碓氷峠とEF62、EF63


碓氷峠 -----信越線の横川駅(群馬県)と軽井沢駅(長野県)の間に 立ちはだかる標高差553mの峠。
約11kmの距離にこの標高差があるため、必然的に急勾配になり下り線(登り坂)で最高66.4パーミル
(1km進むと66.4m上がる)上り線(下り坂)で最高66.7パーミルの勾配があります。そして上り線の66.7
パーミル勾配は、ケーブル、ラック等を使わない普通の線路(粘着線)では日本一(JR線)の急勾配に
なります。この急勾配を安全に登坂&下降させるため、この区間を通過する列車のすべてに補機(補助
機関車)が連結され、難所の碓氷を越えます。この碓氷越えの歴史は古く1893年(明治26年)4月1日
500名以上の殉職者を出す難工事の末、アプト式(2本のレールの中央にあるラックレールを使用し歯車
で動力を伝える方式)の蒸気機関車を使用して開通初列車が運転されました。しかしこの区間はトンネル
が多い為、蒸気機関車牽引では車内に煙が充満してしまい乗客、乗務員共に煙による苦痛を強いられ
速度も遅く碓氷峠を越える1時間以上もの間、苦痛に耐えなければなりませんでした。そこでこれら煙の
問題を解決すべく1912年、日本初の電気機関車(10000型 後のEC40型)が登場しました。これにより
碓氷峠は日本初の電化区間となり、苦痛の源である煙から開放されました。これらのアプト式機関車が
走行したアプト旧線は、1963年まで使用され、現在の粘着新線に交代しました。旧線時代に使われた
煉瓦造りの橋やトンネル等が今も沿線のあちこちに残っており、これらの鉄道施設は国の重要文化財に
指定されています。この歴史ある碓氷峠(横川-軽井沢間)も、1997年10月1日新幹線「あさま」開業と
入れ替えに惜しまれつつも廃線となり、碓氷峠越え104年の長い歴史は幕をおろしました。

碓氷峠のランドマーク碓氷第三橋梁。通称「めがね橋」

 


EF62 -----碓氷峠を通過する客車、貨物列車を牽引するために作られた機関車。碓氷峠を通過する際は
EF63を補機として坂の下になる側(横川寄り)に連結し、EF63の後押しを受け、変則三重連(編成の前後に
機関車を連結する)で急勾配を登ります。下る際は三重連(機関車が3輌連なる)になります。EF62は当初
50輌ほど配置されていましたが、碓氷峠を通過する貨物列車の廃止、客車列車の削減などで大量の余剰
が発生し、初期型を中心に半数以上のEF62が東海道線に転出し、老朽化したEF58に変わって荷物列車
の牽引にあたりました。しかしその荷物列車も廃止されたため、大部分のEF62は廃車されてしまいました。
また、EF62は新型機としては唯一、 3軸台車を履き、全6軸を駆動するC-Cタイプの軸配置になっており
「ダダダン−ダダダン」という3軸独特のジョ イント音は、この機関車でしか聴くことの出来ない音でした。

出力2550kw|全長18m|自重92-96t|速度100km/h|主な使用線区---信越線

和式客車スロ81系を牽引するEF62 47号機

 


EF63 ---アプト式旧線用のED42に代わって作られた、新線用の補機で碓氷峠専用 。碓氷峠用の
特殊装備として、急勾配上に停車しておくための”電磁吸着ブレーキ”や、電車と、客車貨車両方に
連結出来る”双頭型両用連結器”等を装備しています。ほとんどの新型電機は前面ガラスがHゴム
支持ですが、このEF63はステンレスの窓枠になっている為、軽井沢寄りのにぎやかな連結器周り
とあいまって、この電気機関車の外観的な特徴となっています。もう1つ、 この機関車の特徴として
「ブロワー音」があります。モーターを冷却する為の風を送るブロワー(電動送風機)が出す独特の
「大きく甲高い音」は、他の機関車とは明らかに異なるものです。碓氷峠を通過するすべての電車、
列車に補機として勾配の下になる側(横川寄り)に連結し、常に重連で使用されます。昭和37年から
51年まで全25輌が製造されましたが、昭和50年に発生した暴走事故により5号機と9号機が同年
廃車。さらに昭和61年には1号機と14号機が余剰により廃車になっています。碓氷峠廃止間際に
全般検査回帰を迎えた18、19、24、25 の4両は全検入場時に青色から茶色(ぶどう色2号)に
塗り替えられ1997年9月30日の横川−軽井沢間廃止までの間 、茶ガマとして活躍をしました。

出力2550kw|全長18m|自重108t|速度100km/h|使用線区は信越線の横川-軽 井沢間のみ

軽井沢駅に停車中のEF63 11号機