Our Opinion

Our Opinion


CONTENTS

  home

自動車を所有する意味
 松本では、連休中の9月20日は「カーフリーデー松本」が開催され、松本城周辺が歩行者天国になり、車を使わない生活を考える1日になります。

 個人的に昨年末、車検を機会に車を手放しました。学生最後の年、1985年に中古車を買って以来、30年目にして自宅に車がない生活になりました。車をやめてみると、ちょっとさびしい感じはありますが、なんといってもどれだけ車に経費が掛かっていたかがわかります(なぜか貯金は増えないのですが・・・)。もともと東京では車がなくても生活にはそれほど困りません。松本を活動の拠点にしてからは、週末や連休に東京と松本を往復するのに主に使っていましたが、だんだん深夜のロングドライブがきつくなってきていました。ガソリンが高くなって高速の割引が支渋くなったというのも乗らなくなった一つの理由です。

 確かに車は荷物も積めますし、気が向いたらいつでも出かけられるという自由な良さはあります。自分の空間を持って歩けるような良さもあります。しかし、逆にこんなに大きくて重たいものを持って歩いている?ことの不便さも感じるようになりました。我が家で運転できるのは私だけなので、眠くても疲れていても車を自分で運転して帰らないといけません。使わないときに出先でそこらに置いておくこともできません。都会や市街地では駐車場を探すだけで疲れてしまいますし、お金もかかります。車を実用品と割り切れば、使うときだけあればいいと思うようになりました。レンタカーやカーシェアリングがもっと便利になると良いなと思います。

 レンタカーについていえば、引っ越しのように本当に車が必要なのは片道、ということは良くあります。もっと乗り捨てが簡単にできると良いのですが、日本では登録地と違う場所で貸すことができないようで、乗り捨てができないか、非常に高くつきます。2000年に2EVを持ってアメリカに行ったとき借りたレンタカーは、北部のユタ州で借りたのに中西部のアリゾナのナンバーでした。結局西海岸まで走ってシアトルで返しましたが、この車、どこまで行っちゃうんだろうと思いました。こういうことができないと自由な乗り捨てができません。どうせ車検は全国どこでも受けられるのですからどこのナンバーの車でも貸し出せるようにしてほしいものです。

 そんなことを言ってはいても、たまに初期型のロードスターやMGBなんかを見ると、いいなと思ってしまいます。スポーツカーにも乗ってみたいなと思うものの、いつも実用的な荷物がたくさん載る車1台で済ましてきました。これからは、週末しか乗らない人は趣味車だけは所有してたまに使う実用車は借りて済ます、ふだん車を常に使う人はEVやワゴンを持って、スポーツカーや四駆を遊び用に借りる、そんな生活が主流になっていくかもしれないですね。

 またしばらくしたら気が変わって車を持つかもしれません。相変わらず自動車のニュースは気になって見ています。この前、テスラのデモカーを見てきました。さすがに高すぎて手が出ませんが、魅力的な車です。EVだけでなくて日本車にスポーツカーも少しずつ戻ってきたようで、楽しみです。

(初出:日本EVクラブ会報2015年版を加筆訂正)

index


欲望とリスクのあいだで

 長い距離を走れて軽量な高性能EVを実現するには高性能バッテリーが必要だといいます。それは、エネルギー密度の高いバッテリーということに他なりません。EVがガソリン車より短い距離しか走れないのは、バッテリーの体積または重量あたりのエネルギー密度が低いからです。エネルギー密度は高く、充電時間は短く、これがバッテリーに対する要求です。

 昔から言われてきた、この話に見落としていることはないでしょうか。確実に言えるのは、「エネルギー密度の高い燃料は制御が難しい」ということです。爆弾にするのでない限り、動力源としての燃料は、できるだけ安定に制御しながら供給されなくては危なくて使えません。薪であれば軒下に積んでおいてもよいですが、ガソリンはそこらに放り出しておくことはできません。薪は簡単に火がつかず、燃えても穏やかにしか燃えませんが、ガソリンは火がついたら始末におえません。そのかわり、エネルギー密度の高いガソリンをうまく制御して燃やせれば、少量の燃料で大きなパワーを得ることができます。

 これの究極が原発です。わずかな燃料で何年も発電できる、無事に運転できれば低コストのまさに夢のエネルギーでした。しかし、(放射能や放射性廃棄物といった厄介なおまけのことを無視したとしても)このエネルギーを一気に放出すれば都市一つがなくなってしまうような破壊力を持つことは良く知られています。これを制御してお湯を沸かして電力を取り出すということがいかに困難なことであるかは容易に想像がつきます(原子炉も、ようは蒸気機関と同じ巨大な湯沸かし器です)。

 安全試験機関に勤める友人の話では、安全性を評価する立場で見ると、大型リチウムイオン電池の急速充電というのはかなりリスクの高い技術だということです。以前、パソコン用電池が発火したのは、電池の高容量化と充電時間の短縮というニーズを、電池メーカもセットメーカも追及した結果、安全のマージンが削られたことが主な原因だといいます。自動車用のリチウムイオン電池は携帯やパソコン用のものより安全マージンをかなり高く取っています。しかし、原理的に可燃物を含むことで発火のリスクを抱えています。また、自動車業界もパソコン業界と同じように大容量化と急速充電というニーズに答えようとメーカは日々努力しています。このことが、同じように安全のマージンを削ることになりはしないか、危惧しているところです。リーフやi-mievが発火事故を起こして喜ぶのはEVを作っていないライバルメーカに他なりません。

