女性がいて、3ヶ月滞在して彫刻の勉強をしているらしい。
 夜は薄暗くて犬が多いので夜出歩く時は注意しなければならないのが難点だが、静かで普通のインドネシア料理の食堂があるので何日か滞在して創作活動するには良い所なのだろう。

4.踊りと人形劇の夕べ(バリ島ウブド、10月8〜10日)

 宿替えして落ち着いてから、夜は近くで催しされている舞踏と人形劇を3晩連続で見に行った。

 最初はバリで一番有名な舞踏「ケチャ」を見に行った。 ロウソクの明かりの中、楽器無しで3〜40人くらいの男性ダンサーが口でリズムを取っていて、その中でメインのダンサーが踊りをするという舞踏だ。
 最初はなんだか日本のコミックバンドを思い出して一人しらけていたが、メインのダンサーが踊りを始めると急に場が引き締まってきた。 そのうち、口でリズムを取っている人の中に全体のリズムを調整している「指揮者」のような人の存在を知って、かなり難しいのではと思った。 カメラのフラッシュを焚くマナーの悪い人がいたのはがっかりしたが、炎の中での幻想的な踊りはまずまずだった。

 次の日には伝統的な楽器を用いた舞踏「レゴン」を見に行った。 日本で有名なグループ(グヌン・サリ)らしく、40分ほど前に会場に来たら結構席は日本人観光客で埋まっていた。 楽器は以前、ミャンマーとマレーシアで見た事がある金属の打楽器で、あまり響かないように演奏していたので迫力ある連続したリズムを作っていた。
 踊りの方はインド的な目を左右に動かしているもので、手つきや足のステップ、衣装もなんとなくインドの舞踏に似ていた優雅なものだった。(素人目ながら)

 その翌日には影を利用した人形劇「ワヤン・クリッ」を見に行った。 時間になっても会場にはお客が少ないので不思議だったが、劇が始まってからその理由がわかった。
 もともとバリ人によるバリ人ための娯楽でバリ語のセリフが多く、バリ語がわからないと何をしているのかわからないのだ。 劇団の人はその辺に気を使っていて事前に英語の解説のコピーを配ったり、セリフに英語や日本語の冗談を入れたりしていた。
 ただ、普通の人形劇にくらべて動的なシーンは迫力があった。
 見ていて以前、日本の佐渡で見た文弥人形とセリフを言う感じが似ているのでこれは中国の影響か?と思った。

 演奏されていた音楽は全て沖縄の民謡とメロディーが似ていた。 また、ミャンマーの伝統的な音楽のメロディーにも似ていた。 全てインドから伝わったものなのか?

5.お得な?ツアー(バリ島南東部、10月10日)

 ウブド以外のバリを見たかったので、1日ツアーで有名な観光地をまわる事にした。

 ウブドには日本人が多いので日本人向け案内所(APA)があった。 そこでは夜の舞踏のチケットやツアーの申し込みも扱っていて、ここで申し込めば日本人の利用があるか?と言う目論見だった。
 実際、当日になるとお客の中で日本人は私だけであとはバカンスに来た西洋人だった。

 ツアーのコースはヒンドゥー教の寺巡りとキンタマーニという火山(名前は本当!)を見るもので、この手のツアーにありがちのちょっと忙しいものだった。
 運転手は敬謙なヒンドゥー教徒で、寺院拝観の際は腰にサロン(デザインの入った布)を巻く様指示した。

 仏教はヒンドゥー教から分かれた宗教だが、そのせいか仏教の寺院と共通点があった。 また、神道の神社にも共通点があった。 拝観前の沐浴(信者だけだが)、建築の様式、建物の配置など。 金属の鐘はなかったが、1.5mくらいの長さの丸太をぶら下げた鐘突き堂があった。
 最初に訪れたTiruta Umpleには日本の神社やお寺みたいに裏に森があったり神社みたいに泉があったり。 自然を崇拝する姿勢なのだろう。
 バリ最大の寺院、Besakihは坂が多く、京都の清水寺を拝観した事を思い出した。

