- 初日、宮古駅から宮古大橋まで歩いてトレイルに復帰し、前回の続きを歩き始めた。
- 途中のコンビニで食料を調達して歩いて行くと、道は宮古湾を巡る防潮堤の上になった。高さ10数mの防潮堤は風が少し強かった。穏やかな宮古湾の先に翌日登る月山が見えた。途中の市営運動公園では子供たちが野球をしていた。
- 防潮堤から車道になり堀内(ほりない)まで歩いた。バスで重茂(おもえ)半島の小角柄(ごづのがら)まで行き民宿「おとべ荘」に泊まった。わかめと昆布の養殖をしている漁師の宿で、夕食のアワビの刺身がおいしかった。
- 二日目はバスで堀内に戻って、続きを歩いた。白浜集落からは月山(がっさん)への登山道だった。登り口が分からず、うろうろしていると、近くで作業をしていた女性が「ここからですよ」と登山道へ続く小道を教えてくれた。
- 登山道は最初のうちは海岸近くを上り下りしていた。20分程歩いたところでカモシカに有った。ベンチの有る休憩所を過ぎると月山への本格的な登りになった。登るに従って紅葉がきれいになった。
- 山頂手前で林道に出た。休んでいると山頂往復の男性登山者二人が抜いていった。林道を一登りすると山頂展望台に着いた。先ほどの男性二人が休んでいた。白浜からの往復との事だった。展望台からは宮古湾を挟んで宮古市街地が見えた。風が強かったので反対側のベンチまで下って昼食休憩にした。
- 下山は登りとは反対側へ向かった。こちらも紅葉がきれいだった。いったん車道に出て、これで終わりかと思ったら、岬先端へ向かう道になった。岬を回り込んだ所から上り下りが多くなり、思いの外苦労した。音部(おとべ)港に出た後は、車道を登り返して民宿に戻った。この日は、蛸飯をおいしくいただいた。
- 三日目も天気が良かった。民宿から直接歩き出した。次の重茂集落には震災後に建てた家が多いせいか新築の家が多かった。重茂漁港で海辺に出た。港の先のトンネル脇には高さ20mほどの場所に木からブイが吊るされていた。何のためかと不思議に思った。
- 登山道に入ると起伏も少なめで歩きやすかった。紅葉がきれいだった。アカマツも多かった。途中の種刺(たねさし)海岸で一休みし、更に歩いて行くと、とどヶ崎の灯台に着いた。白く高い灯台だった。灯台の下は芝生になっていてあずまやが有った。青い海が180度見渡せた。人はいなかった。あずまやに置かれていたノートには前の日曜に来た数人の訪問者の名前が記載されていた。「けっこう歩いてくる人もいるんだ」と思った。
- 岬から先もよく整備された登山道だった。出発してすぐ二人の釣り師とすれ違った。姉吉(あねよし)キャンプ場に出るところにも高さ10mほどの木からブイがぶら下がっていた。震災の津波でぶら下がったもので、「落ちそうで落ちない」と説明板に書かれていた。
- 姉吉からは、この日の目的地石浜に向かって車道を歩いた。石浜手前の集落、千鶏(ちけい)に着いたときは夕方が迫っていた。年配の女性に「山田まで行くの」と聞かれた。「石浜までです」と答えると、「石浜には泊まるところが無いよ」と心配してくれた。バスで戻る事を伝えると納得してくれた。石浜に着くと、犬を連れた若い女性に挨拶された。「今日は泊まるんですか」と聞かれたので「バスで重茂に帰ります」と言ったら安心してくれた。帰りのバスは重茂行きだった。終点の重茂に着いたときは真っ暗だった。下車するとき運転手に「これからどうするの。宮古までは10km有るよ」と心配されたので「宿に迎えに来てもらっています」と答えると安心してくれた。
- 最終日は、民宿の好意で石浜まで車で送ってもらった。おかげでバスで行くより1時間半早く歩き出す事ができた。最初の峠を越えると川代の浜に着いた。民宿に作ってもらったおにぎりを食べながら海辺でゆっくり休んだ。
- 紅葉を楽しみながら次の峠の古道を通り、山田町の国道に出たところで今回の予定を終了した。
- 4日間とも天候に恵まれ、良いトレッキングだった。月山で二人の登山者、とどヶ崎で二人の釣り師に会った外は、トレイルの歩道では人に会わなかった。これでトレイル全長1025km中、295km(約29%)を歩く事ができた。