 自然エネルギーで走るEVを選ぶということと、原発推進ということは、正反対の行動のように見えます。しかし、大容量で急速充電可能な電池を求める心理と、高エネルギー密度で一見低コストの原発を求める心理には、実は共通するものがあります。それは、目先のメリットだけが見えていて、リスクを直視していないということです。人間は、起こる可能性の低いリスクのことは目に入りません。また、自分だけは大丈夫と考えてしまいます。たぶん、5年後に確実に死ぬと宣告されれば禁煙する人はもっと増えるでしょう。自分だけは大丈夫と思うから、地震のニュースを見ても家具の固定すら行わない人が多いのです。

 想定外という言葉がはやりました。数百年に一度の津波は確かに想定外かもしれません。しかし、そこには大きな勘違いがあります。事故が起きる可能性から想定すると安全対策は往々にして不要になります。しかし、事故によっておきるリスクを想定すれば安全対策は必須となるということです。自動車で言えば、大半のヒューズやエアバッグは使われずにその寿命を終えます。では、事故の可能性が限りなく低ければ安全装備は不要なのでしょうか。自動車が衝突したら乗員が受ける衝撃に耐えることはできません。そして、人間が運転する限り、今のところ絶対に衝突しない自動車はありません。この単純な事実があるからシートベルトなどが必要なのです。事故の原因は居眠りでも脇見でも何でも良いのです。原発でも同じです。ひとたび電源が一定時間失われたら暴走して制御できなくなるという原理を持つ機械だからこそ、そうならないようにする対策が必要なのです。電源が失われる原因など何でも良いのです。それこそ、ゴジラが上陸したとかUFOが攻撃してきたというものでもかまいません。ゴジラは来ないかもしれませんが、電源が失われる可能性はゼロではありません。

 エネルギーを使う機械には、必ずリスクがあります。そのエネルギー密度が高ければ高いほど、リスクは高くなります。そのことを直視しないと、必ず事故につながります。絶対安全なシステムはありえません。そして、リスクはスピードや充電時間などの性能のように簡単に把握できないのです。想像力を働かせないと見えてこない領域です。だから、安全を考えるのは難しい。これからEVを普及させていくために、いかにリスクを考え抜いていけるか、EVにかかわる私たちに課せられた大きな課題です。

(初出:日本EVクラブ会報2012年版を加筆訂正)

index
足るを知る、ということ
 2011年3月11日、私は仕事で埼玉県の取引先を訪問していて、打ち合わせ中に揺れが来ました。生まれて初めての大地震です。被害はありませんでしたがその場で仕事はキャンセル、行きは高速で2時間もかからなかった道のりを大渋滞の中7時間かけて帰宅しました。その後はご存知のとおり、つながらない携帯に給油の長蛇の列、それにかつてテレビで見た東側の国のように、棚が空っぽのスーパーという光景が繰り広げられました。しかし、良く考えてみれば、東京や神奈川では、もちろん被害もありましたが、乱暴な言い方をお許しいただければ、「電車と高速が一晩止まっただけ」のことです。短時間の停電はありましたが別に何もかもなくなったわけではありません。それなのにこの大騒ぎです。私たちはいつから、これほど「不足すること」を恐れるようになったのでしょうか。

 1995年の阪神大震災では、電話が使えなくても携帯は使えたそうです。まだ、それほど普及していなかったからです。こんどは、普及しすぎた携帯はまったくだめでしたが、皮肉なことに誰も使わなくなったPHSはOKでした。被災地では給油待ちのガソリン車の列に並ぶことなく、EVが役に立ったそうです。でも、EVが大量に普及したら、電気が足りない時に昼間の急速充電は禁止されるでしょう。日本ではログハウスに住んで薪ストーブで暖をとるというのは、エコなライフスタイルのように見えます。一部の余裕がある人たちが楽しんでいるからです。しかし、多くの開発途上国では、薪を使うことこそが森林破壊と不健康な生活の元凶として他の燃料への転換が求められています。

 人間はエネルギーやものを消費しなければ生きていけません。たくさんの人間が、いっせいに消費することにこそ、問題がありそうです。産業革命以来の歴史を見ると、人間は、便利で新しいモノ(エネルギーも含めて)が、お金を払えば好きなときに欲しいだけ手に入るという環境を求めて努力してきたように思います。そして、つい最近まで、いわゆる先進国では、それは実現したように思っていました。しかし、どうやらそれは夢だったようです。1950年代に、原子力は問題を全て解決する夢のエネルギーでした。鉄腕アトムの名前がそれを象徴しています。その夢が消え去ろうとしている今、次の夢のエネルギーは太陽光パネルかもしれません。しかし、かつては半導体に使えない余りもののシリコンでできるとされていた太陽電池を大増産したらシリコンが足りなくなってしまいました。余剰物資で作っていたはずのものが資源を大食いしてしまったわけです。風力発電もたくさん建てたら騒音や景観等のトラブルを引き起こしています。原発のリスクとは比較にならないほど低いものですが、どんなエネルギーも大量に使えば問題を起こします。

 私たち日本EVクラブでは、長年にわたってEVの「普及」を目指してきました。そして、EVの普及を望むものは誰もが「高性能な電池」を夢見てきました。「普及」とは、誰にでも手に入るようにたくさんつくることですが、すでにその前にはレアアースなどの資源問題の壁が立ちはだかっています。リチウムイオン電池によってEVはかなり実用的になりました。しかし、より高容量、短時間の急速充電を追い求めた結果、目の前のパソコンが突然発火することでその危険性を見せ付けました。高性能なEVを普及させる、自然エネルギーを普及させることだけで問題は解決しません。

