年金生活スタートから一年。低金利の現在、預金利子運用だけで年金の不足分をカバーした日には、健康問題がなくピンピンコロリで逝けたとしても、安心立命にはほど遠い。

 したがって、少ないながらも「投資」なるものをしないわけにはゆかない。投資につきものの短周期の浮き沈みにドキドキするような状態に耐えられる神経の太さは残念ながら持ち合わせていない。

 というわけで、とりあえず60代の10年間分(何の根拠もない)の年金補填分を分離することにした。定年退職に1年ほど先行して始めた株投資の経験と、ムキになる己が性格を考えると分離したカネを利用しやすいところにおいておけば、投資の応援のために手をつけてしまいそうなので、この年金補填原資は必要になる年毎に満期を迎える定期預金にした。

 残余から海外旅行費と家のメンテ費用などを差し引いてポートフォリオを構成した。世の中の常識からいえばとても「ポートフォリオ」などと呼べないようなものだが、貧乏人にも貧乏人なりの試みがあってもいいはずだ。

 投資のスタートはおととしの2月。TOPIX連動のETFは1,305円、ステート・ストリートのMSCIコクサイ投信は1万口あたり11,410円だった。きょう、前者は1,004円、後者は8,874円(21時20分調べ)だ。TOPIX連動や国内の個別株は買い増しなどでかなり取得単価を下げたが、海外株投信の方は一気に100万口買い付けるという、いまにして思えば無謀なことをしたために、未だに含み損が大きいままになっている。

 それでも、今月はほぼ一貫して上がり、2月26日の終値に比べると、東証は963円91銭、ニューヨークダウは582ドル16セント(30日の終値に対し)戻してくれたので、最悪期9%以上マイナスしながらも、一年間の資金運用成績は評価額ベースで9.5%のプラスになった。できれば確定収益で3.8%欲しかったのだが、実質9か月で、未投資資金をあるていど残しながらの運用だったことを考えると、走り始めの初年度で2.8%は悲観するほどの数字ではない。(3/31/2010)

 きれいに晴れ上がったのはいいのだが、メチャクチャに寒い。土曜日の花見までこの気温が続くのかどうかとおもうと、少し、心配。

 あきれ果てたニュース。

 きょうの午前零時、國松孝次警察庁長官狙撃事件の公訴時効が完成した。その件について、警視庁はけさ記者会見を開いた。被害者は警察組織の頂点に立つ人物だ、ただの事件ではない。その意識が会見の開催になったのだろう。当然のこととと思うが、あきれ果てたのはその内容。

 説明と質疑に立ったのは警視庁公安部長(この事件の捜査は刑事部が当時繁忙であったため公安部が担当した由)の青木五郎。青木は「犯人を逮捕できなかったことはまことに残念」とした上で、「捜査で得られた資料と情報を分析した結果により、事件は教祖の意思の下、オウム真理教教団信者のグループにより敢行された計画的・組織的に行ったテロであった」と説明した。

 「時効」とはいっても、「容疑者を指名手配したのですが、遺憾ながら逮捕することができませんでした」というのではない、「犯人を特定することができず、その結果として逮捕もできませんでした」という「不首尾」に終わったのだ。しかし、それほど明快に分かっているなら、強制捜査でも何でもすればよかったろうと思わない者はおるまい。

 もしオウムが警察組織への挑戦として行ったのだとすれば、警視庁はまさに「完敗」したことになる。負けて悔しいのは分かるとしても、特定できなかった犯人が教団元幹部と元信者ら計8名の中にいると公に発表するというのは、まるで犬の遠吠え、イタチの最後屁ではないか。公の組織としてはいささか常軌を逸した行為だ。

 テロリズムを正当化する論理は「目的が手段を正当化する」というところに収斂する。浅原彰晃の「衆生救済=ポア」の理屈と、「事件の重大性や国民の関心の高さ、オウムが今なお危険性の認められる団体として観察処分を受けていることを考えれば、(対象者の)人権への配慮よりも、公益性が勝る」という公安部長の釈明は独善性の点でさほど隔たってはいない。

 しばらく前に「週刊朝日MOOK:真犯人に告ぐ!-未解決事件ファイル-」に掲載された麻生幾の「国松警察庁長官狙撃事件-時効までにウルトラCはあるか-」を読んだ。麻生はそんなことは書いていないのだが、常にこの事件の最重要人物であった「元巡査長」は、公安部がオウムに潜入させた「工作員」だったのではないかという想像が頭を離れなかった。それは公安警察の伝統的な手法であり、秘められた「成果」の歴史に連なるものだからだ。公安は「事件」を仕組んで目的を達成してきた組織だ、まあ、地道な捜査など可笑しくってできない、それが彼らの特性だった。迷宮入りは必然だったのかもしれない。

 今晩のニュースによれば、きょうの会見で示された「捜査結果概要資料」は警視庁のホームページに掲載される由。楽しみに読ませていただこう。(3/30/2010)

 建設中の東京スカイツリーが東京タワーの高さを超えたニュース、旧社会保険庁時代の職員が休日に共産党の機関誌を配布し国家公務員法違反に問われた件に東京高裁が無罪を言い渡したニュース、オバマ大統領がアフガニスタンを電撃訪問したニュース、そして歌手のしばたはつみがおととい心筋梗塞でなくなったニュース。

 まさに色とりどり。その中に、ラッシュアワーで混み合う地下鉄で自爆テロと思われる爆発が2件、モスクワで発生し、死者合計38名というニュース。現場はルビャンカ駅とパルク・クリトゥールイ駅。ルビャンカは悪名高いKGBの本拠があったところ。現在は「ロシア連邦保安局(FSB)」の本部になっているとか。FSBは早速に「北カフカス地方につながりのある女性による自爆テロ」と発表した由。お膝元での大胆な犯行というか、仕組まれた地元公演というかは意見が分かれるところ。

 カフカス、かつては英語表記にしたがって「コーカサス」と呼んでいた地方。

 8月24日の旅客機同時爆破、8月31日のモスクワの地下鉄リガ駅前での自爆テロについてロシア当局は即座にチェチェン人女性の犯行であると断定した。今この原稿を書いている最中にも、チェチェンからのロシア軍の撤退を要求する武装グループによるロシア南部・北オセチア共和国の学校占拠が続いている。99年8~9月のアパート爆破事件、02年10月に発生したモスクワの劇場占拠事件、今年2月の地下鉄爆破事件と、ロシア国内におけるテロはますます頻繁になってきている。
 背景には、94年12月にロシア軍がチェチェンに侵攻して以来続く泥沼の戦争がある。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサスの山岳地帯にある岩手県ほどの面積の人口70万~100万の小国に10万のロシア軍が駐留し続け、すでに20万人を超える市民を殺我している。こちらの方はほとんど報道されない。
『チェチェンで何が起こっているのか』(高文研)は、戦火の現地に何度も足を運びロシア軍による検問をかいくぐってチェチェン取材を続けるノンフィクション作家の林克明と、インターネットでチェチェンニュースを発行し続ける大富亮が記したチェチェン問題の入門書。
 まず歴史的経緯が手短に紹介される。18世紀に始まったロシア帝国による植民地化政策は、ソビエト政権によっても欺瞞的な『諸民族の友好』という表看板のもとに引き継がれ、第二次大戦の最中スターリンは対独協力の恐れがあるとの名目でチェチェン人を一夜にして根こそぎ中央アジアのカザフスタンに強制移住させた。この時にチェチェン人の半分ないし三分の二が落命している。ロシアに踪潤され続けた400年間にわたって誇り高いチェチェン人は果敢に抵抗を続けており、トルストイやデュマなどの文豪たちもその勇猛果敢と高潔を敬愛の念を込めて作品化している。
 97年に国際機関の監視の下民主的に選出されたマスハードフ政権を蔑ろにして傀儡政権をでっち上げてまで未だにロシアがチェチェンに固執するのは、油田の存在とカスピ海からの石油パイプラインの通過点でもあることに加えて、帝国内の他の植民地離反の呼び水になることを恐れているせいではないか。
 エリツィン政権による94~96年の第一次チェチェン戦争の失敗を、戦場報道による国民の支持離れと判断した、KGBあがりのプーチン大統領は、「テロリストよりもジャーナリストを殲滅せよ」と公言し、極端な報道管制と報道大弾圧を開始した。
 国民の耳を封じた上で、凶悪なテロ事件→犯行声明の無いまま当局によるチェチェン人犯行説の断定→ロシア軍による大規模なチェチェン空爆&掃討作戦→恐ろしい人権蹂躙にも「チェチェン人によるテロ」の直後のためロシア国内も国際社会からも非難の声が上がりにくい→テロ事件は犯人未確定のまま収束する、という謀略じみた筋書きを反復しながらプーチン政権はチェチェン民族の絶滅を謀っているのではと思わせる事態が進行している。
 欧米政府は、人権団体やNGOの告発を受けてロシアのチェチェン政策に対する非難、監視を強めていたが、9・11同時多発テロ以降、プーチン政権は、チェチェンがあたかもアルカイダなど狂信的なイスラム教徒による国際テロネットワークの拠点の一つであるかのように言い立てて国際的非難をかわそうと謀り、アフガンやイラク攻撃においてロシアの支持あるいは暗黙の了解を必要としたブッシュ政権は、それに乗った。

 米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」の中の「世界から忘れ去られたチェチェンという地獄」からの引用。「テロとの戦い」という嘘っぱちの裏面についてふれたものだ。このくだりの続きでは、ハッサン・バイエフというチェチェン人の医師の自伝「誓い」とアンナ・ポリトコフスカヤの「チェチェン・やめられない戦争」の二冊が取り上げられている。

 きょうの爆破事件がロシア当局の発表した通りだとすると、犯人は「黒い未亡人部隊」ということになるのだろうか。コテコテの西欧的偏見で報ずる我がマスコミは、真実はもちろんのこと、事実さえも伝えようとしない。マスコミ関係者のどれくらいがポリトコフスカヤのことを知っているだろうかなどと思ってしまう。(知っている者は恥ずかしくてとても知っているとは言えないに違いない)

 翻訳した三浦みどりは「ポリトコフスカヤの本を訳しているのを知ったロシア人は『彼女はまだ生きていられたの?』と驚いた」とあとがきを書き始めている。そのロシア人の懸念の通り、ポリトコフスカヤは後に自宅のあるアパートのエレベータ内で何者かに射殺された。米原はそれを知らない。その半年ほど前の06年5月に亡くなったからだ。(3/29/2010)

 床屋へ。天気もよくないし、どうにも寒いので、所沢まで行くのはあきらめた。商店街の中に昔からあるのが2軒。手前にあるのは行きつけの店だった。久しぶりにやってもらおうと決めて、角を曲がると折悪しく、ひとり、じいさんが入って行くところだった。

 「あらぁ、お珍しい・・・」。ちょっとはなばなしいおかみさんの声が聞こえた。ここの主人はもうずいぶん前、所沢に移る前に亡くなった。釣りが趣味という口数の少ないおやじさんだった。息子が三人いたが、その頃はまだ一番上の子でもやっと高校に入るかどうかという歳だったと記憶する。おかみさんはおやじさんとは対照的。気の利いた話で客を飽きさせない。店はおかみさんが切り盛りし、なんとか三人の息子の誰かに継がせたようだった。

 かつては組合が強く、安定しているように見えた床屋だが、最近は厳しいようだ。現に斜め向かいには最近はやりのカットのみ千円という店がある。こちらに戻ってからは通りがかるたびにのぞいて、所在なさそうに客待ちをしているのを見るたびに、大変だなと思っていた。

 日曜日の午後でも待たされることはあるまいとタカをくくっていたのはそういうことだったが、案に相違してふたりの客におかみさんと息子がかかっていて、ひとりが待っていた。そこに件のじいさんが入っていったところ。これでは小一時間はゆうに待たされそうだと思い、その先の店に入った。

 この店に入るのははじめて。お嫁さんなのか、少し若い女性がシャンプーにかかっていた。ジャンパーを脱いでかけようというところで、奥から「お待たせしました」と声がかかった。こちらのおやじさんは健在。けっこうなことだが、かなりの歳、大丈夫かなと思いつつ座った。

 失礼ながら、手に震えが来ているようだ。ずっと昔、英語のテキストに出て来たギッシングか誰かのエッセイを思い出した。「・・・よく平然と床屋のおやじのカミソリの下に首を晒すものだ。わたしなどはこの瞬間おやじの気が狂ったらと思うととてもそういう気にはなれない・・・」、そんな一節があったはず。髭剃りに差しかかる頃までには先客が終わればいいがと念じた。

 ところがおやじさん、だんだんに気が入ってきたと見えて、スキ鋏を使う頃にはずんとテンポがよくなってきた。洗髪も頭皮を心地よく刺激するマッサージのようで心地よいし、髭剃りに差しかかるとどこにこんな力がと思うほどに皮膚をつまみ上げて剃る、これがまた不思議と気持ちいい。しっかり剃ってくれたわりにはヒリヒリしない。

 三人の息子の誰が継いだのかを知りたいと思う反面、こちらのおやじさんの技術も棄てがたい。次はどちらに行こうか、ちょっと悩ましい。(3/28/2010)

 朝一番のニュースはおととしの冷凍ギョーザ事件。中国の捜査当局が容疑者を拘束した。容疑者は製造本の天洋食品で働いていた臨時工、待遇面での不満が動機で犯行に及んだ由。

 この事件、当初は農薬の混入が日中のいずれでなされたかについて、それぞれの捜査当局で主張の違いはあったものの、事件から数カ月経った08年6月に中国国内で問題のギョーザの転売品を食べた人が中毒を起こしたことを中国政府が日本政府に知らせ、事実上、中国国内で混入したものであることが確定していた。

 今回のニュースを新聞各紙のサイトで一覧してみると、駐在員を北京に置いている新聞社はすべて駐在員電、その他は共同電になっている。ニュースソースはほとんどが「新華社電」だが、一部の記事には中国外務省が北京の日本大使館員を呼び、発表事実を伝えていたことも併記されている。

 中国政府が国内に中毒患者が出たことを日本政府に外交ルートで伝えたのは洞爺湖サミット前のことだった。しかしなぜか当時の自民党政権はそれを発表せずに放置し、1か月以上も経った後、読売新聞がこれをスクープの形で暴露したのだった。前回以上にインパクトの強い「容疑者逮捕」というニュースを中国政府が前回のように外交ルートのみの通告ではなく、新華社による発表を平行して行ったことに格別の意図があるのかどうか、ちょっと興味を覚える。

 中国政府がマスコミルートに積極的にニュースを流し込んだということは、この事件に「けり」をつけようとしているからだろう。しかし使用された毒はメタミドホスだけではなかったし、袋に穴が開いていないものからも毒が検出された例もあったはずだ。容疑者の犯行に関してどのような続報があるのか、もう少し経過を見ないと「けり」はつかない。

 **(家内)に腕時計を買ってもらった。精度を優先してシチズンのエコドライブ・電波時計。**(家内)は予定どおりオメガのコンステレーション。**(家内)はネームを入れてもらうことで預けてきたが、こちらは精神的には子どもなのでそのまま持ち帰った。感謝。(3/27/2010)

 **(弟)の墓参りにゆく。**もお彼岸中に来たものらしく花があがっていた。もう6年半ほどになる。いつものことだが、「生きるってのは何なのだろう」と思う。

 子どもから見る親の人生には、自分に先行する「見えない時間」があり、あるていど客観的に見られるのはせいぜい親の人生の半分くらいしかない。しかし、早死にした弟となると、ほぼ100%が視野に収まってしまう。人生が定まりないものであるのはまだそれを生きている当人がいるからこそのことで、その当人が死んでしまえば人生はまとまったひとつの物語になってしまう。

 いちばん身近なところでその始まりから終わりまでを見て知っている人生は、否も応もなく「これはおまえの人生でもある」とじつに雄弁に語りかけてくる。「ああ、結局のところ、人がなし得ることはこういうことなのだ」と思い知らされる心地になるわけだ。そうだとすると、「生きるってことはいったい何なのだ」という問いに、頭は答えられるとしても、心の方はなかなかついて来られなくなってしまうのだ。(3/26/2010)

 **・**・**という顔ぶれで呑む。場所は懐かしの新有楽町ビル、地下の「ニュートーキョー・さがみ」。このビルに通い始めたのは77年の秋、以来、新宿に移るまで十数年の間、このビルの7階が「ベース・キャンプ」になった。

 仕事の面白さだけを取るならマイクロコントローラ開発プロジェクト時代ということになるが、職場の雰囲気、仕事をする環境は有楽町時代は最高だった。

 孟子は「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と言った。残念ながら「人の和」は「天の時」と「地の利」の加勢があってはじめて生まれるというところがある。とは言いつつ、せっかく「天の時」と「地の利」があっても「人の和」を形成できない拙いリーダーのためにみんなが不幸になることもある。有楽町時代は前者だったが、大崎時代は後者だった。

 活力に充ち満ちていた時に望みうる最高の上司と環境のもとで働けたことにいまは感謝。夕日が目一杯射し込む、あの職場が懐かしい。休日出勤もずいぶんしたし、深夜タクシーでの帰宅も多かった。土曜日の夜に電話がかかり、日曜日が吹っ飛んだこともあった。しかしほとんどの労苦は受注によって報われた。一兵卒も一兵卒なりにひそかに「オレのはたらきで取った」という自負心を持つことができたことは幸せだった。

 それがあたりまえのことではなく、どちらかといえば、すごく幸せなことだと思い知らされたのは後のこと。同じ**でも大崎時代のあの人はひどかった。中堅にまかせる度量を持たず、決定権をすべて独占し、それ故に発生する判断の遅れのために失敗に次ぐ失敗を招く最悪の上司。まあ、世の中というものを見誤らないですんだのは彼のおかげと思えば、あれはあれで貴重な人生の一コマだったわけだが、それは一個人にとっての話。あのころ机を並べた若い人には本当に悪いことをした。仕事とはこんなに面白いものだということをほとんど体験させてあげられなかったのだから。

 有楽町にはいい想い出ばかりがあり、大崎には慚愧の想い出ばかりがある。(3/25/2010)

 **(家内)と山種美術館へ行く。広尾に移ってからは初めて。去年の10月に移転したそうだが、グーグルでは検索をするといまだに三番町のマップが出てくる。

 開館記念特別展の第三弾、「大観と栖鳳-東西の日本画-」。今度の日曜までということもあるのだろうが、雨の平日のわりにはすごく混んでいる。同年代か少し上くらい。どうもこのジジババが苦手だ。互いに絵を鑑賞しているという意識がない。所作のひとつひとつをあげるとさしたることではないのだが、どうにも癇に触る。三番町に行ったのはおととし。同期会の翌日だったから日曜日だったが、はるかにゆったり見ることができたし、不快な思いもしなかった。

 そんなせいもあってか、展示されている作品とも周波数があわず、わずかに栖鳳の「蛙と蜻蛉」が面白いと思ったくらいだった。

 松岡美術館のタダ券もあったので、まわるつもりだったのだが地図を確かめておくのを忘れた。春のうららかな街中ならばともかく冷たい雨の中をウロウロするのも気が進まず、プライムスクエアそばの筑紫楼でフカヒレランチを食べて帰ってきた。(3/24/2010)

 検閲と盗み見はどう違うのだろう。グーグルが中国本土での検索サービスをきのうから停止したというニュースを見ながらそんなことを思った。

 そんな疑問を持ったのは今回の騒動がいかにも不自然に思えるからだ。

 昨年末、グーグルは自らのサイトがサイバー攻撃に晒されていること、さらに中国における検索サービスに検閲の義務が課されていることなどをあげて、これらに対する中国政府の何らかの譲歩がなければ撤退を検討すると言い出した。

 中国向けの検索サービスの提供が始まったのは06年1月末の話だった。中国政府はグーグルの進出を認める条件として、中国国内向けのサービスに対して中国政府の指定する検閲を受け入れることを求めた。当初、グーグルは検閲という行為は自社のポリシーに背馳するもので断固受け入れがたいとしていたが、結局、それを呑むことによってグーグルは中国進出を果たした。ネチズンの多くはグーグルへの失望を隠さず、グーグル批判のコメントが飛び交ったのは知られる通り。

 その経過から見る限り、グーグルのあげた撤退理由はとってつけたような印象を免れない。「検閲」の受入を条件にして参入し4年も運用を続けながら、いまさら「検閲」を問題にするのはいささか不自然ではないか。とすれば、第一にあげた「サイバー攻撃」というのが理由か。だが、中国での検索サービス提供を中止すると、なぜ、サイバー攻撃の脅威が去ることにつながるのか、こちらの方もピンと来ない。

 そうして考えてみると、今回の騒動の原因は、中国政府がグーグルに対して、なんらかの対価を要求したか、グーグルの活動に対して新しく制約を加えようとしてきたことにあるのではないか。

 想像にすぎないが、グーグル(ヤフー、MSも同じ)の無料メールは「見られている」はずであり、グーグルがどのようなプライバシーポリシーを掲げていようとも、メールのデータはアメリカ政府(ないしはグーグルがパートナーシップを結ぶ各国政府)に、適宜、提供されていることだろう。

 「検閲」されているわけではない。「盗み見」されているだけのことだ。「盗み見」は卑しい行為だが「検閲」よりは見かけ上はるかにエレガントな行為である以上、マキャベリ的にいうならば、これこそ現代の国家にピッタリの行為である。なおかつ膨大な「盗み見」情報を活かすために不可欠なのはグーグルの持つ高度な「検索技術」ということになる。

 最近「エシュロン」(「エシェロン」と発音するのが正しいらしい)の話を聞かなくなったのは、「傍受型」の「盗み見」よりは、はるかに洗練され、かつ効率的な「盗み見」が主流になったからではないのか。グーグルが中国撤退を検討するに至ったのは4年前に認めてしまった「検閲」を悔いてのこととは思えない。更なる無理無体な要求が中国政府からなされたか、あるいは純情そうな見かけの下に口に似合わぬ腹黒さのあることを中国政府が掴んだか、真相は藪の中。

 しかし、マスコミが伝えるような「シリコンバレーのオープンマインドが中国の求める自己検閲に耐えかね、ビジネスメリットを棄てても理想を守る道を選んだのだ」というのはいささかチェリーボーイ的な考えだろう。一度肌を許して、いまさら生娘の顔をしても、すれっからしの男は騙されない。(3/23/2010)

 パラリンピックが終わった。オリンピックとなると、必ず獲得メダル数のリストを掲載するのに、パラリンピックとなるとメダルを獲得した単発記事を報ずるていど。いささか冷淡。となると、あまのじゃくが頭をもたげる。

 我が国は金メダル3、銀メダル3、銅メダル5、計11個を獲得、トリノの9個を上回る二桁にのせた。金メダルの獲得数では7番目、獲得メダル数では6番目になった。

 オリンピックの時、右翼マインドの人々は韓国と中国の活躍にえらくプライドを傷つけられたようだが、パラリンピックでは韓国は銀メダル1、中国はノーメダルに終わった。嫌韓・嫌中の諸子は、もっと大騒ぎしたら、どうだ?

 「銅メダルで驚喜する、こんなバカな国はないよ」とのたもうてくれた彼の都知事さんなどは金メダル3個を含むこの成績をどう評価するのだろう。「これこそ国家という重いものを背負った」結果と賞賛するのか、それとも、「オリンピックじゃないんだろ?」、「否定しませんよ、しかし障害者が金メダルというのが快挙かね」と冷笑するのか。

 かつて、障害者施設を視察した後の記者会見で「ああいう人にも人格があるのかね」とか、「生まれてきたか、生きてきたかも分からないような人に手厚くするなんて日本だけでしょうな」と発言したというエピソードを持つ都知事さんのことだから、人を小馬鹿にした調子で「片端者の金メダルに拍手する、こんなバカな奴はいないよ」と吐き捨てる可能性はおおいにありそうだ。

 ところで銀メダルを獲得したアイスホッケーチームの主将を務めた遠藤隆行(川越市役所職員の由)に「大会を通じてもっとも印象深い選手」に与えられるという「ファン・ヨン・デ功績賞」が贈られた。ソウル・パラリンピック大会のとき、障害のある韓国人医師によって創設された賞とのこと。ごくふつうの日本人(黄色人種の国に「異常な敵愾心」を持たない日本人というくらいの意味だが)としてはおおいに称えたいと思う。(3/22/2010)

 夜半からの強風、雨が雨戸にたたきつけられる音がすごい。眠りが浅いだけでなく寸断される。

 そのたびに見る夢の内容が変わるのがおもしろい。何番目かの夢に商品先物取引をやっていたのに値動きのチェックをすっかり忘れていたというのがあった。白髪染めの原料だという。買い玉を建てていたじゃないかと言われて、「そういえば、そんな記憶が・・・」。どうやら、夢にも「続き」や「一貫したシナリオ」があるらしい。「証拠金が飛んでいるかもしれない」とドキンとしたところで目が覚めた。それにしても「白髪染めの原料」というのが可笑しい。とんでもない夢を見るようになったものだ。

 「バクチはFXだけです」と声に出して確認して、「呑まない・打たない・買わない」でやってきた男がついに「打つ」ことをはじめたのかと苦笑いしつつ、時計を見ると3時22分だった。「22かァ」と呟きつつ、また、トリクル睡眠モードに入った。しばらく「飛ぶ夢」を見ていない、また見たいものだと思いながら。「坂道を下って・・・走り寄る・・・」。

 起きたのは6時ちょっと過ぎ。曇っているが、強い風は止んだ。思った以上の春の嵐。あちこちで電車が止まっているらしい。春先のこの時期にはよくある天候だ。

 38年前、入社する直前、すんなり現役で進学し一年早く社会人になっていた**(友人)から借金して浜名湖から伊良湖岬にかけて三泊のドライブに出た。学生時代最後の春休みを満喫したかったのだ。三泊目のユースホステルで、偶然、**(友人)に会い、乗せて帰ることにした。

 3月30日のことだった。静岡を出たのは夕方だったと思う。既に雨が降り始め、風が少しずつ強さを増していた。**(友人)は「高速代、出すよ」と言ってくれたのだが下道で帰ることにした。手もと不如意だったわけではなかったと思う。ただ東名に乗っても町田で降りるとしたらそんなに時間短縮にならないと思ったからだったと思う。

 国道246号の御殿場あたりのバイパスで事故を起こした。駐車スペースと本線を区切る縁石に衝突したのだった。緩く右に曲がるカーブの先に見えてきた縁石を中央分離帯と思い、左に急ハンドルを切った。雨で路面は滑りやすく、縁石の手前のゼブラゾーンのペイント部分は路面以上に滑りやすくなっていた。コントロール不能になった車体がすーっと縁石に迫ってゆく光景はいまも忘れない。人生のキーポイントになるようなとき、時間は極度にスローになるものだ。「ああ、ぶつかるぅ~」という感じだった。

 典型的な自損事故。セルモーターの音はするもののエンジンはかからなかった。連絡用非常電話がすぐ近くに見えたので車を降りると、ザッと風雨が吹き付けてきた。パトカーが来るまでの間は異常に寒く感じた。御殿場近くの病院に運ばれ処置を受けた。こちらは踏ん張ってブレーキを踏んでいるから頭をぶつけることもなく膝以外に外傷はなかった。幸いなことに**(友人)も「なんで急ハンドル切るの?」と思いつつ身構えたとかで、軽く頭をフロントグラスにあてたていど、面体に傷跡が残ることもなかったが、その晩は病院で過ごした。どんな病室だったかはどうしても思い出せない。

 翌朝、風は冷たく強いものの、ウソのようないい天気だった。事故車の処理やら保険の手続きなどは駆けつけた翠さんのアドバイスに従ってやり、**(友人)ともども家まで送ってもらった。その日、入寮するはずだった会社の寮には事情を連絡して入寮を一日遅らせることにした。**(父)さんは「ギリギリまで遊び回るからだ」とひとこと言ったきりだったが、入社する最初の一歩でつまずいた息子に言ってやりたいことがたんとあったはずだ。・・・すべて昔のことになってしまった。(3/21/2010)

 朝刊に「途上国反発 EU誤算-大西洋クロマグロ禁輸否決」という見出しで、きのう書いた事前報道の醜態に関するいいわけ記事が載っている。

 朝日の「いいわけ」は「発展途上国と先進国の力関係が様変わりしている」と「EU内部の足並みの乱れ」。さらに囲み記事の形で「『EU いまならバラバラ』と密告」と見出しをつけて「日本外務省幹部などによると、17日夜、ドーハの日本政府代表団に地中海沿岸のEU加盟国関係者が『18日に採決されれば、EUはまとまらない』と耳打ちしてきた」という週刊新潮あたりが喜んで書きそうなことを載せている。先進国が宗主国面をして発展途上国をコントロールすることができなくなりつつあること、EU内部にも「南北問題」があることなど、もうとっくの昔に分かっていることだろう。その前提で考えて、今回はどう動くのかをあらかじめ料理してみせるのがプロの仕事ではないか。

 最近の朝日の読みどころは、他紙と変わらぬ戯けたニュース報道ではなく、なぜマスコミはこうなのかということを捌いてみせるところにあるような気がする。

 まあ、こういう「いいわけ記事」や「検証記事」を載せるだけ朝日はまだましなのかもしれない。あるはずの大量破壊兵器がついに見つからず戦争の大義が虚偽であることが判明した後も、読売やサンケイはまるでそんなことがなかったような顔をし続けた。今回、鉄面皮な両新聞はどのように「いいわけ」しているのだろう。こういう記事はサイトには掲載されない。直接あたるほかないが、詐欺師が詐欺をはたらくのを確認するために詐欺に引っかかってみるほど酔狂ではない。かといって、わざわざ図書館まで調べに行くのもまた貴重な人生の時間をドブに棄てるようなもの。

 「なかったことにする」といえば、密約文書などもそういう心理がはたらいて「行方不明」になったのかもしれない。

 きのうの衆議院外務委員会で証言にたった東郷和彦(元外務省条約局長)は99年に核密約関係資料58点を後任に引き継いだが今回の有識者委員会報告書には出ていないものがあるとのべた。朝刊には58点の内、特に重要として東郷が二重丸をつけた文書の一覧が載っている。見ているといろいろなことが想像できて興味は尽きないので写しておく。

1 藤山・マッカーサー討議記録(1960.1.6)
安保条約改定交渉で作成された非公表の討議記録。核持ち込み密約の根拠とされた。
2 朝鮮議事録(60.1.6)
藤山外相、マッカーサー大使との間で朝鮮半島有事の際に事前協議なしに在日米軍の出撃を認めた議事録。
3 ない 高橋・マウラ会談記録(60.1.20)
高橋通敏外務省条約局長と米政府当局者の会談記録。米側が核の存在を否定も肯定もしないNCND政策を説明したとされる。
4 日米安保条約交渉経緯(60.6)
アメリカ局安全保障課長作成。
5 装備の重要な変更に関する事前協議の件(68.1.27)
東郷文彦北米局長作成。「東郷メモ」。外務省調査で公表された別の写しには歴代首相、外相の引き継ぎが記されていた。
6 ない ラロック証言後の日誌(74.10.16~11.18)
松永条約局長作成。
7 事前協議問題(74.10.23)
8 事前協議問題について(74.10.29)
9 英文トーキングペーパー案(74.11.11)
10 安保条約問題 総理発言案(74.11.18)
11 安保条約問題 総理発言説明資料(74.11.18)
12 ない ライシャワー発言問題(81.5.19)
13 「核持ち込み」問題について(81.6.22)
14 ない 核兵器通過・寄港問題 討議メモ(86.9.25)
15 調査
対象外
在日米大使館発国務省宛電報3186番(63.4.4)
16 調査
対象外
米国公開文書に関する最近の経緯その2(99.7.7)

 トリノオリンピックの時のこと、大会最終盤に至っても日本選手はノーメダルだった。大多数の苛立った国民のウケを狙って、週刊文春はこんな見出しをうった、「いっそなかったことにしたいトリノ」

 よく「このていどの国民にこのていどの政治家」というようなことをいうが、官僚も、官僚組織の運用状況もまた「このていどの国民にはこのていどの国家組織」ということなのかもしれない。

 都合の悪いことは「いっそなかったことにしたい」から、国家間の取り決めにあたりどのような経緯があったのか、また、いかに運用してゆくかについての基礎文書ですらポイポイと捨てて恥じないのに違いない。まことに恐るべき精神だ。

 う~ん、読売新聞やら週刊文春ていどがこの国でいちばんよく売れるという事情がよくわかった。どうだろう、いっそのこと、こんな国などなかったことにしてアメリカの準州にでもしてもらったら。そうすれば沖縄にどれだけ基地があろうが何の問題もなくなる。難題はいっぺんに解決して清々できるぞ。(3/20/2010)

