- 風が強い日だった。乗客15-20人の小さな船は、揺れて窓に波しぶきがたびたびかかった。六島の二つの港では、それぞれ10人ほどのハイカーが入れ違いに帰りの船に乗り込んでいた。港で下りるとすぐ島の人が観光地図を渡してくれた。トイレの場所を尋ねると、「お寺の方が数が多くて便利です」との事だったので使わせてもらった。
- 「灯台」の標識に従って集落の外れまで来ると斜面一面に水仙が咲いていた。ちょうど見頃だった。芳香に包まれた斜面をしばらく登ると灯台に着いた。青い空に白い灯台と水仙がきれいだった。ベンチが有ったので座って休んだ。少し風が強かった。もう少し休んでいたいところだったが、帰りの船の時間も有り後ろ髪を引かれる思いで出発した。
- 所々に石仏の有る雑木林の斜面の道を横切って進んだ。島を半周した「足摺分岐」の標識の所から山頂への登りになった。少し急だった。山頂手前には竹が少し生えていた。
- 大石山山頂も水仙で覆われていた。ベンチと木から吊されたブランコが有った。西日を受けた水仙は、いっそうきれいだった。
- 帰りは山頂からは港に向かって直接下った。道の両側には水仙がたくさん咲いていた。多すぎて踏んづけそうだった。
- 下りたところには小学校と保育園が隣り合わせで建っていた。保育園の若い女の先生2人が「どうぞ寄っていってください。もう子供達は帰っていますけれど」と誘ってくれた、建物の中に入ると子供達の写真が壁に貼られていた。ネクタイを締めた小学校の校長先生も出て来て、屋上に案内してくれた。海の向こうには四国の山々が見えた。「ここには5年生が二人と園児が一人います」と説明してくれた。東京から来たと言うと驚いていた。帰る時に、もう一人の若い男の先生から「子供達が作ったんです。来た人にあげているんです」と折り紙の水仙をプレゼントされた。
- 港にはヒジキの工房が有った。入ってみると誰もいなかった。後から入って来た若い4人組観光客は、あきらめて出て行ってしまった。奥に声をかけてうろうろしていると、ようやく人が出てきた。4人組にも「人が来ましたよ」と声をかけ、無事、全員が島産のヒジキを購入する事ができた。
- 帰りの船まで時間が有ったので、地ビールを作っているお店で休む事にした。愛想の良い丸顔の若い男性がビールをコップについでくれた。飲みながら「ドイツの白ビールみたいですね」と言うと「そうなんです」といっそう愛想良くなり、「田舎がこちらなんで戻って来たんです。最初は麦を作っていて、それからビールを造るようになったんです」と説明してくれた。3本入りの詰め合わせ小箱も有って、お土産に持って帰りたかったが、翌日も歩く予定だったのであきらめた。
- 帰りの船は一日四往復有るうちの最終便だった。我々の他には先ほどの観光客4人も一緒だった。うち男性1人はビールの小箱をお土産に持っていた。やがて小学校の先生二人、保育園の先生二人もやってきた。どうやら先生達も毎日船で通勤しているらしかった。若い男の先生はクーラーボックスを持っていて島で取れた魚を今晩のおかずにする様子だった。