パレスティナ歴史紀行

1998年4月28日(第4日目) エルサレムへ  ティベリア−エルサレム

 朝7時に起床。荷物をまとめて8時過ぎにチェックアウトした。8時半頃バスターミナルへ着くと、9時にエルサレム行きがあるようだったので、パンと水を買い込んでバスを待った。やがてバスが来たので乗り込み、定刻通りの9時に出発した。

 エルサレムまでの道中はほとんど寝ていたのだが、最初に目覚めたとき、左手(東側)の地形が大きく落ち込んで、その遙か向こうにこちらと同じくらいの高さの大地が見える、そんな印象的な風景だったことを微かに覚えている。軍事境界線といった感じで鉄条網が張り巡らされていたことを考え合わせると、大地の裂け目にはヨルダン川が流れており、その向こう側はヨルダン領だったのだろう。そして、二度目に目覚めた時には、周辺の様相が一変していたので驚いた。北部の緑豊かな大地と打って変わって、ごつごつしたむき出しの岩と乾いた土がどこまでも続いている。ああ、これは俺が思っていたイスラエルの風景そのものだなあ。何となく、心の奥底から突き上げてくるようなものを感じた。やがてすぐにエルサレムに到着したので、その近郊の風景だったのだろう。

 12時前にエルサレム中央バスステーションに降り立った。さて、早速宿探しといきたいのだが、地図が粗末なため、方向が全くつかめない。とりあえず目の前にエルサレムのメインストリートのヤッフォ通りがある。しかしどちらへ進んでいけば街の中心へ行けるのかよく分からなかった。しばらくターミナル周辺をうろうろした後、70%くらいの確率でこっちじゃないか、と思った方に歩き始めた。古くさい街並がいつまでも続く道を、指標となるものを見つけられないまま、何度か引き返そうかと思いつつも歩いていると、しばらくしてやや大きい通りにぶち当たった。何か分かるかもしれないと標識を見てみると、驚くべきことに、新市街の中心に近いキング・ジョージ5世通りだった。方向が合っていてほっとするのと同時に、早くも街の中心にまで来てしまっていたことを喜んだ(意外と地図の縮尺が大きかった)。

 この周辺にもいくつか中級ホテルがあるようだったが、一番いいと目星をつけておいたホテルがアメリカン・コロニー地区にあったので、重い荷物を背負ったまま、再び歩き始めた。警察本部横の細い坂道を登って降りて苦労してアメリカンコロニー地区までやってきた。この辺は道も片側4車線くらいあり、また、車もびゅんびゅん飛ばしていて、まさにアメリカの都市郊外のような面持ちである。ところが、地図に書かれた位置周辺をどれだけ探しても、お目当てのホテルが見つからない。どうやら地図が決定的に間違っているか、ホテルがなくなったかどちらかのようだったので、諦めて来た道を引き返すことにした。30分近く掛けてまた新市街の中心のシオン広場に戻ってきた。時刻はすでに1時半で、もう1時間半も重い荷物を背負って歩き回っておりくたくたである。このシオン広場の周辺を物色するかと、ヤッフォ通りを一本奥に入ると、うまい具合にトラベルエージェンシーが目に入った。これは楽ができるかもしれないと、早速店内に入って交渉してみることにした。

 女性の店員が2人いたので、早速彼女らを相手に交渉に入ったのだが、こちらの英語が下手なせいで、なかなか言いたいことが通じないため、かなり苦労してしまった。まず、予約のリザベーションという言葉が通じない。いつも思うのだが、日本人というのは英語をろくに喋れないくせに、めったに使わない難しい単語の数だけはたくさん知っている。それというのも、我々が高校時代に習った英語が、海外で会話を楽しむためではなく、難しい思想や学説を読むためということに起因している。彼女らからしたら、リザベーション(アメリカ英語とイギリス英語の違いということもあるのか?)というような難しい単語を使わなくても、ブックで十分なのである。しばらくして、ひょっとしてお前はホテルをブックしたいのか、ということでやっとこっちの言いたいことが向こうに通じた。

 今日から帰国の日まで、ずっとエルサレムを起点に動くことにしていたため、多少いいホテルに泊まりたかったので、50ドルから80ドルくらいのミドルクラスのホテルに泊まりたいと告げた。しばらくコンピュータをガチャガチャやっていたが、やがていい物件を見つけたようで、打ち出した紙を見せられて説明を受けた。どうやら6泊のうち今夜から3泊分は、5月1日の独立50周年プライスで高くなっているようである。まあ、独立記念日プライスについては、ひょっとしてどのホテルも満員で取れないんじゃないかと心配していただけに、多少高くなるくらいのことは仕方ないと割り切ることにした。今夜から6泊するホテルは、ここから歩いて5分くらいのところにあるエルサレムタワーホテルだそうである。丹念に行き方を教えてもらい、トラベルエージェンシーを出た。

 シオン広場から斜めに延びている、歩行者天国のベン・イエフダ通りを経由して、結構豪華な造りのエルサレム・タワーホテルにチェックインした。高い金を払っただけのことはあり、予想以上に高級な感じである。しかし高いと言っても、80ドル以下(独立記念プライスはもう少し高かったが)でこんなホテルに泊まれるなんて、おそらく個人で取るともっと高かっただろう(ひょっとしたら安かったかもしれないが)から、ちょっと得したような気分になった。時刻は午後2時半、広くて快適な部屋の、これまた快適そうなベッドに寝転がって、しばらくボーっとしてくつろいだ。

 さて、今日はもう観光はいいから、とにかく懸案の事項だけ全部済ませておくことにした。まずは、ベン・イエフダ通りにあるTシャツを中心とした土産物屋さんに入り、絵葉書とついでに3枚ほどTシャツを購入した。そしてホテルへ戻り、約束していた4人に絵葉書を書いた。また、それと並行して、KLMのテルアビブの事務所へリコンファームの電話も掛けておいた。何故か込み合っておりなかなか繋がらなかったが、1時間近く掛かってやっとリコンファームを完了した。そして、絵葉書を書き終えた後、投函するために再び外出した。郵便局はシオン広場からヤッフォ通りを旧市街の方に5分ほど歩いた場所にある。窓口で切手を買い、ポストに入れておいた。部屋に戻ってからは、明日以降の予定を立てたり、罪と罰(今回の旅の友)を読んだりして過ごした。先程外出した時に買ったパンだけのわびしい夕食を済ませた後、バスタブ付だったので、お湯を張ってお風呂に入った。幸せ、幸せ。洗濯をして、8時半頃寝た。

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