パレスティナ歴史紀行

1998年4月25日(第1日目) 大阪発  大阪−アムステルダム−

 今回の旅の始まりは、懐かしい関西空港からである。あの頃と同じで、今度はいつもよりちょっと長い。俗に言うゴールデンウィークをフルに活用しているだけに、チケットは予想を遙かに上回る高さだったが、旅というものは一日長ければそれだけ感じ方も違ってくるから、この時期に出発するのもやむを得ない。前日から大阪に泊まりに来ていたため、午前8時過ぎに関西空港へ到着した。早速チェックインを済ませ、換金し、遅い朝食を取った後で搭乗口へと向かった。飛行機はほぼ定刻に離陸し、一路アムステルダムを目指した。何度乗っても飛行機の中の退屈さと気の休まることのない緊張感には我慢できない。地獄の(どちらかと言えば帰りの方がいつも地獄だが)約12時間のフライトの後、現地時間の午後3時過ぎにアムステルダム・スキポール空港に到着した。

 ギリシアへ行ったとき以来、4ヶ月ぶりの空港である。時間のつぶし方も前回に多少学んでいたので、マクドでビールを飲んだりウインドウショッピングをしたりして約5時間のトランジットを何とか過ごした。だんだん時差の関係で眠くなってきたが何とか乗り切って、1時間前に搭乗口へと向かった。

 すると、な、何だ? 待合室の前には仕切られたスペースが作ってあり、いきなりマンツーマンのチェックが行われているではないか。イスラエル出国時にこういうこと(乗客が爆弾等を持った怪しい者ではないか、また、どこかで荷物に爆弾等を入れられた可能性がないかをチェックする)があるのは知っていたが、いきなり行きのアムステルダムから始まるとは意表を突かれた。質問の係官が7〜8人いるため、あまり混雑なくやっているようである。2〜3分で手の空いた係官に呼ばれたので、ロープで仕切られた待合室前のスペースに入った。最初に英語が得意でない旨を告げて、ゆっくりと質問してもらった。何しにイスラエルに行くのか、誰か知り合いがいるか、職業は、どこに住んでいるのか、イスラエルではどこへいくか、イスラエルでの住所(この質問は自由旅行の俺にとって困る)はどこか、荷造りは誰がしたか等をこと細かに質問される。何とかすんなり終わりそうだと思ったが、俺のパスポートを見るなり、少々雲行きが怪しくなってきた。イランのビザを見付けられたのである。そこから、延々とイランに関する質問が始まった。何しにイランなんかへ行ったんだ? どこを見て回ったんだ? イランに知人はいるのか等々。はっきり言って半分くらいがイラン関係の質問だっただろうか。解放された時はかなり疲れてしまっていた。待合室で半分寝ながら搭乗時間を待った。やっと午後8時過ぎに搭乗が始まったので、飛行機に乗り込んだ。やがて離陸し、一路イスラエルへと向かった。

前の日へ   次の日へ   パレスティナ歴史紀行のトップへ