- 前日の7/20、Bohinj湖からバスでSlap Sabica(サビチャの滝)へ移動し、Savici小屋に宿泊した。
- 初日の7/21、幅広のつづら折りに作られた道を登っていった。要所要所が石垣で整備されていた。時々小雨が降った。やがてつづら折りの道が終わり、谷の道になった。トリカブトや菊が咲いていた。Komni小屋との分岐を過ぎるとお花畑になった。行く手に本日宿泊のBogatinom小屋を見下ろす地点には「この付近は第一次大戦時、オーストリア・ハンガリー軍のキャンプだった」との説明板が有った。Bogatinom小屋周辺は草原の中に白い岩の点在するカルスト地形だった。ウサギギクに似た花や、ハクサンチドリに似た花など色とりどりの花が咲き、パラダイスのようなところだった。他の宿泊者は幼い子供二人を連れたドイツ人夫婦だけだった。
- 二日目は良い天気だった。かつての軍用道で、よく整備されていた。途中には補給基地跡が有った。Vratica峠まで斜面に作られた緩い登り坂が続いた。カルスト地形で白い岩が点在し、花がたくさん咲いていた。
- Vratica峠には建物跡や塹壕跡が有った。峠からの下りもお花畑だった。時々小雨が降った。正面には目指すKrnが見えた。第一次大戦時の建物の廃墟の横を下って行くと草原に出た。「羊に注意」の看板が有った。
- 羊小屋の横を通り過ぎるとKrnskih jezerih小屋に着いた。小屋前には20人ほど登山者が食事をしながら休んでいた。受付は17時からとの事なので我々もスープとビールを飲んで休んだ。カウベルが下から聞こえてきたので休憩後に行ってみた。小さな湖の畔に牛が10頭位放牧されていた。小屋は「明日Krnを往復する」と言う13人のイタリア人グループの他、二組の二人組が泊まっているだけだった。部屋はきれいでシャワーは無料だった。
- 三日目も良い天気だった。Krnsko湖への途中で牛の群れを連れた35歳位の女性とすれ違った。覚え立てのスロベニア語で「ドブロユトロ(おはよう)」と挨拶した。Krnsko湖は大きな湖だった。横の斜面にはFringed ping(タカネナデシコの近縁種)がたくさん咲いていた。東岸まで進み休んでいると、羊が列を作ってやってきた。しばらくは羊たちと一緒に登った。やがて広い平坦地に出た。一面にマツムシソウが咲き、正面にKrnを望む別天地だった。羊は平坦地の一番奥まで行っていた。
- 平坦地からはアルペン的雰囲気の岩山に囲まれた谷を登って行った。イワベンケイ(Rose root)やハクサンフウロに似た花、ウサギギクに似た花が咲いていた。湖方向からの吹き上げの風が強く少し寒かった。途中に水場が有ったのでのぞいてみた。50cm位の底に水が流れているだけで、上流側も下流側も伏流になっていた。
- Krnska skrbina峠では、反対側にSoca(ソチャ)谷を見下ろすことができた。直接、Krn山頂に向かう道が良く分からず、Krnu小屋に向かうトラバース道を登った。小屋前には6人ほど登山者が休んでいた。月曜日のせいか小屋番はいなかった。小屋のベンチ横に荷物を置き、Krn山頂まで行った。山頂には展望板が有った。他に登山者が3人いた。30歳くらいのドイツ人らしい女性に写真を頼まれ撮ってあげた。小屋に戻り昼食休憩にした。
- 小屋からは牧歌的風景のつづら折りの道の下りだった。花がきれいでハクサンフウロに似た花などが咲いていた。登山者20人ほどとすれ違った。標高1610mの小台地で休もうとしたら、放牧の牛がやってきて邪魔された。60mほど下ったところで休み直した。Kuhinj小屋まで下り宿泊した。英語が通じなかった。夕食前、覚え立てのビールの銘柄名「ラシュコ」と言うと、「おお、ラシュコ」と言いながら機嫌良く冷蔵庫から500ccの瓶ビールを出してくれた。
- 翌日はバスでKobaridの町まで下り、Bovecを経由しKranjska Goraまで移動して宿泊した。