 きのう、寝る直前のニュースでモナコ議案が否決されたという速報を訊いた。「ほう、ギリギリ三分の一かき集めるのに成功したのか」と思いながら寝床についた。そんな風にイメージしていたのは今月に入ってからの報道が「クロマグロの危機」一色だったことによる。

 だから朝のニュースには驚かされた。モナコ議案に対する賛成は20、反対は68、棄権は30だった。禁輸実施時期を来年5月まで先送りするEUの修正案でさえ、賛成43、反対72、棄権14。つまりEU修正案でかろうじて全投票数の三分の一の賛成、モナコ議案に至っては反対票がどうこうではなく、賛成票そのものが三分の一にも遠く及ばなかったということ。

 けさからの報道によると、この「圧勝」の原因は欧米のイニシアチブによる「資源保護」に対するアフリカ・アラブ諸国の反発、前後して採決されたサメ取引規制案に反発する中国の「第三世界」(ずいぶん懐かしい言葉かもしれない)へのはたらきかけが大きかったという。

 これらのことは突然にそういう動きが出て来たのだろうか。

 リビアによる打ち切り同義が出た途端に、それまでモナコ議案に賛成する予定であった国が雪崩をうって反対に変わったわけではあるまい。サメ取引の規制案がどのようなものかは(何も報ぜられてこなかったから)分からないけれど、中華料理の重要な食材であるフカヒレについて中国、そして貴重な輸出産品として貿易収支に貢献しているであろうキャビアについてロシアやイランが、それぞれの規制に並々ならぬ関心を持つことは、素人でも容易に想像できる。

 「三分の一の反対票を確保できるかどうかは微妙」という事前報道と、「賛成票は三分の一にも満たなかった」という結果とのギャップはいったいどのようにすれば生まれるのか。

 我がマスコミはクロマグロに眼を奪われて、アジア・アフリカ各国の動静もろくに取材せず、今回ドーハでとりあげられる約40件といわれる他の議案について各国がどう対応するかについても客観的に吟味、取材することも、忘れていたのではないか。そうでなくては、これほど事前の報道と結果が大きく背馳することはあるまい。

 我がマスコミがモナコ議案の議決を確実視するニュアンスの報道一本にまとまったのは、今月はじめ、EU27カ国のみならず、「同盟国」と思っていたアメリカまでがモナコ案に賛成することを表明してからのことだった。(どこの新聞社あるいはテレビ局だったか、「アメリカがモナコ案に賛成することに決めたのは普天間基地の移設問題に苛立っているからだ」という「解説」をつけていたっけ)

 どうやら我がマスコミのほとんどは、世界はアメリカを中心に回っていて、アメリカさえ見ていればよいのだと考えているらしい。「カイカク」を連呼していた小泉政権は「日米の同盟関係さえ良好であれば、他のことはオーケー牧場」と言っていたが、どうやら我がマスコミは未だにそう信じ込み、そういう先入観で世界の出来事を「解釈」して「思い込み報道」に明け暮れているのか。

 日本国内ならば、検察のシナリオに載って、そのリーク情報で報道していても大恥をかくことはないし、載せられやすい大多数のおバカさんたちがその方向に動いてくれるけれど、ことが国外のことになれば、そういうわけにはゆかないのだということくらいは思い知ったかしらね、呵々。(3/19/2010)

 朝刊の「ニュースがわからん!」コーナーで、政治資金規正法について一部間違って理解していたことを教えられた。

 例の北教組の政治献金事件について、「制限額は企業・労働組合の政治資金団体に対する制限額は政党への献金額と合算して年間1億まで」と書いた。

 しかし制限額は一律に1億となっているわけではなく、企業は資本金の額、労組は組合員の数によって献金可能な限度額が決まっており、「北海道教委の調べでは、北教組の組合員数は約1万9千人(昨年10月時点)だから、年間750万円が限度だ。ところが問題の1600万円のうち昨年分だけで1200万円になるとみられるから、党や政治団体に献金していたとしても違法」になるということ。

 記事には企業・団体献金の受け皿と限度額が表にまとめられている。限度額の部分のみを抜き出すと、

企業(資本金) 労働組合(組合員数) 年間限度額
10億円未満 5万人未満 750万円
10億円~50億円未満 5万人~10万人未満 1500万円
50億円~100億円未満
・・・
1050億円以上
10万人~15万人未満
・・・
110万人以上
3000万円
・・・
1億円

ということ。

 常識で考えて、資本金が一千万ていどの会社や組合員が数十人しかいない組合に対する制限額が1億ということはないわけで、そこまで調べなかったのは迂闊だった。(そうはいいつつも、そういう企業・労組が億に近いカネを政治献金できるわけがないことも、また一方にはあるわけだが)

 ・・・というわけで、「逮捕されたセンセイたちがきちんと政治資金規正法のお勉強をして、民主党北海道支部の看板を掲げたところにカネを渡すなり、個人から、あるいは任意の政治団体を作って(ダミーといわれないように細心の注意を払う必要はあるが)献金をしていたならば、逮捕されることはなかった」と書いたのは、こちらも同様に「政治資金規正法のお勉強」不足だったということ。(3/18/2010)

 時間がたっぷりとれる身の上になった**さんと待ち合わせて西国立の無門庵で昼食。3時間ほども、あれこれ話し込む。最初は8割方、埋まっていた席も、我々が席を立つ頃には2~3組残るていどになっていた。

 買い換えた書斎のテレビが届いた。現在の共同アンテナには地デジが含まれていない。**さんとの妥協策でとりあえずスカイツリーができるまでの間、費用は**さん持ちでJCOMのサービスを受けることにした。その工事があさって。

 東芝のレグザ19インチ。東芝にしたのはUSB接続のハードディスクに録画できるから。ずっと使ってきたシャープと比べるとひとまわり小振りな感じ。1インチの違いによるものか、それとも基本的に地デジの16対9のアスペクト比で設計してある画面の両端を棄てて従来の4対3で表示するせいか。

 アマゾンで39,800円。500GBのハードディスクがサービスでつく。価格コムの最安は36,792円だが、代引き手数料と、容量が中途半端とはいえ、とりあえずすぐに使えるハードディスクがつくことを考えれば、アマゾン。クルネのヤマダ電機では42,800円だった。サービス品について尋ねると店員は「つけてたんですが、品切れでいまはこのままで」と答えた。あきらかに小型テレビには力が入っていない。

 気になったのはリサイクル・エコポイントの件。アマゾンのサイトに掲載のように佐川急便に引き取らせると配送時の同時引き取りでも6,825円。リサイクル・エコポイントは3,000点だから無意味。エコポイント事務局のサイトのFAQによると、購入関係資料とリサイクル券排出者の名前が同一であればOKとのこと。直接、木下フレンドに持ち込むことでクリアできそうだ。

 これで廃棄費用はゼロ(正確には165円のゲイン)。エコポイント7,000点だから32,800円で録画機能付テレビへ置換することなる。書斎用としては、まあ、許容範囲の出費だろう。(3/17/2010)

 鳩山邦夫が自民党を離党した。きのうの記者会見では、いつぞやの「友だちの友だちがアルカイダ」という言い方そのままに、ことし、大河ドラマで人気の坂本龍馬と血縁関係にあるとした上で、「いちばん頭のいいのは与謝野さん、いちばん人気があるのは桝添さん、わたしが接着剤的役割を果たして薩長連合ができれば最高」とぶち上げた。

 朝刊トップの見出しは「内閣支持率下落32%」。既に2月に行った2回の調査の時点で不支持が支持を逆転(41%-45%/37%-46%)し47%になっている。ところが民主党の支持率が下落しているにもかかわらず自民党の支持率も轡を並べて下げているのだから、鳩山が苛立つのも無理はない。

 いまやレーダー型人間になっている大方の政治家にとっては、世論調査結果に自らの行動をチューニングするのは当然のこと。もっともマスコミが行う「世論調査」なるものは、意識的または無意識的に質問文を変えることがあるらしく、同じ報道機関の前回と今回の調査結果どうしであってもその取り扱いには注意すべきなのだが、世の中の大多数の人々にそんな注意深さが期待できない以上、選択すべき答えは同じことになる。

 秋波を送られた形の与謝野と桝添。文藝春秋や外人記者クラブでそれぞれに「決意表明」をしていたふたりだが、「日限を切って新党と言われても」、「選択肢はいろいろ」などと口先男の反応。

 かつて自民党を割った新自由クラブも新進党も、一部の例外を除けば、結局のところは自民党に復党した。復党組のその後の処遇はみんな知っている。与謝野も桝添も要するに「谷垣は降りろ、オレに回せ」というのが腹のようだ。つまり彼らは「自民党ブランド」にはまだ価値があり、また同じようになると思っているのだろう。

 そもそも「ブランド」は「外部から信頼をもたれ、その期待に応えることができる」ということと、「それに応えられるような強みを内部に明確かつ意識的に持っている」ということに支えられるものだ。さて「自民党ブランド」にそういう力が残っているかどうか。ポスト・小泉の自民党を見てみると、行き当たりばったりに「毛並みのいい若手・安倍」、「手堅い実務派・福田」、「大衆的人気者・麻生」を総裁にした時の語られた推薦理由を見る限り、自民党には自らのコアコンピタンスに対する理解も戦略もなかったし、いまやますますその状況は悪化しているように思う。

 頭がいいはずの与謝野にそれが見えているか、桝添の人気は麻生の綿飴のような人気とどう違うのか。「世論」の実体というのが日々の生活に追われ、表面的な情報に振り回され続ける一般大衆である以上、それにいくらチューニングしたところで空しいのだということに鳩山は気がつかないのかね。(3/16/2010)

 ウォーキングを中止してから腕時計をつけることが少なくなった。チェックしてみると充電量がかなり少なくなっていた。

 いま使っているのは日記をみると99年2月11日の購入だから11年ほどになる。セイコーのキネティック。中国に出張中に電池が切れそうになって往生したことがあったので、選択肢はシチズンのエコドライブかセイコーのこれか、どちらかだった。なんとなく「自動巻」というのが懐かしくてセイコーにしたと思っていたが、日記には「はめているときの動きの方がより汎用的と考えてセイコーにした」とある。記憶は適当に修正されてしまうものらしい。

 最初の頃は寒くなってくると充電性能が悪くなる傾向があって、一、二度、修理に出したが安定してからはこれという障害はない。最近のキネティックは「オートリレー」と呼ぶ機能がついていて、一定時間以上、動きが検知されないと運針を止めてセーブモードで省エネする由。動きを検知すると4年以内ならば現時刻に針が修正されて運針を開始するというからすごい。

 廣枝が「ちょっといいのを買ったら、出してあげるから」と言う。「予算は」と訊くと、「20万くらいまで」という。「えっ・・・?」と言いそうになって堪えた。額面通り受け取ってはいけない。ちょっと探りを入れてみると、はたして「わたしはオメガのコンステレーションが好き」と言う。「いくらぐらいなの?」、「30万くらいかな」。カタログまで用意してある。やっぱりエビタイ狙いだった。

 中学に入った時にもらったセイコーからいまのまで4世代、平均十数年の使用期間とすると、そろそろ人生最後のものにしてもいい頃かもしれない。

 「ちょっといいの」と言われても、パテック・フィリップならばまだしも、「ロレックスだ、どうだ」という趣味はない。どのみち、そんなカネはないのだが。

 腕時計は、まず、正確であること。年差数秒というのが憧れだったが、いまなら電波時計に勝てる時計はない。デザインはシンプルなもの。秒針は欲しいが、カレンダーは要らない。やたらに針のある時計にも用はない。できるだけ「軽・薄」なものがいい。

 書斎派年金生活者の選択としてはエコドライブの方をとる。とすると、シチズンのほどほどのものでいいことになってしまう。差額が出るなら本代にする・・・、これがベスト・フィット。(3/15/2010)

 またまた滞ってしまった滴水亭の更新。そして同期会HPのメンテ。

 滴水亭の方はちょっと前から、JISにない漢字を使うため、UNICODE設定で作成している。それを忘れて同期会HPの文書を作ってしまった。ものの見事に別フレームの文字が化けてくれた。

 他にも、参加者リストのスタイル設定が思うようにゆかなかったり、空欄にブランクを埋め込むのを忘れたり、・・・、トラブル続出。

 あれやこれやで、ほぼ半日以上、ホームページ・ビルダーと格闘することになってしまった。

 同期会関係を終わらせたら、滴水録にいくつか補注をつけようかなどと思っていたのだが、それどころではなくなってしまった。先週の案内状の発信もそうだった。Gメールが、スパムメール防止のために、同報送信にあれほど厳しいチェックをかけているとは想像もしなかった。同報数を10通にして送っていたら、一日百通の制限に引っかかった。業を煮やしてヤフーメールにアカウントを取ってなんとかクリアした。ヤフーの規制が甘いのに感謝していいのかどうかは微妙なところがあるが。どうも同期会関係のワークは鬼門のようだ。(3/14/2010)

 届いたばかりの日経ビジネスにケネス・ロゴフへのインタビューが載っていた。

 内容はトヨタ騒ぎの時に行き当たった「ダイヤモンド・オンライン」で読んだものをさらにコンパクトにしたものだが、人物紹介に添えて話題の本、"THIS TIME IS DIFFERENT:Eight Centuries of Financial Folly"は「8月に日経BPから刊行予定」と書いてあった。

 売りは「過去800年間に66カ国で発生した金融危機についての膨大なデータをベースに分析した」ということ。その危機のたびに関係者は「今回の危機はいままでとは違う」と主張したというわけだ。

 共著のラインハートとの分析結果は、「あらゆる危機がそれまでの危機と異なるように見えても、実は多くの共通点が存在し、過去に学ぶべきことが多い」というものだったらしい。もう一度、「ダイヤモンド・オンライン」で彼が語っていたことを読み直してみた。

 その共通点のひとつは「金融危機後の3年間で財政赤字は3倍になる」ということで、その時の新興国の多くはデフォルトに至る。彼の見通しではアメリカ、イギリス、ドイツでも政府債務の大きさは今後数年以内に深刻な問題となるとのこと。恐いのはそれぞれの政権が選挙結果を恐れて政策を誤ることで、彼はそれを必然と思っているらしい。

 デフォルトという言葉から我々は対外債務を想像する。ロゴフはこんなエピソードを紹介している。件の本で「日本も何度かデフォルトしている」と書いたところ、ある日本政府高官(誰だろう?)が訂正を求めてきた。彼はそれに対し敗戦直後の預金封鎖・新円切り換えの例を示して納得してもらったそうだ。去年11月、北朝鮮がデノミを行った時、我がマスコミはその混乱をどちらかといえば面白・可笑しく報じていたが、将軍様の「英断」のお手本は我が国だったのかもしれない。

 ロゴフの示す処方箋は、ひとことで言うならば、短期金融を制限した上で緩やかで長期的なインフレによる「デフォルト」を行うということだ。おそらくこれがベストなソリューションだということは理解できるけれど、結局、「借りた者勝ち」という結論には釈然としないものが残る。(3/13/2010)

 「遠交近攻」の成句を辿って「三十六計」(守屋洋)を再読。「六韜」そして「三略」から数字をいただいているのだから(冗談。劈頭の「総設」に「六六三十六 数中有術 術中有数」とある。六六三十六は一卦六爻の中に六計ということか)もとより怪しげなところのある本だが、自分が優勢な場合(勝戦計)から劣勢な場合(敗戦計)まで6つの章を設け、それぞれに6つの計を記している。

 「遠交近攻」は「混戦計」の章の5番目にある。ごく簡潔に「形禁じ勢い格(ソム)けば、利は近く取るに従い、害は遠隔を以てす、上火下沢なり」とある。「上火下沢」とは「易経」に言う「?(ケイ)」のこと。

 「?(ケイ)」とは上は火が動いてのぼり、下は沢が動いてくだることをいう由。ただ「三十六計」が「易経」を引くのは権威付けのためとのことで、卦の意味と関連づけて読むことにはあまり意味がないというのが通説らしい。

 「混戦計」に続く章は「併戦計」。その章の最初の計は「偸梁換柱」。梁に使う木材を柱に使えば建物は倒壊してしまうということ。つまり敵の組織を支える人材を無能な人物に入れ替えて国力を殺ぐ計略を指す。別に「敵」にだけ用いる策略ではない。「併戦計」とは同盟国に用い同盟の中で優位に立つことを目的にするものなのだから。

 安全保障論議を聞いても、構造改革論議を聞いても、いったいこの人はどこの国の人なのだろうと思うことが再三あるが、あれはアメリカがこの国に施してきたオペレーションのたまものであったわけだ。

 それにしても、三千年の昔から文字を使い、竹簡・紙を使い、知恵の蓄積をしてきたということはこういうことかとつくづく思い知った。(3/12/2010)

 朝刊に「原発40歳 高齢時代」の見出し。

 日本原子力発電の敦賀原発1号機(沸騰水型炉、出力35.7万キロワット)が14日、日本の原発では初めて、運転開始から40年を迎える。これを含め、今後10年間で18基が40年を迎える。原発は建て替えや新規立地が難しく、電力各社は当初40年程度としていた運転期間を延ばす傾向にある。原発需要の高まりを受け、世界でも延命が主流。「高齢原発」時代に差しかかっている。

 記事本文には、なぜ廃炉予定だったものをさらに20年運転延長させることになったかという事情と、そのためにどのような延命措置がとられたか、スイス・インド・アメリカなどでも同様の例があることなどが紹介されている。

 しかし設計時の想定寿命を延長した場合の問題については、「原発を長期間運転すると、冷却水中の酸素や運転時の力が複合して『応力腐食割れ』が起きる。これを避けるため、別の材質に変えた」ということだけしか書いていない。

 応力腐食割れは原発だけで懸念される問題ではない。これをあげるならば、少なくとも原子力施設に特徴的な問題もあげなくては嘘だろう。長期間にわたって中性子を照射され続けることによって進行する金属疲労、「中性子照射脆化」の問題だ。腐食割れは比較的簡単に把握できるが、脆化はテストピース検査データをもとにした推定による他はない。設計寿命を超えた運転の場合にも十分なデータがとれるだけのテストピースが配置されていたのか、素人には気になるところだ。

 この関係のニュースを見ていると、通常の工学安全性の数段階上を達成しなければならないはずの原発が、当初の想定や設計条件をいとも簡単に変更していることに気がつく。

 原発の設計に時に過大とも思えるような安全率が見込まれていることはたしかだ。しかしその裕度は想定外のトラブルが発生した時にも最悪な結果を招くことがないようにするためのものであって、けっして設計条件を超えた運用に切り替えることを想定したものではない。

 運用に入ったばかりのプルサーマル計画といい、この想定寿命を超えた使用延長といい、あらかじめ見込んだ安全率という貯金をかなり際どいバクチにつぎ込んでいる印象をぬぐいきれない。

 不謹慎な「祈り」を書いておく。「・・・神様、延長運転に入った原発か、プルサーマル発電を開始した原発か、どちらでもいいです、どこかの原発で軽微な事故を発生させてください。施設が壊滅するような大規模な事故は困ります。作業員数人が死ぬていどの事故がいいです。重傷者のみでは無意味です。死者が出ないと、この国の仕組みは変わりませんから。一人か二人は即死、数名は半月ぐらいの間に順に死んで行く、そのくらいの事故が発生することを望みます・・・」。(3/11/2010)

 きのうの午後から降り始めた雪がこんもり。車に積もった雪を箒で払うのは、ことしになって三回目。強い風が冷たい。この雪と風で鶴岡八幡宮の大銀杏(公暁が身を隠して実朝を待ったという作り話のある銀杏)が倒れた由。

 朝刊トップは日米密約に関する外務省の調査結果と有識者委員会の検証報告書内容に関するもの。

密約 内容 外務省
調査結果
有識者委員会
見解
60年1月
安保改訂時の核持ち込み
核を積んだ艦船の寄港・通過について事前協議の対象にしない 日米間で認識の不一致があった 暗黙の合意という「広義の密約」があった
60年1月
米軍の自由出撃
朝鮮半島有事における米軍の作戦行動を事前協議なしに認める 根拠とされた議事録の写しが見つかった 密約との認識があり、非公開文書も確認された
69年11月
沖縄への核再持ち込み
重大な緊急事態が発生した場合、日本側は事前協議で承認する 若泉敬による合意議事録については外務省は何ら知らなかった 非公開の合意議事録は発見されたが、必ずしも密約とは言えない
71年6月
沖縄返還時の原状回復費の肩代わり
返還協定で米政府の負担が決まっていた原状回復補償費を日本側が肩代わりする 肩代わりについては日本側も知っていた 非公表扱いの合意があり、これは「広義の密約」に該当する

 国家間の条約は本来オープンなものである。とくに軍事に関わる条約は締結国政府がその国民のみならず、第三国とその国民に対しても「意思」表明することが目的のひとつなのであろうから、オープンでなければ意味がない。しかしオープンにすることは不都合であるけれども、どうしても定めておかねばならないことを「密約」しておかねばならぬ事情が生ずることは理解できる。またマキャベリを引くまでもなく「政府」は常に公明正大・正直・誠実である必要がないことも分からないではない。

 それらを心得て、この4つの密約のみ(民主党政府がすべての密約をリストアップした保証はない)を眺めてみると、本当にこれらを密約として取り交わすべきだったのだろうかという気がしてくる。

 たとえば「密約a~c」について「日本国民の核アレルギー」による摩擦を避けるためといわれれば納得する人も「密約d」を密約とするかどうかには疑問をもつだろう。沖縄の「返還」はサンフランシスコ講和条約の「遅れた履行」という性格を持っていた。占領の解除に関わる費用は占領者の負担が当然。しかし、それでも、ほとんどの日本国民は領土返還に要する費用と説明されれば納得したに違いない。不思議な「密約」だ。

 次に有識者委員会が「密約とは言えない」と判じた「沖縄への核の再持ち込み」だが、先行する「a」・「b」というふたつの密約が存在し、アメリカの沖縄占領がそれまで継続していたことを考え合わせれば、論議そのものが空しい話だ。

 「密約b」は「アメリカは日本の防衛と結びつくことを証明しなくとも自由に日本に配備した軍事力を動員できる」ということであり、「密約a」は日本の領土・領海における核の移動のフリーハンドをアメリカに与えるということだ。およそ「国家としてのプライド」を捨て去ったに等しいこのふたつの密約が存在する状況下に、新たにアメリカが日本本土以上のフリーハンドを有していた沖縄が加わるのだ。結果は見えていたようなものだ。国家主権をたやすく棄てた国がそれを取り返すのは難事中の難事だ。

 「密約c」は返還前、沖縄に配備されていたであろう核を沖縄から撤去することを望むものだが、核の配備状況を明確にしないということがポイントとなっている「密約a」がある以上、そこに遡って検討しない限り、日本側の自己満足のためのものであったことは明らかだ。

 逆に、「密約b」において「朝鮮半島有事」という限定のもとに与えた米軍のフリーハンドが、「実情」に合わせて「重大な緊急事態があれば事前協議でノーとはいわない」などという話になってしまった。たぶんこのときは「ベトナム」を意識していたのだろうが、それはそのまま「イラク」にも適用されたわけで「密約b」は「密約c」の精神によって、よりいっそう強化されたと言える。「対象」を微妙に変えながら無原則にズルズルと許容するさまはどこか日中戦争に傾斜して行く大日本帝国に通底するものがある。これが日本人というものなのか。

§

 けさの新聞各紙の社説を斜め読みしてみると、朝日と毎日が非核三原則の維持を主張しているのに対し、日経と東京(中日)はこれにふれず、読売は見直しを主張している(ファナティックな感情論を読むのは時間のムダなのでサンケイは読まなかった)。こんな理屈だ。

 政府は、核搭載艦船の日本寄港などを事前協議の対象とするとの立場も変更しないという。
 だが、米国は、全世界にある米軍の核兵器の所在について肯定も否定もしない原則を持っている。日米どちらかが例外規定を設けない限り、両者は矛盾する。
 外務省は、91年の米軍艦船からの戦術核の撤去宣言により、当面、不都合は生じない、とするが、問題の先送りにすぎない。
 米軍の核抑止力を機能させるため、「持ち込ませず」のうち、核兵器の日本国内配備の禁止は継続するとしても、寄港・通過などは除外することを、政府は真剣に検討すべき時である。
 オバマ米大統領が提唱する「核なき世界」は、あくまで遠い将来の理想にすぎない。北朝鮮の核の脅威や中国の軍事大国化など日本周辺の現状を踏まえれば、米国の「核の傘」は不可欠だ。
 非核三原則を掲げた佐藤首相でさえ、69年10月に「『持ち込ませず』は誤りだった」と外務省幹部に語っていたことが、公表された外交文書で明らかになった。
 鳩山政権が、非核三原則の見直しはタブーだと思い込んでいるのだとすれば、健全な安全保障論議ができなかった半世紀前の密約締結時と変わらない。

 非核三原則の見直しをタブーとするならば半世紀前の密約締結時と変わらないという指摘は正しい。しかし読売の口ぶりはどうやら「健全な安全保障論議」をすれば、非核三原則は見直されなければならず、密約が決めた通りでよいということらしい。

 その根拠は何かというと「核の傘」だというわけだ。しかし「核の傘」が機能するのは対抗する勢力が鏡写しの関係にある時だ。あるていど拮抗したリソースを背景にした「敵」どうしが、同じていどの理性によって軍事戦略を構想、運用する場合に限られると思った方がよい。米ソの冷戦がそれだった。

 そもそも「核抑止」などという神学的概念は不毛な論議を弄ぶことが大好きな軍事オタクのおもちゃに過ぎない。神学的概念を双方が共通に信じていなければ「核抑止」は成立しない。どこかの国に先制攻撃をかけようものなら最初の一撃ですべてが終わってしまう北朝鮮や、亡霊ともいうべき「テロリスト」に対して「核の傘」がどのように有効であるのか、説明して欲しいものだ。

 では中国の核をどのように考えるか。現在の中国の軍事思想と彼らの核に対する考え方がどのようなものかは、アメリカ・イギリス・フランスの専門家にとってはまさに難題中の難題であるに違いない。なにしろ当の中国にとっても「分かっていない」のだろうから、呵々。ただ「核抑止」などという「信仰」を無条件に是とするような国でないことだけはたしかだ。それが「孫子」を生んだ国というものだ。つまり中国と軍事的に対抗することを考えなければ軍事的摩擦は生じないのだ。

 たしかに「遠交近攻」という戦略はあろう。しかし仮にアメリカと結んでアジア経済圏を我がものにしたとして、日米のいずれが秦になり得るのか、それも考えずに遠交し近攻するのは愚かしい話だ。後藤田正晴が「アメリカ一辺倒の政策をとっていて気がついたら中国を中心とするアジア全体とアメリカがうまくやっていた、そんなことにならないように十分注意すべきだ」というようなことを言っていた。

 頭の上にあると思っていた「核の傘」が破れ傘になる可能性の方がはるかに大きいことを考えもしない、そのていどの思慮か。


 読売はアメリカに魂を売ってしまったようだから、彼の国の戦略と原則にこの国のすべてを委ねなさいというのだろうが、そういう売国的なことをすべての日本人が意識的に選択した事実はない。核兵器を使われた国が、核兵器を使った国の原則にあわせるのが「当然」なのか。バカも休み休みに言え。

 読売は「健全な安全保障論議」と書いているが、「健全」というのは「腑に落ちる」ことを言う。でっかち頭で考えただけで体がついてこないような「お話」を「健全」とは言わない。それが本来の保守思想というものだ。

 1985年2月、ニュージーランド政府はアメリカのミサイル駆逐艦ブキャナンの親善訪問を拒絶した。核弾頭搭載可能なアスロックミサイルを装備していたからだ。アメリカはニュージーランドへの安全保障義務を凍結したが、このことはかえってニュージーランドに幸いした。冷戦の終結前に近隣諸国との間に冷戦後に適合した安全保障のネットワーク構築ができたからだ。

 岡崎久彦なら「それはアングロサクソンどうしであったからアメリカは本気で報復しなかったのだ」と言いそうだが、「アングロサクソンどうしでありながら自国の主張を枉げなかった」ことの方に驚くべきだろう。何に対して、どのように驚くかは、知恵の深さによって決まる。知恵のない者は、驚くべきことに驚く能力を持ち合わせないものだ。・・・と、これは余談。

 それでもアメリカの報復が恐いというなら、簡単なことだ。「米国債を売りたい誘惑に駆られますね」と呟いて、ほんの少し米国債を放出してさし上げたらいいだけのこと。もはやそれほど高くは売れない米国債だということが悩ましいが、呵々。経済、軍事ともどもに言えることだが、斜陽のアメリカが斜陽の日本を見捨てるのが早いか、斜陽の日本が斜陽のアメリカを見捨てるのが早いか、そういう段階にきているというのに(経済では分水嶺は超えたろう)、「半世紀前の密約時」のままの「常識」で社説を書く、そんな読売がいちばん売れているというのだから大嗤いだ。

 もっとも、普天間基地移転問題の報道を見ていると、読売に限らず朝日までがアメリカ様の顔色にあわせて「事実」も「論」も平然と歪めているありさまだ。たまには毅然と自分の腑に落ちるやり方で自分の生き方を決めてみろと言いたくなる。まあ、そんな覚悟はとっくの昔にこの国からは消え去ってしまったのだろうが。(3/10/2010)

 昨夜、帰ってから就寝前のチェックをすると、ハイレックスが夜間市場で一気に120円ほど高くなっていた。ハイレックスはコントロールケーブルのメーカー、自動車用ではおそらくトップシェアだが、大証の2部、広く注目を集めるような会社ではない。ここ2年ほど見てきた限りでは、夜間市場で取引されるようなことはなかった。

 おととしの今ごろ、1,350円で買った後、リーマンショック後はほとんどフリーフォール状態で下げ続けた。去年の2月末に516円で買い増しをして「被害」を薄めておいたものの、値の戻りははかばかしくないし、通年で30円だったの配当は去年4月の中間配当では3円(1月末に受け取った期末配当は7円に戻ったから通年では10円になったが)にまで落ち込んだ。最近、なんとか水面に顔を出すかどうかというところまで来たのでどうしようかと思っていたところ。

 配信されたニュースを見ると後場終了後にことし10月期の連結予想を大幅上方修正と発表したらしい。

 しばし悩んだ。当初の狙い1,500円あたりまでホールドし続けるべきかどうか。思い切りがつかないので、運を天に任せることにした。ストップ高の指し値で入れる。売れたらよし、売れなくともよし。しかし、地味なメーカーにストップ高は似合わないと思っていた。

 結果は寄りつきで瞬時に決まった。いつもせいぜい一桁万株の出来高の銘柄に12万株ぐらいの買いが入っていた。素人の意地汚さで「ホールドしておけばもっと儲かったのでは」などと思ったが、この世界は「朝三暮四」がよいか「朝四暮三」がよいかは図りがたい。それでも慰めが欲しくて、売った金で小野薬品を買い増しておいた。この月末権利確定の配当狙い。まあ地道がいちばん。(3/9/2010)

 想いが溢れかえって、もうどうにもならない、そんな日がある。そうだよ、この歳になっても、ね。

Memories
May be beautiful and yet
What's too painful to remember
We simply choose to forget
So it is the laughter
We will remember
Whenever we remember
The way we were

 しかし、こんな日に飲み会をセットしたなんて、ね。・・・もう、出なくちゃ。(3/8/2010)

 「人当たり」が得意でないと、まさに「人」に「中る」。久々に人の渦の中で数時間過ごし、完全に中毒してしまったらしい。疲れたという感覚はないのに頭が全然回転しない。眠りが浅い。なかなか起きる気になれず、起床は9時半過ぎ。たっぷり寝たはずだが、まだ調子が戻らない。「人嫌い」はいっそう進行したようだ。

 お昼のテレビ朝日「スクランブル」。「千思万考」と題したコーナーで黒鉄ヒロシが貴乃花親方と対談をしていた。まずふたりは「大相撲はいま危機的状況にある」という。そして相撲の歴史をふり返り、「相撲は興行であると同時に神事である」ということが基本であり、ここから出発しなければならないと結論していた。貴乃花はその大前提を忘れないために、入門する若い衆に「そのこと」をきちんと学習させることから「改革」をすすめなくてはならないと言っていた。理屈としては正しかろう。

 相撲が神事であったということは土俵場を見れば分かることだ。土俵場は一段高く作られ、本来は屋根があり、それを支える4本の柱には青・赤・白・黒の布が巻かれていた。土俵の境界には俵を使い、土俵開きには、その中央に米・塩・するめ・昆布・勝栗を紙に包み水引をかけて埋める(「うずめもの」というらしい)ことを考えると、五穀の豊穣を願ったものであることは誰にでも想像できる。

 さらにもう少し知識があれば、土俵場は社稷壇を模したものであろうと類推がつく。もともとの土俵は二重円、内側に16、外側に20、合計36俵で境界を示した。これは「陽」が極まる「老陽」の数9を四季各々に割り当て(4+5)×4俵で祭壇を構成するのがよいとしたからだろう。また、四方柱の4色は社稷壇の上奏壇に使われる五色の土のうち、土俵の砂、黄色を差し引いた残りの色に相当する。ここには陰陽五行の考え方が強く出ている。ついでにいえば、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎、黒は玄武で、方角としては順に東・南・西・北を表している。

 中国文化の影響を受けたといわれると、もう頭からこれを否定したくなるファナティックな手合いには、もう少し証拠を示さなければなるまい。

 相撲に勝てば白星、負ければ黒星。白星は得ることで吉・明るいから「陽」、黒星は失うことで凶・暗いから「陰」。その勝敗を見極める行司は式守か木村か、いずれかの姓を名乗っている。式守家は軍配を持つ手の甲を下に、指先は天に向ける、これは「陽」。一方の木村家は軍配を持つ手の甲を上に、指先は地に向ける、これは「陰」。つまりこれは「易経」の世界なのだ。天覧相撲の席が正面(北側)にあるのは、「易経・説卦伝」に「聖人南面」とあることによるし、行司は力士へ「八卦よい、残った」と声をかける。

 相撲の枠を決めてきたものが神事であったことは間違いのないことだ。しかし、ここにあげたたったこれっぽっちの由来でも、どれほどの人が知っているだろう。そういう時代に神事である由来を学ばせたところで果たしてその知識は役立つだろうか。

 土俵場が神事を執り行う社稷壇であったからこそ、かつて勝負検査役は土俵の上に座っていた。しかし観戦の妨げになるからと平戸間におろされた。それぞれの色布を巻いていた四方柱も同様の理由から取り払われて、屋根は吊り屋根となりブラブラと揺れる四色の房に成り果てた。土俵場の女人禁制は大相撲の枉げられない伝統だなどと言っているが、もともと女性による観戦自体が許されていなかったのだ。年に2場所10日間と決められていたのは十干の裏と表で計20日だったためだが、始めに日数を増やし、次に場所の数を増やした。6場所15日のどこに神事としての思想があるか。あれもこれもすべて興行としての要請からしたことではないか。神事としての伝統など既にないではないか。どう復古するというのだ。

 かつてはなかった制限時間、ビデオ判定。いまではあたりまえのことで否定しないが、そもそも神事は制限時間の中で行うものか。神事はビデオ判定するものか。気満ちるのを待って立ち会い、いずれが勝ったのか判じがたいとすれば、それも神意であると解する、それくらいではじめて神事を云々できるのではないのか。そんな初心に戻れるのか。

 つまり、大相撲が神事であるなどということをいくら言い募っても「危機」は解決できない。入門する新弟子に「相撲は神事である」と教えても、大相撲協会が直面している問題はなにも解決しない。

 「相撲は興行である」という認識こそが、問題と取り組む第一の心構えであるという、ごくごくあたりまえのことをしっかりと心に刻むことではないのか。あえていうなら「相撲は神事である」ということは脇に置いて考えた方がいい。勧進相撲の時代に、既に、神事としての相撲は終わっているのだから。(3/7/2010)

 グーグルのバナーによると、きょうはヴィヴァルディの誕生日。

 赤毛の司祭さまと同じ誕生日とは、はじめて知ったのだけれど、光栄・・・というメールをポストしたら、「そう自慢してたじゃない」という返事。はやくもアルツハイマーの兆しか?