 原発を止めて電気が不足すると経済が成り立たなくなる、という人がいます。電気事業連合会の資料によれば、1990年比で発電電力量は約50%増えました。しかし、人口は5%程度しか増えていません。また、バブル崩壊以後ここ20年で名目GDPはほとんど増えていません。オール電化でガスのシェアを奪っただけということかもしれませんが(EVでガソリンのシェアを奪うのはこれから?)、はたして私たちはテレビや冷蔵庫が始めて来たときのように、50%増えた電力で豊かさを感じたでしょうか。50%もエネルギー消費を増やしていながら豊かさも感じず、経済成長すらできない、私たちは一体何をしてきたんでしょうか。より多く、ではなく、より少ないエネルギーで同じ結果を得るという方向に考え方を切り替えていかないといけないように思います。

 そして、効率を追求して集中化させたエネルギーや社会システムは、災害に実に弱い形になっていました。スイッチを入れれば明かりがつき、蛇口をひねればきれいな水がいくらでも使える。店には大量の商品が並び、わずか数分で自動車にガソリンを満たすことができる。こんな暮らしが当たり前になっています。しかし、その電気が福島や新潟の原発からはるばる東京まで送電されていること、遠く中東で採掘された原油がガソリンに精製される過程、複雑な商品流通、この便利な暮らしを支えている巨大なシステムとそれを支える膨大な人たちのことをつい忘れてしまっています。ひとたび災害が襲えばその精緻なシステムはたちまち破綻してしまうことを思い知らされました。

 松本支部のガレージでは、太陽光発電でハイゼットEVを充電して使っています。聖高原にあるクラブハウスでは、周囲の山から薪を集めてきて暖房に使っています。家の横を流れる沢が近くの水源地につながっています。そこから水道が供給されているので、ゴミを捨てる気にはなりません。不便な代わりに実にわかりやすいシステムです。都会の便利な生活に浸っている私たちは、ほんのお遊びで良いですから、アウトドアや家庭菜園を通じて自然の恵みに支えられて暮らすということを実感すると良いのではないでしょうか。距離を走れないEVを使うというのも、限られたエネルギーの大切さを感じるのに役に立ちます。オール電化で低コストという一極集中ではなく、電気がだめなら焚き火にランプでもなんとかなる(CO2は出ますが…)、という懐の深さを保っておくことが大切なように思います。

 このところ、節電生活をしてみると、それほど不便でもないことに気が付きました。政府が当初求めていた25%の節電をした水準というのは、1980年代後半の水準だそうです。ちょうどバブル真っ盛りの頃、その頃でも十分文化的で快適な生活をしていたように思います。別に終戦直後のレベルにもどれというわけではなさそうなので不可能ではないような気がします。「30%も占めている原発がなくなったら電気がなくなるけどいいの?」、という問いに対して「なくても良いよ、なんとかするから」と答えるところから未来のエネルギーを考えていきたいですね。(2011.4.25記)

(初出:日本EVクラブ会報2011年版を加筆訂正)


Index
できることを少しずつ -EV普及時代と支部のこれから-

 ここ1-2年の松本支部は、のんびりとした動きになっています。シンボルの”2EV”は車検を切らしてお休みしたまま、イベントに出る機会も減りました。今は、昨年車検を取った中古のハイゼットEVを、ガレージの屋根のソーラーパネルで充電しながら日常生活に使い、エネルギーの自給を目指しています。1年間の走行距離は1000キロくらい。市内を移動することがほとんどなので、たいして乗らないで済みます。 バッテリーはパナソニックのEV1260の新品を入れましたが、同じバッテリーを使っている先輩の実績では、大事に使っても3-4年とのこと。充電回数と走行距離から計算すると、ガソリン代のほうがずっと安くなります。EVはリチウムイオンを使わないと割に合わないということが良くわかりました。

 松本市内ではまだあまり見ませんが、私の勤務先の横浜市では、さすが地元で日産リーフを良く見かけるようになりました。あたりまえですが「でんき自動車」などという恥ずかしいステッカーは付いていません(笑)。レンタカー屋の駐車場にも何気なく停まっていたりします。売り物のEVを買ってきて使うということがそれほど珍しくない世の中になったわけです。もう環境イベントでEVを展示して試乗してもらう必要もそれほどないでしょう。ディーラーに行けばお茶もお土産?も出て乗せてくれるわけですし。松本支部では従来の活動はお休みして、このところのEVやエネルギーの環境の激変を見守っているという感じでしょうか。

 以前から、コンバートEVを事業にしたいという方からの問い合わせがちらほらとありました。鉛電池を積んだEVの現実とコストについて説明するとたいていの方はあきらめていただけるようですが…。EVブームの中で勘違いされている方はこのところ増えているようで心配です。実際に自腹を切って作った本人が割に合わないと言っているんだからこんなに確かなことはないんですが(笑)。コンバートを事業にしたいという方とお話して感じるのは、「あなたはこうして作った車を買うんですか?」という問いかけを自分にしたことがないということです。商売をしようというのにお客さんの目線で考えていません。価値がゼロの軽自動車の中古車に鉛電池とモータを入れて、エアコンもなく、走れる距離が1/10になった車の改造費が150万円。誰が考えたって商品価値があるわけがありません。
150万円で鉛電池を積んだEVを作るくらいならミニキャブMIEVを新車で買ったほうがはるかに得です。

