フェニキア歴史紀行

1998年12月26日(第1日目) レバノンへ  大阪−アムステルダム−ベイルート

 今回の旅も関西空港からスタートする。そしてイスラエルのときと同じように、KLMオランダ航空に乗って行く。10時40分発のアムステルダム行きに乗り込んだところから旅の記録を始めたいと思う。 毎度のごとく通路側の席に座って離陸を待っていた。そしてこれも毎度のごとく緊張していた。離陸が嫌いなのだ。これだけ海外旅行を繰り返して、未だにこんな有様とは、本質的に飛行機が苦手なのかもしれない。そんな情けない状況で、もしかしたらこれで人生が終わるかもしれない運命の瞬間に向けて覚悟を固めていたとき、突然「アンマン…」という単語が聞こえてきた。

 "えっ?!"と思い、それと同時に覚悟を固める作業がおろそかになった。アンマンってヨルダンの首都のアンマン? だよな? そうしたら、俺と同じようなところへ行くんちゃうか? 隣をそれとなく観察すると、母娘らしい2人の女性だった。先日の米英によるイラク攻撃で、ヨルダンには観光旅行自粛が出ていた筈だが・・・いたって普通の観光客にしか見えない彼女らが本当にそんなところへ行くんだろうか?

 向こうの話が一段落ついたところで、おそるおそる尋ねてみた。 「ヨルダンへ行かれるんですか?」 「そうですけど…」 ちょっと白々しいと思ったが、口で言ってもにわかには信じてもらえないくらいの偶然だったので、座席の前のポケットにある地球の歩き方シリア・ヨルダン・レバノン編を取り出してそれを見せた。 「私も同じようなところへ行くんです。」 こっちもびっくりしたが、向こうも同じようにびっくりしていた。同じような(もっと変な)ところへ行く人がいるということを知って、世の中結構広いなあとでも思ったのだろうか。驚いているうちに、離陸は終わっており、飛行機はもう飛び立っていた。

 ヨーロッパまでの地獄の12時間フライトを、共通の話題で楽しむことができたため、いつもよりもかなり短く感じた。ヨルダンに日本人の友人がおり、今回はその彼女にヨルダンを案内してもらうらしい。しゃべって、寝て、またしゃべって、オランダ時間の午後2時半頃にアムステルダム・スキポール空港に到着した。 乗り継ぎの時間も彼女らと喫茶店などでつぶし、午後4時すぎになったので搭乗口へと向かった。しばらく待合室で待って、5時頃に搭乗が始まったので飛行機に乗り込んだ。席が別々だったので、互いの幸運を祈って彼女らと別れて席に着いた。

 隣の席が空いていたので、割とゆったりと座ることができた。 機内では半分寝ていたが、もうすぐ空港に到着するというアナウンスで目が覚めた。"??" 確かこの飛行機はアンマン経由でベイルートへ行くはずであり、旅行会社からもそのように聞いていたのに、アナウンスではベイルートに着くと言ったような… モニターの飛行状況の地図を見ると、どうやら本当にベイルートに向かって着陸態勢に入っているようである。わけが分からなかったけれども、ベイルートに到着するということは疑いのない事実らしい。意外にネオンの多いベイルート市街の真上を通って、飛行機は午後11時にレバノンの首都ベイルートに到着した。

 入国審査は何の問題もなくすんなり終わり、11時半には早くも外へ出てしまった。本来ならば、午前2時近くに到着する予定だったので、頭っから空港で夜を明かすことを考えていたため、いきなりこんな早い時間で面食らってしまった。どうしよう、街へ出ようか。空港内に宿を紹介するような観光案内所でもあれば、と思ったけれども、あいにく何にもないちっぽけな空港である。今から街へ出るのも億劫で治安も不安だったので、当初の予定より少し長いものの、空港内のベンチで一晩過ごすことにした。

前の日へ   次の日へ   フェニキア歴史紀行のトップへ