 ご丁寧に誕生日占いのサイトを教えてくれた。

 「3月4日生まれの人は『直感的な洞察力を持つ空想好き』」とある。当たっている。

 「長所、秩序だっている(でも、部屋はこのところ片付いてない)、自制心・着実・勤勉・職人肌・実利的・疑いを知らない・几帳面(見事に当たっている)。短所、情緒不安定・無口・抑圧されている・怠惰・優柔不断・金銭に細かい・高圧的・愛情を表に出さない・怒りっぽい(恐いね、その通りだよ)。」

 もっともこういう指摘はおおむねすべてのものが、どこかは自分に当てはまるのだから、何を伸ばし、何を矯めるかに役立てる、それを考えるステップボードにするというのが占いの役割。

 前後して*さん(叔母)からメール。ほどなくいつものチーズケーキが届いた。

 貧乏役者にも光が当たりつつ有った頃、お誕生日のお祝いに何か欲しい物を尋ねた時、欲しい本が有ると言って機械の本だったかな?自分で選んで買って上げた事、凄く嬉しかった、デパートの屋上に色々乗り物あった頃、貴男は一つ一つ「いい?」って聞いては嬉しそうに乗ってゐた。**(弟)は回数券の有る限り断り無く乗ってゐたけれど、貴男は凄く気配りし過ぎの子だった

 **(弟)が育つ頃、うちはようやく世間並みに近づきつつあった。それと分かっていたわけではないが、**(祖母)さんが部屋に戻ってから小さくため息をつくことや、夜中に目を覚ました時に**(父)さんと**(母)さんが小声で言い争うのを聞いて、子供心に隣近所に比べて、うちの暮らしが楽ではないことは感じていた。

 5歳の違いは大きかった。**(弟)はツギのあたった靴下を知らなかったし、幼稚園にも通った。それは経済白書が有名な「もはや戦後ではない」という言葉から始めた年に小学生になった者と、その時にはまだ生まれたばかりだった者との違いだった。もっともその**(弟)も「昭和30年代生まれは異星人だ」などと言っていたっけ。

 思えばあっという間にこの国は変わった。本当にあっという間の変貌だったことを、当時の「大人」だって、いったいどれだけ意識しただろうか。(3/4/2010)

 今夜のNHK、夜7時半の「クローズアップ現代」は「終わらぬイラク-高遠菜穂子さんの6年-」だった。もうあれから6年になるのか。

 「人質事件」が暴いたのはイラクとは別の意味で「危険」なこの国の体質だった。

 「ブッシュの戦争」を率先して支持した小泉政権は、あの時、巧妙にマスコミを操作して「自己責任論」を流布させた。国民の一部(大部分だなどとは思いたくないが、かなりの割合だったことは憶えている)はほとんど感情的に「自己責任」の大合唱に加わった。それを見ながら、なるほど「大東亜戦争」はこのような「空気」の中で「聖戦」として始まったのかと納得したものだった。

 その大合唱に加わった人々の多くはいま苦々しくその記憶を反芻しているに違いない。いまではほとんどの人が「イラク戦争」がどのようなものだったかを知っているから。「イラク戦争」が解決をもたらすどころか途方もない「難題」をもたらしたことも知っているから。そして、もう少し感覚の鋭い人なら、「自己責任」という言葉が、やがて自らの生活水準の切り下げを受け入れる「魔法の言葉」になって、身の上に降りかかってきたことに気付いているだろうから。

 あの時、高遠菜穂子・郡山総一郎・今井紀明の3名は「テロリスト」から解放されるや、時を措かずに、この国の「世論」なるものに「拘束」されてしまった。当時の日記を読み返してみた。「自己責任論」を語る政府・与党関係者の言葉が、ほんの一部、記録してある。吹き出してしまった言葉、そして、これが「常識」なのだという言葉を再掲しておく。

 「自己責任という言葉はきついかもしれないが、そういうことも考えて行動しなければならない。ある意味で教育的な課題という思いをしている」偉そうな訓戒を垂れたのは当時文科相だった河村建夫。吹き出してしまったのは、その河村が麻生内閣の臨終に際して官房長官の地位を利用して官房機密費2億5千万円を持ち逃げした「火事場ドロボー」であることを思い出したから。「教育的課題」ねぇ。

 「危険な地域に入るリスクは誰もが意識しなければならない。しかし、誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない。よりよい目的のため、自ら危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う。彼らや危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを人々は誇りに思うべきだ」。「オヤッ」と思う言葉だが、残念ながら我が政府関係者の言葉ではない。当時国務長官であったパウエルの言葉だ。

 パウエルの言葉は特段の輝きのある言葉ではない。むしろ政治的な言葉だ。しかしこのあたりが客観的立場からの平均的な常識というか、タテマエというものだろう。つまりそのときの日本国内の状況は外部から見ると常識外のもの、タテマエなど打ち棄てた「感情むき出し」のものだった。

 こんな記録もあった。

 ボストンに住む言語学者のライル・ジェンキンズは、先月23日、日本政府が人質となった高遠ら三人に解放にかかった費用として航空運賃ほかを請求するというニューヨーク・タイムズの記事を読んで、その日のうちにワシントンの日本大使館に抗議の手紙を送るとともに、請求金額の一部として2,000ドルの小切手を高遠菜穂子あてとして託した。

 ジェンキンズ先生は非常識な日本政府の高遠たちに対する仕打ちに心の底から腹を立てたのだろう。できればこの先生をお招きして、この国の「空気」を体感してもらうべきだったかもしれない。

 かつて竹村健一は「日本の常識は世界の非常識」と言っていたが、どうやら「日本の非常識こそ世界の常識」と言う方がより正確なのではないか。

 番組での高遠は変わっていなかった。彼女は手際よく自分を飾ってアピールすることができない人のようだ。そういう彼女を少し残念に思わないでもないが、アピールする中身はほとんど何もないくせに、アピールだけはじつに巧みだというお方たちよりはまし・・・、いや、比較すべきものではない。

 高遠さん、「日本人と向き合いたい」とあなたが思うことは、普通に言えば、「よい」ことです。ただ、いまの日本には、あなたがしていることの端々をとらえて「批判してみる」ことしかできない人の方が多いと思います。たぶん今日の放送をとらえて、またネットのあちこちに「わたしは心の貧しい人間です」ということを自己アピールする言葉が垂れ流されるでしょう。情けないことに、そんな彼、または、彼女も、また、いまの日本人なのです。無理をして「日本人と向き合」おうなどとされないことをお薦めします。失礼ながらアピールのうまくないあなたが無理をすることはありません。彼、または彼女たちは、中身はすっからかん、この世界で起きていることを見る眼は節穴、耳目を集めるものには無条件に嫉妬する、・・・最低にして最悪、ヤフーのようなモーロックたちなのですから。(3/3/2010)

注)ヤフーはスウィフトの「ガリバー旅行記」を、モーロックはウェルズの「タイムマシン」を参照ください。

 きのう、北海東京職員組合幹部3名と北海道5区の民主党・小林千代美衆議院議員の会計担当者が逮捕された。逮捕された教組幹部は委員長代理・長田秀樹、書記長・小関顕太郎、会計委員・南部貴昭、会計担当者は自治労北海道財政局長・木村美智留。

 こういうニュースになると切れ味鋭いサンケイ抄はこの逮捕の半月以上前にこんな風に書いていた。

 生徒に範を示すべき先生が、捜査対象になるとはしゃれにもならない。教師は仮の姿で、本業は選挙運動員だったのか。利権にまみれた自民党政治と対決してきたはずの日教組出身の輿石東先生が、小沢センセイのカネの問題に寛容なのもわかる気がする。

 「生徒に範を示すべき先生が、捜査対象になるとはしゃれにもならない」というのはまことにその通りだ。「利権にまみれた自民党」の汚職事件に対しては、そんなことが世の中に起きているとは知らないようなふりをしたり、噴飯ものの弁護をしてきた、あのサンケイ新聞も「やればできるじゃないか」と刮目する思いで読んだ。できるなら、この批判精神を忘れずにいてもらいたいと思う。

 ここではかつてのサンケイ新聞にならって、この「シャレにもならないセンセイたち」の弁護を試みることにしよう。

 サンケイ新聞は、センセイたちが政治に入れ込んだことが、この「シャレにならない」結果を生んだと考えたようだが、世の中というのはそういう「色つきメガネ」で見ると本当のところを見誤るものだ。このセンセイたちが、政治に入れ込んだほどには政治とカネの世界に対する常識を心得ていなかったこと、このことが「シャレにならない」結果を生んだと考える方がよりいっそう実態にあっている。

 政治資金規正法は、企業や労働組合が、政治家本人、あるいは、政治家が代表を務める(つまり政治家本人と一対一の関係にある)資金管理団体に対して政治献金することを禁じているが、政党または政治資金団体(政党が指定するもの:**県**党支部など:代表がその地方の国会議員だったりするから嗤えるのだが)に政治献金することは禁じていない。可笑しいのは企業や労働組合からの献金を受けた政党または政治資金団体(資金管理団体ではない)が資金管理団体(=政治家)に政治献金することは禁じていないこと。(注)

 制限額は企業・労働組合の政治資金団体に対する制限額は政党への献金額と合算して年間1億まで、資金管理団体に対しては、政治資金団体からならば無制限、任意の政治団体からならば年に5千万円までとなっている。

 だから逮捕されたセンセイたちがきちんと政治資金規正法のお勉強をして、民主党北海道支部の看板を掲げたところにカネを渡すなり、個人から、あるいは任意の政治団体を作って(ダミーといわれないように細心の注意を払う必要はあるが)献金をしていたならば、逮捕されることはなかったわけだ。現に、同じ選挙区の町村信孝などはこの方法でたっぷり金集めをしているのだから、仮に特高警察の元締めであった町村金吾の息子を助けるために公安警察が忠勤に励んだとしても、少なくともこの容疑でセンセイたちをパクることはできなかったはずだ。

 つまり社会科のお勉強が足りなかったセンセイたちの無教養こそが「シャレにもならない」結果を生んだというのが真相だろう。

 いずれにしても、企業や労働組合からの政治資金を許容するために、「政治資金団体」だとか、「資金管理団体」だとか、わざわざまぎらわしい名称組織を作って、あれこれとスパゲッティ・プログラム並みの分かりにくい法律を作るから、悪知恵のある奴とない奴に差が出るわけで、いっそのこと、企業も労働組合も法人格の組織が政治献金することを一律に禁止して、政治献金は個人から制限額以内とすれば、すっきりする。

 会社や組合や組織の公金で酒を飲みたい(中には女遊びまでしたい)というケチくさい奴が多すぎるのがこの国の特徴だ。酒を飲むのも、女遊びをするのも自腹でやるというのが人の道だろう。政治献金も同じこと。主義主張のための政治献金は自腹でするのがあたりまえ。自分の腹は痛めずに会社や組合や組織に払わせてでかいツラをするケチ、他人様のカネで女を転がそうとする助平、こいつらのいじましい根性がこの世の中を悪くしているのだ。

 サンケイ抄子も、目配り・気配り・知恵の回るところをアピールするために、「国民に範を示すべき企業幹部や教師や国会議員のセンセイが捜査対象になるとはシャレにもならぬ」と書いたらどうだ。それとも企業献金が全面禁止になれば、サンケイ新聞のご贔屓である自民党が「ご臨終」になりそうなので、とても書けないのかな、呵々。(3/2/2010)

注)分かりにくいですね。こちらに図解したものがあります。

 きのうの続き。

 トヨタはリコールを小出しにする会社だ。ハイラックスというピックアップトラックがある。この車種は88年のモデルチェンジに際して設計検討が足りず、第5世代は欠陥車種となった。92年ごろから運転中にリレーロッドが折れるという苦情が多発、96年6月以降、トヨタは対策品を出荷するようになるがリコールの措置をとらなかった。(このあたりのデータはwikipediaによるが、wikipediaの記述にはリコールの件が一切書かれていない、執筆者はトヨタの人なのかもしれない)

 そして事故は起きた。04年8月12日、93年11月製造のハイラックスがハンドル操作不能となり、対向車線の車と衝突、一家5人が重軽傷を負った。トヨタはやっとその年の10月にリコールを届け出た。届け出に際して、トヨタが00年から後の11件のみを報告し、それまでの約80軒については頬被りをしたことは、昔、滴水録に書いた通り。不具合を知りながら、ひそかに新規製造のもののみ対策するというのはつい最近見た光景で、思わず嗤ってしまう。

 事故を捜査した熊本県警は06年になって、トヨタのそのときの品質保証部長を含め先代、先々代までさかのぼって業務上過失傷害容疑で書類送検した。その後については滴水録に見当たらないので調べてみたら、ほとぼりの冷めた1年後、不起訴処分になっていた。はやりの検察審査会でも取り上げられていない。マスコミがピーチクパーチクさえずらない限り、日々の仕事に追われる大半の人々は忘れてしまう。個人攻撃には闘志を燃やすマスコミだが、トヨタ相手となると広告収入を失うことを恐れてダンマリを決め込む。

 「2円で刑務所、5億で執行猶予」を書いた浜井浩一はある学会の報告に関連して、ドイツ人の学者から「日本は受刑者人口が少なく、一見すると寛容な国に見えるが、チョコレート一枚の万引きでも刑務所に入る場合があるなど、犯罪の質と量刑を考えるとひどくアンバランスなことがある、なぜか」と問われて回答に窮したと書いていた。なぜそんなことが起きるかといえば、浜井によれば「刑事司法手続きは『勝ち抜けゲーム』である」からだという。つまり財力、人脈、知的能力があるものは、逃げ切れるようにできている。起訴するかどうかは検察庁というお役所のさじ加減ひとつで決まる。トヨタほどの企業になれば、かなり悪質なリコール隠しをしても検察官はニコニコ笑って(か、どうかは知らないが)「不起訴にしてくれる」というわけだ。ことさら悪く書いているわけではない。これほどのリコール隠しを不起訴にした「事実」が証明している。

 先週からのトヨタ報道でマスコミは口をそろえて、アメリカのトヨタ叩きは政治的なもの、恣意的なものだと報じている。たしかにそういう側面はあるのだろうが、そのことによってトヨタを擁護することはできない。

 委員会で「トヨタは恥を知れ」と言ったロンダ・スミスは「アクセルを踏んでいないにもかかわらず車が急加速し時速100マイルに達した」ことと、「ブレーキ、サイドブレーキ、ギアリバースなどを行っても速度は下がらなかった」ことを証言している。

 マスコミは、すかさず、彼女が乗っていたレクサスを譲り受けたユーザーは走行距離4,800キロで購入し、現在(走行距離48,000キロ)に至るまで急加速はなかったと報じた。それがトヨタの弁護になると思ってのことだとしたら、それは「品質の現場」を知らないからだ。

 障害解析でいちばん難しいのは「再現性」だ。経験的にいって「再現しない」ことと「問題がない」ことはイコールではない。最終的に原因が分かってみると、なかなか再現しなかったことそのものが障害の深刻さに直結していることに慄然とすることが少なからずある。メカによる障害よりはバグによる障害にその傾向が強い。

 トヨタウェイでは、口うるさく、現場・現物・現実の重視を言っている。ユーザーの訴えは信じがたいことであっても「現実」である。それを先入観なく、素直に、「現実」として聞く姿勢がなくては、障害は解決しない。「再現性」がないと思われる障害にも発生のメカニズムは存在するのだ。「再現性」がないことを理由にして、「ユーザーの誤操作」に逃げ込むのはほとんどの場合、間違いであることを技術者は知っているはずだ。

 トヨタというメーカーを信頼したからトヨタのユーザーになっているのだ。トヨタが大嫌いでトヨタに偏見のカタマリを抱いているからトヨタ車を購入したというユーザーの存在確率は潜在するバグの存在確率よりも小さいだろう。

 トヨタといえば「ジャスト・イン・タイム」の生産システムが有名だ。そのトヨタがユーザーにとっての「ジャスト・イン・タイム」に応えることができなかったのが、今回の騒ぎの根本原因だと思う。まさか、下請け業者には厳しくジャスト・イン・タイムを要求するが、ユーザーがトヨタにジャスト・イン・タイムを要求することには我慢がならないなどということはないだろうと思うが、いかがか。(3/1/2010)

 週末のニュースサマリー的な番組を見ながら、トヨタのマスコミをグリップする力の強さに驚いた。

 一応、各局とも、先週のアメリカ下院委員会のニュースから入る。まず23日11時(日本時間24日午前1時)下院のエネルギー商業委員会にトヨタのアメリカ販売会社社長ジム・レンツ、翌日11時(日本時間25日午前1時)に同じ下院の監督・政府改革委員会に豊田章男と当初から出席予定だったアメリカトヨタ社長の稲葉良?(よしみ)。いずれの委員会においても、トヨタは問題となっている急加速の原因を既にリコールをかけているフロアマットとアクセルペダルによるものとし、電子制御システムに欠陥はないと主張したことをそのまま報ずる。

 それに続けて委員会報道にかけた時間とほぼ同じ時間かそれ以上の時間を背景説明にかける。内容ははんこで押したように同じ。多少のニュアンスの違いはあるが、要約すると、「アメリカはこの秋に中間選挙がある。議員がスタンドプレイに走るシーズンだ」、「オバマと民主党はビッグ3の再生のためにトヨタを叩きたいのだ」、このふたつである。そして、必ず、「議会も、アメリカの世論も、トヨタバッシング一色ではない」として、トヨタの工場がある州の知事が出した声明や街の声を入れている。ご丁寧に20年ほど前の貿易摩擦時の日本車叩き壊し映像を流しつつ、「現地生産への転換により、トヨタはアメリカの雇用を産み出していることが、当時とは大きく異なる」という解説をつけているところもある。

 背景について、異論はない。そういう側面はあるだろう。またトヨタがアメリカの雇用に貢献していることも間違いのない事実だ。(「アメリカの雇用に貢献している」という指摘と「ビッグ3に肩入れしてトヨタを叩きたいのだ」という指摘は矛盾しないのかしら、呵々)

 しかしうちのようなトヨタ車のユーザーにとっては、この際、もっとマスコミに眼を向けて欲しいことがある。日本国内の車はリコールの対象にならないのかということだ。

 フロアマットのような装備品はアメリカとは違うといわれればそうかもしれないと思えるが、アクセルペダルは本当にそうなのだろうか。設計の共通化はコストダウンの基本ではないか。アメリカのトヨタユーザーが怒っているひとつの原因に、ヨーロッパ地域では去年の8月に実施されていたリコールがアメリカで実施されることになったのは今年に入ってからであるという事実があるようだ。

 誰か忘れたが、あるコメンテーターは「アメリカが後回しにされたことがプライドを傷つけましたかね」などと茶化していたが、その8月にレクサスの暴走事故により一家4人が死亡する事故が起きている。リコールが事故を防げたかどうかは分からないが、いささか不謹慎なコメントで、逆に「あなた、トヨタからいくらかもらっているの」と茶化したくなった。これは余談。

 エネルギー商業委員会でトヨタのジム・レンツはどう言ったか。「リコールの権限はアメリカの販社にはない、日本にあるトヨタ本社だ」と証言した。トヨタの生産管理思想は「トヨタウェイ」と呼ばれる。その中の重要な概念に「横展」という言葉があるはずだ。あるカイゼン策が出たならば、そこに止めず、類似のことがらに当てはめ、広げてゆくことをいう。それは生産管理にとどまるものではない。品質保証においても同じ。ヨーロッパでのリコールを受けて、すぐさまアメリカでも実施するのは当然のことだ。また日本に「横展」しなくてよいというなら「設計が違う」という一言ですませるのではなく、具体的にどのように違うのか「見える化」してユーザーに示すべきだ。それがトヨタウェイではないのか。それともトヨタウェイは生産・コストダウンに限定した話で、品質保証などは別の話なのか。今回の騒ぎで「フロアマットのリコールで当局と話をつけ、1億ドル以上も節約できた」という社内文書があることが露見した。トヨタウェイによるリコールはコストダウンと相談しながら行うものなのだろうか。

 そのあたりがどうなっているのか。我がマスコミにはそういう突っ込みが欲しいのだ。

 週半ば、そして週末(きょうはかなりチリ地震津波の予報に振り回されていたけれど)、一連のトヨタ報道には「あって然るべき角度」からの報道はひとつもなかった。

 まだ書いておきたいことがあるが、きのうの幹事会関係のメールが数通。またあしたにしよう。(2/28/2010)

 郵便割引制度不正利用事件の公判が進んでいる。初公判が先月27日、平均週2回のペースで既に9回の公判が開かれている。大阪地検特捜部がノルマとして与えられたらしい「国策捜査」案件は、いまや、ズダボロになっているらしい。25日の夜に日経のサイトに掲載された記事を書き写しておく。

見出し:「冤罪こうして始まるのか」 郵便不正公判、元係長のノート公開
 障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で、虚偽有印公文書作成などの罪に問われた元厚生労働省局長、村木厚子被告(54)=休職中=の大阪地裁での公判は25日午後も、部下だった元係長、上村勉被告(40)の証人尋問が続いた。弁護側は上村被告が取り調べ状況や「冤罪はこうして始まるのか」などと逮捕後の心境を書き留めた「被疑者ノート」を法廷で公開した。
 昨年5月の逮捕直後には「どうしても私と村木被告をつなげたいらしい」「私の記憶が無いのをいいことに、検察が作文している」などと記述。この日の証人尋問で「自分が単独でやったと言っていた」と当初から村木被告の関与を否定していたことを強調した。
 「あなただけ(他の容疑者らと)違うことを言っていると検事に言われた。多数決に乗ってもいいかと思う」と供述を変遷させた経緯や、「調書の修正は完全にあきらめた」との心境も書き込まれていた。

 注目の裁判をかなり細かく報ずるサンケイのサイト、第4回の公判まではいつものスタイルで報じていたのだが、2月8日の第5回公判で村木厚子被告の元上司であった塩田幸雄障害保健福祉部長が「検事から『石井議員(民主党の石井一のこと)に電話した記録がある』と言われ、記憶にないことを供述した。事件自体が壮大な虚構ではないかと感じる」と驚天動地の証言したときから、おおむねすべてをカバーするといういつものスタイルを放棄したようだ。サンケイにとって楽しみが無くなったのか、それとも逮捕時の自紙の報道姿勢のバカさ加減が露呈することに脅威を感じたのか、現金なものだ。

 不思議なことにサンケイは一貫してこの塩田幸雄の個人名を報じていない。もっと奇怪なのは塩田が補助金不正流用疑惑が浮上した全国精神障害者社会復帰施設協会から商品券を受け取ったという別の事件を報ずる時にも、このニュースには直接関係しない村木厚子の名前をわざわざ出して、「村木の元上司であった元部長」などと、わざわざ分かりにくい説明をしていた。そう報じなくてはならない特別の事情が他紙にはなくて、サンケイ新聞だけにはあるということだろうか、おもしろいねぇ、呵々。

 読売は、第9回の公判があった24日、関西版のサイトに「全証人が供述覆す」という見出しの記事を掲載した。審理はまだ検察側証人調べの段階。その検察側の全証人が供述のすべてないしは一部を覆し、なぜ嘘の供述書に署名したのかと問われると、「『記憶がない』と説明しても、検事から『そうじゃない。事実はこうなんだ』と押しつけられた」、あるいは「意に沿わない供述をすると、検事は声を荒らげ、机をたたいた」などと証言するというのだから、まさに異常事態。

 上村被告に至っては自らの「被疑者ノート」のこんなくだりまでご披露している。

(6・15検事が涙目になったとあるノートに関しての尋問の中で)
 取り調べの時、国井検事も上から言われて苦しんでいるんではないですかと言いました。僕の言うことを信じたいけど、上の方針に沿ってやらなければならないのではと思った。国井検事も取り調べの様子を周りから見られているのかもしれない、涙目になった姿も・・・僕と同じように苦しんでいるように見えました。
「村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋」に掲載されている「第9回公判傍聴記」より

 「おいおい、どちらが取り調べをしているんだい」と言いたくなる。

 読売の記事は「特捜部経験もある公判部副部長や捜査を指揮した主任検事を公判に投入。証人の捜査段階の供述調書を証拠採用するよう裁判所に求めるとともに、担当検事の証人尋問を行って、取り調べに問題がなかったことを立証する方針という」と結んでいる。大阪地検としては相当の危機感を覚えているのだろう。

 しかし、どこか釈然としない。特捜部と公判部になにか反目でもあるのではないか、そんな気がしないでもない。上村の「被疑者ノート」読み上げをそのまま認めるというのはあまりにも「フェアなやり方」ではないか。これほど「日本の検察官」はフェアだったか?