 しかし、趣味の世界は損得とは別です。いや、趣味で儲かることなどありません。それでも作ることが楽しくて好きだから自腹を切って改造するわけです。別に自分でやらなくてもかまいません。ガソリン車の改造だって全部自分でできるわけではなくて専門のショップに頼むのが大半です。こういうタイプの方からも相談を受けますが、にわかEV事業家とは目の輝きが違います。先日、ホームページを見て問い合わせをいただいた方が鳥取県でご自身の2CVをコンバートされ、ぶじ車検を取りました。同じ「2EV」の名前をお使いいただいています。私ども以外ではイギリス、ドイツに続いてたぶん世界で3台目の仲間です。私たちはこんな楽しい活動をお手伝いしていきたいと思っています。

 私たちは1995年の支部立ち上げ以来、自力、自腹、身の丈に合った活動をしてきました。別に探しもしませんでしたがスポンサーはいません。確かに行政や企業の支援を受けられれば、活動の幅も広がるとは思いますが、逆に責任も生じますし、いろいろ口も挟まれるでしょう。これはやはり楽しくないのではと思います。それに、EVを取り上げるとエネルギー問題や環境問題に絡まざるを得ません。様々なしがらみが交錯する現状では、企業や政治、また、環境保護団体とも一定の距離を置いたほうが何かと良いように思います。

 お金がないなりにできることをやって楽しむ、これが長続きするコツではないかと思います。また、この姿勢で自分のお財布で活動していると、本当の自動車ユーザー、つまり消費者の当たり前の経済感覚を忘れずに活動することができます(忘れることができないともいえますが…)。これはEVの普及ということを真剣に考えるのに重要なことではないでしょうか。

 今、原発の事故が日本のエネルギー、特に電力について気付かなかった現実を悲劇的な形で私たちに突きつけています。EVを含めエネルギーについて考えることが山ほどありそうです。私たちは、その一つの答えとして、「自然エネルギーとEVのバッテリーを使った電力の自給」に取り組んでいます。意外に思われるかもしれませんが、長野県の中部、南部は全国的に見ても日照量が多い地域です。風力発電には向きませんが太陽光や、山間地の地形や水資源を生かした小水力など、自然エネルギー開拓の余地は十分にあります。今年も自然に恵まれた信州の地で、地に足をつけてじっくりと考えていきたいと思います。(2011.4.10記)

(初出:日本EVクラブ会報2011年版を加筆訂正)


Index

EVを保存しよう

 最近、エレクトロニクス業界の一隅で仕事をしていると、とにかくEVの話題がにぎやかです。
実際の車がほとんど走っていないにもかかわらず、電子業界の目はいっせいにEVに向けられています。
燃料電池ブームのときに似ていますが、今度は規模や質が違う。本物ではないかと思えます。
ハイブリッド車はもう当たり前になりました。プラグインハイブリッドが今度は高級車の標準(最初は高いので)になり、「電動ターボ」を武器にハイブリッドスポーツカーが箱根を制する日も近いでしょう。「チョーク」や「クランクハンドル」「グリスアップ」が死語になったように、「アイドリング」や「スターターモータ」も死語になる日が来るのでしょうか。

 1995年からEVにかかわり、普及に励んで?来た立場としては、ここでひとつの役割が終わったと思います。
これからは、純粋に趣味としてEVを楽しんで行くのも良いのではと思っています。
もともと、私たちは、2CVという趣味車でEVを作り、車趣味人の集まりの中でEVの宣伝に努めてきました。
オールドカーのEVを集めてクラシックカーのイベントに参加したこともあります。
これからは、ごくわずかずつ作られてきたメーカー製EVの保存に努める必要があるのではないでしょうか。
当支部には2台のハイゼットEVがあります。1台は2010年8月に路上に復帰を果たしました。
まだクラシックというには新しすぎますが、そのうち、鉛電池を積んだ昔の電気自動車として、クラシックカーパレードに出られる日が来るまで大切に保管したいと思います。

 自治体などで主に使われ、補助金が切れたEVは大量の不良バッテリーとともにお払い箱になり、たいてい、登録書類を失ってスクラップとなります。たいして距離を走れないので走行距離はきわめて少なく、車体は極上なのに、です。バッテリーの交換にコストがかかりすぎるためです。
高性能バッテリーを積んだRAV-4 EVでさえスクラップになっています。アメリカでは鳴り物入りで登場したGMのEV-1が、リース終了とともに全てスクラップになりました。不遇な時代を耐え忍んだEVたちです。もし、メーカー製の程度の良いEVが手に入ったら、ぜひ保存していただきたいと思います。
 それから、スクラップになるEVは大切なことを私たちにが教えてくれます。
バッテリーの交換コストをリーズナブルにする方法を考えないと、EVになったら車の寿命が極端に短くなるという事態を招くことになるということです。

 (初出:日本EVクラブ会報2010年版を加筆訂正)


Index

「元が取れる」という幻想


 エコカーや太陽光発電への補助が始まってます。そのことは悪いことではありません。
安く導入できることで普及を促し、量産効果によりコストを下げられる可能性があるからです。
しかし、新エネルギーやハイブリッド車、EVを導入する際に、「何年で元が取れるか」「燃費が良くなる分で価格差を何年で回収できるか」という「投資効率」が常に取りざたされます。
「元が取れない」自然エネルギーやエコカーは意味がないのでしょうか?

