パレスティナ歴史紀行

1998年5月5日(第11日目) 厳しい出国  テルアビブ−アムステルダム−

 ようやく午前0時になって、搭乗手続きが開始されたようなので、俺もその列に並んだ。しかし噂通り厳しいチェックが一人ずつ行われているようであり、全然列が進んでいかない。午前0時すぎとはいつもならとっくに寝ている時間なので、眠くて眠くてたまらなかった。ほとんどボーっとしながら立ち続けた。KLMの便の列は計4つあった。そして、チェックインカウンターの前にテーブルが5〜6個置かれ、10人くらいの係員がマンツーマンで質問をしていた。

 並び始めてから1時間半近くして、ようやく列の一番前まで来た。ところが、ここからが長かった。手の空いた係員が、4つある列の先頭(の方)にいる人を招き寄せるのだが、何故か俺が一番先頭に来ても後ろに並んでいる人を次々に招き寄せて、なかなか俺を呼んでくれないのである。ちょっとむっときたが、列に並んでいるときから係員の行動を見ていたので、何となくその理由を推測することができた。どういうことかと言うと、どうも彼らは、英語(又はヘブライ語)が苦手そうな人をやりたくないようなのである。日本人や韓国人などの東洋系とか、アラブ系(パレスティナ人だろうか)の人が一番前に来ると、英語ができるかと聞きもしないで、平然とその後ろの人を連れていくのである。見ていると何だか人種差別されているようで、あまり気持ちいいものではない。ひょっとしたら、本当に単純な人種差別の嫌がらせかもしれないが、まあそんなことはないと思いたい。適当にしばらく抜かれていると、そのうち親切な係員がずっと待たされて可哀想と思ってかやってくれるので、俺もそのお情けを待つことにした。

 残るのは、さっきから係員が苦労している日本人の団体さん(巡礼ツアーのようで、どういうわけかおばあさんばかりだった)くらいになったときに、やっと親切そうな若い男の係員に呼んでもらえた。まず最初に英語が話せるか、と言うから、「少しだけだから、ゆっくり喋ってくれ」と頼み、質問が開始された。何しにイスラエルへ来たのか、どこへどの様な手段で行ったか、誰かに会ったか、どこに泊まったか、荷造りは誰がしたのか、荷物に何か入れられた可能性はないか、など予想通りの質問が続いていくが、細かい点まで突かれてかなり大変だった。以下、苦労した質問を2つ3つ、会話形式で紹介する。

 係員「ティベリアではどこに泊まったのか」
 自分「パノラマというホテルだ、ここに領収書もある」
 係員「何で領収書を整理して(エルサレムのホテルのも併せて見せた)持っているのか」
 自分「質問が厳しいから、領収書を取っておくと便利だと聞いていたからだ」
 係員「(苦笑して)誰から聞いたんだ」 自分「ガイドブックに書いてあった」
 係員「このホテルは予約していたのか」
 自分「いや、直接行って交渉した」
 係員「どうやって(こんなマイナーな)ホテルを見つけたのか」
 自分「ガイドブックに紹介してあった」
 係員「ガイドブックのその部分を見せてくれ」…

 係員「ベツレヘムではどこへ行ったんだ」
 自分「聖誕教会と聖家族教会(実際行ってないが、少し粉飾した)」
 係員「ファミリー?(聖家族教会の英語名が分からず、ファミリー教会と言った)どこのファミリーだ、知り合いがいるのか」
 自分「えっ、いやそうじゃなくて… (ガイドブックで急いで調べる。げっ、載ってない。粉飾するんじゃなかった) 家族に会ったんじゃなくて教会だよ、教会、家族教会だよ…」
 係員「教会で家族に会ったのか」
 自分「… いや、違う違う、聖・家・族・教・会」
 係員「?? まあいい(とりあえず横に置いとかれた)」

 この後はおきまりの質問「君はアラブ系の国にたくさん行っているようだが」というのが続き、入国時と同じように、その行程からだ誰も知り合いがいないことや、何も頼まれてないことまでみっちりと聞かれてしまった。そうしてやっと一段落ついたと思いきや、係員は俺を待たせてどこかへ行き、おばちゃん団体の添乗員の日本人を連れて戻ってきた。彼はヘブライ語がペラペラだったので、俺の回答であやふやなところの通訳をしてもらおうと連れてこられたようだった。まず、なぜアラブの国に行っているかということをもう一度言わされ、次にさっきのファミリーについて聞かれ、そして最後にもう一つ、俺の職業について(これもかなり説明したのだが、どれだけ説明しても分かってもらえなかった)聞かれた。これは飛行機の中で日本人の団体さんから聞いた話だが、彼は学校卒業後すぐにイスラエルへ来てヘブライ語などを勉強し、そのままイスラエルへ住み着いてしまったらしい。そしてバイトでツアーガイドなどもやっており(本職は何だったか失念した)、ヘブライ語もペラペラなわけである。そんな彼の通訳のおかげで、何とか無事に釈放された。

 やっとのことでチェックインを済ませた時には、すでに2時半近くになっていた。なんだかこの出国の大変さだけで、もう一度イスラエルに来ようという気が失せてしまいそうである。そして急いで搭乗口へと向かった。残りの金を土産物屋で使い果たし、3時に搭乗した。そして、ほぼ定刻の3時半に離陸した。アムステルダムまでの5時間のうち、最初の4時間はウトウトと寝て、最後の1時間は日本人の団体さんと少し話をした。彼女らは、エジプト(シナイ山)、ヨルダン、イスラエルと2週間かけてキリスト関連の史跡を巡ったらしい。そして午前7時にアムステルダム・スキポール空港に到着した。

 これから午後2時まで約7時間のトランジットタイムがある。絶望的なこの時間を、マクドやセルフのレストランで休んだり、ベンチに座ったり、ウインドウショッピングしたりして、所を変え品を変えで何とか潰した。時間も終わりがけに、売店でバローロを3本かなり安く購入しておいた。いやあ、儲かったなあ。やがて搭乗が始まり、定刻より遅い午後3時頃離陸した。隣りも日本人の一人旅の男だったので、いろいろ話をしながら過ごした。彼は関西大手製造業M社に勤めており、俺と同じ日に出発し、オランダ、ベルギー、イギリスを回ったらしかった。機内食の後、寝ようと試みたが、結局ウトウトしただけで、あまり熟睡はできなかった。

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