 また、塩田がこんな証言をしていることにも、「違和感」がある。

 検事も自分も「誇りあるプロの行政官である」という信頼関係に基づいて供述したが、最近になって公判担当検事から「通信記録は実はありません」と言われ、ショックを受けると共に「大変な供述をしてしまった」、「村木さんを無実の罪に陥れてしまった」と気づき、今日は「実は記憶に無いことを、供述させられてしまった」ということを証言するために、法廷に来た。

 つまり公判担当検事は公判前に特捜部担当検事のトリックをばらしてしまったということだ。こんなにフェアな検察官が東京地検にもいればいいが・・・。

 まあ第10回の公判は3月3日だ。証人尋問に登場する特捜部担当検事には、十分に日本的な供述をでっち上げるためには詐術も厭わないというアンフェアな「日本の検察官」が登場することを楽しみに待つことにしよう。いや「涙眼の国井検事」に証言台に立ってもらうのも一興かもしれないが。(2/27/2010)

 先週予約をすっぽかしてしまった整体治療。

 アンダーパスのあたりで風が体を押す、南風、暖かい。春はすぐそこ。年金生活ももう少しするとまる一年。そういえば、けさの「漢詩紀行」は「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」の詩句だった。

 整体から帰ってきたのは11時前。**(家内)は出かけていない。書斎のテレビでフィギュアスケートフリーの観戦。結果から書くと、金メダルは金妍児(キム・ヨナ)。浅田真央は銀メダル、安藤美姫は5位、鈴木明子は8位だった。男子も高橋の銅メダルを含めて出場3選手が全員入賞を果たしたことを考え合わせると、フィギュアスケートはなかなかの成績だったといえる。

 もっとも我が都知事さんは高橋大輔の銅メダルを評して「金メダルじゃないんだろ?」、「否定しませんよ、しかし快挙かね」、「銅メダルで驚喜する、こんなバカな国はないよ」と語った由。別の場所では「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけながない、いい成績が出せるわけがない」とも仰ったらしい。浅田の銀メダルを都知事さんはどう評価するのだろう。「金メダルじゃないんだろ?」と言うのか、「銅メダルじゃないんだろ?」と言うのか、それとも「左右を顧みて他」を言うのか、呵々。

 他人様の品格にうるさい人くせにご自分の品格は下劣な知事さんのことは措いておこう。

 金妍児のフリーはすごかった、フリーだけの得点で150点を超えた。まさに「諸君、脱帽したまえ」という演技で浅田との差は素人目にも大きかった。「きん」と「ぎん」とは「澄む」と「濁る」の違いだけとはいうものの、キムの金メダルと浅田の銀メダルの違いは大きかった。

 浅田の演技は個々をとってみると見劣りのするものではない。そこに注目すると「小さなふたつのミスがなければ」ということになりそうだが、おそらくふたりの違いはそういうことにあるのではなく、技と技の間をどのようにつないでいるかということが違う、それが門外漢の印象。

 金妍児の演技はジャンプや回転などの技が一連の流れの中にごく自然につながっているのに対し、浅田真央の演技は極端にいうと「はい、ジャンプ、いきますよ」、「次、回転、入りますからね」という感じがしてしまうのだ。

 ふたりは90年生まれの同い年。浅田は演技後のインタビューで次のオリンピックへの意欲を語っていた。同胞としては再度オリンピックの場で相見えることを期待したい。身びいきをすれば、浅田はまだ成長過程にあると言いたい。強打者を空振り三振に打ち取る剛球を持っているのだが、その球を活かす投球の組み立てに難がある、そういう投手がいるものだ。剛球を活かすための投球パターンが身につくまではなかなか勝てなかったりする。しかしそれを会得すれば、浅田にそういう「技をつなぐもの」に対する意識が生まれれば、と思うのだ。

 両人の再度の闘いはあるのだろうか。他人のことだから分からない。しかし賭けるとすれば、「ない」方に賭ける。

 金妍児にはきょうの成果は到達点だろう。キムがいまの自分のスケートにさらに積み上げるものがあると思っていれば、再度の闘いはあるかもしれない。浅田がどこまでゆけるか、どこまで同い年のライバルを挑発し続けることができるか、・・・期待している、賭に負けてもいいから。(2/26/2010)

 きのうの夕刊に「八ッ場ダムに談合の疑い」という記事があった。民主党の中島正純が国土交通委員会で、01年から8年までに発注された百万以上の入札案件264件のうち、180件が予定価格の95%以上、トンネル舗装工事に至っては99.56%、町道改良工事でも99.36%の落札額だったことを指摘した。これに対し、前原国交相が「これだけ予定価格に張り付いているのは極めて異常」とし、「捜査権限がないので限界はあるが、省内でできる限り調査する」と答弁したというもの。

 けさの読売のサイトには「これに関連し、中島氏は06~08年の3年間で、八ッ場ダム事業の受注業者から県選出国会議員や県議らが代表を務める22の政治団体に対し、総額4,925万円の献金が行われていると指摘した。内訳は自民19、民主3という」という記事がある。またサンケイも「中島氏によると、受注業者から献金を受けていたのは、自民党の現・元職の国会議員7人や地元自治体首長らが代表者の党支部など22団体。このうち自民党国会議員が代表の党支部などへの献金は総額3,182万円だった。最も献金が多かったのは上野公成元参院議員(元官房副長官)が代表の党県住宅都市産業支部で1,370万円。中曽根弘文前外相の党県参議院第1支部も604万円、山本一太元外務副大臣の党県参議院第3支部も500万円の献金を受けていた。・・・(中略)・・・ただ、民主党も石関貴史衆院議員が代表の党県第2区支部が24万円の献金を受けていたほか、県議2人が代表の党支部も受けており、同党への献金も86万円あった」と書いている。

 ところが朝日にはこれを伝える記事がない。朝日といえばもっぱら「反日」、「反自民」ということで右翼マインドの方たちから睨まれているのに、このていたらくでは低俗階層の「熱い期待」に応えることができない。しっかりしろ、朝日。リーク情報がないとまともな記事も書けなくなったか、呵々。

 閑話休題。

 先日来、「政治とカネ」問題にご執着で国会審議をボイコットしていた自民党がきょうから審議に復帰した由。審議拒否する委員会で、八ッ場ダム受注業者からたんまり政治献金を受けていた件を暴露され、欠席裁判であれやこれや言われっぱなしになることがよほど恐く、辛抱たまらなかったか、呵々。

 人の振りをあれこれ攻撃材料に使うつもりでも、自らの手足にも同じ傷があることに今ごろ気がついたとは、ずいぶん迂闊なお方たちだ。(2/25/2010)

 フィギュアスケートのショート・プログラムの中継が始まるのを承知で朝霞の税務署へ確定申告書の提出に行く。疑問の点は数回ほど電話で確認などしてあるので郵送でもいいのだが、添付書類や領収書などで300グラムを超える。**(家内)はエクスパックでいいというのだが、エクスパックの裏面には「信書は不可」とある。簡易書留にすると数百円以上かかりそうだ。

 時間はあるし、ファームの入れ替えを行ったあとのプリウスの感触を確かめておくのもいいだろう。もしなにかあればトヨタは税務署のすぐ近く、好都合というものだ。駐車場が混んでいなければいいがと思いつつ、車で行くことにした。

 税務署の駐車場は8割ぐらい。待たずに駐められた。建屋に入ると入り口に職員が立っている。「提出だけ」、「記入済みだが確認して提出したい」、「記入方法などを含めて相談あり」の全3コース。

 FX必要経費のネット使用料はカード払い故、領収書がない。ASAHIネットの請求情報の確認頁のハードコピーをエビデンスにしている。その可否について質問後、提出。「いまここでは判断できないので、そのまま提出いただき、もし、問題があればお問い合せの電話をいたします」とのこと。窓口担当としては(都合のよい期待をする)言質をとられないように最大限の注意を払っているのだろう。

 ただこのあたりは非常にポピュラーなことのはずだから、本来なら「こういうエビデンスが必要」ということを明示しておけば混乱がないはず。それが税務当局の務めではないのか。おそらく源泉徴収に慣れきって、その意識のうすい人にはなるべく寝ていて欲しいという税務当局のいささか狡い姿勢があるのだろう。(2/24/2010)

 沖縄旅行以来、ウォーキングをしていない。帰ってすぐに風邪を引き、雪が降り、飲み会があり、などなどでまるまる1週間歩かなかった。それでも62キロ台で推移。これなら暖かくなるまではしばらくお休みしてもいいかなと思ったのが間違いの元だったのかもしれない。

 実際、先週までは63キロ台に上がってもまた62キロ台に戻ったが、木曜の朝の61.9キロを底にしてきょうにかけては徐々に63キロの線に「復帰」してしまった。数値以上に睡眠と代謝のサイクルに影響が出て来ている。

 すかっと晴れ上がって、朝のうちは冷え込んだものの暖かくもなってきた。そろそろ・・・とは思うものの、歩かなくてはという気分に追い立てられずに、ゆったりした気分で机に向かうことに慣れてしまうと、なかなか再開する気にはなれない。とくに読み始めたばかりの鬼島紘一の「談合業務課」は旧国鉄用地の不正入札の顛末を大林組にいた著者がぶちまけたもの、これがなかなかおもしろくて「一読、巻を措く能わず」状態。

 今週も、納税、飲み会、幹事会、オリンピックも終盤、・・・いいわけには事欠かない。まあ、暖かくなるまで、ちょっと一休みというのもいいだろう。暖かくなったら、暖かくなったで、花粉症が気になるのだろうが。(2/23/2010)

 先週、録画しておいた「王たちの物語・城」を見る。テーマは「フェデリコ2世とカステル・デル・モンテ」。数年前のことになるが、NECの関連サイトに「世界遺産集」のいくつかをスクリーン・セイバーにしたものがあり、会社のPCにセットアップしていた。その中にある種異様な印象を与える「カステル・デル・モンテ」の写真があった。

 カステル・デル・モンテのある場所で、夏至と冬至の日の出・日の入りの方角を結ぶ線を対角線とする長方形を描くと、その長辺と短辺は黄金比をなす。その長方形を45度刻みに回転させた全部で4つの長方形を重ね合わせるとカステル・デル・モンテの八角形の中庭と外壁、8個の塔の中心部の平面図になるのだという。

 ブルクハルトはフェデリコ2世(神聖ローマ帝国の皇帝としてはフリードリヒ2世)を「玉座の上の最初の近代人」と呼んだそうだ。彼の父は神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世、母はシチリア王国王女コンスタンツァ。父の死にともない彼は神聖ローマ皇帝にしてシチリア王となるが、早過ぎる両親の死によって彼はシチリアのパレルモで育つことになる。当時のシチリアは地中海交易の中心地としてキリスト教徒のみならずイスラム教徒も住む文化の十字路であり、彼自身も数カ国語をあやつり、イスラム世界の先進的な自然科学の知識を身につけた第一級の文化人、いやその時代の枠を超えた知性を身につけていた。

 番組はかなり丁寧に彼の事績を辿っていた。ただひとつの例だけで、彼が最高の知識のみならず人間が達しうる最高の知性ともいうべきレベルに達していたことを示すことができる。

 ローマ教皇庁が取り憑かれた妄執、それが「キリスト教の聖地を異教イスラム教徒の手から取り戻す」という十字軍の企てだったわけだが、これを命ぜられたフェデリコは十字軍の歴史のなかで最初にして最後の「エルサレム無血入城」をやってのけた。

 当時、スルタンであったアル・カーミルは王朝内部に対立を抱えていた。似たような事情はフェデリコの側にもあった。その背景の中で両者は互いに使者を取り交わし闘いを回避する道を探り始めた。

 カーミルはまずフェデリコがアラビア語をまるで母国語のように操ることができるということ驚いた。数学を含む自然科学は、当時、イスラム教世界の方がキリスト教世界を凌駕していたわけだが、フェデリコのその方面の学識の広さと深さにカーミルは驚いた。これが「話せば分かる相手である」という確信のもととなった。(番組はフェデリコの知性を称揚していた。しかしもちろん「それ」に「驚く」ためにはカーミルもまたそれなりの学識を備えていたということ)

 両者は交渉の末に協定を結ぶ。その内容。イスラムのスルタンは神聖ローマ皇帝の皇帝にエルサレムの統治権を譲る。イスラムの聖地である岩のドームはイスラム教徒が管理する。キリスト教世界がエルサレムに軍を差し向けるときには皇帝はスルタンを守る。イスラムの尊厳を尊重する心があれば岩のドームへの立ち入りを認める。こうしてみてくると、いま彼の地で互いをテロリストと罵って殺し合いを繰り返している連中に聞かせてやりたいように話だ。

 フェデリコがエルサレムに入るとイスラム教徒はアザーン(定刻に行う祈りへの呼びかけ)を自粛した。それに気付いたフェデリコは「エルサレムでアザーンの声を聞くのを楽しみにしていた。これではあなた方が我々の国に来た時に教会の鐘を鳴らせなくなる」と言い、無用な配慮はせぬように伝えたというエピソードがある由。真偽のほどは分からない。がしかし、このエピソードが語り継がれてきただけの実態があったことは事実だろう。

 異民族との闘い同様、異教徒との闘いは人間が繰り広げる争いの中でもいちばん根深く、熱を帯びる故に、凄惨な結果へとひた走る。膨大な権益とか、生命維持に欠かせない水争いならばまだしも、猫の額ほどの痩せた土地争いでも、敵が異民族・異教徒となると簡単には収まらない。異民族、異教徒との闘いなど知らないという顔をする連中も、竹島、尖閣列島などと言われれば、簡単に正気を失ってしまう。そういうとき、連中がどれほど愚かで醜い表情になるものかは、その筋の「バカチン」をからかえば、いつでも見ることができる。

 こういう種類の問題を解決しうるのは「寛容」という「知恵」しかないのだが、人間にとってこれはずいぶん難しいことらしく、当時のキリスト教の最高権威であったローマ教皇はこの「成果」を認めなかった。まあ、ローマ教皇が歴史においてほんとうの意味で「正しかった」ことなど、無きに等しいのだから、驚くには当たらないが。(もしイエス・キリストがこの世を訪れたなら、ローマンカソリックも、プロテスタントも「サタンよ、退け」の一言で片付けられるに違いない。いったい「キリスト教」はどれほどキリストの教えから離れてしまったことか

 番組ではカーミルが贈った天体観測用具が紹介されていた。フェデリコからの答礼があったのかどうか、13世紀時点のイスラム教世界とキリスト教世界の文化格差を考慮すると、どうかなという気がする。

 ふたりの交流はカーミルの死まで続いたらしい。カーミルの死後、協定の期限が切れるとこの外交成果も失われてしまう。人間世界では、畢竟、理性は無力であり、血は血で洗うより他ないらしい。(2/22/2010)

 「サンデーモーニング」を見ていたら、大宅映子が残念そうな口ぶりで「高橋くんも、無理に4回転なんかやって失敗しなければ、銅メダルなんかじゃなく・・・あたし、計算したんだもの」と言っていた。いかにも何の見識も覚悟すらも持ち合わせていないくせに、なぜか、たくさんの審議会委員をこなしている「不思議な権力ネコ婆さん」らしい発言だなと嗤いながら見た。

 この大会、フィギュアスケートを賑わしているのは「4回転ジャンプ」だ。ペアスケーティングでメダルを狙っていたスミルノフ・川口組の失敗は、演技直前、コーチが4回転スロージャンプを回避しろと指示したことが影響していたし、4回転ジャンプをこれでもかこれでもかと見せつけたプルシェンコは徹底的にこれを回避したライサチェクに逆転で金メダルをさらわれた。

 前者は先行演技のペアの得点が伸びず、「ロシア、ノーメダル」を恐れたコーチの緊急安全策が裏目に出たのだろうし、後者はアメリカの審判員が60人もの審判員仲間にプルシェンコの「失言」を利用して事前にメールで働きかけた「ロビー活動」の成果だといわれている。その意味では大宅の指摘は的を射ているのかもしれない。

 オリンピックでの栄誉をメダルの獲得のみに限定するのが世の中の常識なのだろう。だからこそ「ロビー活動」や「メールによる囁き」までが登場するというわけだ。しかしそういう「常識」に囚われない、囚われたくない人々もいるのだ。

 スノーボード・ハーフパイプの腰パンくんは二度の決勝トライアルを二度とも大技のチャレンジに費やした。彼にメダルのチャンスがあったかどうかは知らない。だが「無難にまとめる」というショボい選択は腰パンくんにはなかったのだ。「お利口さんはそんなギャンブルはしない」、大宅映子はそう思っているのだろうし、オレもどちらかといえばそういう選択をしてきた人間だ。

 「腑に落ちる」という言葉がある。頭だけではなく、体が納得しなくては、いい「仕事」はできない。スミルノフ・川口組の失敗は「体が納得していなかった」ために起きたことだと思う。「お利口さんの選択」が身についている者は「お利口な選択」をすれば、すぐにそのように体がついてくるのだが・・・。もっとも、そういう人間はオリンピックなどに入れあげることはしないだろう、たぶん。

 高橋くんも、腰パンくんも、「この舞台で、これで決める」と思い定めて、人知れず努力を重ねてきたに違いない。その彼らが自分の気持ちにこだわって選んだチャレンジを、その結果を見て、ただの傍観者があげつらうのは失礼なことだろう。そういう礼儀だけはかりにファッションなどで顰蹙を買うような人間になっても忘れたくはない。オレはそちらの方がずっと大切なことだと思っている。(2/21/2010)

 朝から久しぶりの好天。きれいな青空だ。書斎の窓近くには雀が何羽も来てチュンチュン鳴いている。電線に泊まり、うちの換気口に泊まり、**さんの棕櫚の木に泊まり、さながら社内会議の様相。

 騒がしい雀のさえずりを聞きながら、スノーボードの国母和宏がどのように報ぜられ、ネット雀がどんな反応をしているのかを検索してみた。面白かったのはスポーツ紙の世界でも「イデオロギー臭」の抜けないサンケイスポーツ。レファレンスとしてごくふつうのスポーツニッポンの記事とあわせて、書き写しておく。

【スポーツニッポン】
 スノーボードの男子ハーフパイプが17日(日本時間18日)に行われ、服装の乱れや会見の態度が問題となった国母和宏(21=東海大)は決勝で35.7点にとどまり、8位入賞に終わった。攻めのスタイルを貫き、大技の「ダブルコーク」を繰り出したが、2回とも着地に失敗した。ショーン・ホワイト(23=米国)が圧倒的な強さを見せ、48.4点で五輪2連覇。昨季世界選手権覇者の青野令(19=松山大)は9位だった。

【サンケイスポーツ】
 男子ハーフパイプが行われ、"腰パン問題"で論議を呼んだ国母和宏(21)=東海大=は、35.7点でメダルに遠く及ばず、8位に終わった。試合後は報道陣を威嚇するような言葉を発するなど、やりたい放題。みそぎの舞台は不完全燃焼に終わった上、態度の悪さばかりが際だった。
 「(騒動の)影響? そんなの気にしてたらこんなことやってない。本当のスノーボーダーが五輪を目指してくんなきゃ、おれがまた出るつもりでいますね」・・・(中略)・・・
 最後は2014年ソチ五輪へ出場意欲を示した。自分の使命は『スノーボードのかっこよさを伝えること』と考える21歳。だが、メダルを逸した上に悪態では、決してかっこよくはない。不良少年のような軽率な言動から卒業しない限り、4年後への道はあまりにも険しい。

 スポーツ紙も新聞である以上は、まず最低限の事実は伝えなくてはならないだろう。サンスポはともかく「国辱選手」が「メダルに遠く及ば」なかったことに「安堵した」(?)ためか、優勝者がどこの誰であったかとか、「国辱選手」以外の日本人選手がどのような成績を収めたのかを報ずることをすっかり忘れてしまったようだ。サンケイ本紙のイデオロギー・ボケのDNAは姉妹紙の記者にも健在のようだ。

 「メダルに遠く及ば」なかった国母だが「8位」ということは「入賞した」ということ。JOCの「オリンピック質問箱」コーナーには、「オリンピックの場合、入賞は個人、団体とも8位まで。オリンピック憲章で『1位には金メダルと賞状、2位には銀メダルと賞状、3位には銅メダルと賞状、4、5、6、7、8位には賞状が授与される』ことが定められています。オリンピック組織委員会は入賞者の名簿を作成、IOCに引き渡します」とある。つまり公式記録に氏名が掲載され、IOCという組織が存続する限りはそれが保存されるということだ。メダル至上主義に立てば「入賞」なんぞは「ゴミ」かもしれないが、ふつうの感覚では「すごい、よかったね」というところだろう。

 サンスポも他の記事、たとえばフィギュアスケートの小塚崇彦の記事では「8位入賞を果たした」と書いている。いくら国母の「栄誉」を認めたくなくても「ファクト」はやはり読者に伝えなくては「新聞」としての使命を果たせまい。「イデオロギー」はとかく眼を曇らせるものだ。

 いくつかの新聞サイトやブログなどを読みながら「郷愿は徳の賊」とはこういうことをいうのだなと思った。

 その昔、「ブンヤ」という言葉があった。主に新聞記者をさす言葉だった。はじめは侮蔑的な意味を持っていた「ブンヤ」は似た言葉である「トップ屋」という言葉が使われるようになると、ひそかな尊敬とひそかな誇りのニュアンスを持つようになった。しかしいまや新聞記者には「ブンヤ意識」などはきれいになくなったようだ。

 代わりに彼らが身につけた意識は「社会のものさしはオレだ、オレが気に入らないものは邪悪なんだ」と決めつけて恥じないものになってしまったらしい。とにかく彼らはしきりに「お説教」をしたがり、したり顔で「教訓」を垂れたがる。至る所に垂れ流すスノビスムの匂いの「臭えこと、臭えこと」。

 それなりの見識があってならまだしも、陋巷の民でも笑い飛ばしたくなるていどの薄っぺらな常識とマンガなみの正義感で「大人もすなる論評なるものを小人もしてみんとてする」のだから噴飯もの。これぞまさに「郷愿」、これぞまことに「徳の賊」。

 さらにはこういう薄っぺらな報道を煽られて、あるかなしかの脳みそしか持ち合わせぬ手合いがキャー・キャー・ワイ・ワイと「皆もすなるブログなるものを我もしてみんとてする」のだから、天醜爛漫、百家争鳴、・・・下克上にして天下は泰平、呵々。

 どのていどアホらしいブログがあるかのサンプルを、一部、この時代の記録として書き写しておく。

タイトル:やはり恥さらしだった国母和宏 味方は反日メディアだけ

 数多くの醜態で日本人の恥となった男、国母和宏。メダル候補と言われたが、天罰が下り8位。多くの日本人がその無様な痛々しい顔に喝采を送った。
 さて、1日がたち、各種メディアも当然この件を報じている。ここでスポーツ紙を確認してみたのだが、面白い傾向が見て取れた。
 ・・・(中略)・・・
 これを見れば日刊スポーツとスポーツニッポンがやけに国母に対して優しいかがわかるだろう。
 なぜこの両紙が国母に優しいのか? それは国母が民主党支持者だからに他ならない。(国母が民主党支持者である理由はかつて書いたのでそちらを見て欲しい。)
 そして日刊スポーツとスポーツニッポンの親会社は朝日新聞とTBS。もうこれ以上言わなくともわかるだろう。
 どちらにしても国母が日本の恥であり、味方をするのは反日メディアだけであることが判明した。したがって国母を擁護する人間は反日の売国奴といっても差し支えないであろう。

 歳をとったせいか「国母」というところが「母国」と読めてしまってしかたがない。「・・・したがって母国を擁護する人間は反日の売国奴といっても差し支えないであろう」などと結論されていると、もともととんでもない論理のアクロバット(なにしろ、「岩手県出身者と北海道出身者は反日だから応援してはならない」などと書いていたりする)にアタマがチョウネンテンを起こしながら読んでいるので、文意を理解するのにちょっとばかり苦労する。

 あえて言えば、このバカブログ氏が指摘する「反日の売国奴」にピッタリ当てはまるのは、むしろ「きっこの日記」が紹介している我がマスコミ人の所行ではないかとか思う。

 バンクーバー在住の「Peace Philosophy Centre」の聡子さんがメールで教えてくださったんだけど、現地での実情を知ると、あたしは、「やっぱりな」って気持ちになった。聡子さんは、現地では国母選手の服装の話題なんか誰も口にしてないから、ニポンの国内だけで騒いでるんだと思ってたら、ニポンの新聞が「各国でも国母選手に賛否両論」なんて報じてるのを見て、驚いたそうだ。それで、よくよく調べてみたら、ニポンから現地入りしてる各新聞社の記者たちが、わざわざ国母選手の着崩しの写真を大きく引き伸ばしたパネルを持って回り、誰彼かまわずにその写真を見せて、「この選手の服装をどう思うか?」って聞いて回ってたんだって。

 日本人は日本人論が大好きだから「日本人をどう思いますか」という質問をしたがる。ただその質問相手には偏りがあって、主に欧米人(白人)が多く、アフリカ系(黒人)やアジア系を相手に選ぶことは多くない。また、その回答を謙虚に聞こうとするのも主に欧米人が相手のときで、その他の場合は、ほとんど儀礼的で聞き流すことが多い。

 中国人、韓国・朝鮮人に聞こうとしないのはなぜか。胸に手を当てて考えてみると思い当たるなにかがあるはずだが、それこそが日本人の「病理」につながっているからこそ避けたくなるのだろう。

 それにしても、わざわざ腰パン野郎の引き伸ばし写真を作って、「どうです?」、「どう思います?」、「恥ですよね?」、・・・などと聞いてまわる図を想像すると、いささか寒気を覚えざるを得ない。(2/20/2010)

 FACTA 3月号の案内メールが来た。本誌が届くのは20日なのだが、前日の夕方にはホームページですべての記事が読める。

 小沢事件について最新号には3つの記事。おそらく本誌では4頁構成になる記事、「『大敗北』検察に小沢の逆襲」がメイン。この記事の末尾には関連記事として、半ページの囲み記事、「読売の特報は『早合点の勇み足』?」へのリンクがあり、連載コラムには手島龍一の「検察内部の『情報サイクル』不全」が載っている。

 メイン記事は、「勝負の分かれ目は1月31日だった」と書き始め、「(2回目の)聴取は検察と小沢の"手打ち"だったのである」としている。ここまではお茶の間雀でも容易に推理できることだが、さすがにカネを取って売る以上は、この手打ちの舞台裏を務めた人物の名前をあげた他、特捜部の捜査状況について幾人かの担当検事の実名もあげている。佐藤栄佐久の「知事抹殺」に登場する山上秀明検事の名前も出ている。この記事では、「手打ち」の結果、検事総長人事は検察の希望通りに運びそうだが、小沢の逆襲が恐いという結論になっている。しかしその前提は「7月の参院選で民主党が過半数を占めれば」ということが条件。囲み記事「読売の特報は・・・」の方に「第一ラウンドが終了した」とあるように、もし、第二ラウンドがあるとすれば、必ずしも小沢による報復人事が実現するとは限らない。

 だから、民主党が勝利すれば確実に大事な大事な出世の道をたたれるであろう特捜部の検事たちにしてみれば、「窮鼠猫を噛む」行動に出る可能性は十分にある。またまた読売新聞を抱き込んで「脱税」ネタで一騒ぎするだろう。

 ・・・とすると問題はウケウリ新聞がすんなり「夢よ、もう一度」に応ずるかどうかというところか。だが素人でもこのていどのヨミはできるとすれば、囲碁の達人といわれる小沢が「大連立」の御大に挨拶をしていないわけがない。去年の秋に使った手口が無効になった時、石川、池田、大久保の三人をパクり、弱小ゼネコンを叩けば簡単などという甘い見通しのシナリオに寄りかかった、非力・浅慮の現特捜部長さんにウケウリ新聞以外の導火線を作れるかどうか、これはちょっとした見ものになる。

 もうひとつの記事、手島のコラムの内容は格別驚くものではないが、現在の特捜部がどれほど粗雑な頭脳に率いられているか、劣化しつつあるこの国の国家機能の「落日」ぶりを的確に書いている。

 この裁判(注:福島県知事汚職事件の裁判のこと)の主任弁護人を務めた宗像紀夫元特捜部長は「福島事件は検察のでっち上げであり、担当した検事を決して許さない」と怒りを露わにしている。その宗像元特捜部長が、今回の政治資金の虚偽記載事件でテレビ・メディアにしばしば登場してこう述べている。
 「特捜部が石川議員の身柄をとったのは、小沢陣営に建設業者から不明朗な資金が渡っているというかなりの証拠を検察側が得ているからだと思う」
 福島事件であれほど痛烈な検察批判をした人の発言としては奇異な感じを受けた視聴者も多かったに違いない。かつてロッキード事件などを手がけて総理の犯罪を追及した東京地検が、曖昧な証拠しか手にしないまま、現職の議員の身柄をとることなどあり得ないと考えたからだろう。そして何より福島事件で実質無罪に追い込まれるような失態を再び繰り返すはずはないという古巣への信仰を断ち難かったにちがいない。だがいまの検察は、福島事件と同じ誤りに手を染めて愧じなかったのだ。
 自らの証拠集めの弱点を補うためもあって、検察がメディアに巧妙なリークを繰り返したのも、福島事件の際と同じだった。福島事件の最高裁の審理でも、東北談合のドンと言われる人物や水谷建設の関係者の証言の信憑性が改めて問われることになるだろう。国家の枢要な地位を占める機関の「インテリジェンス・サイクル」はいま、負のスパイラルを描いて、日本の国家としての機能を弱体化させている。今回の特捜事件は、その実態を端なくも示している。
注)太字は引用者

 没落する社会のひとつの様相はこのようなものだ。さしずめ、「興隆する国家はどれもみな同じようであるが、没落する国家はそれぞれに違っているものだ」とでも書いておけば足りるだろうか。いや、没落のありさまは異にしていても、没落を促進する要因は共通しているように思うけれど。(2/19/2010)

 10時前にトヨタの**さんが来てくれて、プリウスに乗っていった。リコールになった問題のファームの入れ替え作業のため。年金暮らしの老人世帯など、これからの買い換えは期待できないのだから、上顧客ではあるまいに、朝霞の店は前の所沢の店よりもサービスが行き届いている。それともこれはリコールだからか。

 アメリカ下院の監視・政府改革委員会が開催するトヨタのリコール問題に関する公聴会に対し、豊田章男は早々と自分ではなく北米トヨタ社長の稲葉良?(よしみ)を出席させると表明した。豊田がどのていどの人物かこれではっきりしてしまったようだ。そしてトヨタはいまだに典型的な日本ローカルの会社だということも。つまり「さすがトヨタは」ではなく、「やはりトヨタも」だったということ。

§

 思わぬことで俄然注目を集めることになったスノーボードのハーフパイプ、国母は8位入賞だった。

 先週の「騒動勃発」からけさまでのマスコミの取り上げ方の「ゆらぎ」(それっ、袋叩きだ、えっ、でもメダルとれるかもしれないんだって、どうする、メダルとっちゃったりしたら格好がつかないぜ、常識はどうかというところはあるけど、根は悪い奴じゃないってことにしとこうか・・・こんなおハナシ)はなかなか興味深かった。

 マスコミのなんとも「小国民的」(小市民というよりは「非国民」という言葉から連想するものに近いので、こう表現しておく)なウロウロぶりはどんな「問題」も提示していないが、「きっこの日記」が紹介していた古川元幸の「国母問題について」は「問題とすべき問題」を提示していた。彼は「99年から02年のソルトレイクオリンピックまでスノーボードチームのコーチをしてい」た人物。

 古川は、まず、スノーボード、とりわけハーフパイプという競技の選手のマインドを「勝つためよりもいかに自分のスタイルが思うとおり決められて観衆を沸かすことができるかが大事」と思っており、「その結果優勝できればなお良い。そういうマインドの選手が多い」と述べた上で、その世界の実態について紹介している。

 オリンピック出場にからむFIS(国際スキー連盟)のワールドカップが競技レベルで最高のものかというと残念ながらそうではありません。
 問題点はスノーボードの強豪がそろうアメリカはこういった垣根無く選手にとって(賞金額も含めて)最良のイベントを選択して出場してくるという点です。アメリカ選手はFISのワールドカップには出場権を得るための最低限の出場をしてさっさと出場権を勝ち取りあとは高額賞金のイベントに出るのです。日本の選手たちに強いアメリカの選手と常に同じ舞台で戦わせて競わせたくても全日本スキー連盟や日本オリンピック委員会の意向で不可能なのです。

 これを読むと、きょう、金メダルを取ったショーン・ホワイトの次元の違う強さや、去年の世界選手権で金メダルを取っていた青野が9位に終わったなんて・・・という「現実」の意味がよく分かる。

 古川はさらにソルトレイク大会でのある選手と全日本スキー連盟の理事、間に入った彼自身のエピソードについて書いている。大会終了後に馘首になった彼の話だけを鵜呑みにはできないとは思うものの、今回の騒動に際して国母の出場を辞退させようとした連盟のいささか情けない対応を見る限り、古川が事実を誇張したり、歪めているとは思えない。

 彼はこうも書いている、「勝てなかった選手はお偉いさんたちにとってはもうゴミです」。権威ある「連盟」がゴミとして扱うとマスコミもそれに習う。権威ある検察庁が容疑をかければそれだけで「犯罪者」扱いするのだから、何の不思議もない。「ゴミ選手」と「マスゴミ」、嗤える対比だが、自身光り輝くものをなにも持ち合わせていないと自己認識している大衆は、その「ゴミ」情報をそのままに信じ込むのだから、もうこれは笑えない喜劇そのものだ。

 結果が出たきょうの午後から今週末までは「後日談」が語られるだろう。メダルを取れなかった「ゴミ選手」ということで、マスコミは安心して、好き放題にいじるに違いない。この国の「品格」なるものがどのていどのものかが露呈するだろう。じっくりと観察することにしよう。(2/18/2010)

注)古川元幸氏の「国母問題について」のリンク先
「きっこの日記」は古川氏からの要望により実名部分を伏せる処置がとられました。ここではオリジナル性を尊重して、「魚拓」にとられたものにリンクを張りました。

 確定申告書の作成は、存外、手間取った。去年までは、保険関係は年末調整で終わっているので、医療費のリストを作った上で、源泉徴収票と証券会社から送ってくる取引報告書を用意して、国税庁のホームページに用意されているフォーマットに転記すれば、ほとんど悩むことなく作業は終わった。

 ことしは、退職金があり、終身分以外の企業年金を一時払いで受け取り(この判断は正しかった、JALでさえ破綻する時代だ)、積立年金保険も一時受け取りにした。さらに、所沢の家の売却があり、配当金・分配金と売却損の損益通算があり、FXの稼ぎもそこそこ、これほど所得項目が多様化した年は、生涯、最初で最後だろう。

 作業は、それぞれの証明書、支払い通知、計算書、明細書、領収書などのエビデンスを関係する所得項目別に分類することから始めた。一時所得、譲渡所得、雑所得、・・・、不思議の国のアリスみたいな気分になる。名前には哲学があるべきだが、ずいぶんありきたりな名付け方で、税の世界にはそういう哲学が感じられないように思うのは素人の悲しさか。

 いちばんバカバカしい作業は所沢の家の譲渡所得算出。バブル直前とはいえ、土地価格が上がっていた頃に中古の家を土地付きで買った。そして数年後に建て替えたのだから、計算するまでもなく売却損が出ている。買い換えかローンの残債が十分な額あれば、絶好の還付候補になるのだが、うちはこれに該当しないから売却損はゼロ査定。結論が決まっているのだから無意味な作業なのだが、あっさり「特別控除額」にゼロを記入するだけではダメで、その他の空欄を埋めなくてはならない。

 競売物件を手がけていた三巧商事から中古の家を買ったのは84年、もう四半世紀も前のことになる。売買契約書を引っ張り出してきたが「土地付き建物」として買っているから、土地と建物のそれぞれの代金など分かるわけがない。こういう場合は消費税を手がかりにするとリハウスのセミナーで教わったが、当時、消費税はなかった。そもそも、土地付き契約として入力すると、国税庁の確定申告書作成システムは当該の建物(うちの場合は中古住宅)を償却費計算の対象として利用してしまう。しかし実際に譲渡した建物は92年に建て替えたものだ。仕方がないから土地代金はかなり恣意的に決めて、土地・建物を分けて算出する方式をとることにした。

 単に譲渡所得がありませんということを申告するためだけに、84年の契約書、92年の契約書まで探さなくてはならない。昔のように売却損分の還付があるなら励みにもなるが「消耗」の一語。

 まだ、株式の譲渡・配当所得が残っている。さあ、もう一頑張りしなくては。(2/17/2010)

 人事情報センターから回答のメール。退職金として振り込まれた中に「餞別金」という項目がある。これは残した在職期間のボーナス分という趣旨のものなので「給与所得」として合算されたとのこと。記憶によれば6月に支給されるボーナスの評価期間は9月から3月だった。3月末の退職者はフル在席していたことになる。それにしては少ないと思ったが、最後の給与も(おととしの暮れに支給された最後のボーナスも)カットされていたから「餞別金」もカットされたのだろう。いやいや、本来なら支給日に在職していなければもらう資格のないものをいただいたのだから、カットがどうのこうのというのは心得違い、このご時世ならありがたいと感謝すべきか。