 アメリカに「Home Power Magazine」という、手作り自然エネルギーの専門誌があります。
毎号、ソーラーパネルや風力発電を導入してエコな生活を実践している実例が紹介されています。
太陽光発電のみで住宅の電気とEVの充電をまかなっている男が紹介されたとき、インタビュアーは、当然のことのようにかかったコスト(これは必ず紹介されている)と、何年で投資が回収できるかをたずねました。このときの回答が実に奮ったものでした。
「あんたもそんなことを聞くのか。俺は原発の電気を使いたくないからパネルを買ってきただけだ。
別に何年で回収できるかなんてことは考えていない。だいたい、スポーツカーを買った友達に、何年で元が取れるか、なんて聞くか?」というものでした。

 どういうわけか、太陽光発電装置やEVというと、製造にかかったエネルギーに対して割があうかなどということがすぐ持ち出されます。
これは考えてみればおかしなことです。私たちが使う道具で、投入するエネルギー以上の物を回収できるなどというものがあるでしょうか。
自動車も家も、時計や衣服も、すべての物は、作り、使い、捨てるのにひたすらエネルギーを使うだけで、そのかわりに私たちにさまざまな便益を与えてくれるものです。事業用としての発電機なら投資を回収できなければ成り立たないのはわかります。
しかし、事業として行われる投資はすべて現金でリターンが帰ってくるのでしょうか。
経営者は立派な自社ビルやロビーの美術品の投資効果を説明できるのでしょうか。

 フィットと共通の部品を使っていながら190万円のインサイトは、確かに割高な車かもしれません。
燃費で価格差を回収するのは難しいといわれます。しかし、私たちは実利としては何の得もなく、回収もできないものに多額の投資をしています。
自動車でいえば革張りのシート、350馬力のエンジン、大型の車体…。どれも値が張って重く、燃費が悪くなるだけで実用的には必要のないものですが、これに喜んでお金を出す人がたくさんいます。なぜそんな「割に合わない」ことをするのでしょうか。
お金を払って得られるものは「満足感」ではないでしょうか。ハイパワーに満足感を感じるようにエネルギー消費が少なく、環境負荷が小さいことに満足感を感じてエクストラを払うという価値観があっても良いでしょう。

 ブランド物を「高く売れて結局安上がり」と考えて投資効果を期待して買い込むのは、たぶんあまり尊敬される買い方ではないでしょう。
自然エネルギーやEVについても、投資効果にとらわれずに、それを導入することで得られる満足感にお金を払ってもらえるようなお客さんを増やしていかなければ、普及の糸口はつかめません。ハリウッド・スターがプリウスに乗っているように、EVに乗る、ソーラーパネルを付けることが「スマート」で「かっこいい」ことと思われるような雰囲気作りが大切ではないでしょうか。
 もちろん、より効率的なエネルギーの使い方を考えるために、LCAを検討することは大切ですし、コストダウンの努力をメーカがするのは当然のことです。しかし、そのことにとらわれて不毛な議論を繰り返すことは避けるべきではないでしょうか。

 自然エネルギーは儲からないけど楽しい、といった人がいました。これは真実だと思います。
おいしいものを食べたり、きれいな景色を見たり、贅沢なホテルに泊まったりということを現金に換算して損得を評価することはできません。
しかし、その価値は誰でも理解できます。ソーラーパネルを設置することと、大理石張りの立派な玄関を作ること、スポーツカーを買うこととEVを買うことが同じ価値観で語られるようになることが、誰でも購入できるコストになるまでの間、重要なことなのではないでしょうか。 

(初出:日本EVクラブ会報2009年版を加筆訂正)

index

EVの本格的普及時代を迎えて

 リチウム・イオン・バッテリーが実用化したために、鉛蓄電池の2倍の距離を走れるようになりました。
実用的に100キロの距離を走れるEVができるようになって、やっと今日のようなEVが市販される時代になりました。
電動車両という意味では電動アシスト自転車の販売台数が原付を越えました。この世界ではEVはとっくに普及しています。
EVの普及を目指して
15年にわたって活動してきましたが、普及、啓蒙という意味では私たちの活動は私たちの活動は役割を終えたのではないかと思います。
 しかし、商品としてEVを購入できるようになっても、私たちのところに、自分たちで作ってみたいという連絡が後を絶ちません。
しかし、いくつも立ち上がっている「コンバートEVの事業化」には私たちは懐疑的に見ています。
そのうち中国製の安い部品が出回れば話は別かもしれませんが、現状ではまったく割に合わないものだからです。
使い古した中古車の改造に100-150万円のお金がかかります。そして、できたものは排気ガスを出さないという以外、元の車より必ず性能は下がります。一番の問題のバッテリーですが、リチウム・イオンはまだアマチュアが気軽に手にするようにはコストと取扱の面でなっていません。
そうなると相変わらずの鉛蓄電池を使うことになりますが、最も高性能な物を使っても、実用的な走行距離の車を作るのは困難です。
それにどんなに大切に使っても3-4年で寿命が来ますから車検2回に一度は数十万円のコストがかかります。
いくら電気代が安くてもトータルではガソリンのほうが安くなります。
これが魅力的な商品たりうるでしょうか。
 そして、作ってみればわかりますが、製品としての完成度がメーカー製の車とは比較になりません。私たち車のユーザーが気が付かないように、メーカーは「誰でも安全に普通に使える」ために大変なパワーをかけています。アマチュアや鉄工所レベルでできることではありません。
唯一、コンバートEVの価値があるとしたら、それは「自分で好きに作ったエコカー」で走れるというところにあるのではないかと思います。
 EV化は自動車メーカにとって大変だといわれます。部品点数が減って標準化することで誰でも作れるようになってパソコンのように競争力が無くなるという人がいます。残念ながらそれは事実でしょう。なぜなら、私たちのようなど素人が部品を買ってきてでっち上げたような車で一応ナンバーを取って走れるものができるのですから。(2010.10.30記)

