痛快登山で三百名山に挑戦!! ガッツの人!!

1990年から約6年で百名山(95年8月)達成。県別最高峰(98年2月)、九州百名山(2000年10月)、一等三角点百名山(01年10月)、関西百名山(01年11月)、中国百名山(02年7月)、四国百名山(03年11月)、甲信越百名山(04年7月)、東北百名山(04年10月)達成。日本三百名山はペテガリ岳で02年7月に達成した。これからも日本のありとあらゆる名山を目差す。

川口さんと言えば、痛快登山。長身を生かした早足で次々と山に登る。九州百名山を目差していたときは1日3−4個の山は当たり前。さながら、そこに山がある限り登り続けると言った感じだ。
単独行中心の速攻登山だけでなく、みんなで楽しくわいわい登るのも大好き。2001年のお正月は仲間と燕岳で迎えたそうだ。
でも、そこは痛快登山、他の人が温泉の間にも山に登る。石狩岳に単独日帰りで登った後、迎えに来た温泉組を、「まだ時間が早いのでニペソツ山にも登る」とあきれさせた。

毎週末はソフトボールチームの練習でトレーニング。残念ながら山登りで半分くらいはパスしているとのこと。市民ハーフマラソンにも年3回出場。

初めて登った山は富士山。高3の時。お兄さんに連れられていった。けれど「山はしんどいだけ」とずうっと敬遠していたそうだ。山好きになったきっかけは1990年41歳の尾瀬に行き燧ガ岳に登ってから。以来、山の本をあさり、低山ハイクから「日本百名山」へと次々に登り続けた。富士山も再度登ったそうだ。
そして山頂ではいつも歓喜の「ヤッホー」を雄叫びするとのこと。そうですか、山頂での雄叫びを聞いたら川口さんかも知れませんね。

一番のお気に入りの山は、やっぱり光岳。聖平から上河内岳へ進むにつれ、だんだんと光岳が近づき、胸が高鳴っていったと、記念に作った冊子「痛快! 日本百名山」に報告している。山頂では仲間から祝福されて2時間あまりも感激に浸っていた。

しかし、失敗談もある。日留賀岳では頂上で賽銭を上げたときに財布を忘れてきた。曰く「賽銭をケチり過ぎた」。普通なら健脚を生かして再度登るところだが、この日は鬼怒沼山をピストンしての2山目だったため、さすがに登り返す時間がなかったそうだ。
九州の祖母山では下山で足を滑らし、脳震とうを起こすハプニングも経験した。「ここはどこ? 私は誰?」状態だったそうだが、特にけがなどはなく無事下りて来られたそうだ。気をつけて下さいね。

今後の目標は日本のありとあらゆる名山踏破。北海道百名山を次の視野に入れいている。
和歌山出身の柏市民、時に駄洒落を飛ばすユニークな山愛好家。痛快登山で いつまでも山頂での雄叫びを聞かせてほしいと思います。
(写真は光岳にて。1995.8月 撮影)