 その「雀の涙」から所得税が源泉徴収されたとなると、なるほど思いつく算式では説明がつかなかったのも道理と納得はしたが、それならもう少し親切に説明してくれてもよかったろう。退職金に関する規程が適用されない幹部職(スタッフ職など「管理職」ではないのに)の退職金ゆえ「面談」という形式をとっているが、算出根拠を説明してくれるわけではないのなら、せめて支給名目の意味とそれに影響される課税種別などのポイントだけは説明して欲しかった。

 工場の総務はホールディングスから送られたものをお渡しするだけ、詳しいことはホールディングスに訊いて欲しいという顔をされては、質問すら憚られる。もちろん訊かなかったのはこちらの責任だが、退職日まで残すところ数日になってからの「面談」、席に戻れば、通り一遍ではない相手にあわせた挨拶メールを書きたいものだし、スタッフ職にはライン職以上になにかと言い残しておきたいことなどもあった。疑問があってもとても大崎まで出かける時間はとれなかった。工場の総務が手抜きをするから、一年も経って人事情報センターの担当さんが迷惑したというわけだ。

 縁の切れた会社になにを言っても詮無いことだが、わざわざ「面談」などのご丁寧な「形式」は不要、むしろ伝えるべきことだけをきちんと書面で通知してもらえばよい。そうすれば、「説明したはず」、「聞いてません」などという話もなくてすむ。細かな説明をパスして見かけ上の退職金総額を少しでも大きく見せて飾ろうとするからこんなことになる・・・どうやら、早くも老いの繰り言が身についてしまったようだ、呵々。(2/16/2010)

 寒い。小降りながら、朝からずっと雨。確定申告をしようとして、去年の春のうちに送られてきていた源泉徴収票などを取り出す。しかし内容が釈然としない。まず給与所得の源泉徴収票。支払金額として4百万近い数字が書かれている。1月から3月の3カ月でそんなにもらっているわけはない。給与明細の支給額を何回計算してもそんな額にはならない。それだけではない。源泉徴収額も違っているし、退職所得の源泉徴収票の支払金額も振り込まれた額とは違っている。退職金と同時に精算した費目があった記憶はない。

 悩んでいても仕方がないから人事情報センターに電話。担当のメールアドレスを教えてもらってから、問合せ事項とともに源泉徴収票やら給与明細やらをPDFにして送る。源泉徴収票に間違いということはないだろうから、あっさり「他の方からも問合せがありました。こういうことです」という返事が来ると思っていたが、いまのところ回答がない。格好をつけて、「大至急というわけではありませんから、二、三日中でいいですよ」などと言わなければよかった。

 まあ手をつけられるところからということで、医療費関係の領収書と一覧表の作成からスタート。去年からは配当金・分配金は損益通算ができるとか。おととし以来、キャピタルロスの申告をしているから、配当金の源泉徴収分が還付されるはず。中央三井信託は暮れにまとめて支払い明細を送ってきたが、三菱UFJ信託はその都度の配当計算書になっている。武田やドコモはあるのに、パーク24とオラクルが出てこない。パークは株主優待が目当てだから大した額ではないが、オラクルは高配当なのでどうしても探し出したい。他にも、FXのエビデンスはサイトからダウンロードしたCSVファイルなどでいいのだろうか、とか、疑問は次々と出てくる。

 あしたは無理のようだ。どうせ初日は混むから・・・と、はやくも合理化機制モード。(2/15/2010)

 沖縄旅行以来、ずっとウォーキングをしていない。風邪を引いたことと雪や雨で天気が悪いからだが、正直なところは「それを理由にしている」ところがある。おかげというのも癪だが、朝はかろうじてまだ62キロ台だが、就寝時は63キロ台に戻ってしまった。しかし午前中もゆっくり落ち着いて本を読むというのは悪くはない。暖かくなるまではこれはこれでいいことにしよう。

 遅まきながら石光真人の編著になる「ある明治人の記録」を読んだ。副題は「会津人柴五郎の遺書」となっている。義和団の乱に際し北京籠城の中心となり列強諸国からその人物を評価された柴五郎。彼の生まれから戊辰戦争、会津から陸奥への懲罰的な移封を経て、陸軍士官学校生として竹橋事件を見るまでの「手記」が第一部、これを託された石光による柴その人の紹介が第二部となっている。

 会津藩というと、柴よりもかなり年上になるはずだが、秋月悌次郎を思い出す。ずいぶん昔、それも小説(注)で読んだのだから粗雑な印象に過ぎないが、ともに自らを語ることをせず弁明することもしない、ただ現実に黙々と立ち向かうイメージが共通している。会津藩の基礎教育がどんなものであったのかを知りたいと思わせる。

 総じていえることだが、明治の成功を生んだものは元和偃武が作り出した江戸時代の豊穣であったと思う。その証拠に日清・日露の戦勝がもたらした恒常的戦争依存症が作り出したものは慢心と無思慮な一群の軍人であり、必然的に日本は自滅した。

 石光はこんなことを書いている。なお、ここで「翁」とは柴五郎のこと。

 優れた素質の人々が選ぶ人生行路は、時代時代の社会条件によって異なるものである。経済が少数の政商と小商人に握られていた頃は、若いエリートたちは、軍界、政界、学界に夢を措いて優れた人材を輩出したが、殖産奨励時代を経て大正年代の経済興隆期にはいってからは、経済界に駿才が蝟集し、軍備の急激な膨張の悪影響も加わって、軍界を志す者のうちに素質の低い者が混るようになった。
「近頃の軍人は、すぐ鉄砲を撃ちたがる、国の運命を賭ける戦というものは、そのようなものではない」
と、翁はあるときは厳しい気色で、またあるときは淋しい面持で語った。単なる老いの愚痴ではなかったと思う。

 もちろん「素材」だけのことではないだろうが、それでも「素質の低いものが混る」ていどならばまだマシというものだ。現代にあっては「軍界」にはとんと人気がないから、「素質の高いものが混る」という方が実情に合っているようだ。だから、田母神某などのような情報評価能力ゼロ、まるでインパール作戦を立案指揮した牟田口廉也のような恐るべき人物でも幕僚長になれるのだろう。(2/14/2010)

注)中村彰彦の「落花は枝に還らずとも」という小説です。

 バンクーバー・オリンピックが始まった。開会式の長いこと、長いこと。

 徐々に多機能化する、徐々に複雑化する、徐々に華美になる、徐々に巨大化する、・・・情報家電、表計算ソフト、化粧、バロック建築、・・・別に人間世界のことだけではないのかもしれない、マンモスの牙、恐竜、・・・すべてが同じような道をたどる。オリンピックゲームもその方向にある。とくに開会式はいまや完全に「見世物」になってしまった。

 高額の「放映権料」をとるからにはショー化は必然の流れなのだろうが、国境を越えて、民族を超えて、言葉も、暮らしも、宗教も違う者が、ただひとつ、「より高く、より早く、より強く」を競うというもっとも基本的な部分が、どんどん希薄になってゆくのはじつに皮肉なことだ。

 いや、むしろ、「国を代表して」という「国別対抗」意識や、「メダル争い」さらには「メダルのイロ争い」意識がのさばり、瞬間を競うときの人間の表情や肉体の「美しさ」――冬のオリンピックは「より高く、より早く、より美しく」の方が似合っていると思うのだが――を称える気持ちすら消えてゆこうとしている。

 チャスラフスカの優美さがコマネチの少女サーカスにとって代わられたように、一部の競技の中身はどんどんアクロバット化し、より高度のアクロバット的競技が追加された。そういう競技ほど選手の年齢は低年齢化している。「ガキ」の活躍が期待されているというわけだ。

 その「ガキ」が開会式への参加を「自粛」させられた。ハーフパイプの国母和宏。カナダの空港に着いた時、服装は公式ブレザーだったのだが、ネクタイを緩め、ワイシャツをズボンの上に出し、ズボンは「腰パン」、さらに、サングラスに鼻ピアスだった。そしてその姿がニュース映像で流れた途端、JOCと彼が所属する東海大学に抗議が殺到したのだという。

 街にたむろするタラタラした服装の中で、ズボンをずり下げてはく「腰パン」ほど癇に触るものはないし、「身体髪膚これを父母に受く」という言葉を知る世代としては、鼻ピアスなぞは言語道断だ。

 だが、「ガキ」の持つ「異能」に期待をするというのなら、あくまで彼の範疇にある「趣味」も許容するというのが「オトナ」の感性でもある。だいたいハーフパイプという競技自体、そんな匂いのする競技ではないか。

 オフィシャルなセレモニーにそのファッションで出たというのなら別だが、移動中の服装・風体にまでいちゃもんをつけて「オレの趣味に合わない、なんたることだ」というのも、逆にどこか「ガキ」っぽい感じがする。まさに「ガキとオドナの絡み合い、どこにオトナの夢がある」というところ。

 急に楽しみになった。このコクボなるガキが、いっそのことメダルをとったら、どうなるのか・・・と。もしそんなことになったら、「メダル争い」、なかんずく「いちばんいいイロのメダル」に夢中の「ガキ」と「オドナ」、ついでにあら探しを仕事にして騒ぎ立てる「マスコミ」さんは、いったいどんな反応をするだろうね。

 そんな夢想をしたとたん、癇に触る鼻ピアスの腰パン野郎を応援したくなった。あんたのような「なり」は大嫌いだが、手前の趣味の正当化のために「クウキ」の応援を借りるような奴らはもっと嫌いだ。

 ガンバレ、ピアス野郎、ガンバレ、腰パン、ガンバレ、コクボ、ガキの真骨頂を見せてやれ。(2/13/2010)

 夜のニュースを見ながら**(家内)が「与謝野さんまでがこんなことを質問するとは思わなかった」と言った。与謝野の質問とは「鳩山邦夫さんがぼやくんですよ、兄貴はおっかさんから子分を養うカネがいるといってはカネをもらってる、と」というもの。その「エピソード」を根拠に、鳩山首相が母親に金の無心をしていたと決めつけた。直接、母親に無心をしていたのだから、「知らない」という上申書はウソだというわけだ。

 ちなみに、こぼした邦夫の方はこんな風に言っている「お兄さんは子分を養うためにお金が要るというけど、あんたは要らないのと」と。ウソをつかないという看板を大切にしたのか、兄をかばったのか、続けてこう言った。「無心したとか、取りにいったとかは言ってないよ、誰が言ったかは知らないけど、あなたは要らないのと言われて寂しかったよ」と。

 自民党にあって数少ない「理論派」と思われていた与謝野までが予算審議の質問にこんなことを取り上げて、ごく平均的な主婦にすら「がっかりね」などと言われるとは・・・。家族内の日常的な会話(子分がいるとかいないとか微笑ましい親子間の会話だろう)を重大証言のように取り上げるのは、まるで密告社会のような話だ。経済情勢そっちのけでゴシップ質問に入れあげる自分を与謝野は恥ずかしいとは思わなかったのか。貧すれば鈍するとはまさにこういうことをいうのだろう。

 このていどの政治屋も、そしてこれをトップ・ニュースとして取り上げるこのていどのマスコミも、親から政治活動のためのカネをもらう宰相のお粗末に負けてはいない。もはや、この国には危機感覚も、真っ当なバランス感覚もない。「身捨ツルホドノ祖国」の存在など問うまでもない、我が徒党にしか眼が及ばない者どもが跋扈するようでは。つくづくこの国が嫌になった。

 まったく別の話だが、中堅ゼネコン福田組が関東信越国税局の税務調査により5億円の所得隠しを指摘されていたことが分かったと報ぜられている。この「福田組」の創業者一族は小沢一郎の妻の実家。そろそろ「始まった」のか、それともまったく無関係なのか・・・。(2/12/2010)

 **(上の息子)につきあって、処分場に行ったついでに、ロートンヌにまわってチョコケーキを買ってきた。バレンタインデーをひかえて店はごった返していた。店員以外の男性はオレだけ。ことしのバレンタインは日曜日で義理チョコ需要が少なく業者は心配顔という報道だったが、ロートンヌに限っていえば影響はないような感じ。

 買ってきたのは「クールショコラグリオティーヌ」。ハート型のチョコケーキ。1個税込み525円。**(下の息子)も来るので4個で2100円。ふつうのショートケーキを買う方がよっぽどお得感があるのだが、**(父)さんの想い出のケーキだから、これでなくてはダメ。

 あの日、**(父)さんは箱を開けるなり、他のケーキには眼もくれずにこれに手を伸ばした。そのミニケーキにろうそくを立てて朝霞台の病院でハッピー・バースデーを歌った。わずか5年前のことだ。

 あの年の夏に**(父)さんが逝き、入れ替わりに**(母)さんが入院した。翌年には**(家内)のガンが分かり手術、さらにその翌年の夏、**(母)さんが逝った。まさにシュトルム・ウント・ドラングの始まりだった。

 病院のレストコーナーでの短い誕生日セレモニー。このハート型チョコケーキは家族の最後の団らんの象徴なのだ。(2/11/2010)

 上杉隆の「検察の抗議に抗議する」という見出しにつられて、また週刊朝日を買ってしまった。連続して週刊紙を買うのは「疑惑の銃弾」以来(もう四半世紀も昔、か)のことだ。

 先週の上杉の記事内容が迫真性に富んでいたためだろう、地検は週刊朝日の編集部に「記事に文句があるから、編集長、地検に出頭しろ」と電話をしてきた由。文句があるから怒鳴り込む話はよく聞くが、文句があるから聞きに来いとは絶句する話だ。それほど検察庁というお役所は偉いのか。編集部員が「編集長は出張中です」と応ずると、FAX(記事には読み取れるくらいに鮮明な写真が載っている)が送られてきた。それに対する上杉の「回答」と地検の論拠に対する至極当然の「質問」がこの記事。

 地検の「抗議書」の中身は子供の喧嘩レベルで、こんなことしか書けない頭脳構造でよくもまあ検事になれた、逆にいうと、どれほど頭がよくとも、お粗末な一件についてはどう弁護のしようもないということがよく分かる。第三者的に見れば、このやり取り、東京地検の「完敗」。

 なによりも嗤えるのはまず「抗議書」をFAXで送ってきながら、それについて「抗議の根拠は何か」と問う「質問書」をFAXすると、こんどは「取材には応じかねる」と電話してきたということ。おそらく文書にすると「証拠」を残すことを恐れたのだろう。犯罪者を相手にするうち、その習性に染まってしまったものか。

 編集部は「抗議書は送るが、本誌の取材には一切応じない。『根拠』『証拠』を示さない検察の『真実』とは、いったいなんかのだろうか」と結んでいる。痛烈な言葉だ。

 フェアプレイする気がない「検察」などはグローバル基準に従えば「検察」ではない。ずいぶん卑劣な人物が次席検事を務めているものだ。監禁同然の不法な取り調べをする卑劣漢、民野健治の如き下っ引きがいるのは必然なのかもしれぬ。

 抗議書の差し出し責任者は東京地方検察庁次席検事・谷川恒太、電話をしてきた人物も谷川恒太と名乗った由。そういえば小沢不起訴の夜、司法記者クラブとの「身内・仲良し」会見に、検察内部で「使えない赤レンガ組」というレッテルを貼られたという佐久間達哉特捜部長と雁首を並べていたのも次席検事・谷川恒太だと報ぜられていた。この名前を憶えておくと、いずれ、意外なところに顔を出すようになるかもしれない、呵々。

 地検が恥の上塗りをしたという記事の前に「『見込み捜査』が残した『醜い汚点』-ここまでやってもやっぱり『小沢不起訴』」、後に「疑惑深まる小沢のカネ-国会で説明はされるのか」というふたつの記事が載っている。前の記事はおおよそ推測していた通りなのではないかというもので新味はない――ただし、検察と小沢の「闇取引」など、あまりに見え見えで陋巷の民にすらよく分かるというところに、曰く言い難い疑問が残る――が、後の記事はなかなか興味深い記事だった。この記事は小沢の「合法的な金集め手法」について書いている。「汚いやり方」ではあるが現行法では合法的な小沢の集金手法についての「証言」を集めている。

 可笑しいのは「検察のやり方」を痛烈に批判しているがために小沢擁護をしていると誤解されている週刊朝日の「カネ疑惑」記事が、小沢を感情的に罵倒することで売ろうとしている他の週刊紙よりもよほど読ませるものになっていること。

 心から「灰色幹事長」と呼んで小沢を罵倒したいのなら、小沢が駆使しているはずの独創的な「集金方法」の実態について真剣に突っ込んで取材してみたらいい。小沢という男がどれくらい法網にかからぬように細心の注意を払っているか、まずそのあたりから固めてみたらどうだろう。

 小沢の方法は「集金方法」だけを見ていては分からない「手法」かもしれない。「カネ」を自分のポケットに入れなければ、「目的」が達せられないと決めつけるのは固定観念。先入観を棄てて「事実」を収集し組み立て直す・・・。「業界」の外にいる人には見えないけれど、その「業界」にとってはすごくありがたく思える「仕組み」を作ることができれば、存在と恩義を意識させることはできる。

 想定したシナリオしか頭にない硬直的な「検察官」と同じ視点から「私腹を肥やしているに違いない」と思い込むから見えているものも見えないなどということがあれば滑稽そのもの。

 まあ、土木・建築とは別の「場」しか知らぬ者の僻目か、傍目かは保証しないが、呵々。(2/10/2010)

 きのう東証平均株価は一万円を割った。先週木曜、48円35銭下げてから、金曜に298円89銭、そしてきょう105円27銭。そして週明けのニューヨークダウも一万ドルを割った。日本時間の木曜朝に26ドル30セント下げ、翌日268ドル37セントと大幅に下げ、土曜朝(ニューヨーク金曜終値)に10ドル5セントの持ち直しがあって、けさが103ドル84セントのさげ。一万円と一万ドル、じつに仲がいい。

 我が家のポートフォリオもまたマイナスに戻った。60歳代の10年分の生活資金と投資資金とは切り離しているから、10年かけて目標までゲインしてくれればそれでいいのだが、「二番底などというのは甘い、大恐慌という地獄の釜のフタが開いたのだ」などという声もあるから、やはり気分は暗くなる。

 そういう観点からすると、検察が作った「小沢騒動」などには早いところキリをつけて、まともな経済対策論議を国会でもマスコミでもやって欲しいものだというのが、ほとんどの国民の気持ちだろう。麻生が政権に居座る口実とした「百年に一度の経済危機」は去ったわけではないのだから。

 あれほど「責任政党」をアピールした自民党がいまや「政治とカネ」の話にしか興味がないようにしているのは、結局のところ何もかもが党利党略だったからか。「ここはまず先に経済対策論議を優先するよ。それが一段落したらじっくり『政治とカネ』の話をするからね」とでも言えば、「さすがに長期間『責任政党』だったところは違うね」という話になろうに。世間がウンザリしているのは政権を取った民主党の体質が自民党と同じということだけではない。野党になった自民党の振る舞いも野党時代の民主党と同じだということにもウンザリしているのだ。

 いつの時代、いつの政府も問題山積であることは同じ。しかし日本だけではなくかつて「先進国」と呼んだ国の経済が一様に不調であるといういまの「経済問題」はうっかりすれば本当に「地獄の釜」に落ちる可能性を孕んでいる。そういうときの「問題」はやはり特別だろう。

 「国」が滅んでもいいから「国体」を守ろうとしたのが旧大日本帝国だったが、いまの官僚組織は面従腹背しながら、「国」が滅んでもいいから「既得権だけは守ろう」、「組織防衛だけはしよう」と思っているらしい。それが手段を選ばない「小沢叩き」、それに隠した「民主党叩き」だ。

 すべての政策について、真正面からではなく枝葉末節からの、それも批判ではなく非難の資料が、記者クラブを経由してマスコミに渡される。自分の頭で考えたことがない指示待ち世代の記者はこれをコピー&ペースとして記事を作り、多少とも疑問を持つ記者も記者クラブへの出入りを禁止され情報が遮断することを恐れて、その範囲を超えないような提灯記事を書く。仕事に忙しい一般人はなかなかそれをクリティカルに見ることができないから政治的アノミーが蔓延する。世の中真っ暗だ。

 別に小沢が好きなわけではない。民主党を支持する理由は単に自民党を支持しないというだけのこと。だから格別義理立てしようなどとは思っていないが、今回の検察のようなやり方が蔓延すれば恐ろしいことになると思うから、ここは小沢と民主党に肩入れしたい。

 自分で作った妄想に自分で解をつけたところで第三者から見れば滑稽の極みだが、もし日曜に書いた小沢・民主党にとって最悪のシナリオがあるとすれば、これについての対抗案を書いてみる。

 まず官僚機構の尖兵として小沢追い落としを企んだとおぼしき検事総長・樋渡利秋を更迭する。彼が首魁であったか否か、また、ことし8月には定年を迎える、つまり数カ月もすれば自動的に辞めるなどという事情は斟酌しない。とにかく見える形で馘首にするのだ。

 必要なら検察庁の認証官のすべてを更迭するのもよい。それにより特捜部長の配転も実現させる。3月は人事異動の季節だ、格別おかしなことではない。不自然と言う奴には言わせておけばよい。

 そして同時に小沢の幹事長職も解く。「国政の停滞を招いたこと」を理由に「喧嘩両成敗」の形をとるのだ。マスコミなどの雑音に対しては「停滞の一新」と「喧嘩両成敗」とのみ応じ、一切の釈明はしない。これで中央突破をするのだ。

 下野したつもりのサンケイ新聞のような「偏向した新聞」の読者はともかく、ほとんどの国民はいまや「政治とカネ」などという話にはアキアキしている。だから、「喧嘩両成敗」をして、現下の経済情勢に真剣に取り組むのだといえば納得する。

 ネコの首に鈴をつけるのは難しいが、小沢には「大事の前の小事」のために堪えてくれという他はない。それが分からない男とは思えない。検察と総霞が関を甘く見れば、またまた臍をかむことになるぞ、と。石橋を叩いて渡っても、官僚との闘いに十分ということはないぞ、と。それをいちばんよく知っているのは小沢なのだから。

 狡猾な奴ほど人事権の前には可笑しいくらいにおとなしくなるものだ。霞が関が畏怖するくらいの人事が断行されれば、意地汚い官僚の素行は一気に改まる。志がある官僚はかえって清々しいといってくれるかもしれぬ。

 陋巷の民が妄想した「最悪のシナリオ」を回避する方策は、鳩山がやれないなら、小沢みずからが「オレを斬れ、そして検察庁の人事に手を入れろ」と鳩山にいうことだと思うが、どうだろう。(2/9/2010)

 医療費控除用の領収書をもらいに工場へ。6千円ほどなのだが確定申告にはチリツモが効くから、こういうものもおろそかにはできない。先週、メールで依頼しておいたので、すぐに渡してもらえた。

 健管センターの玄関の腰を下ろして、お昼の約束をした**さんを待った。寒いので建屋の中から見ていると、出張に出る人、戻ってきた人、少しフライイングをして昼食に出る人、弁当を買って戻ってきた人、・・・が通る。ダーク系のコート、手には鞄、あるいはブルーの上っ張り、ああ、一年前まではああいう出で立ちで、ここを歩いていたんだなぁなどと思う。ほどなく**さんが来て、呼び集めてくれた**さん、**さんも来た。美女三人と駅前のコーキチでランチ。**さんのところは高校受験の**ちゃんがいて、**さんのところは育ち盛りの男の子がふたり、**さんは相変わらず妖艶、少し痩せて、真向かいに座ってこちらに視線を向けられると、その視線を返そうか、外そうかなどと大いに迷ったりする。

 40分の昼休みはあっという間に終わり、再度警務を通って品保センターに行った。職場は6階から2階に移っていた。**さん以外はみんないて半時間ほど仕事の邪魔をした。

 **さんが「人生相談」があるといっていたので懐かしの10棟へ向った。入り口の外階段を見たとたん想い出が噴出した。「・・・もしもどちらか、もっと強い気持ちで、いたら・・・」、布施明の歌が耳の中で鳴った。入社して最初の5年と最後の5年をこの工場で過ごした。どうもここは苦手だ。

 「人生相談」というよりはただの雑談を小一時間もしてから帰った。中央線はきょうも律義に遅れてくれた。「2時頃、日野駅で発生した人身事故のため・・・」。工場に通い始めた頃はまだ「国鉄」だった。めったに止まることはなかったし、時刻表通りの運転などあたりまえだった。「民営化」の恩恵として確実に言えることは、中央線に関する限り、「いろいろのいいわけでよく止まること」、「1~2分の遅れは遅れとは呼ばなくなったこと」だ。あまりに「人身事故」が多いので、一時、配置したはずのガードマンだが最近は見かけない。東京メトロは順次ホームに安全柵を設けているが中央線にはそういう動きはない。JRが本気で取り組むつもりはなさそうだ。

 腹立ち紛れにそのあたりを精算所の駅員に言うと「貴重なご意見として承りました。かならず上の方に伝えます」とまるで吹き込みテープを再生するような言い方で応ずる。なお一言二言追加すると、手近なところにあったメモ用紙のようなものに書き取ろうとする。「うん、いま言ったことはね、おたくのホームページに何回も書いたことだから、いいよ」と言ってやった。「民営化」の恩恵、もうひとつあった。「こういうあたりの応対がじつにうまくなった」ことだ。要するに「口ばっかり」の「巧言令色鮮矣仁」。

 たしかに飛び込み自殺が増えたのは別にJRのせいではない、コイズミさんとタケナカさんのおかげということにでもしておこうか、呵々。(2/8/2010)

 「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という言葉があるが、「検察虚に吠ゆればマスコミ実を伝う」とでもいえば現在の状況にピッタリ。たしかに絶対に「虚」かどうかは分からない。しかし「虚」ではないと断じ得ないにもかかわらず、検察犬はよく吠える。まあよく吠える犬はたいがい欲求不満か、気の弱い駄犬だ。

 東京地検特捜部は西松建設からのカネがダミーを経由して小沢に渡ったという「大久保」事件のストーリーが西松建設総務部長の証言により崩れ、うっかりすると「無罪判決」(=小沢シロ)が出かねない状況になったことを糊塗するために、「そもそも小沢には裏金が渡っているのだ」というストーリーに乗り換えた。(もともとこの線で落とそうと考えていたことはたしかだが)

 ならば西松建設の裏金が渡っているのだといえばよほど分かりやすいのに、どういう理由からか、西松ルートをあきらめて新たに水谷建設という「ワイルドカード」を登場させた。なぜあきらめたのかは分からない。小沢の主張するように西松からのカネの収受はなかったからか、もしくは検察としては摘発したくない政党に所属する大物議員(たとえば自民党・二階俊博)も一蓮托生にあがってしまっては、「今回の目的」に適合しないからか、どちらかなのだろう。

 ただ「ワイルドカード」は便利なコマではあるが「狼少年の前科」があるので迫真性を欠く。検察としてもたやすく寝返るような人物の「証言」のみでは不安がある。そこでかなりの数の中小ゼネコンをいっせいに家宅捜査し、片っ端からゼネコン関係者の事情聴取を行った。「どうせ土建屋だ、叩けばほこりも出るし、公共事業激減で小沢民主党には恨み骨髄だろう」という見通しがあったのだろう。

 通常は「贈賄側は既に時効だよ、だから、あんたが何を白状しても罪に問われることはない」という言葉が有効なのだが、もともと小沢には職務権限がない。つまり贈収賄罪の「(時効に関する)非対称性」が存在しないのだ。逆に「その裏金はどのようにお作りになったんですか」などと国税庁から「お訊ね」が来るのが恐いから、ゼネコンの口は牡蠣より堅くなってしまった。結局、期待した「小沢は**建設からもカネをもらっていた」というリーク・ネタは出てこなかった。(あとに書くように「引き出せたのだが使わなかった」という可能性がないわけではない)

 カネの出所が不正であると証明できない限り、石川以下3名の秘書が「収支報告書に虚偽を記載しました」という供述を公判になってから、「ケンジさんの強引な取り調べに心ならずも虚偽記載をしたといいましたが単なる誤記載です。おカネが不正なものだから隠したのだという証拠がありますか。間違って書いた過失はまことに申し訳ありませんが、こういう誤記載の訂正は珍しいことではありません」と開き直る可能性は消せなくなってしまう。そんなことにでもなれば、検察も、そして(大本営発表を垂れ流し続けた)マスコミもメンツと信用を失ってしまいかねない。

 だから検察はよりいっそう必死になった。逆に一部週刊紙の見出し、新聞の紙面からは「検察べったり」のトーンが消えた。いま大はやりの「関係者の話」によると、「逃げ遅れる週刊紙、新聞、そしてテレビ局はどこか?」という話題で「業界」は持ちきりだという。ホントウかウソかは「関係者の話」ゆえ、たしかではないが・・・大嗤い。

 しかし小沢事件はこれで終わったとは言い切れないだろう。特捜部に逆転のシナリオはあるのか?