 宗教だけでなく、地理的にも共通点がある。 キンタマーニを見た時に火山の隣りにカルデラ湖があるので箱根を思い出した。 田んぼが多い事はもちろんだ。

 昼食に運転手が案内したレストランはある程度覚悟していたが、それをはるかに上回るものだった。 大体、10,000Rp(\135。いつもは1食5,000Rp以下)くらいと思っていたがウェートレスは「30,000Rpのビュッフェだけです。」と言った。 他の西洋人たちは仕方ないと言った感じで従っていた。 もちろん、それだけの現金は持っていたのだがスラウェシでは1日40,000Rpくらいで過ごしていたので貧乏性で払う気がしなかった。
 仕方なく、飲み物のメニューから4,500Rpの紅茶だけ注文すると無かったはずのメニューをウェートレスが持ってきた。 ゴネると無いはずのものが出てくるのがインドネシアだ。 しかし、それとて高すぎたので「紅茶だけ!」を通した。

 昼食後に運転手に予定を聞くと意外な事がわかった。 申し込んだのは35,000Rpのツアーだったのだが、人数が少なかったらしく45,000Rpのツアーに組み込まれていたのだ。(他の代理店でもこのツアーは45,000Rpだった) 労せずに値切れたわけだ。 だったらレストランのメニューの中から何か注文してもよかったかな?と思った。

 昼食には驚いたが、ツアーはまずまずだった。 ツアーが終わって宿の近くに降ろしてもらうと急いで通っていた食堂に入って遅い昼食、早い夕食を注文した。

6.日本人は異邦人?(バリ島ウブド、10月5〜12日)

 日本と似ていることが多い。 バリだったが、そこにいた日本人とは目的が違うせいか?なじめなかった。 日本人の代表的なパターンは

(1)芸術の勉強で滞在している人達
(2)1週間の休暇で来た女性の二人組みかグループ

の二つで、私のような個人旅行者は雨期が近いのと東チモールなど情勢が不安定なので出てしまったらしい。
 日本でも通常あまりあいさつしないので特に日本人同士ということで話しをしない。 むしろ、現地の人達と挨拶したりお話したりしているのでバリ人の方に親しみを感じてしまう。
 日本人の肌の白いのもなんとなく違和感を感じてしまう。

 そんな私は正常なのでしょうか?
 

7.バリの田舎(ウブド→ジョグジャカルタ、10月12日)

 12日にバリを去り、ジャワ島のジャワの古都ジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)を訪れる事にした。 実は東チモール情勢と11月12日に行われる大統領選挙のからみでジャワ島を訪れることに不安を感じた。 西洋人は特に神経質になっていてジョグジャカルタ行きのバスのチケットを買う時に偶然再会したアメリカ人のマイクは「本気か?」という感じで驚いていた。
 しかし、ウブドにいた日本人や実際にジョグジャに行った事のある日本人から「運にもよるが、窃盗団に気を付けて、繁華街は手ぶらで、お金は最小限持参すればいい。」というアドバイスを聞けたので行ってみる事にした。

 チケットは「地球の歩き方」でおなじみのツアーバスのPerama社で購入した。 ウブドからジョグジャへダイレクトバスが出ているが、エアコン無しだった。 所用時間は12時間くらいなので今までの経験上、少し上のクラスにした方が疲れないので面倒だがウブドからツアーバスでバリの中心都市デンパサールまで行ってそこから出ているエアコンバスでジョグジャに向かう事にした。
 最初、Peramaのツアーバスかと思ったら普通のインドネシア人が利用しているバスだった。

 ウブドを出たバスは日本の農村のような祠が点在する田んぼの中を進んだ。 デンパサールのウブンバスターミナルに着くと、そこは以前見た普通のインドネシアだった。 西洋人、日本人はほとんど見かけなかった。 同じバリとは思えない光景だ。 食事をしていると「どこから来たの?」、「どこへ行くの?」とおなじみの質問をしてくる。

 バスに乗って外の風景を見ると日本みたいに町と農村が連続していて、人口密度の高さを感じる。 また、お祭りなどのために伝統的な服装でドレスアップした人が多いのも相変わらずだ。 観光地にありがちな観光客のためにではなく、それが彼らの習慣なのだろう。
 バリは日本から行きやすいので省こうかと考えた事があったが、行ってみて良かったと思う。 くどい様だが、本当に「今までとは違うインドネシア」だった。

 バスはその後、高波に洗われたインド洋に面した漁村や農村を通って夕方に対岸にジャワの街の明かりが見えるフェリーの桟橋に到着した。 そこでしばらく待たされて夜の8時にジャワに向かって出港した。

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