フェニキア歴史紀行

1998年12月30日(第5日目) ダマスカス街道  ベイルート−ダマスカス

朝6時に起床した。今日は少し腹の具合が悪い。8時すぎに3泊したホテル・メイフラワーをチェックアウトし、重い荷物を背負って歩き出した。ハムラ地区にあった文房具屋でちょっとしたレバノンの土産を買い、タクシーに乗ってコーラのセルビスターミナルへ行った。ダマスカスへ行きたいと言うと、運良く5人目としてセルビスに乗ることができた。そのセルビスは俺が乗るとすぐに出発した(しかも5人目なのに後部座席だった)。2日前にも通ったダマスカス街道をひたすら登っていく。レバノン山脈を越えてシュトゥーラの街に到着したところで、2人の乗客が降りた。ここで降りた2人分を補充するためにしばらく待つことになった。

 今日もまた雨が降ったり止んだりのぐずついた天候である。2日前もそう思ったのだが、このベカーの谷には、そぼ降る雨が実によく似合っている。霧に霞む山々と靄の底から浮かび上がる畑や農村。アラブには"レバノン山にささやかな山羊の臥所ほどの土地を持つ者は無上の幸せなるかな"という諺があるそうだが、砂漠が多いアラブにあって、ベカー高原(狭義のレバノン)は当に楽園のような場所と言っていいだろう。  さて、20分もすると5人集まり、シリアとの国境に向けて出発した。アンジャル遺跡の脇を通り、アンチレバノン山脈を登りきったところに、レバノン側の国境があった。実を言うと、陸路での本格的な国境越えはこれが初めてである。これまでにも例えばイタリア・フランスの国境を越えたことなどがあったけれども、直通列車の車掌にパスポートを見せる(渡す)だけだった。そんな訳で、国境をすんなりと越えられるか少し心配だった。

 車を停め、運転手さん共々建物へと歩いていった。建物の中に入ると、いくつかの窓口があって分かりにくかったが、セルビスの運ちゃんが困っている俺を見て、いろいろと世話を焼いてくれたので、割と簡単に手続きを終えることができた。さて車に戻り、レバノン兵のいるゲートをくぐって、しばらく車を走らせると、次はシリア側のゲートと建物が見えてきた。同じように建物に入り、運転手に教えられた窓口へと行った。入国カードを記入せねばならず、少々手間取ったけれども、こちらも面倒なくそのまま車に戻った。そして、ゲートをくぐってシリアに入国。思っていたよりも簡単でホッとした。

 シリア側に入ると、道はひたすら下りになった。アンチレバノン山脈を一気に駆け下っていく。やがて眼下に肥沃な大地が広がり始めた。1時間もしないうちに、大都会のダマスカスに到着した。4000年前からの大都会ダマスカス。東京が400年、京都にしても1200年に過ぎないことを思えば、気が遠くなるような古い街である。キリストの頃にはすでに2000年の歴史を持つ古都だったのである。その年月の長さを考えてみたとき、何とも言えない感慨がこみ上げてきた。

 さて、正午前にセルビスターミナルのような広場で降ろされたものの、悲しいかな、ここがどこなのか全く分からない。タクシーと言う声に、一度は自分で行くと気張ってみたものの、結局タクシーで街の中心の鉄道駅まで行くことにした。ところが、500メートルも行かないうちに、もう駅に着いてしまった。一か八か歩いてみてもよかったのだけれども、重い荷物もあり、また、どちらへ歩いていいのか見当さえつかなかったので、仕方がないだろう。ともかく、ようやく現在地が分かったことにホッとして、目星をつけておいたホテルへと歩き始めた。10分ほどで、アラータワーホテルという中級ホテルに着いた。チェックインを済ませて部屋に入ってみると、ベイルートと同じような値段にしては、こちらの方が格段にリッチな感じがした。それだけ物価が安いのだろう。そして、1時間余り休憩した後、早速ダマスカスの街へ繰り出した。

 本当はすぐに旧市街に向かい、ウマイヤドモスクなどを見たかった。しかし、それは明日じっくり見ることにしていたので、今日はひとまず国立博物館へ行くことにした。こちらは新市街にあるため、ホテルからも近い。10分ほど歩いて到着した。 博物館は、収蔵品も多くかなり大がかりな割には、見学者が少なく、落ち着いてゆっくりと見ることができた。青い翼に金色の胴体の獅子鷲像がとても印象的だった。他には、やたらと目が大きい坊主頭の神官(?)の像が、特に注意して見たわけではないにもかかわらず、強く記憶に残っている。シリアは歴としたメソポタミア文明の中心地(シリア北東部、ユーフラテス河の畔のマリは、古代の大都市だった)であり、他にもウガリットなどの大遺跡があるため、このような大規模な収蔵品が形成されているのだろう。 ひとつ残念だったのは、解説がフランス語だったため、出土地の他はほとんど分からなかったことである。こういうときは、少しだけツアーが羨ましい。

 さて、博物館を出た後は、すぐ隣りにあるテキエモスクへ行った。黄色と白を基調とした、のどかな感じのモスクだった。正面には小さな池があり、その周囲では子供が遊んでいた。また、机と椅子があって、そこには老人が座っていた。オスマン朝時代の重要な遺構らしいのだが、ごくありふれたイスラムのモスクとしか感じなかった。歴史的な雰囲気を壊すかのように、敷地内に軍事博物館が併設されており、その辺りが、十分に浸れなかった原因なのかもしれない。その後は、埃っぽいダマスカスの街を適当にぶらぶらした。実は水が買いたかったのだけれども、ラマダンのため、開いている飲食店や食料品店が少なく、かなり歩き回る羽目になってしまった。レバノンとは対照的に、みんな真面目にラマダンをやっているようである。シリアは国内交通網の整備度合など、旅行のしやすさから見ると、レバノンより断然いいのだが、社会構造は、閉鎖的なイスラム社会そのものであり、レバノンの方がずっと開明的と言える。この辺の対比は実に興味深い。

 4時前に宿に戻ってくつろいでいると、4時40分頃に突然空砲が鳴り響き、次いで大音量のコーランが流れ始めた。日没の合図、要するにラマダンが終了したからもう物を口に入れてもいいよ、という合図なのだろう。おそらく今、街へ繰り出せば、開店するやいなや、腹を空かせこの時を待ちかねた客に埋め尽くされたレストランをあちこちで見ることができただろう。しかし、もう街へ出る気力などは残っていなかった。友人達に絵葉書の第二弾を書いたり、この旅の友の「コーラン」を読んだりしながら、部屋の中でのんびりと過ごした。シャワーを浴びて、午後7時すぎに就寝した。

前の日へ   次の日へ   フェニキア歴史紀行のトップへ