 ある。それは大半の新聞が書き、テレビに出演したヤメ検さんが得意満面に指摘したような「検察審査会の再審査による起訴議決」などではない。(起訴議決があれば、裁判所が選任した弁護士が検事役をやることになっている。やる気満々の特捜部の主張にもかかわらず、検察首脳が立証困難と判断したものを「やれる」スーパー弁護士がそうそういるとは思えない。ヤメ検代表の大沢先生にでも引き受けてもらいたいものだが、彼もその場になれば、さあ引き受けますかどうか。テレビコメントなら「おしゃべり」ですむが、公判の維持となればそうはゆくまい、呵々)

 では考えられる逆転のシナリオ、つまり小沢にとって最悪のシナリオはどんなものか。以下は素人の単なる思いつき。

 やはり「金丸のパターン」以外はないだろう。金丸が略式起訴で決着してから、脱税で逮捕されるまでには約半年を要している。あのとき特捜部は東京国税局の助けを借りてリベンジした。今回の場合、半年後では検察庁と霞が関の「目的」は果たせない。参院選が終わってしまうから。

 時期的には6月ぐらいに小沢を脱税で追い込むことだ。理想的には金丸のときのように即日逮捕が望ましい。しかし材料がそろわなければ、お得意技の「事情聴取要請」と「意図的リーク」でもやむを得まい。起訴できるかどうかは無関係だ。参院選前に騒ぎ立て、民主党が敗北すればそれでいいのだから。

 もう少し今回の「騒動」を見てみると、なぜ一連の捜査報道に「国税庁」というプレイヤーが登場しなかったのか。それが「ナゾ」だ。長期間にわたる巨額の資金の出入りを分析するには、国税の助力が不可欠だろう。なぜそれが「報ぜられなかった」のか。

 もしそれが二段構えの小沢追い落としの布石だとすれば当然のことになる。また、中小ゼネコンの家宅捜索で有力なネタが出なかったわけではないのに不起訴決定をしたとすれば、「6月反攻」の材料とするためかもしれない。(もちろん何もなかったのかもしれないが)

 このシナリオにより民主党は甚大な影響を受けるだろう。去年の検察の仕掛けは結果的には大失敗だった。3月、大久保逮捕によりいったんは成功したかに見えたものの、民主党が代表を小沢から鳩山に代えることにより、逆に民主党の衆院選大勝利を呼び込んでしまった(検察・霞が関が下手を踏んだのは、アホンダラの麻生が解散時期を弄んだことにも起因しているから彼らばかりが「悪い」わけではない)からだ。しかしこの二段構えのシナリオは、参院選までの時間が短いという点で、昨年の「失敗のシナリオ」とは大きく違う。

 このシナリオの弱点は国税庁が財務省の外局であることだ。財務省は他の省庁に比べれば、比較的民主党との関係がよい。つまり具体的作業を検察庁がタッグを申し入れるレベル、時期によっては小沢側に漏れてしまう可能性がたぶんにある。これさえ鉄壁の「霞が関官僚統制」によりクリアできれば、成功の可能性は高い。もし検察が隠したかった「1月31日の事情聴取」が、疑っているように「不起訴-検察人事不介入」の密約で、小沢側が完全に警戒を解いたとしたら、このシナリオの破壊力は相当のものとなるだろう。(2/7/2010)

 きのうトヨタの豊田章男社長が品質問題全体について記者会見を開いた。夜のニュースを見て、さらにけさの朝刊を読みながら5年ほど前に考えたことを思い出した。当時の日記にはこんな風に書いた。「現在絶好調の極にあるトヨタのことが頭に浮かんだ。不幸の中に幸福の原因があり、幸福の中に次なる不幸のタネが胚胎しているとすれば、トヨタにも不調の時が訪れる。常に現状に満足せず終わりなき改善に取り組んでいるあの大トヨタはいったいどんなことに足を取られるのだろうか、これほどの絶好調を暗転させるものはどのような要因なのか、と」。それから1年と経たぬ日の日記にリコールがらみでトヨタの三代にわたる品保部長が書類送検された記事が登場する。その末尾は「絶好調のトヨタの足元にはいくつかの躓きの石が転がっている。案外、トヨタも転ぶときはじつにありきたりなことが原因となるのかもしれぬ」。そしてリーマンショックによりあっという間に赤字に転落した年の暮れにはこんなことを書いた。

 自動車産業の苦境はアメリカのビッグ3に留まらないようだ。先月、今年度の連結業績予想の営業利益が5,500億(68%ダウン)になると発表したトヨタも、きのう、通期で4,200億、下期は赤字になると発表した。短期間にこれほどの落ち込みが発生するとは誰も考えもしなかったことだろう。
・・・(略)・・・
 しかしこれをすべてアメリカ発の金融危機によるものと考えることには疑問符がつく。既に数年くらい前から日本市場では軽自動車へのシフトが始まっていたし、なにより「実感なき好景気」のもとで自動車購買層の財布は傷んできていた。いま世界中はビッグ3の経営者を「驕りの中での長期低落に気づかなかった愚か者」とあざけっているが、じつはトヨタを筆頭とする日本のメーカーも労働力を買いたたくことに熱心なあまり、自らの製品を購入するはずの中流層に報いることをしてこなかったという点でビッグ3の経営者と変わらない愚かさを発揮してきたのだ。景気が好調な時に購買能力と購買意欲を有する豊かな中流層を育てることなしに、自国の市場の安定的発展はないという当たり前のことを彼らは忘れていた。
 自動車産業のトップとそのOBにはいつのまにかビッグ3経営者に通ずる「驕りの心理」が生まれていたような気がする。その一例を記録しておく。先月12日、「厚生労働行政のあり方に関する懇談会」で奥田碩トヨタ自動車相談役はこんな発言をした。「あれだけ厚労省がたたかれるのは、ちょっと異常な話。わたしはマスコミに対して報復でもしてやろうかと思う。たとえばスポンサーを降りるとかね」。
 奥田碩は大トヨタがスポンサー契約をちらつかせれば、マスコミはおろか、人々まで平伏すると思っているらしい。歴史を持ち出すまでもなく「驕りの心理」がチラチラするころには既に衰退の坂をゆっくりと下り始めているものだ。奥田の傲慢な発言はプラス2兆円の営業利益がマイナスに転じようとする現在を予言するものだったのかもしれない。
2008年12月13日

 去年、社長に就任した際、豊田はコリンズの企業凋落五段階説を引いてトヨタはいまその第四段階にいると訓示した。第一段階は成功体験から生まれた自信過剰、第二段階は規律なき規模の追求、第三段階はリスクと危うさの否定、そして第四段階にして救世主にすがるようになり、最終段階は企業の存在価値の消滅にいたる。これが豊田の明確な現実認識なのか、それとも社員に対するショック療法のつもりだったのか、日経ビジネスで記事を読んだ時はいずれとも判じかねたが、どうやら当時の彼はショック療法の意識でそれを語っていたのだと分かった。もしこれが彼の明確な現実認識であったなら、社長が自らこの問題で記者会見に立つのはもっと早かったはずだし、語る内容はもっと焦点を絞った切れ味の鋭いものでなければならなかったからだ。

 トヨタの危機は一般に考えられているよりはもっと深刻なのかもしれない。クレーム情報はこういうフェーズ特有の現象としていささか過剰なくらい出るものだが、トヨタの場合、スポンサーの地位を利用して押さえ込んでいたものがかなりあるはずだから雪印や不二家以上になる可能性も否定できない。

 株価への影響も大きいだろう。保有するトヨタ株はアメリカでの騒動が大きくなり始めた去年暮れのうちに全部(といってもたったの200株にすぎないが)売り払っておいたから、当面の心配はプリウスのブレーキ問題だけでよいけれど。(2/6/2010)

 朝のラジオ、小沢遼子の話が面白かった。小沢はこう言う。「安治川さん、ありゃ作戦がちだね。詰め腹切らされた安治川親方がパッと記者会見して、『貴乃花親方の話に心が動いてしまいました、ご迷惑をかけたので退職しますが、後悔はしてません』なんていわれれば、世論は沸騰するにきまってるじゃないですか、そんなこといわれたら古い親方連中、ぶっ飛んじゃいますよ。ああいう記者会見のやり方があるなんて知らない、前なら闇から闇で辞めさせて、あとになって『安治川、何で辞めさせた?』って言ったって元には戻せなかった。ありゃ、作戦勝ちですよ、たいしたもんだ」。

 なるほど、「辞めるの止めます」という話を聞いた時には、「大変だね親方というのも、辞めることも自由にはできないのかい」と思ったが、そうか、あれは貴乃花の知恵だったのか。やるねぇ。これくらいのゲリラ活動ができなくちゃ、旧態依然たる「組織の改革」はできない。

 そういう風が吹き始めようという時に、安治川の「裏切り」についてインタビューされた伊勢ヶ浜が「うちの安美錦の年寄株を借りている立場でこんなことをして・・・どうしてくれるんだ」などとコメントしていたんだから嗤える。これが「品格」のある親方の発言だとすると、モンゴルから来た青年がついに相撲界における「品格」について理解が及ばなかったのも無理からぬことだったと思う。

 ことのついでに朝青龍の引退について。

 モンゴル相撲には土俵がない。朝青龍についていえば、このことがすべてを象徴しているような気がする。つまり大草原に生まれ育った大陸的な人物にとって、この島国の枠組みの中にチマチマした箱庭を作る「美?」はついに分からなかったのではないか。

 もちろんモンゴル人にもいろいろな人がいるはずだ。クレバーな力士人生を送り、日本に帰化することなく、モンゴルに帰りみごとな転身を遂げた旭鷲山のような人もいるし、郷に入りては郷に従うことをそのまま実践する白鵬のような人もいる。ただ、旭鷲山の例があり、白鵬の例があるからといって、朝青龍もそれらの枠の中に入って当然だし、入らないならそれは本人が悪いのだというのは少しばかり了見が狭いのではないか。

 外国人に限らず、もともと異能の人を評価して使うことは難しいものだ。上司と名がつく肩書があるほどの人ならば誰にでもできるということではない。ましてその異能を土俵のような人工的な枠に収めようというのなら、彼を十分に納得させる、いや、頭で分かるレベルではなく、ちゃんと腑に落ちるくらいに納得させなければならない。まさに心服させるくらいの上司でなくては異能の人は使えないし、活かすことはできない。「うちの安美錦の年寄株を借りている分際で」などというレベルの「品格」しかもちあわせないのが相撲協会の親方のアベレージだとすれば、大陸的な茫洋たる異能を使いこなし従えることなどできるわけがない。(朝青龍への指導が行き届かなかったと批判されている高砂だが、ピント外れといわれるその言動はけっこう「大陸的茫洋さ」を備えていて、「品格」を連発するしか能がない常識的相撲関係者よりは向いていたような気がしないでもない)

 これほど明白なことに気付かなかった相撲協会の首脳、横綱審議会の錚々たる(?)お歴々などは、もともと朝青龍の異能を見るだけの「眼」を持たなかったのではないか。叱りに叱って、最後は詰め腹を切らせた、それは島国根性に凝り固まった彼ら、相撲関係者の無能を露呈しただけのことのように思う。(2/5/2010)

 おとといの「ニュース23」が番組終了間際に速報で伝えた「小沢不起訴」。そのニュースできのうからけさのマスコミは大騒ぎ。他にも「貴乃花親方の理事当選(1日)」に始まる「安治川親方の立浪一門裏切り告白&退職会見(2日)」、「安治川親方退職撤回会見(3日)」、そしてきょう「朝青龍の引退」。これに「トヨタリコール」も加わって、マスコミはもう発情期のネコよろしく大興奮の体。いままでは広告の大スポンサーということで新聞もテレビも「トヨタ・スキャンダル」の報道には怖じ気づいていただけに、その「反動」がどう出るかちょっとした見もの。「大トヨタ、みんなで叩けば、恐くない」か、呵々。

 小沢事件に関して「大本営発表」を吹き込まれた結果、「何がなにやら分からないが小沢は怪しいんだ、だいたい悪人面だよ」というあたりが「国民の常識」として定着した。まずは検察庁および裏から糸引く霞が関の「小沢パージ」作戦の第一段階成功を祝してあげたい。

 特捜部は夕方6時から80分にわたる記者会見を開いたという。「報道ステーション」の古舘伊知郎は「テレビカメラ取材を申し込んだが、従来通りのやり方でとのことで入れませんでした」と言っていた。マスコミはしきりに小沢を「説明責任を果たしていない」と批判するが、検察庁の「説明責任」はどうなっているのか、どの新聞、どのテレビ局がこれを指摘するか、さらには80分にもわたる記者会見の詳細をどの新聞、どのテレビが伝えるか、注意してみておきたいと思うところ。

 ところで今回の一連の捜査の「本丸」は何だったのだろう。どうやら小川を含む秘書三人は政治資金規正法の虚偽記載で起訴されるらしい。秘書三人の罪はそれにとどまるとしても、小沢にかけられた嫌疑はゼネコンなどから不正なカネをもらったということが「本丸」だったのではないか。

 「単なる虚偽記載」が「本丸」であるというなら、わざわざ国会を控えた議員を逮捕するほどのことはない。検察は「虚偽」という供述を得たような印象操作をしているが、「虚偽」か「誤記」かはいずれ裁判の過程で争われるだろう。金額が大きいというが、対象が世田谷の不動産一件だから4億だが、町村のように江別の不動産一件ならば1千万だ。単価が違うというだけのこと。小沢を悪質というなら町村も悪質だし、うっかり誤記したというなら訂正で済むことだ。この手の訂正をしたことがない国会議員はいないだろう。(町村は件の建物の買い戻しで400万近い政治資金をポケットマネーに変えたのだから単なる訂正では済まない、完全な公金の私的流用、税金を払っていないとすれば脱税だ)

 では「本丸」はどこに行ったのだ。マスコミによる大本営発表を額面通り信じるような素朴な人ならばいざ知らず、少なくとも報ぜられることがらを自分の頭の中で組み立て直すぐらいの人ならば、検察がここまでやるからには報ぜられてはいないけれども裏金の収受について動かない証拠があるに違いない、結果的に「・・・ならば、開会を翌週に控えた議員を逮捕するのも当然だね」と納得させるくらいの確証があるからこそのことと信じたろう。

 「本丸」の存在を求めて検察は大手から中小までのゼネコンを十数社、家宅捜査したはずだ。しかしリーク情報は水谷建設の5千万×2だけ。小沢の持つ金は「説明はできないが、とにかく怪しいんだ」というなら、なぜ一連の報道の中に「国税庁」が登場しないのか。国税庁の支援があればゼネコンの裏金についても、小沢自身の資金の収支についても、効果的な「捜査」ができるはずだ。なぜ、その重要なプレイヤーの陰すら見えないのかは「小沢資金」のナゾよりも深いナゾだ。

 閑話休題。

 小沢が第一回目の事情聴取を受けた日、間髪をおかずに開いた記者会見で、小沢は「『被告発人』として聴取するということで黙秘権があると説明されたが、黙秘権は一切行使せずにお答えした」と説明した。そして今週月曜の定例記者会見で、小沢は「昨日、検察の二度目の聴取にお応え致しました」と問われもしないのに説明した。検察から「二度目の聴取はない」というリークを受けてまったく無警戒だったマスコミは二度目の聴取については完全に裏をかかれた。(火曜日の朝刊に「小沢氏が1日明らかにした」と書き添えたのは見た限りでは朝日のみだった。マスコミにとってはなぜか屈辱の事実だったようだ

 小沢はなぜどちらかといえばイメージのよくないことがらを露悪的に公表したのだろうかという疑問が浮かんだ。その疑問を説明できる「仮説」を思いついた。

 ヒントは「二度目の聴取を検察は隠そうとした」ということ。もちろん仮説、それも裏読み的仮説だが、以下のように考えると、これらの疑問は解消される。

一回目の聴取    検察は作成した調書の枠組みで捜査を終了させることで小沢と合意した
二回目の聴取 検察がこれで矛を収めるということを条件に検事総長の人事に政権が関与しないことを小沢が約束した

 検事総長は認証官だ。その人事は「内閣の助言と承認」により決まり天皇が認証する。従来は法務官僚が推薦をして内閣はそのままこれを承認して天皇の認証を受けてきた。しかし民主党を中心とする内閣が法務官僚のあげた人事案に同意せず、検察の民主化を主張して民間から登用するということは可能性としてはあり得る。とくに「国策捜査」の「被害者」が政権に強い影響力を有している現状では検察庁も安閑とはしていられない。

 事情聴取をはねつけていた小沢がそれまでの硬い表情を一変させて角が取れたような表情になり、しきりに「検察当局の公平・公正な捜査に委ねる」と言い始めたことも、この仮説で自然に説明できる。検察が隠したかった二度目の聴取を小沢が積極的に明らかにしたのは、それにより検察庁が財務省化するというシグナルの発信だったのかもしれない。(2/4/2010)

 プリウスのブレーキにクレームが出ているという。朝刊の見出しには「日米104件」とある。

 初代プリウスのブレーキは「カックン・ブレーキ」として知られていた。普通車でいうエンジンブレーキはプリウスでは電車のように回生ブレーキになっている。回生ブレーキは電気エネルギーに変換するわけだから当然非常に強力。強力な回生ブレーキとメカブレーキのどちらを効かせるのかはハイブリッドになってはじめて出てくる問題で、たぶんコンピュータのプログラムが決めている。カックン・ブレーキはそのあたりのチューニングの問題と想像していたけれど、慣れればどうということはなかった。

 新しいプリウスに乗って改善されたなと思ったのは、まずカックン・ブレーキ、そして下り坂から緩い上り坂になった時のアクセルのレスポンスだった。回生ブレーキとメカブレーキの制御調整について相当の改良があったのだろう。そんなイメージがあったので、朝刊を読んだ段階では「ブレーキが1秒ていど効かないことがある」という話もたぶんに感じの問題ではないかと思った。だからトヨタの「ブレーキに対する運転者の感覚的な問題だ」という説明もそんなものかもしれない受け取った。

 しかしその後のニュースでは千葉では現実に追突事故が起きているとのこと。そして運転者は「ブレーキがきかなかった」と言っているというのはかなり重大だ。

 エンジニアは「あれだ」という心当たりがあると、そこで思考停止して、仕組みの分からない素人の言葉を真面目に聞かなくなってしまうことがある。もうひとつ付け加えるとすれば、エンジニアは(というよりは人間一般に共通することだが)新しく獲得した技術に過度に依存したがる「時期」がある。トヨタという自動車屋さんにとってメカ技術は永年磨き上げて身についた技術であるのに対して、ソフトウェアによる制御技術はまだ新しい技術のはず。とくにメカによるチューニングに比べれば、ソフトによるチューニングは洗練された技術に見える。いきおいどうしてもそちらが重要視されて、ベーシックなメカ部分がおろそかになることも可能性としてはありそうな話。

 回生ブレーキ制御のトリガーになる信号はアクセルを緩めることによっているはずで、これはアメリカで大規模なリコールに発生したアクセルペダルの不具合を想像させる。もしアクセルの戻りを検知する部分に欠陥があるとすれば、ブレーキペダル操作の検知処理と競合するなど適切なプログラムへの分岐が遅れたり、選択されるはずのパラメータグループが適切でないなどのこともあり得る。もちろんソフトウェアである以上、純粋にソフト的なバグが潜在している可能性は常にゼロではあり得ない。

 「これだ」という思考停止に陥ることなく、ユーザの言葉に先入観なしに素直に耳をかたむける愚直なエンジニアの姿勢なり、そういう人の声が生きるような社内でなければならない。トヨタという会社が「さすがにトヨタ」と言われるか、「やっぱりトヨタも」と言われるか、思いの外、重大な分かれ道にさしかかっているのかもしれない。

 **(下の息子)はまだ初代プリウスに乗っている。うちの車はいま焦点の最新型プリウスだ。あまり傍観者でもいられないのだが・・・。(2/3/2010)

 起きると物干し場には雪がこんもり。寒いわけだ。まだ本調子ではないし、夜は飲み会だし、等々、やめる理由を三つ四つひねり出して書斎にこもり、夕方までモーツアルトをかけながら、「成金炎上」の続きを読む。

 インターネット環境がある場所での読書はあまりはかどらない。電車の中とか、出先ならば、ひたすら読む以外ないが、近くにPCがあると、人名、事件、・・・、ついついそういうものをネット検索することになる。かつての百科事典の拾い読みと同じで興味を引くものが出てくるたびにあちらこちらと「浮気」をするうちに本の方はお留守になってしまう。

 あいまに株価をみて、為替をみて、売ろうか買おうかなどと雑念が入る。もうあと数十頁というところで出かける時間になってしまった。

§

 買おうと思っていた週刊朝日を買い、立川までの電車の中で読んだ。冒頭に、鈴木宗男、上杉隆、藤本順一の対談が載っている。藤本は建設業界の談合などについて追いかけてきた経験があるからだろう小沢に対して批判的な姿勢、鈴木は「宗男事件」(「疑惑の総合商社」と言われるほどの容疑がありながら、現実には「やまりんからの収賄」のみが「商社の商品」となった)の当事者ゆえ、当然の話だが検察には批判的、上杉は鳩山邦夫の秘書をしていたことがあるので議員対秘書の実情を知った上でやはり検察には批判的だ。

 鈴木の発言中にこんな箇所がある。

 私のときも同様のことがありました。検察が、私の事務所にいた女性秘書を逮捕したのです。当時、彼女は子宮がんの手術後で、放射線治療を受けていました。当然、私は「彼女を巻き込むことだけはやめてくれ」と言い続けていました。検察が、一事務員でしかなかった彼女の逮捕に踏み切ったのは、単に私に不利な供述調書がほしかったという目的からでした。
 逮捕後、彼女は治療も受けられず、1年後にがんが転移して亡くなりました。

 これに対し、藤本はこう応じている。

 あのときは、私も検察の捜査手法に怒りを覚えました。
 もっとも、これは逆もまた真なりで、子どもがいるから、病気だから――といった理由で事情聴取ができないのであれば、かえって捜査の公平性を損なうことになります。

 藤本が「逆も真なり」という言葉を使っているのはおそらく被疑者に対して有利な証言をする人物の事情聴取が妨げられる場合もあるということなのだろうが、それは論理的可能性だけのことに過ぎない。日本の検察がそれほどフェアではない。数々の冤罪事件をみれば、検察に不利な証拠・資料などは、押収であれ、領置であれ、平然と「紛失した」として裁判所を欺いた例に事欠かない。無実を証明する証拠が隠滅されるのだから、被告はたまったものではない。

 もちろん鈴木の女性秘書が逮捕により十分な治療が受けられなかったために亡くなったのかどうかは分からない。しかし検察側にとっては供述調書さえとれたら、件の女性秘書は死んでくれた方がよかったに違いない。なまじ生きていて「あの時は、治療を受けたかったので、心ならずも嘘の供述調書に署名したのです」などと供述を翻されるよりは口のない死人になってくれていれば万々歳、さらには、逮捕までしながら起訴しなかったり、起訴して有罪を勝ち取れずに大恥をかくより、「被疑者死亡」ならば手間もかからず、リスクもなくて済む。件の担当検事はガンで死んでくれたと知って、赤飯でも炊いて大喜びをしたかもしれない。ガン手術直後と鈴木から聞いた上で治療を受けられないようにしたとすれば、見方を変えれば、りっぱな「未必の故意による殺人」だ。・・・とここまで読んだところで立川着。

 帰ってきたのは10時半過ぎ。「報道ステーション」を途中から見て、「ニュース23」、「WBS」といつもの切替パターン。その「ニュース23」のラスト、膳場貴子が「いまはいったニュースです、検察庁は小沢幹事長を不起訴とする方向で最終検討に入ったとのことです」と伝えた。検察庁もおっかなびっくりなのだろう。金丸の時のように看板にペンキをかけられるようなことは二度とごめんだ。しかしリークによる「騒動」造りが効果を上げ過ぎて、その「反動」の恐れなしとしない。ここは、ギリギリのタイミングだが、観測気球として「沈静化のためのリーク」をあげてみようというところか。

 テレビを消して、再び週刊朝日を読む。

 鈴木の発言の冒頭にある「私のときも同様のことがありました」というのは、対談に続いて掲載されている上杉の記事のことを指している。その記事を読むと血が逆流する。

 逮捕されている石川知裕の事務所の女性秘書を押収品の返却があるからと地検に呼び出し、午後1時すぎから10時半すぎまで「任意」の事情聴取を続けたという話。「任意の事情聴取」の意味も分からずパニックになった秘書に対し、担当した民野健治検事(たみのけんじケンジ:ややこしい)は、まず事務所か弁護士に連絡したいという要求を無視し、携帯の電源を切れ(彼女が電源をオフしたのは1時45分の由)と命じ、小沢と石川が共謀していたことを認めろと迫ったとか。上杉の記事は検察官が作文する供述書そっくり。ケンジくんは「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」と言い、「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」、「なんで自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」などと「自白」を迫った。

 要は「小沢と石川が共謀してたという供述書にサインしたら帰れるんだ。事実かどうかなんかどうでもいいじゃないか。サインすれば帰してやるから、早くサインしろよ」と、こういう話らしい。

 これはすべての冤罪事件に共通することだが、知らないことをどのように語ればケンジくんが満足するのか分からないからしゃべりようがない。当惑するまま黙っていると、「あんた、何も言わないのは愚の骨頂だよ」とのたまわったというから、恐れ入谷の鬼子母神。

 あたりが暗くなって、彼女は3歳と5歳の子どもを保育園に迎えに行かねばと思う。7時までに迎えに行かねばと、とりあえず迎えに行かせてくれ、必ず戻ってくるからと言うが、ケンジくんは「そんなに人生、甘くないでしょ」と応ずる始末。上杉はそんな風には書いていないが、ここまで読むと、この民野ケンジくん、仕事を超えて女性を監禁していたぶる快感に浸っていたのではないかと思いたくなる。

 結局、彼女は夫への連絡の許可を取り、子どもの迎えを頼んだ。ケンジくんはすぐに許可した自分のうかつに気付いたに違いない。用件のみを夫に伝えたとしても、夫の方は石川事務所にクレームをつけるはずだ。石川事務所は弁護士に連絡するだろう。事実が露呈してからも弁護士への連絡を取らせなかったとあってはまずい。やっとケンジくんは彼女が弁護士に電話することを許可した。

 弁護士が駆けつけ、押し問答の末に午後10時45分に「監禁」状態から「救出」された。名目であった押収品はひとつも返却されなかったという。まことに卑劣な話で、ここまで特捜が腐っていると思うと胸糞が悪くなる。だが上杉は卑劣なのは特捜部だけではないと書いている。「しかし、もっとも卑劣なのは、こうした人権侵害を知っていて一文字も一秒も報じない新聞・テレビの記者クラブメディアだ」と。

 これでは中国を嗤うことはできない。中国国民は自国に報道の自由がないことを知った上で新聞・テレビに接している。我々はこの国には報道の自由があると思っているが、その報道が規制もされないのに自主規制されたものであることを知らないとしたら、我々は中国国民を嗤いながら中国国民以下の状態にいることになる。

 なにはともあれ、特捜部はここまでやらなければならないほどのところにきている、いや、ここまでやっても不起訴を検討せねばならないところに特捜部は来てしまった。「関係者」による「小沢、不起訴の方向で」というリークは検察が用意したショックアブソーバーなのだろうと推測する理由はこれだ。(2/2/2010)

 夕方のニュース、貴乃花の相撲協会理事当選から朝青龍スキャンダルに変わろうとするところで、きのう東京地検特捜部が小沢一郎を再聴取したというニュースが速報の形で入った。

 特捜部の再聴取を受けたということはどうやら月曜定例記者会見の場で小沢側から伝えられたらしい。先日の「被告発人として調書をとられた」という件を含めて、小沢があえて自分から痛いはずの腹について語るのはなぜなのだろう。(新聞各紙のサイトも夜のテレビニュースも、再聴取の情報は「きょうになって分かった」というようにいっているが、ニュースが報ぜられたタイミングから見る限り、定例記者会見の場で本人から発表があってはじめて知ったようだ。なぜこんなことを取り繕おうとするのか、本当にいまやマスコミはピエロそのものだ)

 検察側も必死なのだろうと思う。逮捕されている石川知裕の拘置期限は、新しい「ネタ」が出てこない限り、今週木曜に切れる。これはいろいろな意味で興味津々。

 興味はまず「検察」だ。地検特捜部はなんとしても石川を起訴しなければならない。「不起訴」ならば当然のこと、「処分保留」などということでも、「翌週、国会が開会されることを承知で『出たとこ勝負』の逮捕をしたのか」と袋叩きにあいかねない。そうはいっても、起訴事案が収支報告書の記載レベルにとどまるていどでは検察としては「敗北」だろう。なんとしても、小沢の「裏金収受」と「脱税」に関わるものでなくてはならない。東京地検特捜部にとってはまさに正念場だ。

 もうひとつの興味はピエロ・マスコミの姿勢。JANJANにこんな記事があった。

 「取り調べの全面可視化を実現する議院連盟」は28日、小沢・民主党幹事長の元秘書・石川知裕衆院議員(=政治資金規正法違反で逮捕・拘留中)を2月9日の総会に招くことを決めた。

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の収支報告書への記載漏れで東京地検特捜部に逮捕された石川議員の拘留期限は2月4日で切れる。石川氏が9日の総会に出席すれば、検察の取り調べと自らの供述内容を明らかにするだろう。

 もし「私は『小沢先生に指示されて○○した』などとは一切供述していません」と石川氏が語れば、これまでのマスコミ報道とは180度違うことになる。

 石川氏の話すことが真実であれば、世論操作を狙った検察のリークであり、メディアはそれを垂れ流していたことが白日の下に晒されることになる。検察に対する世論は厳しくなるだろう。マスコミはいつものごとく頬被りを決め込むはずだ。

 その徴候は既に出ている。小沢の事情聴取前までは「関係者によると・・・」であった枕詞が、ここ数日は「関係者への取材によると・・・」へ微妙に変わっているのに気付く。「リーク」、「リーク」といわれはじめたことへの「対策」なのかもしれないが、取材する記者の主体性の「香り」を差し挟むようになったところが嗤える。彼らはおそらくこういいたいのだろう。「検察『関係者』がしゃべってくれているわけではありません、我々記者が独自の取材で得た(嘘をつけ!!)材料を検察『関係者』にぶつけてその反応を見て記事にしているのです」と。

 記者会見における彼らの質問を見聞きする限り、いまの記者の大半は、単一のシナリオ、単一の仮定、単一の見方しかもっていないということがよく分かる。複数の相矛盾する材試料に対する、複数のシナリオ、複数の可能性を、押したり引いたりしながら面的な広がりをもったアプローチをしているとはとても思えない、子どものような一問一答ばかりだ。

 ・・・「石川容疑者は小沢さんには報告しているといってるんですか?」、「どうかな、それに近いかもしれないね」、(よしっ、「・・・石川容疑者は小沢先生も知っていると供述」っと)、「おいおい、それだけでいいのかね」、「っと申しますと、他にも何か?」、「ああ、時々涙を流しているよ」、(よしっ、「・・・涙ながらに供述」だな)・・・、まさかこれほどひどくはあるまいが、「今日は暑いのか、涼しいのか、どっちですかね?」と先輩記者に尋ねて、「バカヤロー、外に出てみろ」と怒鳴られた新人記者がいるという(柳田邦男が紹介していたエピソード)ご時世だもの、当たらずとも遠からずだろう。

 閑話休題。

 そうはいっても、名にし負う特捜部のことだ、きっととっておきのネタで我々をあっと言わせてくれるに違いない。

 ただ心配なのは特捜部長を務める佐久間達哉検事の「打率」があまり芳しくないことだ。きのうも書いた長銀粉飾決算事件、彼はその主任検事を務めていたそうだが、最高裁で逆転「無罪」になってしまった。長い特捜の歴史でも「完全無罪」(つまり「完敗」ということ)は前例がないらしい。福島県汚職事件、彼は副部長として一線の指揮をとったというが、なんと前代未聞の賄賂金額「ゼロ円」認定を「勝ちとる(負けとる?)」など上級審にゆくにしたがって限りなく「シロ」に近づきつつある。最近では庁内でも「さすがに『赤レンガ系』の検事さんは違うものだ」と揶揄されたりなどしているらしい。

 しかし佐久間くん、気にすることはない。要するに参院選までのあいだ、民主党にマイナスイメージをもたせれば、あとの公判で無罪になろうがどうしようが、君の法務官僚としてのミッションは果たせるのだから。ガンバレ、佐久間くん、虚匠・検察官といわれるその日まで。(2/1/2010)

 **(家内)とリハウス主催の確定申告セミナーを受講。去年も受講したのだが、引き渡し前でどこか身につかないところがあった。

 我が家の場合は建て替えなどもしているから、減価償却費を見込んでも、たぶん譲渡損が出ているはずだが、買い換えでない場合の譲渡損失申告は売却したマイホームにローンの残債があることが条件になるとのこと。がっかり。

 去年同様、住友ビルの旭鮨で昼食をとって、池袋で**(家内)と別れてイワキへ。折れたつるの修理、ロウ付けは難しいということで交換。片方だけピカピカというのもナンなので両方の交換で依頼。3万ちょっとになるとのこと。かけ慣れたダンヒルのフレーム、仕方がない、不注意が高くついてしまった。

 夕方、AMAZONから佐藤栄佐久の「知事抹殺」が届いた。届いたものは第三刷り。初版発行時点では出ていなかった第二審の判決について、あとがきの末尾に「追記」として出ている。第二審判決は、第一審判決よりもさらに「ディスカウント」されたものになっている。書き写しておく。

追記 二〇〇九年一〇月一四日、東京高裁(若原正樹裁判長)はふたたび有罪判決を言い渡した。しかし刑を軽減し、私を懲役二年・執行猶予四年、祐二を懲役二年・執行猶予四年とした。驚くべきは、賄賂の金額をゼロと認定した前例のない認定である。しかし「換金の利益」(売れない土地を買ってもらった)があったとし、収賄罪自体は成立させた。特に私について「利益を得る認識がない」とまでこの判決は言及し、一審よりも強く「実質無罪」を示唆している。
 しかし、地元紙が発行した号外の見出しは、黒々と大きく「前知事二審も有罪」である。これこそが、いろいろな枝葉を落とした後に、世に残る事実だ。とうてい是認できない。
 私は最高裁に上告し、同時に坂本晃一元土木部長を、一審での偽証と談合の罪で告発した。
 あと一歩で真実に到達する。そう信じている。

 二審の若原正樹裁判長は服役中の水谷建設元会長・水谷功(「知事抹殺」には元副社長となっている)の証人申請を却下していた。しかし、判決で賄賂の金額は「ゼロ円」と認定した(だから一審判決にあった追徴金はなくなっている)ということは、検察が「執行猶予」をちらつかせるなど「苦労」してでっち上げた水谷建設の贈賄額1億7千万円(検察が組み立てた、この「事件」の贈収賄の構造はかなりトリッキーなものなので、贈賄額は上限8億7千万までの間のどこにでも「設定」できる)は、証言を聞く必要もなく、否定されたということだ。

 賄賂がゼロ円ならば被告人は少なくとも収賄罪については無罪というのが一般市民の「常識」だ。検察が赤恥をかかないように裁判官も苦労したようだ。その苦労が、「カネによる賄賂はなかったけれど、知事の弟が、売れない土地を買ってもらったことが賄賂だった」という曲芸のような理屈。

 佐藤も書いているが、もし、これが裁判員裁判だったとしたならば、このアクロバティックな理屈に市民裁判員が同意して「有罪」と判断したかどうか。プロの裁判官には東京地検特捜部のメンツを立てる動機はあるが、アマチュアの裁判員にはそんな気持ちが働くはずはない。裁判員裁判の対象を「凶悪事件」に限定したのはいわゆる「国策捜査事案」の「暗黒裁判」を温存したかったからかもしれぬ。

 佐藤栄佐久知事というのは少しエキセントリックなところのある人物だと、その昔、まだ「現役」だった頃に聞いたことがある。だから彼の「事件」もその延長にあるように思っていた。だが、佐藤の言い分を聞いてみようじゃないか、そういう気分になる。

 それにしても、特捜部のメンツを重くみている裁判長ですら、証言を聞くまでもなく阻却した「水谷建設の賄賂」・・・。狼少年の「供述」の信頼性などこのていどのものとすれば、ここひと月、バカ騒ぎをしてきたマスコミもそろそろ検察リークだけに頼らずにまともな取材活動をした方がいいんじゃないかと忠告したくなる。いい加減に手抜き取材をやめろよ、プロなら恥を知れ・・・と。