index

2002年年頭に当たって-

 21世紀が2年目に入りました。
 昨年9月から、世界は激動の時代を向かえました。当支部には世界中からメールが届きます。ガソリン不足に悩むユーゴの2CVオーナー、低公害車の導入を検討しているアルゼンチンのバス会社の職員、自由研究でEVを調べているアメリカの小学生、新型バッテリーを売り込んできた中国のベンチャー企業・・・。
 戦火にさらされている国、経済が崩壊した国、テロに襲われた国、経済成長真っ只中の国、国も環境もさまざまですが、EVに関心がある人たちは世界中にいます。私たちはEVを通じて世界中に多くの友を得る事ができました。世界のあちこちから伝えられるニュースが他人事には思えません。 大きなうねりに棹差すことはできませんが、微力ながらも何かの役に立てればと思っています。
(2002年元旦)

index
アメリカをドライブして-

 今回、2EVとともに広大なアメリカ大陸を8000kmに渡ってドライブしました。都市部を離れれば州によって違いますが一般国道の制限速度が60マイル(96km/h)、高速では70マイル(112km/h)です。実際の流れは120km/hくらいです。大きな町と町との距離は100マイル以上、広大な砂漠や畑の間をはるか地平線までまっすぐにフリーウェイが伸びています。一度クルーズコントロールをセットしてしまうと1時間くらいそのままで走れます。日本とはもちろん、ヨーロッパともまったく違う、スケールのおおきな世界です。

 2EVを積んだレンタルのISUZUエルフ2トンはいい車ですがアメリカではいかんせん燃費が悪すぎます。リッターで4kmしか走らなくて燃料タンクが小さいので500マイル走るのに4回も給油しました。エルフは走行中は時速75マイルでずっとフラットアウトで最高回転のままです。ギア比は日本のよりずっとハイギアードですがいかんせんエンジンのキャパシティが小さすぎるのです。あれ以上ハイギアードにしたらかえってスピードが落ちてしまうでしょう。以前キャデラックを借りたときリッター10km走ってびっくりしました。大排気量大トルクなので時速100kmでも1500回転以下ですみますからアメリカでは燃費がいのです。同じ車が日本ではなぜ燃費が悪くなるかというと停止発進を繰り返すからです。
 同じ理由で2万1千ccあるこちらの大型トレーラーもアメリカの路上ではたぶんエルフとどっこいの燃費でしょう。アメリカでは乗用車もトレーラーもばかでかいのにはちゃんと理由があったのです。荷物も小さいトラックで何台にも分けて運ぶより大型トレーラーで運ぶほうがずっと効率がいいのです。鉄道貨物も航空貨物も日本よりずっと効率的です。100両で2kmもの長さの貨車はふつうですし空港には窓のない貨物専用機がずらりと並んでいます。

 さてそういう国でEVの未来はあるのでしょうか?一部の大都市を除いて、フリーウェイや田舎道ではハイブリッドのプリウスより普通の大排気量の車の方が燃費が良いでしょう。渋滞もないのでアイドリングストップの効果もありません。街の中でも郊外のショッピングセンターで買い物してダウンタウンのレストランで食事して郊外の家に戻るというちょっとしたドライブで100キロ以上走るのは当たり前です。40km/hの速度でレンジ50kmくらいのEVでは買い物一つできません。それではアメリカではEVが使われていないのかというとそうではありません。ゴルフカートで公道を走ることが許可されている町がたくさんあります。広大なショッピングセンターやホームセンターでは電動フォークリフトが構内を走り回っています。これまた広大な空港では高齢者や障害者のための移動用小形EVがたくさん走っています。

 アメリカでは、排気ガスが出ないが距離を走れないというEVの特性を理解した上で、最適な用途にたくさん使っているのです。おかげでEV用のモーターやバッテリーが安く買えるわけです。それでもアメリカにはEVをコンバートして楽しむ人たちがたくさんいます。カリフォルニアのように大気汚染対策としてゼロエミッションカーを導入しようとする地域があります。豊富な資源があり、浪費ともいえるエネルギー省費をしながらも、未来を考えている人たちがたくさんいるということに希望を持ちました。

2000年9月


homeindex2EVのアメリカ日記へ戻る
2EV、世界へ -事務局長からのメッセージ-

 早いもので1994年11月、今は無き(建物はありますが)M2での説明会に出席し、幸いにもEV手作り教室第1期に参加できてから5年が経ちました。教室が終了した1995年3月にはコンバートのベースとなるシトロエン2CVを入手し、コンバートキットを発注していました。5月の連休から松本でコンバートを始めましたが、その時にはまさか2年後の同じ5月にロンドン市内の路上で充電しながらEVを走らせることになるなどとは思いませんでした。