 マスコミさんとそれを真に受けているおバカな大衆は、おととし、あの長銀幹部が最高裁で無罪になったときのことをもう忘れたのだろうか。あれこそ「数兆円の血税がむざむざ禿げたかファンドにふんだくられた」ことに対する「ガス抜き」のために仕組まれた起訴だった。長銀の「粉飾決算」を犯罪とするなら当時の大手銀行は軒並み同様の「粉飾決算」を行っていた。長銀のみに不正があったわけではない。仮にそれに眼をつむるとしても、検察が起訴したのは経営破綻の元凶といわれた杉浦某前頭取ではなく、その杉浦の後始末をしていた人々だった。やぶにらみもいいところ。しかしマスコミはこの件が立件された時には大騒ぎをした、「やっと日本も経営幹部の責任を問えるようになった」と。片一方に大穴が空いていることに、マスコミ関係者諸兄は気付いていたのかどうか。

 誰が、いかなる理由で、「国策捜査」のターゲットを決めているのかは分からない。しかしそのターゲットに選ばれたならば、検察は持てる権力のすべてを行使する、ただターゲットを「罪」に落とすために。必要ならばターゲット周辺の人物に「偽証」させることも辞さない。偽証を強いられた人で誠実な人は、時に、自殺する。同時に検察は確認された情報か未確認の情報かを問わず、いい加減な情報まで取り混ぜてマスコミにリークする。大衆化し、サラリーマン化したニュース記者はデスクワークでその材料を使って面白可笑しく記事を書き、そこからは先は「バカとアホウの絡み合い」のような「ワイドショー」が盛り上げる。ターゲットたる被害者は「大衆の敵、ナンバーワン」として轟々たる非難の的となる。仮に最終的に裁判結果により救われることがあったとしても被害者はもう公人としてのすべてを失う。

 旧ソ連、現中国ならば、おおかたの人は「人民の敵」と指弾される人物が相応の人と知っており、歴史がいずれ名誉回復すると信じている。しかしこの国の「国策捜査」の被害者にはそういうチャンスはほとんどない。旧ソ連や現中国の体制の方がよほどましに思えてくる。

 小沢に対する「容疑」で現在明らかなことは、資金管理団体が不動産を購入したことと、それに関わる政治資金収支報告書の日付記載が事実と違っていることだけだ。おとといあたりからネットに流布している情報がある。自民党の町村信孝もまったく同じことをやっているという話。ソースは「日刊ゲンダイ」の記事らしい。

見出し:アンタが言えた義理か
 予算ホッタラカシで鳩山献金、小沢問題の追及に血道を上げる野党・自民党。利権とカネまみれだった過去を棚に上げ、久しぶりの晴れ舞台とばかり国会でエラソーに話す姿にはウンザリだ。なかでも見逃せないのは町村信孝・元官房長官だ。
 「小沢幹事長に、政治倫理審査会や予算委に出て説明をするように勧めるべきだ」。25日の衆院予算委で鳩山首相にこう迫った町村。前日のテレビ番組でも、小沢の資金管理団体「陸山会」による不動産取得について「自分のお金で、自分の名前で登記すればいいんですよ。何で政治資金団体というものをわざわざ通すのか」なんてシタリ顔だった。
 ところがだ。この男、自分も小沢と"同じこと"をやっているのだ。町村が代表を務める資金管理団体「信友会」は01年、北海道江別市の不動産(建物)を1000万円で取得。登記上の所有者は町村にした。しかし、収支報告書をみると、この建物は01年12月の新築なのに、取得の時期がズレている。さらに、この物件は07年に町村本人に600万円で売却されているのである。
 「収支報告書を読む限り、町村は1000万円の政治資金で自分名義の建物を新築。その後、400万円安く"買い戻した"と見られてもおかしくはありません」(政界関係者)
 町村事務所は「建物は運転手の事務所に使っていた。07年の改正政治資金規正法で、政治団体が不動産を持てないと分かり売却した。売却価格が下がったのは減価償却した」と説明している。
 「信友会」はほかにも、政治資金で東京・六本木の高級会員制クラブ「ヒルズクラブ」の年会費(25万円)などを払っている。「何で政治資金団体というものをわざわざ通すのか」という言葉。ソックリお返ししたい。

 政治資金1000万を使って建物を建て、6年後に600万で自分に転売するのはいくら何でも図々しい話。町村事務所は「減価償却した」と称しているそうだが、けさ習ったばかりの知識で計算すると、減価償却費は仮に木造の建物でもフルフル6年で167万、鉄筋コンクリート造りならば81万にしかならない。400万も下げて自己転売したとなれば「税務署」から「お調べ」があってもおかしくない。

 同じ「犯行」に対して、かたや秘書をはじめ3人の逮捕、かたや口をぬぐって「エラソーに追求」というのでは「法の下の平等」は恥ずかしそうにどこかに隠れていなければなるまい。これぞ、恣意的捜査、これぞ、国策捜査と指摘されても、検察庁は返す言葉はなかろう。

 どこまでも官僚に踊らされるバカども・・・。仕方あるまい、忌々しいが、これも我が隣人たちなのだ。(1/31/2010)

 九州旅行以来、風邪がセットになってしまった。運転のこともあって、帰宅までは気が張っていたのかもしれない。咳がひどい。疲れがどっと出たような感じで早々に床についた。

 熱が出たとき特有の夢。解けそうで解けない問題がぐるぐると回る。20、30分おきに目が覚める。それでもトータル10時間ほど寝て、少し楽になった。

 枕元のラジオをつけると、永六輔の土曜ワイド、小林啓子が出ていた。そう、「啓子と歌おう」という番組があった。「もぎたてのリンゴをかじったこともあるし・・・」という歌詞の曲で始まる番組だった。もう記憶の霧の彼方だが、**が結婚してガールフレンドゼロになった頃だったと思う。

 ラジオから流れてくる透明感のある歌声を聞きながら、こんな子がいたらイッパツだよなと思ったものだった。もっとも、こちらは背丈はふつう、取り立ててこれというもののない眼鏡男。そのくせ、こんなことを口にだす子はダメで、そんな雰囲気のある子がいいというが望みなのだから、これはほとんど適うはずのないことだったのだが。

 検索をしたら、谷川俊太郎の詞、小室等の曲だった。

あげます
もぎたてのりんごをかじったこともあるし
海に向かってひとりで歌ったこともある
スパゲティ食べておしゃべりもしたし
大きな赤い風船ふくらませたこともある
あたなを好きとささやいて そして
しょっぱい涙の味ももう知っている
そんな私のくちびる
いま はじめて あなたにあげます
世界中が声をひそめる この夜に

 谷川俊太郎らしいといえば、谷川らしい。とくに「世界中が声をひそめる・・・この夜に」というところは秀逸だ。

 早々と死んでしまった**が言ってた、「**は・・・ロマンチスト、だな」。その通りだよ、還暦を過ぎても、こういう歌が嫌いじゃないのだから。(1/30/2010)

 予報は曇だが薄日が差している。この4日間、結局、事前の予報ほど天気は悪くなかった。9時半過ぎにチェックアウト。ニッポンレンタには10時半過ぎに到着。全走行距離、300キロ弱。

 出発便までにはかなり時間があるが、だからといってどこかに出かけるほどの時間はない。**(家内)はもう買い物もないはずなのに空港内の売店を偵察に行った。空港でメモをもとに日記を補足。どうも風邪を引いているらしい。もう運転はない。あとは帰るだけ。

 しかし、ふたりで、沖縄往復+リゾートホテルに朝夕食付きで3泊+レンタカー4日間・満タン返し不要+水族館など代表的施設の無料入場券、それで10万円でおつりがくる(少し気を許して部屋のアップグレードをしたから超えてしまったけれど)のだから、少しばかり申し訳なくなってくる。

 沖縄、いいけれど、来るとしたらこの時期以外ない・・・、珍しく**(家内)と意見が一致。この季節でさえ、ちょっと蒸すような気がする。ふたりとも高温・多湿は苦手。でも食わず嫌いをあらためて、シュノーケルつけて泳ぐくらいはトライしてもいいかもしれない。また来よう。(1/29/2010)

 予報では午前中が曇、午後は雨。降り出さないうちにと、まず大宜味村に向かう。曇どころか日が射している。海がきれいだ。「晴れ女」を自称する**(家内)は自慢タラタラ。

 喜如嘉にある「芭蕉布会館」へ。受付のおばさんに声をかける、「観覧、お願いします」、「どうぞ」、「あの入館料は?」、「無料です」、「あっ、ありがとうございます」、・・・無料と聞くと感激してしまうのはなぜだろう・・・、「どちらからですか」、「埼玉です」、「そうですか、・・・(やや間があって)・・・芭蕉布製作のビデオ、ご覧になりますか」、「できましたら、お願いします」。

 栽培から糸造り、織り上げまで半年以上もの手間のかかるもの。見ていると、お茶を出してくれた。すぐあとから車いすの女性を連れた老夫婦が訪れて合流。ビデオは15分ほど。終わってから、2階の作業所を見せていただく。7名ほどの女性が糸の巻き上げやら、機織りをしていた。機織りをしている女性はどう見てもまだ20代。こんな地味な仕事をめざす若い人がいるんだ・・・と思うだけで、涙。

 予報よりははるかにいい天気の中を「美ら海水族館」をめざす。今帰仁村(「ナキジンソン」、これは読めないね)のそこここには緋寒桜が咲いていた。水族館についてお昼をすませた頃に予報通り雨が降り出した。圧倒される大きさの「水槽」。使用されているアクリル材はモンスター級。

 ますます強く降る中を金武町にある酒屋さんへ。所有している鍾乳洞で泡盛の熟成をしている由。応対をしてくれた女性、どこかで見たようなと思ったら、トレースにいた**さんにそっくり。彼女も上京せずにこうして故郷にいればよほど幸せだったろうに・・・などと、要らぬ想像をしながらホテルに戻ってきた。(1/28/2010)

 ゆっくり起きて、午前中はラウンジで読書。持参した山岡淳一郎の「成金炎上」が面白い。

 午後、プライベートビーチの桟橋から出る船で小一時間のクルージング。エンジンで湾口あたりまで出てから帆を張り帆走する。よく晴れ上がって暖かく、海風が心地よい。波・うねりともにほどほど、船体は双胴になっているせいもあって、揺れは少なく快適。万座毛の先の外海を周回して湾内に戻るだけなのだが、**(家内)は大満足。

 クルージングの時間にあわせたため、近場ということにして「ビオスの丘」へ。亜熱帯の雰囲気、乗り物は船で水路をまわるか、カネーをこぐか、せいぜい水牛の引く車で園内をまわるか、それくらいだが、時間がゆっくり流れている感じでいい味の施設。孫ができたら一緒に来たいところだ。

 喉が少しヒリヒリ。気管支炎の予感。眼鏡を落としてつるが折れた。運転用の眼鏡では読書が辛い。(1/27/2010)

 8時半過ぎに家を出る。11時30分のANA127便。富士山がくっきりと見え、**(家内)は感激の体。ジェット気流がきつく予定より20分ほど延着、14時40分。多少雲はあるものの晴。空港近くのニッポンレンタカー、車種は残念ながらトヨタのラクティス。混み合う時間帯で出発は4時少し前。

 **(家内)の希望でひめゆりの塔へ。門前で献花用の花を売っている。塔の前で写真などを撮っていると、若いお兄ちゃんの一団が来た。成人式の会場で騒ぎそうな連中・・・と思ったのは偏見。二人ほど、花を手にしている。碑の前に並んで記念写真を・・・一人がその花を口にくわえた。らしいおふざけとはいえ、神妙に献花する心がけに、思わず、「いい奴じゃないか」と。

 平和祈念資料館の展示を見る。最近はダメ。「まだ、はたちにもならずして・・・」、そう思うだけで涙が出てくる。当時の沖縄の人々は「二級国民」だった。まだ十代だった彼女たちにその意識はなかったと思うが、一定年齢から上の大人たちの多くはそういう空気を知っていた。だから、彼らは「立派に行動して、自分たちが日本国民であることを示したい」と思っていた。それはちょうど第二次大戦時イタリア戦線で活躍した日系二世部隊の心理に通ずるものがある。

 しかし沖縄の人々が「友軍」と呼んだ我が「皇軍」の「心理」は違っていた。沖縄は本土決戦のためにできる限り時間を稼ぎ、できる限り米軍を損耗させる場所だった。「勝つ」ことはもちろん民間人とその生活を防衛することなど、最初から目的ではなかった。中将・牛島と参謀長・長の合作になる最後の命令は「最期マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」だった。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ」というブログがあった。遮眼帯をつけて走れば、どこまでも行けるという好例のようなブログだと記憶しているが、そのブログ主はこの電報を打った「皇軍」将校の心理を誤解している。「二級国民でありながら、なかなかやるじゃないか」というのが皇軍将校の評価だった。だから彼はこれに続けて「県民ニ対シ後世格別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と書いたのだ。

 件の将校が期待した「格別ノ御高配」はどのようになされたか。昭和天皇は「沖縄と二級国民をアメリカに売ること」によって沖縄の人々に報いた。その結果として、沖縄はいまもアメリカ軍基地の海の中にある。昭和天皇はついに「沖縄県」を「行幸」先に選ぶことはなかった。よほど後ろめたい「心理」があったからに違いない。(1/26/2010)

 あしたから沖縄。出かける前になんとかホームページの更新をと思い、ちょっと頑張るうちに日が変わってしまった。できれば以下の記事もアップしたいと思ったのだが果たせなかった。

 土曜日、「ちょっと不思議な話」と書いた件。小沢の事情聴取が「被告発人」という耳慣れぬ前置きで始まった件に関連しそうな記事が、金曜日の朝刊に載っていたのをきのうになって見つけた。

見出し:「小沢氏も共犯」市民団体告発状 虚偽記載容疑
 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が土地の購入原資4億円を政治資金収支報告書に記載しなかった事件で、東京都内の市民団体が21日、小沢氏と秘書らに対する政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑などでの告発状を、東京地検に提出した。[一連の事件で]逮捕された秘書らの共犯として小沢氏本人が告発されたのは初めて。
 この団体は、行政書士や元新聞記者らからなる「真実を求める会」。[告発状は、陸山会が土地を購入したのに収支報告書に記載しなかったり、虚偽の記入をしたりしたと指摘。「小沢氏は、政治団体の代表者という立場で本件を首謀し、秘書らを通じて主導した」としている。

[ ]をつけて下線を引いた部分はネット掲載時の記事にある部分

 検察側の舞台裏が見えるような話。さらにこの記事には「検察がこれを受理したかどうか」が書かれていない。

 それにしても事情聴取の二日前というのはいかにもドタバタの印象。通常検察庁は市民団体の告発などには敏速に反応することはない。それが聴取日のわずか二日前に提出されたたった一件の「告発状」を理由として「被告発人」として「調書」をとる話にしたというのはずいぶん不自然といえば不自然な話。

 それとも、今後の検察は市民からの告発状があれば、誰に対するどんな内容であっても迅速に受理し、「被告発人」に黙秘権を継げた上でビシビシと調書を取るよう方針を変えたのかしら。

 小沢がわざわざ「被告発人として聴取された」と明かしたことも釈然としないが、検察が「調書」の形式を残すことにこだわったということもまた腑に落ちない。「ああ、そういうことだったのか」と分かるのはいつ頃になるのだろう。(1/25/2010)

 急に佐藤栄佐久の「知事抹殺」が読みたくなって池袋まで出た。リブロにもジュンク堂にもない。新宿にまわって、紀伊国屋新宿南店、本店、ジュンク堂を探すがない。ジュンク堂の端末によるときのう閉店時2点在庫だったが、僅少のため店員に聞けとコメント。こうなると、ほとんど意地モード。お茶の水にまわって三省堂、書泉、・・・ない。AMAZONを使うようになってから、足を棒にして本を探すことはなかった。たった一冊の本を探して歩き回る、時間をかける、懐かしい感覚。悪いものではない。しかし疲労困憊。

 なぜ「知事抹殺」が読みたくなったか。福島県知事だった佐藤栄佐久に賄賂を送ったと証言していた水谷建設元会長の水谷功が、佐藤の控訴審の審理が進む中で「土地購入は受注の見返りだとした自分検察調書と法廷での証言は虚偽だった」と言い始め、さらには「土地取引は自分が儲けようとしてやったこと、贈賄行為などなかった。知事は無関係で収賄容疑は濡れ衣だ」、「なぜ虚偽の証言をしたかというと、自分の脱税事件で実刑にならないために検察に乗せられたから」・・・、などと検察にとっては爆弾発言を次々と繰り出した。

 贈収賄罪の時効は面白い仕掛けになっている。表裏をなす犯罪でありながら時効の年限が違う。収賄罪の時効は5年であるが、贈賄罪の時効は2年なのだ。福島県汚職では贈賄側の時効は成立しており、検察側はそれを「利用(悪用か?)」してゼネコン関係者から都合のいい調書をとりまくったという。その検察の「悪行」が水谷の告白で暴露することになった。検察との取引にもかかわらず実刑を食らい、かつての建設業界のタニマチ、政商として一目置かれていた立場を失った水谷がこの期に及んで嘘をつくことはなかろう。

 水谷建設が小沢に5千万円ずつ2回、1億を渡したという検察リークが信じられるかどうか、「被害者」佐藤栄佐久がどう書いているか、急に読みたくなったのはこういう理由。(1/24/2010)

 同期会の下見。川越駅、10時半集合。去年の朝ドラ「つばさ」の舞台に取り上げてもらっても、やはり地味な街。蔵造り通りだけでは時間がもたないのではという懸念があって、スタート時はもう一案の「都内で、はとバス利用案」も有力だった。しかし「いも膳」で昼食をとるや一気に「川越案」に収束。プレ会場の「いも膳」はその場で仮予約。その足で駅前に向かい、夜のメイン会場も仮予約終了。

§

 小沢一郎に東京地検特捜部が任意の事情聴取。いまや検察のスポークスマンに徹しているマスコミ報道によると、聴取はきのう札幌からとんぼ返りした後に宿泊したホテルニューオータニで午後2時から6時半ごろまで事情聴取を受けた。そして続けて8時すぎから記者会見を開いた。あれほど大騒ぎをしたテレビ各局で中継を組んだ局はNHKも含めて一局もなかった。

 やはり「検察関係者」というフィルターを通した後でないとなにもできないのかと嗤いながら、いちばん早くその手のニュースを取り扱うTBSの「ニュースキャスター」を見た。(この枠は一年ほど前まで福留功男がメインを務める「ブロードキャスター」だった。それがビートたけしをメインに据えてからは、ほとんど見なくなった。見かけの視聴率に振り回されて自局のアイデンティティを見失い、ますます長期低落の道をまっしぐらに進んでいるTBSを象徴するような「くだらない時間帯」になってしまった)

 ちょっと不思議な話がある。小沢は「『被告発人』として聴取するということで黙秘権があると説明されたが、黙秘権は一切行使せずにお答えした」ということ。疑問はふたつ。ひとつめ、「被告発人」という言葉は法律のプロにとってはポピュラーな言葉なのだろうかということ。ふたつめ、なぜ小沢はそのことを記者会見でオープンにしたのだろうかということ。どこかスッと腑に落ちない話だ。(1/23/2010)

 **(家内)と日比谷マリンビルでヒルトン系滞在型リゾートクラブの説明を聞く。オワフ島ないしはハワイ島にリゾートコンドミニアムを「週単位で所有」する話。会員になるとヒルトングループのリゾートコンドミニアム(主にアメリカ、それにカナダ、メキシコ、スコットランド、ポルトガルがある由)も利用可能とのこと。

 最低クラスの1LDKを隔年利用かつ一週間ならば1万6千ドルちょっと。これに税金その他の年間経費が750ドル。滞在型には魅力があるもののハワイだの、ラスベガスだの、フロリダではね。たとえばこれがサン=ミシェルド=ド=モンテーニュ村だとか、それはいささかマニアックな夢だとしても、パリ市中のアパルトマンだとかいうなら検討のしがいもあるが、最悪の「帝国」の俗悪極まるソドムやゴモラにどんな魅力があるというのか。

 不動産としてみたとしても、マンションの区分所有をさらにタイムシェアによる52分の1(隔年利用ならば104分の1)の「区分所有」では財産価値などはない。さらに、この時期、アメリカの不動産価値はさらに下がる状況にあると考えるのが妥当とすれば背景は見え透いているといってもいいだろう。

 一応のお話は聞いた上で「謝礼」の商品券をいただく。ちょうどハワード・ジンの「民衆のアメリカ史」が買えるくらいの額。これだけのプロモーション費用をかけてもペイするというのも逆に恐い。

 コアビルの地下でしゃぶしゃぶランチの後、野間記念館で「富士川古谿荘と野間コレクション」を見る。大観の「霊峰」がよかった。紀伊国屋へまわる気にはなれなかったので、リブロで山岡淳一郎の「田中角栄・封じられた資源戦略」などを買って帰宅。

§

 夜のニュースで足利事件再審第5回公判の様子がオンエアされた。菅家利和は彼を取り調べた元検事・森川大司(現在は公証人をしている由)に謝罪を求めたという。森川は「当時、主任検事として全証拠を検討した結果、菅家さんが足利事件の犯人と判断し、起訴、公判に臨みました。ただ今回新たなDNA型鑑定で犯人でないことが判明したとうかがって、非常に深刻に受け止めています」と答えた由。

 17年半、獄につながれた菅家の気持ちは察するにあまりあるが、森川に謝罪を求めることはちょっと違うだろうと思う。科学的な鑑定結果が一方にあれば、よほどの矛盾がなければそれを信じてしまうのがいま我々が生きている時代の特徴だ。森川の立場に立たされれば、おそらく千人が千人すべて菅家の有罪を信じるのではないか。奇抜な仮定だが、菅家が森川の立場であれば、やはり有罪を信じて公判に臨んだと思う。

 足利事件の問題は「無理だ」という科警研の向山明孝を騙すようにして、試料になり得ない布きれの「DNA型鑑定」を強いた当時の栃木県警幹部と県警の科捜研の福島康敏、多少知能に劣る菅家に眼をつけ、違法ギリギリの「捜査」を行った、巡査部長・寺崎耕、捜査一課班長・橋本文夫、彼らこそ、この冤罪事件の「真犯人」だ。菅家は彼らに謝罪を求めるべきなのだ。寺崎は警視に出世したそうだ。橋本は署長まで勤め上げて年金生活に入っているという。DNA型鑑定に関わった人間とそれを強く主張して検察官を誤導した連中を法廷に引きずり出して、経緯を説明させ、反省させ、自分が座っているぬくぬくした座布団の下に呻吟する者の辛さを思い知らせることが必要だろう。どうだろう、彼らを菅家が刑務所にしたのと同じ17年半、獄につなげるというのは。それくらいのことがなければ、思い上がった警察・検察関係者が真剣に職務に取り組むという風土は作れないのではないか。(1/22/2010)

 トップニュースはきょうもきょうとて「政治とカネ」。確たる話も碌々なくて、よくもまあ、これだけの「空騒ぎ」が連日できるものだ。

 衆議院予算委員会での自民党総裁・谷垣禎一の質問は持ち時間の3分の2をこのテーマに使った。夜のニュースは谷垣の質問を「突っ込み不足」と断じていた。週刊紙ネタとマスコミ報道だけで質問をする以上、あとはどれくらい皮肉をきかせるかだけが勝負になってしまうのは理の当然。もっとも谷垣を難ずるマスコミも、政治とカネでは検察情報に依存し、その他の問題では官僚組織から垂れ流される資料を仕立て直しだけで、いかにもちゃんとした取材をしていますとすまし顔をしているだけ、よくもまあ谷垣の非力を嗤えるものだよ。(朝刊7面の記事、あれはなんだ。財務省あたりの表の資料を裏の資料をスパイスにして味を整えただけじゃないのか、天下の朝日も堕ちたものだ。あれじゃ、御用新聞ウケウリや三流軽薄新聞サンケイなみじゃないか)

 それにしても鳩山は真面目すぎる。小泉の言い方でも真似て、「人生いろいろ、親子もいろいろ。既に上申書を出している通りで、それに付け加えることも訂正することもありません。かつて小泉さんが『人生いろいろ、会社もいろいろ』と答弁した時、自民党の方は例外なくそれで納得されましたよね。谷垣さんはあの小泉総理の答弁を了とされたのでしょう、違いますか?」とでも答えればそれでよかった。

 真面目なのは総理だけに限らない。原口総務相は「『関係者』という報道は、検察、被疑者どちらの関係者か分からない。少なくともそこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」という発言について、自民党などから批判されるやいなや、「放送内容に介入する意図はなかった」と釈明したそうだが、こんなもの、「申し上げた通りに理解していただきたい。それでもとおっしゃるならば、『電波を使って』というところは『客観的報道を心がける報道機関としては』とでも修正しましょうか」といえば、それで済むことだ。

 総じて民主党の「関係者」はバカ真面目過ぎる。小泉が生真面目に正面から答弁したことはいったいどれくらいあったか。そんな自民党さんに真っ当な答弁をするのは失礼というもの。「小泉劇場」の芝居に歓呼して「ジュンちゃ~ん」などと黄色い声を上げていたバカどもを誑かすには真面目は不要だ。

 ところで原口の発言は電波の所管大臣として不適切だという批判が持ち上がっている。ニュースソースの秘匿は当然のことだが、そのソースにどういうバイアスがかかっているかということを明らかにしないとしたら、りっぱな欠陥報道であることはいうまでもない。そういうあたりまえのことくらいは押さえた上での批判がないのはどうしてだ。(きのうかおとといのこと、NHKのニュースを見ていたら、「近日中に検察の事情聴取に応ずるとしていることが、小沢氏周辺の関係者の話で分かりました」と言い、しばらくあって続いて、「なお小沢氏の妻に対しても事情聴取する方針であることが、関係者の話で分かりました」と言った。思わず吹き出してしまった。「関係者」になんの修飾語もつかない場合は「検察周辺の関係者によるリーク」ということらしい、なるほど、それなりに苦心の表現をしているらしい)

 NHKニュースの恣意性について書いたついでにもうひとつ。今晩7時のニュース。まず「小沢の資金管理団体の土地購入問題」を報じた後、「取り調べ可視化法案」についての民主党内の動きを「小沢事件」がらみと決めつけて報じた。そしてまったく別のニュースを2件挟んでから足利事件の再審第4回公判のニュースへと話題を転じた。足利事件再審公判のきょうのメインテーマは森川大司元宇都宮地検検事が菅家利和被疑者を取り調べた際の録音テープの再生だった。

 なにゆえ「取り調べの可視化」が必要か「サルでも分かる」例があるという日に、わざわざ他のニュースを挟むような構成とする理由はなんだったのだろう。どうやら、どんな材料でも「小沢叩き」、「民主党叩き」だけに利用し、視聴者の判断力を奪いたい特別の事情が、いまのNHK、いや、マスコミにはあるらしい。噂に聞く北朝鮮の「マスコミ」はかくのようなものかもしれぬと、独り嗤い。(1/21/2010)

 このタイミングで小沢が事情聴取に応じた件が気になる。いまになって小沢が聴取に応じたのを「秘書の逮捕などに耐えかねて」と思うのは間違いなのかもしれない。検察の圧力は最初から覚悟のことだったろう。小沢は通常国会の開会を待っていたのではないか。当然、不逮捕特権が絡んでいる。

 1992年8月22日、朝日新聞は佐川急便元社長・渡辺広康から5億円のヤミ献金が自民党副総裁・金丸信に渡されていると報じた。金丸は当初否定するも、27日に記者会見を開き、受領を認め、副総裁を辞任する。東京地検は、9月12日、事情聴取のため出頭を要請するが金丸はこれを拒否し、23日に上申書を提出、28日地検は略式起訴して終結させた。検察庁の看板にペンキがかけられたのはこの頃。

 世論の予想外の反発にうろたえた当時の検察にとって幸いだったのは東京国税局が前年91年の暮れに亡くなった妻・悦子から金丸への遺産の相続について調査を進めていたこと。

 金丸は翌年になって再び事情聴取を求められた。3月6日、金丸は元第一公設秘書・生原正久ともどもこれに応じた。当日、金丸は単なる事情聴取と思っていたといわれるが、その日、ふたりはそのまま脱税容疑で逮捕された。(「金丸が逮捕後に秘書のせいにしなかったのはりっぱだった」などと書いている人がいる。「秘書のせいにする民主党に比べれば、まだ自民党はりっぱだった」と言いたいのだろうが、秘書も脱税容疑で同時に逮捕されたわけで、秘書のせいにするもなにもそんな状態ではなかったというのが本当のところ。そもそも鳩山も金丸の弟子だった小沢も自民党の出身。金権体質は自民党のDNAだ。「贔屓の引き倒し(?)」のようなことを言っても「自民党の方がまし」ということにはならない)

 その日、東京地検特捜部と東京国税局とが合同で行った家宅捜査で無記名のワリシンと金の延べ棒が出てきた。「金」丸邸から「金」の延べ棒。世間は面白がった。逮捕から一週間後、特捜は金丸と生原を1987年分の脱税に関してのみ所得税法違反で起訴した。この日いっぱいで時効を迎える(脱税の時効は申告の時から5年)からだった。そして27日になって、その後の分について追起訴した。金丸本人だけではない、「ご立派だった金丸さん」が責任をなすりつけることのなかった生原秘書も一緒に。

 夕方には帰宅できると信じて出頭し逮捕された師匠・金丸の記憶。小沢にはこの記憶が焼き付いているに違いない。小沢は政治資金の運用については細心の注意を払ってやってきた。しかし、その自信があるとしても、最悪の場合でも、なお「不逮捕特権」により一時的に守られる・・・、「石橋を渡ろう」、これが小沢の気持ちだったのかもしれない。もしそうだとすれば、それはとりもなおさず、それほどにしなければならないクリティカルなことを小沢がやってきているということになる。(1/20/2010)

 起死回生の策として小沢と民主党は国会の参考人招致の場を利用したらどうかと書いたところまでホームページにアップしてベッドについた。起きてみると、朝刊のトップは「小沢氏、聴取応じる方向」、「地検の再要請受け」だった。ここまで突っ張っておいて、なんだと拍子抜け。通常国会が始まって不逮捕特権が発効したから事情聴取に応ずるのかい。案外、小沢も小人物だったなとの印象。

 ウォーキング中、見上げた青空に一対の飛行機雲が見えた。そうだった、パイロットになりたいと思っていたっけ。だが最初からムリな話だった。航空大学校の受験には裸眼で一定以上の視力があることという条件があったから。

 それでもジェット機には格別の思いがあり、各国の航空会社のジェット機の絵葉書を収集して、ベッドサイドの壁に貼っていた。格別美しいポスターがあり、それも貼っていた。いろいろな空、紺碧の空、暁の空、雲海の上、・・・、それらの背景を右から左、左から右、悠然と飛ぶ鶴丸マークのダグラスDC8の写真がマトリックス状に配置されたポスターだった。夜、その写真に見とれて眠り、朝、目覚めるとその光景を眼に焼き付けて起きた。「空を切り、地球を蹴って、新しい時間に挑みつつ、・・・」という日航のコマーシャルソングはいまも歌える。

 「ミスター・ロンリー」をバックに始まる「ジェットストリーム」も日航がスポンサーだった。「・・・夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプはやがて星の瞬きと区別がつかなくなります。この音楽があなたの夢に美しく溶け込んでゆきますように・・・」、あれは「ひとつの世界」だった。

 パイロットになれない以上、その会社に入社したいとは思わなかったが、我々の時代、日本航空という会社は就職ランキングで五本の指に入らないことはない会社だった。

 その日本航空が、きょう午後、東京地裁に会社更正法の適用申請を行った。負債総額2兆3,221億円。事業会社としては過去最大の経営破綻の由。(ロイターによると、世界の航空会社では、2005年の米デルタ航空が3兆1,200億円、2002年の米ユナイテッド航空が2兆8,000億円、世界第3位とのこと)。

 先週、二日連続でストップ安をつけて7円まで下がった株価は、きょう、安値3円までつけ、終値はきのう同様5円だった。

 ゆでガエルは完全にゆであがったわけだが、ギブアップしなかったカエル(日航という会社)、そしてそのカエルを利用し尽くした運輸官僚と族議員たち、あきれるばかりの鈍感と強欲。気の毒なのは平社員とスタッフ系管理職、そして退職金のかなりの部分を企業年金に繰り入れたOB、そうだ、**くんはそのOBだ。彼らには、悪い話は聞いていても、さほどの実感はなかったものと思う。2005年までは4円の配当があったのだから。

 新しいCEOは京セラ名誉会長の稲森和夫(小沢一郎のお友達とのこと)、COOは未定。夜になって開かれた現経営陣と企業再生支援機構が行った記者会見での受け答えを聞くかぎり、すんなり2012年度の黒字が達成されるとは思えず、いずれ全日空をまじえたガラガラポンがありそうな感じ。(1/19/2010)

 この週末に行われた世論調査結果がいっせいに発表された。朝日の調査では内閣支持42%に対し、不支持41%、読売の調査では支持45%に対し、不支持42%、共同の調査に至っては不支持が44.1%と支持41.5%を上回った。さらに小沢の幹事長辞職を求めるのは朝日67%、読売70%となって、数字を見ると、検察のもくろみは一応の成果を上げたようだ。

 民主党はまるでハリネズミのようになって、「国民生活維持のため、予算案の早期成立のため、中央突破する」というようなことを言っている。真正面からこんな取り組みをすれば消耗するだけの話だ。

 そこで民主党と小沢に秘策を授けたい。小沢一郎本人が予算委員会の参考人招致に応ずるのだ。かねてから小沢は「やましいことはなにもない」、「資料はすべて検察に提出してある」と言っている。ならば検察の事情聴取に応ずればよいというのは下策。

 小沢は同じデータによって、参考人質疑を受ければよい。参考人招致受諾に際しては、こんな風に言ってはどうか。「いまの検察、就中、特捜部は信頼できないから、オレは聴取に応じないのだ。ちょっと考えてみなさい、取り調べで被疑者が話したことが、その日のうちにボロボロと、あることにないことまで加えて、マスコミにリークされる。そんな検察官が行う事情聴取なんかに応ぜられますか。テレビ中継、おおいにやってください。マスコミが検察のリーク情報をなんの裏も取らずに垂れ流すから迷惑してるんだ。そのまま中継するだけなら、マスコミも楽でしょ。オレは検察に提出したのと同じデータを委員会に示して質疑に応ずるから」と。

 そして事のついでに「条件として東京地検の特捜部長も参考人に読んでくれ。いったい検察官なり、検察事務官なり、どこのどいつが、『関係者』と自称して、マスコミに取り調べ情報を漏らしているのか、そのあたりを『事情聴取』したいからさ。場合によっては漏洩者本人を告発し、そいつには刑務所に行ってもらう。りっぱな公務員守秘義務違反だよ、あれは。当然、検察庁の然るべきレベルの人間の責任は厳正に問うからな」とでも条件をつけたらいい。

 小沢よ、「やましいことがない」というなら、まず肉を切らせろ、そして敵と思う検察担当の骨を切る、それぐらいの勝負に出たらどうだ。

 もちろん小沢にはアドバンテージがある。参考人質問にしろ、証人喚問にしろ、各党の質問時間は議席数に比例することになっている。身内の民主党がたっぷりお手盛り質問してくれるというわけだ。

 もっとも、いまの自民党のパワーでは時間をどれだけもらってもたいした質問はできないに違いない。自民党よ、そのときは共産党に質問時間をくれてやれ。やる気も知恵もなくなったヤクザ政党よりは、共産党の方がはるかに迫力のある質問をするだろう、呵々。(1/18/2010)

 予想通りこの週末のテレビは「小沢対検察の激突」ネタで持ちきりになった。その意味では検察の作戦は図に当たった。まあリークすればリークした通り、疑うことなく忠実に記事にしてくれるのが、最近の若い記者らしい。テレビ局の番組制作担当も似たり寄ったりの指示待ち世代だとすれば、その本領を遺憾なく発揮してくれることは保証書付きだった。まことに恐るべき阿呆な世代を作り出したものだよ。

 まあこの社会は彼らのものだ。彼らのやりたいようにやるがいい。その報いはいずれ彼ら自身が受けるのだ。存外、ものを考えない阿呆でもハッピーな一生を終えられるいい時代・いい社会ができるかもしれない。年寄りは黙してニコニコ、好々爺を決め込んで成り行きをとっくり観察させてもらうさ。

 おととい、あまり筋のいいとはいえないこの事案を検察がここまで突っ張る理由はなんなのだろうと思った。一日遅れのきのう、特捜が大久保隆規を逮捕したことで、その答えが分かったような気がした。(もちろん陋巷の民の想像に過ぎないが)

 結論から書けば、特捜がいちばんやりたかったことは、大久保隆規の裁判を引き延ばすことだったのだろう。延びに延びた大久保の裁判は先月18日に初公判、そして今週13日に第二回公判が開かれた。あれほど大騒ぎをしたマスコミなのに、初公判についても、第二回公判についてもじつに地味な報道しかなされていない。まことに不思議な話だと思っていたら、じつはこの裁判、調べてみると、検察側にとっては「絶望的な展開」になっていたのだ。

 検察側の主張の根幹は「大久保被告はふたつの政治団体が西松建設のダミーだということを承知で献金を受けていた」というところにあるが、初公判で当の西松建設の岡崎某なる元総務部長が裁判官からの質問に対して、「外部の政治団体という認識でダミーとは思っていなかった」と証言したのだ。あわてた検察官は「株主代表訴訟などで取り上げられると不利になると思って、そう証言しているのではないか」と証人に証言を覆すよう迫ったにもかかわらず、件の総務部長は「何を言いたいのか理解に苦しむ」と検事に食ってかかったというから大嗤い。

 こんなやり取りがあってから、次回公判は今月26日に被告人質問をして実質審理を終える方向がきまった。このままの見通しでは、来月26日には結審、3月末までには判決という段取り。この成り行きではうっかりするとこれで「大久保は無罪」、「小沢は潔白」で、参議院選挙を迎えかねない。東京地検の周章狼狽は推測に難くない。これが13日午後のことだったのだ。

 特捜部が家宅捜索を行って検察べったりのマスコミを驚かせたのはその夕方。そして翌日、木曜日のワイドショーを賑わせてから、金曜日には石川・池田を逮捕、さらにきのうさらに大久保を逮捕した。たぶん、検察は来週火曜日、26日に予定されていた大久保の公判の延期を願い出るに違いない。

 もう一度、体制を立て直して、佐藤優が予言した「法曹界の相場観では特捜の敗北」という「政治資金規正法違反」さえ勝ち取れずに、無様な敗北を国民の前に晒して7月の選挙を迎えることだけはなんとか回避しようと、検察はもうそれだけしか考えていないのではないか。(1/17/2010)

注)1/13日の公判に関する、エビデンスはこれをみてください。
  
  ふだん、まったく評価しないサンケイ新聞のサイトデータをあげるのは「敵性証人」的であるから(^^;)です。

 週刊紙はほとんど買わない。経験的に週刊紙の見出しは九分九厘「羊頭狗肉」、実際、新聞広告で見出しを読むだけでほとんど用が足りてしまう。にもかかわらず、久しぶりに「週刊朝日」を買ってきた。天木直人のブログの「『WTCは爆破解体された』という週刊朝日の記事と読者の反応」を読んだため。

 新聞広告には「いま解き明かされる9・11ミステリー/WTCビル崩壊の原因は旅客機の衝突ではなかった/米建築家グループの分析から浮かびあがった驚きの結論とは」となっていた。たぶん「狗肉」のオチは「WTCがチューブ構造だったから」というところにした記事だろうと思っていた。

 しかしこの記事、そういう内容ではなかった。多くの日本人はあの時崩壊したのは「ツインタワー」と呼ばれる「ノース・タワー(第1ビル)」、「サウス・タワー(第2ビル)」のふたつのビルだと思っているが、このふたつのビルと並ぶ47階建ての「第7ビル」が「ノース・タワー」の崩壊後7時間ほどして、崩壊しているのだそうだ。そしてその崩壊は47階建てのビルにもかかわらず約7秒という短時間にツインタワー同様の崩壊をしている由。もちろんこのビルに突っ込んだ飛行機などはない。

 合衆国連邦緊急事態管理庁の報告書にはこのビルも突っ込んだ飛行機のジェット燃料をかぶって発生した火災によるとアバウトに書かれているだけで、ビル崩壊のメカニズムについてはまったく明らかにしていないという。第7ビルの崩壊はビデオからは制御解体(アメリカでは常套化している、老朽ビルの爆破による取り壊しのこと)そのものに見えるし、その特徴がすべて当てはまるとリチャード・ゲイジというアメリカの建築家は主張している。

 記事は筑波大学の磯部大吾郞准教授によるスプリングバック説も紹介しており、かなり客観性の担保に気をつかった内容になっている。

 いわゆる「陰謀説」を否定する人々は「制御解体のためには入念な爆破準備が必要で誰にも知られずにそんなことができるわけがない」と主張する。これに対するゲイジの言葉はじつに抑制的。「私たちに論はありません。あるのは証拠だけです」。もしゲイジのいう通り証拠が制御解体を指し示しているとすれば、入念な爆破準備が可能だった人々こそがあの事件の真犯人だったということになる。(1/16/2010)

 東京地検特捜部が小沢一郎の元秘書・石川知裕衆議院議員・石川の後任といわれる池田光智を逮捕した。家宅捜査だけでも鶏を割くに牛刀を用いるような感じがしたが、ここまでくると「特捜部、ご乱心」といったところ。

 しかし「ご乱心」のわりにはさすがに秀才集団だけあって計算は一応緻密なところをみせている。まず金曜日の夜の逮捕というところがにくい。ヒトラーは「わが闘争」にこんなことを書いている。

 同じ講演、同じ演説者、同じ演題でも午前十時と午後三時や晩とでは、その効果はまったく異なっている。・・・(中略)・・・朝は――日中ですらもそうだが――人間の意志力は、自分と異なった意図や異なった意見を強制する試みに対しては、このうえないエネルギーで抵抗するように思える。これに対して晩には、それらはより強い意志の支配力に、もっとも容易に屈するのである。

ヒトラー 「わが闘争(下)」 第6章「初期の闘争-演説の重要性」より

 これは、大衆を操るためには、彼らが一日の仕事に疲れ、批判精神よりはひたすら強い者のお膝元で休みたいとひそかに望んでいる時、権力を誇示するのが一番効果的であるという洞察である。繰り返そう、一日の終わり、就中、一週間の区切りであとは心地よい週末が待っているという金曜日の夕刻に「人民の敵」を屠るのがいちばんインパクトを与えるのだ。

 「大衆様」の批判力の鈍る瞬間に権力の行使を印象づけ、土・日の週間ニュースショーで繰り返し繰り返し比較的単純な情報による「気にくわない奴叩き」をテレビなどでワンワンと騒ぎ立てれば、「万犬」は盛りのついた如くに「条件付け」できるというのが特捜部の狙いだ。その狙いに嵌る人は嵌ればよい。

 それにしても・・・と思う。誰も言わないようだが、特捜部にある意味の権力が集中しているのは問題ではないか。通常、捜査は警察(脱税などの場合は国税庁)が行い、起訴は検察が行う。現実にどのていど機能しているかについて疑問がないわけではないが、それでもふたつの違う組織が関わるわけで、相互に相手の「眼」を意識した業務遂行がなされる。それなりのチェック・アンド・バランスが期待できるわけだが、特捜は捜査と立件の双方を行う。捜査でいくらでたらめなことがなされてもこれをチェックすることは難しいのではないか。

 検察一体の原則があるから特捜の恣意的な捜査、立件などあり得ないというのが検察庁のタテマエなのだろうが、石塚健司の「『特捜』崩壊」などを読むと、最近では特捜が最高検を騙すことは珍しくないという。昔ならばあり得なかったといわれる警察的な捜査手法、「本件なし(!)の別件逮捕」や「容疑の後付け」を検察官が常習化したら、この国には「公正な司法手続き」などはなくなってしまう。そうでなくても、日本の検察庁は都合の悪い押収資料をなくしたり、被告に有利な証拠を隠滅するということを平然と行ってきた必ずしもフェアではない官庁という「伝統」があるのだから、二足のわらじでお手盛り自由などという権限を与えていることは再検討されるべきだ。(1/15/2010)

 朝一で大泉へ行き、整体治療。終了後、新宿の紀伊国屋へ。新宿まで足を伸ばしたのは、Edyポイントを消化するため。有効期限が来て新しいVISAカードが送られてきたが、なんとEdyは引き継げないのだそうだ。偉そうに「現在のカードのEdyは使い切ってから処分してください」などと書いてある。紀伊国屋はEdyが使えるので、ポイントがつくようになったし、しばらくの間、書籍購入は紀伊国屋になるだろう。ポイント付与率はクラブオンと変わらない(書籍はカードがゴールドでも1%)が、西武は1000円以上であるのに対し、紀伊国屋は100円からできめ細か。

 新宿南店は明るく広めでゆっくりと本の渉猟ができる。「日本霊異記」を講談社学術文庫版で、文庫ではこれに松山巌の「群衆」、新書ではベストセラーになってしまった内田樹の「日本辺境論」など。そして文藝春秋で匂いだけ宣伝していた「ヒトラーの秘密図書館」などハードカバーを三冊ほど買った。

 復刊でみすずから「オルレアンのうわさ」、ハワード・ジンの「民衆のアメリカ史」が出ているのを見つけたが、デッド・ストックの山を思い出してかろうじて思いとどまった。しかし、いま、こうして書いていると、なにをケチったのかという気がしてきた。読みたくなった時、すぐさま読めるというのは大事なことだ。呑まない・打たない・買わない男の唯一の道楽だ。それまでケチケチしていては生きている甲斐がないではないか。結局のところ、身に染みついた貧乏性は全然抜けない、哀しいことに。(1/14/2010)

 二日ほど見合わせたウォーキングを再開。まだ少し風邪が抜けない感じでゆっくりウォーク。一時間で切り上げるつもりが歩き始めると止まらず、結局フルコースで2時間10分。14キロ弱。

 佐藤優は鈴木宗男事件に連座して拘置された際の経験をまとめて「獄中記」を書いた。それを岩波現代文庫に収録する際、彼は「岩波現代文庫版あとがき」を付け加えた。このあとがきは「2009年3月19日脱稿」となっていて、それは小沢一郎の秘書・大久保隆規が逮捕された直後のことだった。

 佐藤はこの事件に関して、まず「もちろんドライバーがスピード違反や駐車違反をしてはいけない。同様に、政治家やその秘書が政治資金規正法違反をすることはよくない」と常識的な留保を述べた上で、

 今回、興味深いのは、大久保氏の逮捕が、この解説を書いている3月19日時点で別件の贈収賄事件につながっていかないことだ。仮に検察が政治資金規正法違反だけで大久保氏を起訴し、起訴事実を大久保氏が否認すれば、判決が有罪になっても法曹界の相場観では特捜の敗北だ。特捜検察はなにかをあせっている。

と書いた。

 佐藤はなぜ「政治資金規正法違反だけで有罪になっても特捜の敗北」というのか。その理由はこの部分の少し前に書かれている。

 ただし、「西松建設ではサンズイ(贈収賄)には至らないので、岩手で別ヤマ(事件)を狙っている」という話だった。・・・(中略)・・・ところで、政治家の犯罪には「品格」がある。特捜が狙う政治家らしい「品格」のある犯罪は、受託収賄や斡旋収賄など国会議員の特権をカネにかえる犯罪とか、脱税など、当該人物が国民の代表としてふさわしくないことが一目瞭然となるような事案だ。

 現実には先月18日に始まった大久保秘書の裁判は「政治資金規正法違反だけ」の事案となった。3月3日に逮捕し、5月26日まで勾留を続けながら、結局、「大山鳴動ネズミ一匹」のような裁判になってしまった。ここまでのところ東京地検特捜部は大恥をかいたままだ。

 にもかかわらず、きのう小沢があんな記者会見をするのを見て、「おや、これは特捜部、水面下で相当頑張っているのかな」と思ったのが、きのうのこと。ところが相撲中継の真っ最中の「ニュース速報」のテロップを見て印象は180度変わった。「東京地検特捜部が陸山会、小沢事務所などを家宅捜索」。逮捕もなしに家宅捜索とはというのには驚いた。バタバタしているのは小沢ではなく特捜部の方らしい。

 検察べったりのマスコミもさすがに特捜の予想外の動きに混乱気味で、夜のニュースでは「この異例の家宅捜査は小沢氏が昨年末以来の検察庁の事情聴取要請に応じていないこと、元秘書である石川議員が曖昧な供述を繰り返していることがあるためと思われます」などと、素人の感想のような「説明」をつけていた。情けないの一語だ。プロならば、素人が想像できるような「お話」ではなく、家宅捜査の容疑事項はなにか、検察はこの「家宅捜査」でなにを見つけ出そうとしているのかくらいは具体的に取材して報道してくれ。そうでないと、「事情聴取に応じない小沢に立腹している。俺たちは本気で怒っているぞと知らせるために、そして小沢をいぶしだそうと、具体的な目的はなにもないけれど嫌がらせのひとつとして家宅捜索したのだ」ということになってしまう。そんな「説明」では我らが検察官様に失礼というものではないか。

 マスコミさん、検察のリーク情報をそのまま垂れ流すだけなら、そんなものは要らない。それほど検察当局者が捜査上の秘密事項を漏らしたくて我慢ができないでいるというのなら、はやりの「ツィッター」でも使ってもらえばよい。おバカで怠惰な月給ドロボーのような放送記者や新聞記者に「伝言ゲーム」のお手間を取らせるほどのことはない。

 少し先走って佐藤優が指摘することを前提にした「結論」を書いておこう。

 小沢を「サンズイ」であげるのは相当の無理筋だろう。「岩手の別ヤマ」の該当案件が胆沢ダムだとすれば、基礎工事の始まったのは2003年、翌年に堤体工事が始まり、ゲート工事は2006年に始まっている。発注主体は国交省で、すべて自民党が政権を握っていた時に入札が行われている。当時、小沢一郎は大物とはいえ野党の国会議員だった。収賄罪は「公権力の行使に関して便宜を図ること」が犯罪構成要件であるはずだ。「職務権限」のない小沢がカネを受け取ったとしても「収賄」にはならない。

 とすると、残るのは「脱税」ということになるが、脱税の時効は5年。胆沢ダムがらみとするとゲート工事案件に関係するものがあればギリギリだが、くっきりと脱税が浮き彫りになるほどの金額が「職務権限」のない小沢に渡ると考えるのはムリがある。なによりそれほど有効な「スジ」があれば、とっくの昔に立件できていると考える方が自然だし、なにより小沢は金丸の直近にいたのだから、それなりの「教訓」は得ているはず。もちろん上手の手から・・・という可能性は常にあるわけだが。(1/13/2010)

 昼間の雨は年明けからきょうが初めてとのこと。寒い。熱は引いたが、さすがにウォーキングに出る気にはならない。しかし、まる二日、歩数計がゼロとなるとなにか敗北感に似たものが腹にたまる。すべてを「仕事」にしてしまうのは長年の「勤め人生活」の然らしむるところか。

 久しぶりに「無伴奏チェロ組曲」をかけながら、内田樹の「街場のアメリカ論」を読む。トクヴィルへの言及があるたびに「アメリカン・デモクラシー」を取り出してきて読んだりするから、なかなか読み進まない。

 内田は「アメリカン・デモクラシー」の第一巻の方のみを取り上げているらしい。巻末の注によれば引用を中央公論社の「世界の名著」(1970年)としている。はじめてトクヴィルを手にしたのは講談社文庫だった。記憶によれば「世界の名著」のこの巻はトクヴィルだけを取り上げたものではなかったと思う。完全収録にこだわりがあったので、なんとしても買いたいとは思わなかったような気がする。文庫本が出たのは会社に入ってから。しかし、1972年当時、上下二巻本構成で、内容は原著の第一巻のみであった。というよりは当時は原著に第二巻のあることは知らなかった。この当時は原著第二巻は視野に入れられない状況だったのかもしれない。

 たしかに民主主義に対する根源的省察としては原著第一巻で足りるのだろう。しかし、講談社版の訳者井伊玄太郎があとがきに書いているように「一種の心理分析学の創始者」であり、それがいちばんよくうかがわれるのが原著第二巻の「アメリカン・デモクラシー」だと思う。内田先生にはこちらも取り上げていただいて欲しかった。いや、読み進んだのはまだ「第4章 上が変でも大丈夫――アメリカの統治システム」まで。この後の章にはでてくるのかもしれない。

 寒さと暗さから早々と雨戸を閉めた関係で本から眼をあげたのは6時をまわる頃だった。テレビをつけると小沢が記者会見を行っていた。やけに高圧的。「木で鼻をくくったよう」というのはこういうのをさすのだろう。だいたいこういう粗雑な会見をする時は「負け」モードだ。ということは西松建設の件とは異なり今回の土地購入費用の件には小沢がカリカリするような「急所」があるのかもしれない。検察のメンツにかけての捜査が音もなく迫り、小沢が音を上げたとすれば、さすが特捜部。(1/12/2010)

 きのう、大それたことに思いを致したせいだろうか、ずいぶん久しぶりに風邪を引いた。全身がけだるく喉がヒリヒリする。

 終日、寝ていた甲斐もあって、いま一息、この糞詰まりが解消すれば、熱も一気に下がるだろう。

 布団の中、夢現の状態で、ホームページの一・二月の玄関飾りにはなにを使おうかと考えたが、とんと思案がまとまらない。どうやら教科書で仕入れた愛唱歌もそろそろ尽きてしまったようだ。

 ・・・旅に病んで夢は枯れ野を・・・、ははは、もうしまいかと嗤いながら寝返りをうった。腹ばいで入力すると、背中が痛い。(1/11/2010)

 「600年ほど前に起きたことをこの眼で見られるか?」と問われて、「ああ、見られる」と答える人は少なかろう。しかし、「見られる」というのが正解だ。

 別にウェルズの「発明」した「タイムマシン」なぞを使わなくともよい。空手でもよいが、できるなら望遠鏡がある方がいい。その望遠鏡を、夜、空にかざせば、近いところでは4年ほど前から、千、万、億単位の「昔」を自在に見ることができる。なに、夜に限らなくともよい。太陽は常に8分十数秒ほど「昔」の姿だ。

 朝刊にオリオン座のベテルギウスに「超新星爆発の予兆くっきり」という見出しの記事が載っている。内容はこうだ。ベテルギウスは太陽に比べればはるかに若い恒星だ(太陽46億歳に対し、ベテルギウスは数百万歳)が、太陽より千倍ほど大きく、重い、「赤色超巨星」。既に15年間で大きさが15%ほども減ったという研究があるという。

 NASAが6日に公開した画像には表面の盛り上がりと見られるふたつの大きな白い模様が写っていた。これはガスの放出によりベテルギウスの表面が梅干しのようにでこぼこに膨らんでいるから。これが恒星の一生の最終段階に起きる超新星爆発の予兆ではないかというのだ。

 記事にはふたりの専門家の言葉が紹介されている。「爆発がいつかは分からないが、死の直前を見ているのは間違いない。今まで想像するしかなかった星表面の様子も、実際に見て確かめられるようになった」。「爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくはない」。

 もしここ十数年のうちに超新星爆発が見られたとすれば、数十年の寿命しかもたない人間が、数百万年以上もの寿命を持つ恒星の最期に立ち会うことになる。言語を絶する奇跡だ。もっともこの「奇跡」に驚くかどうかは人によって違うだろうが。

 さて、きょう、いま、西暦2010年1月10日18時22分27秒、ベテルギウスは既に超新星爆発を経てブラックホールになって久しい時間がたっているだろうか。その「過去」はいまから幾年後の「未来」なのだろうか。(1/10/2010)

 今週は5日にニューヨークが小幅に下げ、7日に東京が前日の上昇分を戻したていどで、年明け初日に対し、34ドル23セント(昨年末に対しては190ドル14セント)、143円53銭(同251円88銭)のプラスだった。

 パックツアーの宿ではネット接続はムリとあきらめてPCは置いていった。おかげで、いちばん楽しい局面をトレースすることができなかった。新興国株投信基準価格もかなりあげていた関係もあって、含み益が****ほどプラスした勘定。確定収益も加えると、4月以来のゲインは4.4%、年率換算5.68%になる。もちろん、含み益などというものは淡雪のようなものだから融けてなくなることはあるし、悪くすればマイナスにもなるのだが、一時のことにせよ、帰ってみるとニコニコの局面というのも悪くはない。

 こうなると「バスに乗り遅れては」という気持ちが先立って、未投資資金をすべて入れたくなるが、かろうじて思いとどまった。こういう時がいちばん「危ない時」なのだ。

 誘惑はこれだけではない。月曜日には83円半ばだった豪ドルも85円半ばまで円安が進んで、一括決済がちらつくステージに達している。(きのう瞬間値86円に乗せた時PCの前にいたら、「スワップ稼ぎ」という確定目標を忘れて一括決済していたかもしれない)

 この円安、体調を理由に辞任した藤井の後任、菅直人財務相の為替に対する「口先介入」が招いたものとか。新聞から拾うと、「経済界から(1ドル)90円台の半ばあたりが、貿易の関係で適切ではないかという見方が多い。もう少し円安の方向に進めばいいなと思っている」と就任後初の記者会見で述べた由。このていどの表現が「口先介入」になるのかどうかはかなり微妙だと思うが、実際に為替相場はこれに反応したとマスコミは報じている。

 チャートで見る限り、菅の記者会見時点にドル円がステップ応答したことは読み取れるが、ニューヨークが閉まるけさまでの動きを見る限りは92円50銭前後が現在の「実力水準」で、これを中心に前後一日に均等の山と谷がある。さらに豪ドルなどの周辺通貨の水準を見ると、閣僚の単なる「願望の表明」の効果などはたかが知れていると分かる。(ドル円と東証しか見ない人にはこれが見えないのだろうが)

 だいたい、前任の藤井が就任した頃に、「為替に関して冷淡な発言をするから、この円高を招いた」と責め立てたのはどこのどなただったのか。こうなると逆に、我がマスコミはどのように発言することが「適切」と思っているのか知りたくなる。

 サンケイ新聞のように、菅の発言を、訳知り顔の評論家の口を借りる形で、「軽率」とか、「経済を知らぬ」と批判しながら、かつて塩川正十郎が同様の発言をした時にはそんな批判をおくびにもしなかったぞと指摘され、かえって「軽率」で「経済を知らぬ」オポチュニストはサンケイ新聞ではないのかとバカにされるに至っては「おソマツ」の極み。「バカも書かずば撃たれまい」に。(1/9/2010)

 ワールドカップの日本戦観戦ツアーに「ゼロ泊三日」とかいう「弾丸ツアー」があった。それに比べれば出発は早くとも夕方6時までには宿に入ってきちん宿泊するのだから文句を言う筋合いはないのだが、日に300キロ近くもバスで移動しながらポイントごとに律義に降りて分刻みで見て歩くスタイルはどうにもなじめなかった。

 それでもバスガイドさんの話術がじつに巧みだったのが収穫。オーソドックスな案内に、時折、博多弁をまぜ、綾小路きみまろ風のしゃべりを入れる。狎れ狎れしさの一歩手前でスッとふつうのバスガイドに戻る。その「見切り」が絶妙。ちょっと残念だったのはスピードを落として語尾を引き取る、これを頻発するのが少し耳障りだったこと。

 まあ、九州名所カタログと割り切れば、悪くはない旅行だった。珍しく車酔いしたり、いつも腹具合と走行中にお手洗いにゆきたくなったらという、恐怖感が頭から離れないというのが悩みだったが。

 がっかりだったのは高千穂峡。それ以外はいずれ時間をかけてじっくりと見たいと思った。とくに阿蘇の見晴らしについては期待感がより大きくなった。(1/8/2010)

 強烈な思いをもって夢から覚めた。年に何回かあるやつ。甘い夢ではない。

 ウォーキングしながらも「夢」の余韻がさめなかった。ある伝説を思い出した。「日本霊異記」に収められていた話だと思うがはっきりしない。

 こんな話だ。ある山寺に吉祥天女の像があった。そこに住み着くようになった修行僧はいつしかこの仏像に恋してしまう。僧は「どうかこの天女のような美女を授け給え」と祈り続け、ある日、この吉祥天女と交わる夢を見る。翌朝、目覚めて天女像を見ると腰のあたりに淫精が染みを作っていた。僧は慚愧の念にとらわれる。しかし、結びは「奇異のことなるも、なにごとも深く信ずれば、成就せざるはなし」というていどになっていたと記憶する。(さて、この話、どこで読んだものか?)

 読んだ時、もしそういう夢を見ることができるとしたら、伎芸天の方がいいなぁと思ったものだった。吉祥天といえば浄瑠璃寺のそれだが、あれに欲情するのは難しい。それに比べれば秋篠寺の伎芸天はわずかに腰をかしげてほんのりとした色気を感じさせるから。

 ウォーキングを終わっても、夢のインパクトは残り、お昼くらいまで余韻を残した。

 あしたから**(家内)が申し込んだ九州バスツアー。7時40分羽田集合ということは、5時半過ぎには出なければならない。早く寝なくちゃ。(1/4/2010)

 **(下の息子)は岐阜の方の天候が心配ということで11時すぎに帰った。ことしの暦は「仕事向き」。4日が月曜というのは少し辛いかも。株・為替ともほとんど欧米市場とのずれがない。

 箱根駅伝の結果を書いておく。往路優勝は東洋大、以下、山梨学院、日体大、中大、東農大、明大、早大、駒大、青学、城西。復路優勝は駒大、以下、東洋大、城西、中大、東農大、帝京、山梨学院、中央学院、大東文化、早大。総合順位は、優勝が東洋大、以下、駒大、山梨学院、中大、東農大、城西、早大、青学、日体大、明大。

 きのう5区で逆転した東洋の柏原はまだ2年生。とにかく、強い。あと2年は東洋の黄金時代が続くのではと思わせるが、長距離走のような精神面の占める割合が大きいスポーツは必ずしもそうはならないことがあるものだ。彼がつまずくとすれば、案外、来年かもしれない。(1/3/2010)

 一家で初詣。去年は水天宮に行ったのだが、人出が多くて行列になること、そしていかにも稼ぎどきに稼ごうという商魂がミエミエなこと、小賢しいお神籤、したり顔の神主・・・、一から十まで不快なことばかりだったので、ことしは大圓寺にした。

 2日ということもあるのかもしれないが、「門前、市をなし」、「芋の子を洗う」などということはない。ごった返すほど参拝者がいないとご利益がないように錯覚するような当世風の御仁にはものたりないのだろうが、落ち着いて拝めるのがいちばんという参拝者にはこの方が清々しくてよい。

 ラグビー大学選手権の中継が気になる**(上の息子)はすぐに帰ったが、三人は黒目川沿いの遊歩道を東部図書館のあたりまで歩き、小山台の遺跡公園へまわってみた。

 縄文式の縦穴住居跡が発掘されたので遺跡公園というらしい。黒目川が作る河岸段丘のトップ。川を挟んで向かい側にはイトーヨーカ堂とマンション群。眺めもいい。縄文人でなくとも魅力的な立地だ。冬の日射しが心地よく、散歩コースには最適。天気のよい日には弁当など持参して小一時間ぼんやり過ごすのにもいいかもしれないなどと話ながら帰ってきた。

 帰宅すると既に箱根駅伝は終わっていた。ことしも5区の山登りを東洋大の柏原が制して往路優勝。4区終了で7位から一気にトップへというレースだった由。強い。(1/2/2010)

 起き抜けにニューヨーク市場ダウ平均株価をチェック。年末(日本時間での話)、ほぼ一本調子で上がり続けたニューヨークだが、最後の最後で120ドル46セントの下げ。しかも終了30分前になってから75ドルほど一気に下げたのが東京市場の終わり方に似ていて、ちょっと気になる。年末の一本調子の上げは12月17日の132ドル86セント下げの翌日から始まったことを考えるとさほどの心配はないという見方もあるが、内実の伴わない回復というのが専門家筋の指摘だけに、4日の明けが気になる。

 「元日くらい」と言う中を初ウォーキング。コースは短縮。ちょっと驚いたことが一つ。薬科大近くの新築4軒のうちがそろって注連飾りをしていること。きのうの午後か夕方になって飾り付けをしたのだろう。「一夜飾り」は避けるものだという意識はないものと見える。

 別に不思議なことではないのかもしれない。たとえば「方違え」などというややこしいことは、我々にとってはもはや「死んだ常識」、いや既に「常識」ですらない。陰陽道が廃れたせいだ。それでもまだ家を建てる時には、家相などという話から「方角」がひょっこり顔を見せることがある。しかしその核心部分の考え方がどこかに行ってしまった以上、それに従うかどうかはもう趣味の世界。

 「注連飾りとはなにか」ということがどこかにいってしまったとすれば、「一夜飾り」を避けるべき理由などは忘れ去られて当然。むしろ「おいおい、まだ28日だぜ、お飾りなんか、早すぎないか」というくらいの話になっているのだろう。

 ほんとうの「保守主義」というのは、なぜかは分からなくても、昔からそうしているものを自分勝手な解釈で変えないというところに「真髄」があるわけだが、最近のこの国では愚かしいことにも関わらずやたらに強硬なことを浅知恵でもって主張することが「保守主義」だと思われている。

 叡智をバカにする「保守主義」とはこれ如何に、呵々。(1/1/2010)

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