 その後の広がりは作った私たちの予想を超えたものでした。イギリスのシトロエン・クラブの会報への投稿がきっかけとなってイギリスで大きな反響を呼び、(この時点では)2CV改造EVの世界第1号と認められ、この事で1997年5月、イギリスのイベントに招待され、ロンドン市内をドライブしました。続いてオランダで9月に開催された2CV世界ミーティングに参加しました。この会場で取材された2EVの記事がきっかけとなってフランスで本当の世界初の電動2CVはじめ古い電動2CVが何台も発見され、歴史的な広がりをもたらしました。また、このミーティングにアメリカから参加した2CVファンによってアメリカのクラブの会報に紹介され、反響を呼んでいるという話を聞きました。

 手作り教室でアメリカのEVの進んだ状況を聞くことから始まり、日本から発信した情報が結局イギリス、オランダを通じて大元のアメリカに伝わったのです。情報がまるでインターネットのように地球を1周したのです。
 その後1998年にフランスで開催された2CV生誕50周年記念ミーティングにはイギリスの友人の協力で現地で製作した2号車を持ち込み、会場でコンバートの実演を行い、大きな反響を呼びました。たいした距離を走れない手作りEVですが、この車を見せびらかした?事で、世界の多くの人(特に車好き)にEVを認識してもらうことができたと思っています。

 EVを作ることで外国にも多くの友人ができ、また、視野が広がりました。この事がもっとも大きな財産となったと思います。EVにかかわり、深く自動車や資源問題を考えることで大袈裟に言えば人生観が変わりました。EVに興味があり、作ってみたいという方、特に自分で手を汚してやりたいという方には当支部としてできる限りの協力を惜しまないつもりです。

1999年12月    松本支部東京事務局    岡部匡伸


index
home

レンジは長い方がいい? -コンバートEVの意味-

 EVは実用になりません。実際に作って走らせた者が言うのだから間違いありません。最近、EVを作りたいという方から相談を受けることがあるのですが、皆さん、50kmから100km位走りたいようです。「2EVはどのくらい走るんですか」と聞かれて、「15kmくらい」というとみなさんがっかりします。せっかくEVを作るのですから長い距離走った方がいいですよね。実際にEVを使ってると近くの買い物に使うにも、最低30kmくらい走ってくれないとなんとも不便です。しかし現実はきびしいものです。
 昔からEVのネックはバッテリーでした。EVの一充電走行距離が短いのはバッテリーに貯えられるエネルギーが少ないからです。要は燃料が少ないということです。
 現実的に50km走るには鉛バッテリーの場合、400kg位必要です。ある程度高性能なバッテリーをこれだけ購入すると日本では100万円くらいかかります。鉛の場合寿命は2-3年くらいですから車検毎に100万円かかるということです。あなたは車検を継続できますか。ニッケル水素なら寿命は長いのですがお値段や管理のことを考えると現実的ではありません。

 考えてみれば素人の小遣いでできるコンバートEVで実用になるものが作れるくらいならメーカーがとっくに売っています。レンジがRAV4-EVより少ないといっても別に恥じることはありません。鉛バッテリーを積んだメーカー製のコンバートEVも同じようなものです。コンバートEVを実用品ではなく、EVの「模型」として見たらどうでしょうか。バッテリーが小さくても、適切なモーターを選んで定格どおりの電圧をかければ、加速も最高速度も十分な性能が得られます。当たり前ですが静かさも変わりません。EVの良さは乗らないとわからないのですが、たとえ5kmしか走らないEVでもEVらしさは十分味わえます。走行距離だけちょっと縮小した模型ということです。こんなEVでは実用という意味ではたばこを買いに行くくらいにしか使えないかもしれません。しかし、近所をバッテリーがなくなるまで走る−充電する−走る、を繰り返すなかで、運転方法や充電の仕方、バッテリーの保守などを工夫して1kmでも距離が増えればたいした物です。また、劣化したバッテリーの見分け方、加速と電力消費の関係など多くの技術を身につけることができます。これは将来もっと高性能のEVを手にすることになった時に役に立つと思います。バッテリー残量を気にしながらEVに乗るというのは、息が詰まるようなドライブだと思うかもしれませんが、高性能車で気持ちよく加速するのとは一味違う、実に知的で奥の深いドライビングではないかと思います。

 高性能なEVがほしいあなた、リチウム電池や回生ブレーキのことはひとまず忘れて、とにかく安い費用で自分のEVを持ってみませんか。もし置き場所と多少の資金に余裕があれば、気に入ったベース車を見つけてください。そしてKTAあたりから部品を買いましょう。モータなどはバッテリーが変わっても使えますので車にあった良いものをそろえましょう。  バッテリーは近くのカーショップで2980円の安売りのをまとめて買いましょう。中古をまとめて引き取れるルートがある方はそれでも良いでしょう。値段がオプティマの1/10でも走行距離や寿命は1/10ではありません。バッテリーの予算は多くても10万円以下にしたいものです。どうせ昼間しか走りませんから、補助バッテリーは元から付いているものか使い古しで十分です。
 これでも50万円くらいはかかるかもしれませんが、あまり無理をしない範囲でできると思います。また、バッテリーが安くて小さいということは、何組も購入して載せ換えられるようにもできるということです。こうすると意外に実用になるかもしれません。高性能なバッテリーを買うつもりだった予算は将来、ニッケル水素かリチウムイオンが安くなったときに載せ換える費用に当てましょう。

 私はEVを作りたいという方にはっきりといっていますが、コンバートするということは大金と手間をかけて、EVは使えないということを確かめるということです。 それではコンバートは無意味でしょうか。私は逆にたいして走れないということにこそコンバートEVの価値があると考えています。バッテリーをたくさん積めばたくさん走れることは確かです。しかし燃料を倍入れれば倍走れるというのは考えてみれば当たり前のことで、高性能で快適なEVができたとき、そのEVはガソリン車と同じエネルギーを消費します。効率はガソリンより高く、排ガスが出ないというメリットはありますが、エネルギー問題の解決にはなりません。50km走れるEVであってもいっぱいに充電してガソリン車の燃料警告灯が点くくらいの燃料しか積んでいないということです。
 あなたは燃料警告灯が点いた車で景気よく飛ばしますか。きっと細心の注意を払ってスタンドまで行くでしょう。EVを運転すると車の運転が変わります。EVの運転を経験するとガソリンエンジンの消費する膨大なエネルギーを理解することができます。少ししか走れないEVを作ることでそのことに気付くのです。
(初出:日本EVクラブ会報 vol.3 1999.6)

index
home

電気自動車を求めたきっかけ

 私が電気自動車の普及を期待するようになったきっかけをお話しようと思います。私は毎朝住宅街を15分歩いて駅まで行きますが、大して広くもない道を路線バスがかすめるように追い越していきます。世話になっているバスではあるものの、静かな朝の住宅街でディーゼルの騒音と排ガスの臭い、そして夏の熱気は歩行者にとって許しがたい存在です。渋谷駅に集まるバスを全て電気にするというのなら、私はバス料金の値上げに諸手を挙げて賛成するでしょう。

 電気自動車に懐疑的な人はその効率の悪さを指摘します。もちろん、環境庁の清水浩博士の解析によれば総合的なエネルギー効率としての電気自動車の効率は決して低い物ではありませんが、時間的、経済的には効率の悪い点も多いのも事実です。しかし、カーエアコンもパワステもA/Tも自動車の効率という点では無駄に過ぎません。現代の日本で燃費が悪くなるといってパワステもエアコンも要らないという人は少ないでしょう。逆にパワステやエアコンが欲しいためにより効率の悪い大型車を買っているのが現実です。自動車自体が人間が楽をするための壮大な無駄だと言ってしまうと話が終わってしまいますが、自分が楽をするためにパワーロスを認めるのであれば、騒音を無くし、空気をきれいにするために多少の不便を受け入れても良いのではないでしょうか。

 電気自動車の特徴の1つがガソリン車に比べて静かであるということですが、決して静かである事で事故が起きるような事はないと思います。静かだからといってトロリーバスやロールス・ロイスの事故が多いという話は聞いた事がありません。
 現状の電気自動車の不便な点を甘受したとしても長距離ドライブは別にして自動車として十分便利であるし、人間を楽にしてくれる事はまちがいないと思います。


index
home

車を動かすにはエネルギーが必要です

−電気自動車が示唆するもの−

 私たちが車を運転するとき、どのくらいのエネルギーを使っているのでしょうか。平均的な車の燃料消費から推定すると、1時間走行するのに5.5psのエネルギーを使う事になるそうです。5.5psを電力の単位でなじみ深いW(ワット)に直すと4kWh(1kWh=1000Wh)となります。
 これを家庭の電力と比較してみましょう。家庭の電気のアンペア数は小さなアパートで15A,かなり大きな家でも40Aです。40Aの契約で冷蔵庫、エアコン、電子レンジ等を使ってもブレーカーが落ちる事は余りありません。先ほどの4kWhのエネルギー消費は100Vの電圧で40Aの電流が流れている、つまりブレーカーが落ちる寸前の大きな電力を消費しているのと同じです。

 これでも燃費10km/lの車を平均40km/hで走らせているときのエネルギー消費に過ぎません。私たちはシトロエン2CVという車を非力だと思っていますが、2CVが20psの出力で加速していく時には15kW、つまり家4軒分の電気製品を全て使った位の莫大なエネルギーを使っているのです。実際に電気自動車の電流計を見ると加速時には200Aという非日常的な値を示します。これが150、200psというパワフルな車をフル加速させたらどうなるか、気温が上がっても当然でしょう。エンジンで大量の熱を出して、暑いと言って家庭用並みの馬力のクーラーをかけているのですから悪循環としか言いようがありません。この様な巨大なエネルギーは石油というエネルギー密度の高い、しかし量に限りのある燃料を得る事で手にする事ができました。私も今まで燃費を気にする事はあっても自動車のエネルギー使用量など考えた事もありませんでした。しかし、ガソリンから離れて電気自動車という限られたエネルギーでの走行時間を検討してみる事で、自動車が必要とするエネルギーの大きさに気付かされました。

 私は環境保護主義者ではありませんし、キャデラックやロールス・ロイスのような大きくて豪華な車も大好きです。しかし、これからの時代が自動車を好き放題に使うことが許される時代ではなくなりつつあると感じています。
 別に小さい車に乗れ、電気自動車を買え、などと説教臭い事を言うつもりはありません。しかし、アクセルペダルに力を込めるとき、エアコンのスイッチに手が伸びるとき、サービスエリアでエンジンを切りたくないとき、今、自分が熱に変換しているエネルギーの事を考えて下さい。そのことが私たちの大好きな自動車で遊べる可能性を残す事につながると思います。

(初出:CITROEN CLUB NEWS No.69)


index
home


Copyright (C) 1997 Japan Electric Vehicle Club Matsumoto